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40話 死線

 リリスはジュリアと対峙しながら再び口を開く。


「……ジュリ……どうしても邪魔する気なの……? ……もう、王都を魔獣で制圧する計画は失敗した……これ以上は無意味……」


「……確かにこの計画は失敗です。しかしまだ次に備えて進めている計画がありますわ。それを成功させるためにもボルクス男爵をそちらに渡すわけにはいきません」


「……ジュリはレギン王国を変えるためにボルクス男爵に協力してるんだよね……? ……だったらラフェール鉱山で進めようとしている計画はなおさら止めた方がいい……」


「……なるほど、ラフェール鉱山の事も知っているのですね……しかし……なぜ止めた方がいいのですか……?」


「…………」


 リリスはその問いに対して無言でポケットからボイスレコーダーを取り出し録音されていた音声をその場に流し始めた。録音されていたのはある二人の会話。


『……フェイク、ラフェール鉱山で作っている例のモノはいつ頃完成する? 王都制圧が失敗した時に備えてなるべく早く完成させてくれ』


『無茶を言うなボルクス男爵。変異体や合成魔獣を作るために技術者をアルシェにも分けた以上その分時間はかかる。完成まではまだしばらく時間が必要だ。……しかしいいのか? 我々は王都の地下に用がある。ゆえに王都そのものに興味はないが……仮にアレが完成したとして、使用するようなことがあれば――王都は確実に消滅するぞ』


『別に構わんさ。王侯貴族を打倒し民主主義にするなどと言うのは建前でしかない。王都の存亡など私にとってどうでもいいことだ。それに実際こんな国、滅んだところで私の心には何も響かないのだろう。むしろ滅んでくれた方がせいせいするよ。私は――私の復讐が成し遂げられさえすればそれでいいんだ』


 リリスはそこで録音されたフェイクとボルクスの会話を止め、口を開いた。


「……これは二か月前に録音されたもの……『ラクロアの月』の幹部であるフェイクとボルクス男爵の会話……聞いてジュリ……ジュリは騙されてる……ラフェール鉱山で何を作って何をしようとしてるかいるのか詳細はわからないけど……今の会話で分かったでしょう……? ……ボルクス男爵は世直しなんて考えていない……たとえ男爵に協力したところでジュリの望むような結果には絶対にならないよ……今回の魔獣による王都制圧だって同じ……仮に『ラクロアの月』が地下から望みの物を手に入れられたとしても本当にそのまま立ち去る保証なんてどこにもない……男爵がそう言っているだけ……絶対に他にも隠していることがあるはず……だからお願い……目を覚ましてッ……!」


「…………」


 リリスの懇願に対して黙って話を聞いていたジュリアは口を開く。


「……リリ、重要な情報を教えていただきありがとうございます」


「……ッ! ……それじゃあ……」


 リリスは期待の眼差しをジュリアに向けるも――。


「――ですが、降りる気はありません。私はこのまま男爵に協力します」


 返って来た言葉は望んだものとは違っていた。


「……ッ……どうして……」


「私は確かにあの男の語った思想には共感しましたわ――ですがあの男そのものを信用したわけではありません。腹に一物抱えていることなどとうに気づいていました。ですから計画に参加する時に決めていたのですよ」


「……なにを……?」


「ボルクス男爵が私を利用しようとしたように、私もあの男を利用することを、です。……ボルクス男爵が王都やこの国を滅ぼそうとするならば、どんな手を使ってでもそれは阻止します。そしてどれほど時間がかかろうと必ずあの男の持つ裏のコネクションや権力を奪い取り、本当の意味でこの国を変革できるような計画をいづれ私が立てるつもりです。……ですからリリ――私は考えを変えるつもりはありません」


 説得に意味はないと暗に告げたジュリアに対してリリスは深いため息をついた。


「……やっぱり……ジュリは頑固……昔から一度決めたら絶対に譲らない……だからいつも意見が食い違えば私の方が折れてた……でもね――」


 リリスは身に纏っていた青い光を強めると腰を落とし強く握りしめた双剣を構え言う――。


「……今回は譲らないッ……! ……今回の件は、私たちだけの問題じゃ済まないんだよッ……! ……だって……ジュリを助けるためにラグナは……」


「……ラグナ……? ラグナがどうし――」


 ジュリアが言いかけた瞬間――緑色の光を纏った何かが彼女を横切り対峙していたリリスに激突するとその体を後方へ大きく弾き飛ばした。そして少女たちの間に割り込むように現れた傷だらけの人物は木にぶつかり倒れながらもすぐに立ち上がった青髪の少女を称賛するようにしゃべり始める。


「……あら? うまく不意打ち出来たと思ったけど、双剣で防いだのね。やるじゃないの」


「……ベラル……どうして……ここに……」


 突如現れた乱入者は顔に火傷を負い、体中傷だらけで服のいたるところに血の染みがついていた。だが当の本人は余裕そうに笑いながら問いに答える。


「足止めしてた連中全てを片付けたからに決まってるでしょう。結構手ごわかったけど、アタシの敵では無かったわね。……さあお嬢さん、ボルクス男爵の元に急ぎなさいな。あの青い髪のお嬢ちゃんはアタシがお相手するわ」


「……わかりました。お願いしますわ。ただ――」


「安心なさい。キングフロー家のご息女を殺すわけないでしょう。色々と利用価値があるものね。さっきの不意打ちも柄を使って殴っただけし。……ほら、わかったらさっさと行きなさい」


「…………」


 ジュリアはリリスに一瞬悲し気な視線を向けたがすぐに厳しい表情に切り替えるとボルクスの後を追い駆け出した。


「……ジュリッ……!」


「おっと、行かせないわよ」


「……くッ……!」


 ジュリアを追おうとするも一瞬で目の前に回り込んだベラルを見てリリスは歯噛みしながら後ろへ跳び態勢を整える。どうやら傷を負ってなおそのスピードは健在のようだ。


「リリス・フォン・キングフローよね? フェイク様からレイナードの話を聞いて貴方たちキングフローについて調べたから貴方の顔や交友関係なんかは知ってるわ。特徴的に考えてアタシたちのアジトに侵入したのは貴方よね。まあそれは過ぎたことだしもういいけど。それより貴方はあのお嬢さんのお友達なのでしょう? 友達だったら彼女の邪魔をしちゃ駄目よ」


「……友達だから止めようとしてるッ……! ……邪魔なのは貴方の方ッ……!」


 リリスは目にも止まらぬ速度でベラルに向かって斬りかかって行くもあっさり避けられ、足払いをされる。さらに体勢を崩され前のめりになった彼女の後頭部目がけて鎖で繋がれた剣の柄が振り下ろされると、鈍い音と共にその体は地面にうつぶせで倒れ込む。


「……ぐぅ……!」


「とっさに身をよじって直撃を避けたのは凄いけどね。ハッキリ言って貴方じゃアタシの相手にはならないわ。動きが止って見えるもの」


「……このッ……!」


「大人しくしていなさい。言っておくけど『月光術』を発動しても無駄よ。発動しようとした瞬間に貴方を死なない程度にきざむから」


「……くッ……!」


 飛び起きようとしたリリスの背中をベラルは踏みつけその動きを止めると、もう一度右手の剣の柄を獲物に向ける。


「呆気ない幕引きだけど、これで終わりよ。少しの間寝てなさい」


 ベラルが再び後頭部めがけて柄を振り下ろそうとしたその時だった。三十メートルほど先の地面が突然隆起し始め、やがてその部分が爆発するように爆ぜる。そして吹き飛んだ地面の穴から黒い光の塊が勢いよく空に舞い上がった。突然のことに二人は戦闘を一瞬忘れ思わずその黒い光を纏った人物を凝視する。地底から舞い上がったそれはこちらに気づいたのか表情を怒りに歪めながら叫ぶ。


「その娘から――離れろぉぉぉッ……!!!」


 黒い光を纏い同色のローブで全身を包んでいた人物――ラグナは空中で右腕を大きく引くと、何も無い空間を思いきり殴りつけた。その瞬間、空気をパンパンに詰めた袋を割った時のような音が鳴り響き強烈な衝撃波がベラル目がけて放たれた。


「なッ……!? ――ぐ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!??」


 空中から地上まで軽く五十メートルはあるにもかかわらず凄まじい風圧に襲われたベラルは周囲にあった木々ごと二十メートルほど離れた場所に吹き飛ばされ巨大な岩に叩き付けられ地面に倒れる。一方リリスは最初から倒れていたのが功を奏したのか、寝そべった状態で地面に双剣を突き立て吹き飛ぶのを防いでいた。空中から落下し着地すると同時にラグナは少女の元へ駆け寄る。だが近づくにつれ黒い光は小さく萎んでいき目的地に到着する頃には完全に消失した。


「リリ、大丈夫ッ……!?」


「……うん……なんとか……でも……ラグナがどうしてここに……」


「レイナード様の使いって人からベラルの足止めに失敗したって連絡があったんだ。それで奴がいる可能性の高い地点までナビゲートしてもらったんだけど……そこには地上に通じる出口がなかったから自分で壊して開けたんだよ。とにかくギリギリ間に合ったよかったよ。立てる?」


「……ありがとう……ラグナ……魔獣の方は……どうなったの……?」


 ラグナの手を借り立ち上がったリリスは王都に進攻しようとしていた魔獣の存在を尋ねる。


「平気だよ。全部片付いた。それより、リリ……まだ戦える?」


「……うん……怪我とかはしてないから……」


「なら君だけでも急いでジュリアを追ってくれ」


「……え……ラグナは……?」


「俺は――やらなきゃいけないことがある」


 二十メートル先――ふらつきながらも緑色の光を纏い立ち上がった因縁の相手を見据えながらラグナは銀色の『月光』を纏う。直後ホルスターから『月錬機』を取り出すと銀色の剣に変形させ構えた。


「アイツは俺が倒す。だから君はジュリアの元へ」


「…………」


 あっさりとベラルを吹き飛ばした先ほどのラグナならそれも容易だろう。だがそれは黒い光を纏っていた時の話である。今の少年の体を包んでいるのは銀色の光――ゆえにリリスは問いかける。


「……ラグナ……『黒い月光』はもう使わないの……?」


「……あれは一日一回、しかもごく短い時間しか使えないんだ。だからもうあの力には頼れない」


「……そんな……」


「でも大丈夫。何とかするよ。だからここは任せてほしい」


「……でも……ラグナ……」


 リリスはお世辞にも体調がいいとは言えない少年の横顔を見ながらためらった。今朝から顔色が悪かったが魔獣と戦ったせいか余計に悪化して見えたのだ。しかも『黒い月光』が使えないうえに敵は強敵ときている。この状況で安心してラグナを置いて行けるはずなどない。及ばずながらも自身が加勢すれば少しは状況を変えられるのではないか。そう言おうとした時だった――。


 あろうことかこの状況でラグナはリリスの眼を真っ直ぐに見つめながら笑いかけてきたのだ。


「――大丈夫、必ずアイツは倒す。約束するよ」


「…………」


 その真っ直ぐな瞳から感じたのは虚勢などではなく確かな自信。ゆえにリリスはその眼を数秒見つめた後、ゆっくりと頷いた。


「……わかった……でも約束……絶対に勝ってね……絶対に死なないでね……」


「うん、わかってる。終わったら追いかけるからジュリアの説得は頼むよ」


「……了解……」


 リリスは纏っていた『月光』の勢いを強めると駆け出して行った。




 残されたのは満身創痍の二人の男のみ。いつの間にか十メートルほどの距離まで近づいて来ていたベラルにラグナは剣を構える。


「お話は終わったみたいね坊や」


「……どうして邪魔してこなかったんだ?」


「邪魔しようと思ったけど体が痺れてまともに動けなかったのよ、さっきまでは。まったく、衝撃波だけでこれとはね。恐れ入ったわ。魔獣たちが殺されるのも納得ね。体中がまだ痛くてしょうがないわよ。でも……おかげで廃工場で戦った時にその力を使わなかった理由がようやくわかったわ。あれじゃあ腕振っただけで工場は倒壊しちゃうわね。おじさんたちを生き埋めにしたくなかったから使わなかったってことでしょ? お優しいわね。だけど優しいのもほどほどにしといた方がいいわよ。……聞こえちゃったんだけど貴方もう『黒い月光』が使えないのでしょう? それなのにあのお嬢ちゃんを逃がすためにアタシの前に立つなんて、優しさを通り越して愚かとしか言いようがないわ」


「……愚かかどうか試してみればいい」


「生意気な事言うじゃない。可愛くないわ――ねッ!!!」


 言い終わる前に視界から消えたベラルはラグナの背後に回り込むと剣を背中に突き立てようとしたが、その攻撃は空を切る。そして敵は目の前から突如消え去った少年を探し唖然とする。


「な……ど、どこに――ッ!?」


 突如何かに気づいたベラルは急ぎ後ろを振り返りながら双剣を交差させるように前へ突き出した。するとすぐに強烈な斬撃が双剣にぶつかりその体を後方へ吹き飛ばす。いつの間にか敵の背後に回り込んでいたラグナは一連の動作を終えて確かな手ごたえを感じていた。 


(……レイナード様からベラルは手傷を負っていると聞かされていたけど、そのせいかスピードも前より落ちてるみたいだ。これなら例の術を使われる前に仕留められるかもしれない)


 ラグナは身に纏った銀色の光を強めると、鳩が豆鉄砲を食ったよう顔のベラル目がけて斬りかかって行った。




 目の前の少年と目にも止まらない速度で斬り合いながらベラルは驚愕していた。


(あ……ありえない……確かにアタシは負傷している……スピードも落ちているのかもしれない……だけど以前この坊やを圧倒した速度と同じくらいは出ているはず……それなのにこの坊やはアタシについてくるどころか……それを上回るスピードで動いてるッ……!)


 ラグナ自身も気づいていなかった変化を目ざとく捉えたベラルは自らの体に刻まれていく切り傷を見ながら表情を歪ませる。正直言って目の前の少年の異常な成長ぶりに内心恐怖せざるを得なかったのだ。


(……あれからたった二日よッ……!? こんなことって……)


 だが思考の途中で赤い髪の少年の顔が脳裏をよぎり認めたくない可能性が頭に浮かんだ。


(……才能、だとでも言うの……『黒い月光』無しでもアタシを上回る資質がこの坊やにあるとでも? ……あの糞生意気なレインと同じように?)


 その考えが浮かんだ瞬間、ベラルはキレた。


「――ふッ……ざけんなぁぁぁッ!!! 冗談じゃねぞぉぉぉぉぉッ!!!」


「なッ……!?」


 怒りによって速度をさらに上げたベラルは傷口が開き出血するのも構わず怒涛の攻撃でラグナを圧倒した。防戦一方ながらも斬撃をなんとか防いでいた少年だったが、鋭い蹴りがみぞおちに入ると吹き飛ばされ木に激突して倒れる。


「アハハ! これよ! これが正しい現実よ! さっきまでのは何かの間違い! 『黒い月光』さえなければアタシの方がアンタよりも強い! 今までは傷が開かないように無意識に動きを制限していただけなのよきっと!」


 苦しそうにせき込みながらもなんとか立ち上がろうとするラグナを見下ろしながらベラルは愉快そうに続ける。


「無駄よ! いくらやってもアンタじゃアタシには勝てないッ! そしてアンタを倒した後は――あのお嬢ちゃんをきざみに行くわ」


「ッ……!」


 その言葉を聞いた瞬間――ラグナの眼が大きく見開かれた。


「キングフロー家のご息女だから殺すつもりはないし、本当は無傷で捕えたかったけど……ねえ? こんだけイライラさせられたんだもの。死なない程度に刻んで悲鳴を聞くくらいは許されるわよねぇ。そう思わない? ぼ・う・や♡」


「…………」


 先ほどやられた事の意趣返しのつもりでベラルはそう言った。その挑発を受けたラグナはうつむきながら無言で立ち上がると剣の柄を軋むほどに握りしめる。


「あら? もしかして怒ったのかしら? でも無意味よねぇ。だってアンタはアタシに勝てないんだもの。さあ、それじゃあそろそろ幕を引きましょうか――てめーはこれで終わりだぁぁぁぁぁッ!!!!!」


 ベラルは低く身を屈めた後、地面がえぐれるほど踏み込むとその場から消えた。おそらく自身が現在出せる最高速度であろうその速さから放たれる斬撃はラグナの首に刃が届くまで0.1秒もなかった。通常ならばなすすべもなく少年の首は地面に落ちていたであろう。しかし――。


「……は……?」


 ベラルが間の抜けた声をあげるのも無理は無かった。今の攻撃は己が出せる最高速度から繰り出されたものなのだ。当然目標に定めた首の肉に右手で持った双剣が食い込むはずだった。しかし現実は違っていたのである――首に向けた刃はラグナの左手の五指に無情にも止められていた。そして刃を何でもないように防いだ少年は下に向けていた己の顔をゆっくりと上げ、敵を見据えながら静かに言う。


「――もう誰も傷つけさせはしない。お前は今日ここで俺が倒す」


「ッ……!?」


 剣を素手で受け止めたこともそうだが、ラグナの顔を見てベラルは再び驚愕する。言葉を失い思考が止るほど驚いた理由は一つ――その左目の瞳が赤く光り輝いていたのだ。さらにそれを認識した直後、少年の体を包んでいた銀の光が爆ぜるように膨張し始めた。と同時に掴まれていた剣の刃に圧が加えられヒビが入り、続けて少年が右手で持っていた銀色の剣による斬撃が凄まじい速度で己に放たれた。


 赤い瞳に見とれていたものの、命の危機を感じ取りとっさにもう一方の剣で防ごうする。しかしインパクトの瞬間に剣ごと体を切り裂かれ後方へ弾き飛ばされる。その身は数十メートル離れた巨木に叩き付けられ吐血し倒れた。吹き飛ぶ際に双剣を繋いでいた鎖は千切れ、その手元にはバチバチと音を立てて放電する折れた双剣の片割れしか残っていなかった。まさに絶体絶命の状況だが、ふらつきながらも体をなんとか起こしたベラルは別の事を考えていた。


(……あの瞳……アレは……フェイク様と同じ……)


 敬愛する者と同じ瞳の輝きを見せた少年を見やるも、すでにその眼からは真紅の輝きが失われていた。その上なぜか苦しそうに片膝をつき荒い息をしている。とにかく追撃してくる様子がなかったためベラルは体を休めるついでに再び思考を始めた。


(……瞳の色が元に戻っている……もしかしてさっきのは気のせいだったの……? ……いや、違う……気のせいなんかじゃない……それに今の坊やから感じた気迫でようやくわかった……廃工場で初めて戦った時に感じた恐怖――アレは『黒い月光』のせいだけじゃない……アレは……あの方と初めて出会ったときに感じたものと同じ感覚……)


 苦しそうなラグナとかつての仮面の男の姿が重なり思わず顔をしかめる。


(……アタシの直感が言ってる……あの坊やにはフェイク様に通ずる何かがあると……ぐ……)


 ベラルは薄く斜めに切られた胴体の痛みに顔を歪める。剣が切り裂かれた瞬間、後ろへ跳んだことで致命傷は避けられたが傷を負ったことに変わりはない。その後、痛みをこらえてなんとか立ち上がる。




 ラグナは急な立ちくらみに襲われ座り込んでしまっていた。せっかくのチャンスにもかかわらず動けなかったことを悔しく思いながら立ち上がったベラルを睨み付ける。


(クソ……チャンスなのに……こんな時に眩暈なんて……たぶん昨日の無茶や魔獣との戦いが原因だな……マズイ……体がうまく動かせない……今までみたいな白兵戦はもう出来ないかもしれないな……でもそれはベラルも同じはず……)


 ボロボロで押せば今にも倒れそうなベラルを見て不意に先ほど自身が発揮した異様な力を思い出す。


(……それにしてもさっき頭に血が昇った瞬間、自分でも信じられないような力が出せた気がする……そういえばゲイズと戦った時にも似たような事があったな……でもさっきのは……一瞬とはいえその時よりも強力な力が出せたような…………いや、今はそんなことどうでもいいか……)


 おぼつかない足取りでゆっくりとこちらに向かってくるベラルを見たラグナはふらつきながら立ち上がり、バチバチと火花をあげる引きちぎられた双剣の片割れを捨てると両手で剣を構える。やがて二人の距離は最初戦い始めた時と同じ距離に戻った。


 ベラルは今までの人を小ばかにしたような笑みを消し真剣な顔でラグナに向かって口を開く。


「……再開する前に一つ、聞いてもいいかしら……? 貴方とフェイク様ってどういう関係なの……?」


「……ただの敵同士だ。それ以上でも以下でもない」


「……そう」


「……なぜそんなことを聞く?」


「……貴方からフェイク様と同じような気配を感じたからよ。それを理解してようやく認められたわ。……まあ正直……貴方みたいな子供今でも認めたくはないけれど……『黒い月光』無しでアタシをここまで追い詰めた以上認めざるを得ないわ。坊や――いや、違うわね――ラグナ・グランウッド。貴方は強い――だからアタシも慢心を捨てるわ。ここから先はおふざけ無しの真剣勝負よ。アタシの全身全霊を以て貴方の首を頂戴する」


(……雰囲気が明らかに変わった。廃工場の時は全力でやると言った後もどこかふざけた雰囲気があったけど……今回は違う……)


 ピリピリとした空気を肌で感じたラグナは次の攻防で全てが決まると直感的に理解した。そしてついに最後の戦いが幕を開ける。


「――〈イル・シルフィ〉!!!」


「ッ……!」


 ベラルの体の緑色の光が膨れ上がった瞬間――複数の竜巻が発生し、その内の一つが術者を飲み込むとラグナの周りを一瞬で取り囲んだ。廃工場の時と同じ状況下で少年は持っていた剣を深々と地面に突き刺すと周囲の竜巻が融合して形を変えていくのを見ながら呼吸を整える。


(……術の発動が廃工場で戦った時よりも速い。どういう術かわかっていたのに避ける暇も無かった。本当に慢心を捨てたってことか……でもいい。むしろ好都合だ。そして――ここからが本当の正念場。倒れるまで何度もサリアちゃんに協力してもらった昨日の練習の成果が試される。もうピンチになっても『黒い月光』は使えない。シスターさんのような助っ人も来ない。失敗すれば俺はここで死ぬ。……けどそれが普通なんだ。ブレイディアさんたち歴戦の騎士はこうした死線をいくつもかいくぐって一人前になったんだろう。だったら――俺も乗り越えてみせる)


 ドーム状の風の結界が形成された瞬間、ラグナは静かに唱える。


「――〈アル・ラプト〉」


 ラグナが術を唱えた瞬間、結界内部に無数の銀色の球体が発生した。現れた輝く銀色の玉たちは荒れ狂う暴風の中を所狭しと飛び回り始める。その途端、姿の見えないベラルの声が結界内に響いた。


「……その術、トラップの類かしら。……なるほど、アタシが気流に乗って飛び回ってることに気づいたのは褒めてあげるわ。でも――無意味よ」


 そうベラルが言った瞬間、飛び回っていた銀色の球体が一斉に結界の外に押し出されるように消えて行った。


「アタシの動きを封じるつもりだったようだけど、残念だったわね。この中にいる者を閉じ込めるも外に出すのもアタシの自由なのよ。廃工場で戦ったおじさんも同じようにトラップを張って来たけど今みたいに無力化してやったわ。……今ので策は終わりかしら?」


「…………」


「……終わりみたいね。でも手は抜かないわ――さあ始めましょうか」


 ベラルが言った瞬間、不可視の斬撃がラグナの体を襲い始めた。普通に考えれば策破れた者が一方的に嬲られているような状況にしか見えなかっただろう。しかし次々に体をえぐる神速の攻撃を受けながらも少年の心は落ち着いていた。


(……よかった――思った通りだ)


 腕や肩、足などにきざまれていく傷や流れ出す血を見ながらラグナは己の考えが合っていたことに安堵していたのだ。


(……サリアちゃんから取り出してもらったセガール隊長と俺の記憶を比較してわかったこと――それは傷がつけられる場所と時間が寸分違わず一緒だったってこと。つまりこの暴風はランダムに流れているように見えるけど、実際は規則性があるっていうことだ。ベラルが気流に乗って攻撃をしてきている以上、その法則から逃れることは出来ない。奴が最初に俺と戦った時、致命傷になる攻撃をしてこなかったのは遊んでいたわけじゃない。奴自身が自由に動けず攻撃できる場所も限定されていたからだ。レインが言っていた欠点とはおそらくこれの事だろう)

 

 考察と検証をしているとラグナの右手首が盛大にえぐり斬られ血が噴き出す。少年はそれを受け苦悶の表情を顔に浮かべた。


(……だから胴体や心臓、頭部といった急所は狙われない……さらに細かい傷を除けばこの結界内部で受ける深い斬撃は七つ――一つは右手首、二つ目は左足首、三つ目は右足首、四つ目は左手首、五つ目は右太もも、六つ目は左太もも――)


 言われた通りの場所が順番通りに斬られ出血していき、ラグナは両手両足の腱を斬られる形で地面に膝打立ちで座り込んでしまう。


(そして最後は……六つ目の傷がつけられた五秒後――この術が終わる三分ちょうどに起こる……それが唯一にして最大の反撃のチャンス)


 ベラルがレインに向けて言った『三分間は無敵』という言葉と三分間近まで耐え抜いたセガールの記憶を思い出しながらラグナはカウントを始める。


(5、4、3、2、1――)


 風の結界の密度が徐々に薄くなっていったその時、ベラルの刃がラグナのうなじに触れる瞬間――。


(――0)


 擦れあうような金属音が鳴り響く。


 風の結界や内部の暴風が消えかかっていたその時にそれは起きた。


 次に聞こえてきたのはベラルの声。


「……な……」


 ベラルが信じられないような声を出した理由――それは攻撃される瞬間に銀色の光を纏ったラグナにあった。右手首の腱を切断されていたはずの少年が地面に刺さっていた同色の剣を右手で引き抜き己のうなじに迫っていた攻撃を予測していたかのように受け止めていたのだ。驚くなという方が無理があるだろう。だが驚いている暇も無く、速度を失った神速の使い手は力任せに武器ごと切り払われ空中に投げ出される。


 さらにラグナは左手を空中を舞うベラルに向け唱える。


「――〈アル・グロウ〉!」


 ラグナの体から銀色の光が左手に収束し、五メートルほどの銀色の光弾がベラルに向けて放たれた。


(……頼む、これで決まってくれ……)


 ボロボロの少年は光弾を見送りながら戦いの終結を祈った。




 自身に迫りくる光弾を前に脳内は混乱していた。


(……どうして……どうして防がれたの……わからない……)


 死の淵に立った者はごくまれに景色がスローモーションで動き始めるというが今のベラルがまさにそれだった。さらに追い打ちをかけるように紅髪の少年に負けた過去の記憶が蘇る。幹部補佐を賭けて戦った際、風の結界の中に閉じ込めたにもかかわらず全ての攻撃を避けられた苦い思い出。そしてとどめは今先ほどラグナ・グランウッドにやられたように武器で弾かれ空中へ吹き飛ばされると同時に『月光術』で氷漬けにされたのだ。まさに完敗と言えるほどに無様な敗北。


(……これじゃあ……あの時と同じじゃない……レインに負けたあの時と……)


 氷漬けになった自身を見つめて鼻で笑った赤毛の少年を睨み付ける事しか出来なかった過去。フェイクが自身を一瞥して去っていく様子は今でも覚えていた。当然その隣にいたレインのことも。その途端、混乱や嘆きが別の感情に切り替わった――それは怒りという名の途方も無い激情。


(……冗談じゃない……ふざけんじゃないわよ……あの方の隣は――アタシの居場所なのよ!!!)


 怒りで戦意を取り戻したベラルの視界は戻り、ゆっくりと動いていた景色がいつも通り動き始める。すると光弾が猛スピードで空中に浮かぶその体に衝突してきたが――。


「こ、んのぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!」


 フリーだった左手を光弾にぶつける軌道を変えようと力を入れる。当たり前だが左腕は光の玉のエネルギーによって焼けただれると同時に骨は折れグチャグチャに変形した。だがその暴挙は奇跡を産む。火事場の馬鹿力とでもいうべき力によって銀色の玉は軌道を変えられ上空へと舞い上がったのだ。


(アタシは過去の自分を乗り越えるッ!!! アンタを倒すことによってねッ!!!)


 さらに消えかけていた風の結界が突然ベラルを包むと乱回転する小さな繭のような形になった。『月光』は感情に大きく影響される。それは『月光術』も同じこと。かつてラグナがゲイズと戦った時術の威力が跳ね上がったように、己の術の新たな可能性を死地で見出した男の最後のあがきがこの場限りの奇跡を起こした。


 風の小さな結界に包まれたベラルが空中からラグナ目がけてロケットのように放たれると、それを見た少年は目を大きく見開く。そしてすぐさま立ち上がり剣を構え防御の姿勢を取ろうとしたが――。


「――遅いわよッ!!!」


 その前にベラルがラグナに突っ込みその体を磔にするように折れた双剣の片割れで胸を貫くと同時に木に激突する。黒いローブに深々と突き刺さった剣を見た男は吠える。


「アタシの……勝ちよッ……!」


 衝突と同時に風の結界を失いながらも少年に突き刺さった剣を見たベラルは勝利を確信していた。




 ラグナは胸に突き刺さった剣を見ながら心の中でリリスに詫びる。


(……ごめんリリ……追いかけるって言ったけど……やっぱり無理そうだ……でも――)


 胸に刺さった剣を握っていたベラルの右腕を己の両手で力強く握ったラグナは目を閉じる。


(――約束は守るから)


 その瞬間ローブの留め金が外れ、ローブの下――胸の部分が露わになる。そしてそこにはベラルにとって衝撃と言える光景が待っていた。


「ッ……!」


 剣に貫かれていたのは少年の体では無く厚いクッションのようなもの。さらにそのクッションの上に存在していたのは五つの銀色の球体。当然剣はその銀色の玉も貫いていた――その結果二人の周囲に銀色の光が溢れ出し、その直後凄まじい爆音が鳴り響いた。



 

 激痛によって意識を取り戻したベラルは体や服がボロボロになったうつ伏せの体を起こそうとしたが、力が入らずそれは不可能だった。だが首だけはなんとか動かせたため周囲を見やると十メートルほど先に木にもたれかかっている仰向けのラグナをを発見する。自身と同じように意識を取り戻しているらしいが、同様に虫の息だった。そしてローブが爆発で吹き飛び、その下の軍服を見たことで疑問の一部が解消した。


(……なる……ほどね……なぜ……両手両足の腱を斬ったのに……あの時動けたのか……ようやくわかったわ……)


 ローブが吹き飛びその下が露わになったことでベラルは解を得た。ラグナが黒いローブで全身を包んでいた理由――それは胸にあった四角いクッションだけでなく、両手首と両足首、左右の太ももに巻き付けられていた物を隠すため。グルグルと手首などが膨らむほど巻かれていたのは厚手の布。さらにその上からテープで硬く固定されていたのは板状のプラスチックで出来た容器。布同様亀裂が入っていたそれからは少ないながらも赤い液体が垂れ流されていた。


(……厚手の布を幾重にも巻いたその上に血のりが入った容器……まったく……とんだ役者ね……アタシの術の中に入ることも想定内で……痛そうに見えたのは全部演技だったってことね……でも……最後の爆弾……アレはいつ胸に仕込んで………………ああ……そうか……あの時に……)


 ベラルは一番最初にラグナが結界内部で唱えた術を思いだした。


(……アレは……アタシの動きを封じるために出したわけじゃなく……ローブの下に爆弾を仕込むために発動したってことね……アタシは……それにまんまと騙されたわけか……)


 薄れゆく意識の中でベラルは最後の力を振り絞るようにラグナに話しかける。


「……見事ね……アタシの負けよラグナ……グランウッド…………でも……最後に一つだけ……聞いてもいい……? 最初から…………全部……計算づくで……アタシの最後のあがきさえ予測していて…………それで……自爆を……?」


「……違……う……アレは……最後の保険……だった……本当ならお前の術が終わった直後を狙って……仕留めるつもりだった……んだ……でもお前は……素の……俺よりずっと強い……だからきっと予定通りにはならないって……そう思っていた……使うことに……なるかもしれないと……覚悟はしていた……」


「…………」


 それを聞いたベラルはため息をついて頬を地面につけた。   


(いづれアタシの術を破る者が現れるか……結局……レインの言う通りになったわね……アタシの術を途中までしか知らない坊やがどうやって正確に術の情報を知ったかは知らないけど……アタシの術どころか最後のあがきさえ攻略された……完敗だわ……)


 死の間際ベラルは最愛の上司を脳内に思い浮かべる。


「……申し訳ありません……フェイク……様……」


 その言葉を最後にベラル・ヒューイットは息絶えた。



   

 動かなくなったベラルを見たラグナは友人二人の顔を思い浮かべる。


 (ごめんリリ……本当は追いかけたかったけど……今の俺の力では相打ちに持っていくのが精いっぱいだったよ……だから……リリ……ジュリアのこと……頼んだよ……)


 ラグナの意識はそれを最後になくなった。


 

 

 戦いが終わり静寂に包まれた森の中、救急キットを持った一人のメイドが倒れていた二人の男の体を確かめていた。それが終わるとポケットから携帯を取り出し電話をかける。


「……ベラル・ヒューイットの死亡を確認しました」


『そうか、ありがとうサラ。ラグナ君の具合はどうかな?』


「重症ではありますが生きています」


『じゃあ急いで応急処置を施してくれ。ヘリがもうそっちに向かってるからさ。絶対に彼を死なせてはいけないよ』


「かしこまりましたレイナード様」


 携帯を切ったサラはラグナに応急処置を施し始めた。 

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