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新しい人生のはじめ方~無特典で異世界転移させられました~  作者: HAL
第5部 秘められた島/岐路

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閑話/祝いの酒


 ナナクシャール島唯一のお食事処、金華亭の朝は早い。

 枕元の魔道具がクルル、クルルと鳥の鳴き声を模した音を出す。手探りで魔道具の頂点を軽く叩くと、鳥の鳴き声が止み、卵のような魔道具がほんのりと光を帯びた。ベッドから起きだしたタラは、その灯りを頼りに身支度を済ませ窓を開けた。外は空と森の境界がまだ見分けられないくらいに暗かった。


「今日も音はなし」


 借金奴隷に落ちたタラが島にやってきてそろそろ二年目に入る。最初は生き物の気配のない森を不気味に思ったが、今ではそういう場所なのだと慣れた。むしろ音が聞こえてくるほうがこの島では危険だとつい最近思い知った。

 足音を立てないように階下に降りたタラは、簡単に片づけられた厨房を見て回った。一つの鍋に昨夜の料理の残り物があるだけで、他の調理器具はきれいに清められていた。客席の様子をうかがうと、こちらは嵐の後のような悲惨な惨状だった。


「また何か壊れてるかも」


 金華亭は客が帰るまで店を開けている代わりに、朝の営業はしていない。翌朝討伐に出る冒険者たちは、焼いた肉を挟んだパンを持ち帰りで購入し、遅くない時間に引き上げる。遅くまで飲んだくれているのは、翌日森に入る予定のない冒険者達だ。その飲んだくれどもが暴れて家具を破壊するのにも慣れた。


「大陸では店で暴れたら出入り禁止になるんだけど」


 この島で暴れる客を締め出したら商売が成り立たないのだから悩ましい。

 タラの朝食は、鍋に残っていた昨夜の残り物を温め、硬いパンを添えた簡単なものだ。食後に飲むのは「ハギ茶」だ。夏の初めに島にやってきた若いパーティーから、製粉前のハギの実を煎って茶にすることを教わった。芳ばしくて安上がりで美味しくて、最近のタラのお気に入りになっている。


「さて、片付けましょうか」


 店の表扉と裏口を開けて酒臭い空気を入れ替え、転がっている食器やカトラリーを拾い集め、箒で床を掃き、テーブルと椅子を水拭きして汚れを落とす。カウンターテーブルを拭き終える頃には、空が明るくなっていた。


「おーい、タラ、いるか?」


 開け放った扉から男の声が彼女を呼んだ。


「おはようございます、リロイさん。早いですね」

「おう、おはようさん。昨日寝る前にマーシャから修理を頼むって伝言があったんだ」

「昨夜の被害は椅子が二脚とスプーンが四本です。ひとつは脚が完全に折れています」


 タラが指し示した椅子の惨状を見てリロイはまたかと溜め息をついた。


「冒険者ってのは武器を持たずにケンカできないのかね」

「ケンカは店の外でやってほしいですね。ウチの備品は武器じゃないんです」


 泥酔した冒険者がノリと勢いで力比べをはじめ、次第にエスカレートして手近にあった椅子をつかんで殴り合いになったのだろう。店主よりも先に就寝するタラはそれを見ていたわけではないが、たまに昼間でも見られる光景なので想像は難しくなかった。


「折れてる方は脚の交換ですむが、こっちの歪んでる方は駄目だな」


 背もたれから脚にかけてを指差したリロイが、割れ目が入っていると指摘した。


「この椅子は焚きつけにして、新しいのを作ったほうがましだ。しかし、これで殴られた方はよく平気でいられるなぁ」

「泥酔していたら痛みも分からないんじゃないでしょうか。修理のことはマーシャさんに伝えておきます。これ、残り物ですけどどうぞ」

「ありがとうな。夜までには修理終わらせとくよ。スプーンは昼までに仕上げて持ってくる」 


 昨夜の残り物をパンに挟んで渡すだけで、急ぎの仕事を快く引き受けてもらえる。小さなコミュニティで気配りは大切だ。

 リロイが修理する椅子を持って立ち去るのと入れ替えにマーシャが二階から降りてきた。


「おはよう、タラ。朝食は食べた?」

「おはようございます。昨夜の残り物を頂きました。今さっきリロイさんが椅子を持っていきましたよ」


 寝起きのマーシャの声は、酒焼けで少しハスキーだ。彼女は朝食を食べない。夜の酒が残っているとかで食欲が湧かないからだという。だから肌に艶がなくなったのだと思うのだが、妙齢の雇い主に向かってはとても言えない。


「一脚は作り直しだそうです」

「ったく、酔っ払いのせいで余計な経費がかかっちまうね」

「スプーンの折れる状況が思いつかないのですが」


 椅子を使った殴り合いは毎週のように見るが、スプーンはどうやって武器にしたのだろうか。


「脳筋どもが握力自慢をはじめてね」

「握力」

「ジョッキを握りつぶそうとしたから、取り上げてスプーン握らせた」


 握るために作られたスプーンの柄は握力で折れるようなものではない。


「面白かったよ、スプーンの柄を握ってぷるぷるしながら頭突き合わせてる脳筋どもの顔ったら。そのうち誰かが親指を立てて押したんだよ。それでポキっと折れて勝利宣言したもんだから、それは握力じゃないとか、頭の出来が違うんだとかいった低レベルなど突きあいが始まってね、最後は椅子を振り上げたところで酔いが限界に達してつぶれた」

「たくさん飲ませたんですね」

「そりゃねぇ、最近は客が減ったから単価を上げなきゃ儲からないだろ」


 ミノタウロスの影響で冒険者の数は減っている。新しい冒険者がやってくるまでは経営的にも厳しそうだ。


「さて、今日町に残ってるのは戦友の奴らだから、オーク肉を甘辛く煮ておこう」

「一緒に丸芋も煮込めば、味が染みて美味しいと思います」

「なら、あとは串焼き用にさばいて下味付けておくか。赤芋と白芋の酢漬けはどれくらい残ってる?」


 酢漬け用の壷を確認したタラは「今夜の分にはとても足りません」と答えた。酢漬けは酒のつまみによく出る品なので、切らすわけにはゆかない。


「じゃあタラは酢漬けの下ごしらえを頼むよ。それが終わったらギルドに荷物を受け取りに行ってくれるかい」


 そう言ってマーシャは注文伝票の控えをタラに渡した。そういえば今日は船便の着く星の日だった。赤芋と白芋を厚めの短冊形に切りそろえて漬け終えると、タラは箱台車を押しながら船着き場に向かった。


   +


 星の日の船着き場とギルドはいつも賑やかだが、今日はいつも以上に騒がしく人が多かった。


「今日の船で新入りが大量に届いたんや。ミノタウロス討伐も済んだし、これで島もまた賑やかになるわ」


 アレックスが新入り冒険者たちの契約作業にかかりきりで忙しい横で、コズエたちが取り寄せ品の受け渡し作業に駆り出されている。壁沿いに立てかけられている巨大なミノタウロスの角には、島の新旧の冒険者たちが群がっていた。


「新人がこれだけ一度に増えたら、料理が足りなくなりそうです」


 ざっと観察したところ、四パーティー三十名ほど、全員が男で、料理をしそうなコウメイのような変わり種はいないようだ。この全員が店の客となることを考えると、仕入れた食材も酒も足りるかどうか心配になってくる。手早く受け渡し作業を終え、タラは金華亭へと急ぎ戻った。


「マーシャさん、新入り冒険者が四パーティーも入島しました。夜の仕込みは増やさないと」

「何人くらい増えたんだい? 年齢層は?」

「三十人くらいでした。二十代前後の男性ばかりです。身体つきも大きい人ばかりでした」

「どうやら期待できそうな客のようだね。たんまり食って飲んでくれそうだよ」


 貯蔵庫の予備の酒樽も放出すれば久々に稼げそうだとほくそ笑んだマーシャは、肉の仕込みを大幅に増やすことにした。タラも手伝いに入り、下味をつけたオーク肉を焼き串に刺して並べてゆく。


「もう一品か二品欲しいねぇ」

「仕込みの時間がありませんよ」

「汁物は酒が入らなくなるから避けるとして、甘辛く煮た汁は残ってるんだ、丸芋の数を増やしとこう。レトとピリ菜を湯通しして、干し肉の千切りと和えておいてくれるかい」


 タラは気合を入れて金華亭定番のサラダを大きなボウルに山盛り作ったのだった。


   +++


 夜、金華亭は久しぶりの賑わいを取り戻していた。修繕されて戻ってきた椅子を足しても席が足りない有様で、背もたれのない予備の椅子を使って窮屈ながらもパーティー単位でテーブルに押し込めた。


「お待たせしました、串焼き盛り合わせと甘辛芋です」

「エール四杯に、蒸留酒のストレート二杯どうぞ」


 テーブル席は全て新入りパーティーが占拠していた。島の住人と古参の「戦友」らはカウンター席でマイペースに飲み食いしている。


「水割りと串肉、赤白芋の酢漬けです」

「エールのお代わり、早くしてくれよ」

「すぐにお持ちします」


 満員の店内を忙しく働くタラを、新入りたちはもの言いたげな視線で追っていた。彼女の腕にはめられた奴隷の腕輪が気になって仕方ないようだった。


「茹で菜のサラダと串肉盛り合わせ、蒸留酒の水割りお持ちしました」


 出口に近いテーブル席に料理を届けたとき、顔を赤くした一人の冒険者がタラの腕を腕輪ごとつかんだ。


「なぁ、あんたはいくらだ?」

「申し訳ございませんが、金華亭は料理と酒だけしか販売しておりません」

「何言ってんだ、奴隷の腕輪をつけてるじゃねぇか。酌婦ならもっと愛想よくしろよ」

「そうだぜ、むすっとして酒注がれてもあんたを買う気にならねぇよ」

「私は借金奴隷ですが、酌婦ではありません」


 そう言って掴まれた腕を取り戻そうとしたが、十三歳の少女が鍛えた冒険者の男の力を振り払えるはずもない。


「酒場の奴隷は酌婦に決まってんだろ」

「離して、ください」


 キリキリと絞めあげられた手首が痛み、酒臭い息を吐かれて思わず顔を背けた。


「おい新入り、その辺でやめとけ。島に入るときに説明を受けてるだろ、それ以上は懲罰くらうぜ」

「懲罰ぅ?」


 カウンター席で飲んでいたグレンが制止した。魔術師ではあるが照り輝く頭と盛り上がった筋肉は、荒事になれた冒険者も無視はしづらいようだ。


「結界内で暴れたら、契約の印が火を噴くってな」

「武器を抜かなきゃ問題ねぇだろ」

「お前の握力がタラには立派な武器になってるだろうが。ほれ、てめぇの手を見てみろよ」


 グレンに指摘された若造は魔術陣を写した手の甲に目をやった。魔術陣を構成する線がほんのりと浮かび上がるように明るさを増していた。


「な、なんでだよっ」

「ほら、早くタラの手を放さねぇと燃えるぞ」


 グレンの声とほぼ同時に、手の甲が赤い揺らめきに包まれた。


「うわぁっ」

「燃えたぞ!」

「痛てぇ、痛ぇよっ」


 男はタラの腕を投げ捨てた。その瞬間を待っていたかのように用意されていた水桶が差し出され、水に突っ込まれた火はじゅうぅと音を立てた後に消えた。


「分かったか、新入りども。お前ら冒険者同士なら武器を抜かなきゃ懲罰は起きねぇが、住人に暴行を加えたらこうなる。暴れたかったら森で存分に暴れろ。それで魔石を持ち帰ってくれりゃギルドは何もいわねぇよ」

「……酒場にいるのに、何でだよ」


 手に火傷を負った男は恨めしげにタラを睨んだ。

 男に放り出されたときに腰を落として倒れこんでいたタラは、赤く腫れあがった手首を庇いながらゆっくりと立ち上がり、気丈に声を絞り出した。


「金華亭は酒場ではありません、飯屋です」


 酒は出すが、それは客が望んでいるからで、本来の金華亭は島の住人の食を支える飯屋だ。


「今のところ、利益の大半は酒で稼いでるけどね、タラの言うとおり、ウチは酒を出す飯屋だよ」


 いつの間にか、厨房で注文の料理を作っていたマーシャが客席に立っていた。


「いっとくが、この店で色を売らないのはあたしの主義だ、タラにあたるのはよしとくれ。飯は食わなきゃ死ぬが、女を抱かなくても死にゃしないんだ。どうしても欲しけりゃ、キャロライン二号を注文すればいいさ」

「ぶほっ」

「人形は、なぁ?」

「タラの借金に比べれば安いものだよ。ほら、注文の串焼きだ。あんた達ももっと飲んで店を儲けさせておくれよ。そうすりゃタラの年季が明けるのも早まる。こんな純でかわいい娘に感謝されるんだぞ、酌婦の媚とはものが違うと思わないかい?」


 にっこりと、マーシャは朗らかに笑んで新入り冒険者達を見回した。島の外ではそれなりに経験を積んではいるが、秘島で稼ごうと考える程度には若く無謀な男たちは、どこか育ちの良さを感じさせる少女の笑顔を見たいと思う程度には善良でもあった。


「タラ、蒸留酒のストレートのお代わりを頼む」


 グレンが空になったコップを振って注文を入れた。


「はい、ただいま」


 腫れた手首を庇いながら空のコップを受け取ったタラが、カウンターに置かれた樽から酒を注いでグレンに渡す。


「こっちもエールをお代わりだ」

「水割り追加で」

「芋の甘辛煮と魔猪肉の燻製、いいっすか?」


 島では古参の「戦友」らから追加の注文が入り、それをきっかけに新入りたちからも酒や料理の追加の声があがりはじめた。


   +++


「マーシャはいるか?」


 新入りの通過儀礼とでも言うような出来事のあった翌日、金華亭が夜の営業を開始するよりも早くに、鍛冶屋のロビンが布に包んだ長い物を抱えてやってきた。


「厨房で仕込みをしていますが」

「呼んでくれるか。それと、蒸留酒のストレートを頼む」


 ロビンは沈痛な面持ちで椅子に腰をおろすと、抱えていた包みを壊れ物を扱うような手つきでテーブルに置いた。タラは先に蒸留酒を注いで出してから厨房に向った。


「マーシャさん、ロビンさんがいらしてます。なにか……いつもと様子が違うのですが」

「ロビンが? なんだろうね」


 魔猪肉と豆の煮込みの仕上げをしていた手を止め、マーシャは鍋をカマドからおろした。根菜の炒め物の下ごしらえをタラに指示し、ロビンの座るテーブルへと向った。

 昔なじみらしい二人の声色は低く押し殺されていて、厨房のタラに内容までは届いてこなかった。しばらくすると椅子が床をする音がし、扉の閉まる音と階段をのぼる音がした。

 タラは筋ばかりのボウネを千切りにして水に晒してアクを抜き、赤芋の千切りとあわせてザルにあげた。根菜の炒め物にマーシャがよく使う香辛料を棚から取り出して並べて置き、フライパンを用意する。


「準備は……ああ、できてるね」


 厨房に戻ってきたマーシャはフライパンを手に調理にかかり、出来上がった料理を店で一番大きな皿に大盛りにして客席へと運んだ。普段は注文が入ってから焼く串肉も、店を開ける前に全て焼き上げて大皿に山盛りにした。


「あの、今夜はなにかあるのですか?」

「そうだねぇ、今夜は最初からあたしも呑みたいんだよ。料理をするよりも呑んでいたいから、肴は先に作って置いておくのさ」


 それでは冷めてしまうのではと思ったが、マーシャは次々と料理を作り上げていく。まるで暇になることを恐れているかのように、食料庫から追加で食材を持ち出し、予定になかった料理まで作り上げた。


「酒の管理はタラに任せるよ」


 最初の客が来たのと同時に、マーシャは蒸留酒を満たしたコップを手に飲み始めてしまった。最初に来た客はロビンだった。続いてリロイが現れ、三人で一番奥のテーブル席で黙々と酒を飲み始めてしまった。

 次々に現れる客に酒を運び、料理は各自で好きなだけ取ってもらうことにして、タラは何とか一人で店を切り盛りした。いつもと違う雰囲気にのまれ、腰を落ち着けて飲み食いする気になれなかったのだろう、「戦斧」たちも「戦友」の面々も、新入りの冒険者達も腹を満たし終わると早々に店を出て行った。


「なんや、閑古鳥鳴いとるんか珍しい」


 冒険者達が去った後の金華亭に、いつもと変わらぬ様子で現れたアレックスが一つのテーブルをのぞいて閑散としている店内を呆れたように見渡した。


「ああ、隅っこの辛気臭いんが原因か。今夜ばかりはしゃあないなぁ」

「アレックスさん、マーシャさんたちの様子がおかしいんです。無言でお酒だけを飲んでいて」

「弔い酒やからなぁ」と呟いて、アレックスはその辛気臭いテーブルに加わった。

「タラ、お代わり」

「俺にも頼む」


 アレックスとロビンの空のコップに酒を注ぎ、料理を勧めた。


「何か食べませんか? お酒だけでは身体に良くないですよ?」

「ワシ煮込みもらうわ」

「俺は串肉を」

「マーシャ、結婚してくれ」

「……え?」


 ツマミの注文の流れで聞こえたリロイの申し込みに驚いたのはタラだけだった。


「サイラスが戻ってきたら申し込むつもりだった。今日、あいつは十二年ぶりに戻ってきた。区切りはついただろ?」

「……区切りはついたさ。けど、あたしは寡婦だったつもりはないんだよ」


 リロイは正面のマーシャの視線を掴まえようとしていたが、マーシャは決して合わせないようにと目を伏せていた。


「もう十二年だぜ」

「あんたにとってサイラスの死からそれだけの時間が過ぎてるのかもしれないけど、あたしにとっちゃ彼が死んだのは今日なんだよ」


 リロイの伸ばした手が、蒸留酒のコップからマーシャの手を奪う。


「最悪を覚悟をして十二年だ、その最悪が確定したのが今日と言うだけだろ? 本当に寡婦だと思ってなかったなら、俺の申し込みを即座に断わっているはずだろう?」


 大工と皮の加工仕事で傷み染まった男の太い指が、水仕事で荒れた女の指を愛おしそうになぞった。


「結婚してくれよ、マーシャ」

「……昔とは違うよ。今のあたしは料理を作るくらいしかできない女だ」

「俺だって同じたぜ。大工と皮加工しかできねぇ男だ。昔みたいに魔物を狩る技量も度胸もない」

「あたしと居たらリロイまで死んじまう」

「もう冒険者じゃねぇんだぜ、狩りに出なきゃ滅多な事じゃ死なねぇよ」


 リロイに揉み温められ、緊張に固まったマーシャの指から力が抜けた。


「……考えさせて」

「十二年も待てねぇぜ?」

「分かってる」


 泣きそうな顔でそう言ったマーシャは、リロイの手からすり抜けて二階の寝室へとあがっていった。階段をあがる音が聞こえなくなると、深い溜め息をついてリロイも席を立ち、出口から外へと消えた。


「……タラ、ワシの煮込み、まだなん?」

「俺の串肉」

「……っ」


 突然始まった恋愛歌劇も真っ青な光景を硬直して見ている事しかできなかったタラは、アレックスとロビンに平然と注文を繰り返されて膝の力が抜けた。


「なんでそんなに落ち着いていられるんですか?」


 床にぺたりと座り込んだタラは、ニヤニヤ笑いのアレックスを睨みつけた。


「そら、酒の肴には極上の見世物やったからなぁ」

「うむ、酒が空になった。料理のついでにお代わりを頼む」

「マーシャさんとリロイさんのこと、知ってたんですか?」

「ワシらこの島、長いねん」


 アレックスはタラの手をとって立たせ、マーシャのいた席に座らせた。自分で酒を注ぎ、料理を見繕ってテーブルに戻ってきたロビンは、エールを満たした新しいジョッキをタラに握らせる。


「食って飲め」

「私、お酒は」

「他に客はおらんのやし、鬱憤晴らすには酒が一番やで」

「教えてはもらえないんですね」

「そらあの二人のプライベートやし、ワシらがぺらぺら喋るわけにもあかんやろ」

「まあ見ていたんだから大体は推測できるだろう?」


 頷いたタラは、両手でジョッキを持ち上げ一気にエールを飲み干した。


   +++


 それぞれコップに残っていた酒を飲み干したアレックスとロビンは、残った料理を包んで渡され、早々に金華亭を立ち去った。

 酔っ払いが暴れたわけでもなく、テーブルがひっくり返ったり、カトラリーが床に散らばったりする事なく店を閉められたのは、タラが勤めはじめてから初めてのことだった。

 厨房を簡単に掃除し、食器と調理器具を洗って火を落とし、二階の自室へと向う。

 廊下を挟んで向かい側のマーシャに気付かれないように、忍び足で部屋に入ろうとしたのだが。


「タラ、ちょっといいかい?」


 扉を開ける前に呼び止められ、寝室にタラを招きいれられた。マーシャの部屋で小さなランプの灯りに照らされているのは、酒瓶と二つのコップと、錆びついた一振りの片手剣だった。


「さっきは驚いただろう?」

「……はい。あの、この剣は」


 側に畳んでいる布に見覚えがあった。昼間にロビンが持ち込んだ包み布だ。


「あたしの旦那だよ、旦那の剣だ。サイラスって言う……十二年前に、森でオーガに囲まれてあたし達を逃がしたっきり行方が分からなくなっていたんだ」


 愛おしそうに剣を見つめるマーシャの横顔には、悲嘆よりも安堵が浮かんでいるように見えた。


「今日、コウメイたちが討伐したオーガの巣から連れ帰ってくれたんだよ」


 他にもたくさんの冒険者たちの形見の剣が持ち帰られ、所有者の確認作業にあたった鍛冶屋のロビンが発見したのだと。


「……マーシャさんは冒険者をしていたんですね」

「昔の事だよ。あたしとサイラスと、リロイ、クレアにパトリックにラニーの六人で島に来たんだ。あたしは結婚したばかりで、島で手っ取り早く稼いで故郷で宿屋を開くつもりだった。甘い考えだったよ、大陸で負け知らずだったからって驕ってたね。だから島のオーガに囲まれて、あたし達を逃すためにサイラスとリロイが囮になった。あたしたち四人は町に逃げ帰って、翌日リロイは大ケガして戻ってきたけど、サイラスは帰ってこなかったんだ」


 自分のことをこれほど饒舌に語るマーシャは初めてだった。


「クレアとパトリックはすぐに島を出たよ。二人も結婚する事になっていたからね、大陸で堅実にやり直すって言ってたね。ラニーはあたし達に付き合ってしばらく島にいてくれたけど、リロイのケガが治ったら故郷に戻っていったよ。あたし達も故郷に帰ろうってリロイにいわれたけど、サイラスのいない故郷に戻りたくなくてね、諦めがつくまでってここにいるって駄々こねたんだよ」

「駄々をこねる……」

「ふふ、あの頃のあたしはまだ二十一歳だよ、こんなにふてぶてしくはなかったさ、今よりも純で可愛げがあったもんだよ」


 とくとくとく、とコップに酒を注ぎ、マーシャはくいっと飲み干した。


「……まさかリロイまで島に残るとは思わなかったんだよ。彼なら故郷に戻って大工として成功すると思ってたんだ。こんな辺境で酔っ払いの壊した椅子の修繕なんてしてるんじゃなくてさ」

「マーシャさんはどうするつもりですか? リロイさんと結婚しないのですか?」

「どうしようかねぇ」


 サイラスの剣の、その向こうを見つめるマーシャの瞳は潤んでいた。


「こんな酒焼けした声の女のどこがいいんだろうね」

「私はマーシャさんだから良いのだと思います。私の希望を聞き入れてくれたのはマーシャさんだけでした」


 成人前から親の借金を引き継ぐことが決められていたタラは、成人後の人生に希望を失っていた。借金奴隷の女に与えられる選択肢は少ない。商人や豪農に買われて一生を奴隷として終わるか、花街や酒場で身を売り、可能な限りの短期間で奴隷の身分から抜け出すか、その二つに一つだ。成人を控えた頃、孤児院の監督者はタラに花街での奉公をすすめた。酒場での身売りよりも安全だからだが、タラにとっては到底受け入れられなかった。仲介役人には商家に買われての労働返済にしてくれと頼んだが、成人直後の少女の価値を考えると、タラの希望は受け入れられそうになかった。


「あの時、マーシャさんが私を選んでくれました。料理人の経験のある人や、酌婦を受け入れる人もいたのに、手伝いしかできない私をマーシャさんは救ってくれました、だから幸せになってほしいのです」

「そんなご大層なものじゃないよ。あたしより料理の上手い奴を雇ったら店主として肩身が狭いじゃないか。酌婦を雇うことは最初から考えちゃいなかったしね」


 島に身を売る女が一人では色々と間に合わなくなる。酌婦だけでなく女店主も客を取ってくれ、そう冒険者達に押し込まれたら女の身では逃げ切れなくなる。サイラスを待つマーシャには耐えられない。だから最初から売るのは飯と酒だけと決めていた。


「タラの年季はあとどれくらい残っている?」

「二十年、です」


 この島での収入は決して悪くはない。冒険者たちの飲む酒の売上げの半分がタラの収入だ。浴びるように酒を飲む冒険者たちのおかげで、タラの返済は順調だった。


「島に来て二年なのに、五年も縮めることができました」

「そのペースだと、十年くらいに縮められそうだね」

「はい」


 花街で色を売ればもっと早く年季を終えることはできるだろう。だがそれはタラの望みではない。


「タラがその腕輪から開放されるまでは、あたしはこの島で飯屋を続けるつもりだよ」


 きっぱりと言ったマーシャの声に、タラは顔色を変えた。


「私は奴隷です。マーシャさんが私のために幸せを選ばないなんて、いけません」

「あたしの幸せはあたしが決めるさ」

「でも、リロイさんは……」

「あいつは我慢強いし、待つのに慣れてるからね。もう十二年も待ったんだ、あと十年くらい待てるんじゃないかね。待てないなら島を出て行くだけさ」

「そんなっ」


 リロイが諦めそうにないのはタラでも気付いていたし、マーシャだって分かっているだろう。タラを理由にして猶予を延ばすなどあまりにも姑息で意気地なしではないか。


「結婚する気がないならちゃんと断わらないと、リロイさんが可哀相です」

「……」

「マーシャさん、今すぐ返事をしてきてください」


 立ち上がったタラはマーシャの腕を掴んで引っ張った。


「きちんと返事をするまで帰ってこないでくださいね」

「ちょっとタラ、金華亭はあたしの店だよ」

「裏口も表扉も内側から鍵をかけます。こっそり帰ってこようとしたってダメですから」

「店はどうするの、仕込みはっ」


 マーシャの手を引いたまま階段を下り、表扉からマーシャを押し出した。外にいるマーシャに聞こえるように音を立てて鍵を閉める。


「一日や二日料理がなくたって大丈夫です。酒だけ売りますから」

「タラっ」


 扉を叩くマーシャを無視して、タラは二階への階段をのぼった。開けっ放しのマーシャの部屋の灯りを振り返ると、一人寂しくたたずむ、十二年ぶりの妻のもとに帰ってきた剣が見えた。


   +++


 翌日の金華亭では、食事の提供がなされなかった。


「私も料理はできますが、お金を取れるほどの物は作れませんので」


 唯一の肴は、赤と白の芋の酢漬けだ。飯を目当てにやってきた冒険者たちは、酒を買って住処に戻り、干し肉をかじるしかなかった。

 古参の島民らは金華亭に集い祝杯を挙げていた。


「臆病な女と、後ろめたさに負け続けた男の夫婦か」

「十二年もじれったいんを見せられ続けたんや、そろそろ違う展開も悪ないで」


 ロビンとアレックスは酢漬けをポリポリとかじりながら杯を重ねていた。


「マーシャさんたちが好きあってるって知ってたなら、もっと早く協力してあげればよかったんじゃないですか?」

「あほ言いな、こういうんは本人が頑張らんでどないすんねん」

「リロイは頑張ったよ」

「せやな、十二年も頑張っとったからマーシャも無碍にでけんかったんやろ」

「粘り勝ちだ」

「大人は気が長いんですね」


 正直、タラには自分の年齢とほとんど同じ時間を無駄にしたとしか思えなかった。タラの知るマーシャは最近の二年だが、悲しみに打ちひしがれていると感じたことはなかった。たぶん彼女は随分前に夫の死を受け入れているのだ。それなのに何故十二年も、とタラは不思議でならない。


「大人は臆病なんやで。変化が怖うなって踏み出せん事もある。サイラスの剣が戻ってけえへんかったら、あと二十年はかかったかもしれんなぁ」


 あとは共に老いるだけの人生なんてタラにはとても耐えられそうにない。


「せやからタラがマーシャを蹴り出しくれてたすかったんやで。リロイは感謝しとるはずや」

「よくやった」


 ロビンは短く褒め空になったコップを突き出す。


「肴がないのに良く飲めますね」


 せめて干し肉を出そうかと迷いながら蒸留酒をコップに満たした。


「祝い酒だ、支払いはリロイにさせる」

「せやな、いちゃついて職場放棄しとんのやから、飲み代ぐらい奢ってもらわんと割りにあわへんわ」


 ワシにもお代わり、とまるで水のように杯を空けるアレックス。酒を飲んでもらえればもらえるだけタラの収入は増える。


「干し肉と、茹でた芋でよければお出しできますが」

「頼むわ。今晩は二人が顔を出すまで呑み続けるで」

「うむ」


 結局、その夜はリロイもマーシャも金華亭に戻ることはなく、ロビンとアレックスによって蒸留酒の樽一つが空になった。


   +++


 ナナクシャール島唯一のお食事処、金華亭の朝は早い。

 枕元の魔道具が鳴き、それを止めてタラはベッドから起きだす。窓の外は暗く、外の空気も冷たい。ランプを片手に階下へ降りたタラは、厨房で朝の準備をはじめた。

 昨夜のうちに寝かせてあった生地を形成してオーブンに入れ、ボウルに卵を割りいれ解して下味をつけておく。スープは乾燥させたイクル貝で出汁を取り、クズ野菜を入れて薄味に作ってある。サラダは金華亭定番のレト菜とピリ菜の刻みサラダだ。今朝は昨夜の残り物である白芋の酢漬けも添えることにした。

 パンの焼き上がりを見ながら、タラはテーブル席を整えてゆく。


「おはよう、タラ」

「おはよう、いい匂いだな」

「おはようございますマーシャさん、リロイさん」


 朝一番の客は昨年結婚したマーシャとリロイだ。マーシャはリロイの家に移り、昼と夜の営業のために金華亭に通っている。


「朝食を二人分、頼むよ」


 昨年から金華亭は朝の営業も始めた。マーシャがリロイのもとに移った後、暇を持て余したタラが料理の腕を磨き、冒険者達から希望を聞き取りをして、朝食の提供を決めたのだ。

 卵料理とサラダとスープ、それに焼きたてのパンを添えて三十ダル。メインの料理は日替わりだが冒険者達には少し物足りない内容だ。それでも干し肉をかじるよりはましだという冒険者たちは討伐に出る前に寄ってゆく。


「おはよー、朝飯五人分なー」


 朝食を提供するようになってから、金華亭でタラを酌婦扱いする冒険者はいなくなった。金華亭が飯屋だと理解したのだろう。


「お待たせしました。本日の朝食です」


 柔らかい笑顔と共に運ばれてくる料理の効果は絶大なものだった。


この閑話で第5部も全て終了です。

ネタのヒントを頂いて書き始めた閑話ですが、まさか第5部で最も長い話になるとは思いもしませんでした。


第6部はほのぼの日常路線になります。

1/22からの投稿を予定していますが、変更になる場合は活動報告かtwitterでお知らせします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] リクエストにお答え頂きとても嬉しいです。 深いお話が読めそうな予感がしていたのですが、期待以上のものでした。 本当にありがとうございます。 これからも日々を過ごすご褒美として読ませて貰え…
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