変態が上司にジョブチェンジした
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ナッシュルアン皇子殿下はボコボコに殴られていた。おもにリリアンジェ様に……ちょっと可哀相になるくらいに。さすがにもう止めて上げたら?と、おもわず止めようと体を動かした時に
「情けは無用だよ?アオイ」
と、レデュラートお兄様に言われた。後ろに目でもついてるのだろうか…背中越しにお兄様はこう言い切る。
「ちょっと程度は違うけど、変質的なことはうちの家族は敏感だから…それに芽は早いうちに摘んでおかないと」
何の芽なんだろう…でももう28才だし手遅れなんじゃないかな?
「坊ちゃま達、湯殿のご準備出来ましたよ」
と、年嵩なメイドが扉の向こうから声をかけてくれる。まだ床にダウンしているナッシュ様を放置して…ご兄弟は自室へ、私はご準備して頂いた客室へ案内して頂く。カワイイ部屋~ちょっと私にはラブリー過ぎるかもだけど、今日だけは乙女気分に浸らせて欲しい。湯殿は自分で使えるからとお世話を断り、寝巻だけお借りし…ゆっくりと湯に浸かった。
怒涛の一日だった…
カッシュブランカ様の一件は思い出すだけムカつくから、考えないようにして…とにかく一番気になるのが…『私には転移の加護がある』で『沢田美憂には加護が無い』ということだった。
カッシュブランカ様のお話が正しいのならば、異世界から転移してきた人は皆、他人とのコミュニケーションには困らないらしい。そしておそらく自然に魔法が使えるようになっている。
沢田美憂が異界の乙女だからだろうか…だから特殊なのか?
分からん…とにかくあんなマウントしなくても皇子様の庇護の元、のんびり暮らせるんだから安泰じゃないか。マウントしてるくらい暇があっていいですねぇーだっ!こっちは明日から今日の昼からの溜まった仕事を捌かにゃならんので今から気が重いのにさ…
湯船の中で体を揉み解して十分に温まってナイトドレスを着て外に出ると
……変態がいた。
「レデュラートおにぃさまーージューイーーリリアンジェ…」
「無駄だ、消音の魔法を室内にかけてある」
な、何?ショウオン?消音?…消臭ならわかるけど…音も消せるの?嘘でしょう?
変態ことナッシュルアン皇子殿下(擬態)は優雅に客間のソファで寛いでいた。
「早急に素早くいち早く高速でお帰り下さい」
「なんで、アオイはそう冷たいのだ、少しは私の相手もしてくれ…」
いい年して可愛い子ぶったって何もでない。何故いつも不法侵入してくるのか…
「コンコン……」
扉のノック音に私は瞬時に反応した。廊下に蹴り出しては…おそらく訪ねていらしたカッシュブランカ様にバレる。寧ろバレて叩かれた方がいいのか?と、思いながらも変態をクローゼットの中へ蹴り込む。
「お待たせしました」
やはりカッシュブランカ様だった。立ち話もなんなので…と部屋に招き入れる。変態は一応空気を読んでクローゼットの中に居てくれているようだ。
「先程は、失礼な態度でしたわ…ごめんなさい、アオイ」
「いえいえ何をおっしゃいますやら…少しお聞きしたのですがあの第一皇子がお気に召していらっしゃらないとか…私も図書館で難癖をつけられましたし、あまり好みませんわ」
敢えて名前を暈してワザと登場させて、本筋を聞いたことを上手くはぐらかす…そして共通の敵の悪口を仄めかして仲間意識を擽る…なかなかの高等技術だ…疲れた。
カッシュブランカ様は賛同を得た喜びか…少し前のめりになった。
「まぁああ!やっぱりあの子…アオイにまで偉そうなことを言ってきたのね?本当にクリッシュナの後ろに隠れてばかりでっ嫌な子っ!」
相当お嫌いなようで…でも顔が似ているだけでここまで嫌うかな?
何となく私の目線で気が付かれたのか…若干言い訳するようにカッシュブランカ様は口を開いた。
「まあ…そのあの子は私が昔っから大嫌いな方に似ていらしてね…」
ふむふむ、アイザックのおっさんだね。それで?
「顔ももちろんなのだけれど、あまり公言したくはありませんが…魔力の質まで似ている気がするのよ。私は治療術士ではないし、絶対という訳ではないのだけど…近づくと思い出して気分が悪くなるわ…」
思い出す必要ないよっあんなおっさん!
「カッシュブランカ様、これから来る楽しいことを考えましょう。嫌なことはわざわざ思い出してやることもありませんよ?嫌な事を考えると心も気鬱になってしまいます。明日やってくる楽しい日々のこと考えていれば良いのですよ!」
カッシュブランカ様は目を見開いて私を見ている。泣かれるかな…?と思ったけど違った…満面の笑みだ。50才近いお年よね?めっちゃ綺麗だな…私もこんなアラフィフになりたいわ。
カッシュブランカ様がソッと手を握られた。
「ねえ?アオイは誰か好きな方はいらっしゃるの?うちのジューイなんてどう?」
ガシャンッ…ドシャッ…クローゼットから異音がした。
「なぁに?すごい音ね、この部屋の中?」
「さ…さぁ…?結構遠くの音に聞こえましたけど…」
私の目が泳ぐ……あのっ変態めっ!静かにしろっ!
「ま、まあいいわ。あまり遅い時間まで居座ってはいけませんしね。ではまた明日ね、おやすみなさいね」
「はい、おやすみなさいませ、カッシュブランカ様」
カッシュブランカ様は静かに部屋を出て行かれた。さてと、本当に忍者みたいな変態だなぁ…振り向くともう、ソファに座ってこっちを見ている。何を剥れている?
「どうしてジューイを薦められるのだっ」
「知らないよ…まだおひとり様だからでしょう?ジューイはモテそうだし…私のような行き遅れの相手をしなくても可愛い彼女の一人や二人はいそうだよ」
「イキオクレってどういう意味だ?」
「意味も何も…嫁に行けてないモテない女、とか蔑称なのよ。独身者に対する…」
「アオイはモテない訳ないっ!」
「な、なによ?モテてないから…婚姻出来てないのよ?」
「アオイ…」
「な、何?」
「いつの間にか私に対する言葉遣いが砕けているな…」
「!」
本当だ…気が抜けていた…いつからだろう冷や汗が出る。変態がにじり寄ってくる。しまった…今は防御力が限りなくゼロに近いナイトドレスだった…
「アオイ…」
これは不味い…ジリジリ…と扉の方へ移動する。すると、ギギギ…と扉が開いて行く…そこには美しい般若が立っていた……カッシュブランカ様!?
「どうもおかしいと思っていたのよ…ナッシュあなた…アオイの部屋のクローゼットに…忍び込んでいたわね?」
カッシュブランカ様っ正解のような…不正解ですぅぅ!
「婦女子の室内に潜むなんてっ恥を知りなさいっ恥をっ!」
ビシャアアアアンンッッ…!
辺り一面、真っ白になった…あっこれ知ってる~雷魔法だっ!あまりの爆音にジュリードお父様もリリアンジェ様もレデュラートお兄様も奥様も、もちろんジューイも皆起きてきた。そして現状を知った。
「「ナッシュッ!」」
ナッシュ様はドアンガーデ3兄弟に再びボコボコにされていた。お疲れぃナッシュ様!先に寝るわ~いい夢見ろよー!
とりあえず今日の朝の目覚めも最高だった。異世界生活4日目だ。朝、皆様と朝食を頂く。クロワッサン美味しいね~サックサク!
なんでも、本日第二部隊選抜の魔獣討伐隊がご帰還だそうで、朝からお迎えだそうだ。あれ?リリアンジェ様も行くの?
「その討伐隊に私の旦那様が入っておりまして…やっと帰って来ますわ、一月振りね」
なるほどっ!そうかだから…ご実家に帰省されていたのね。
今朝は馬車で王宮まで皆様で行く。え~と取り敢えずナッシュ様もいるよ?静かだけど…昨夜大丈夫だったのかな?顔は怪我とかしてなさそうだけど…どことなく元気が無いのが気になるね。
「ただいま戻ったよ、リリー!」
「アーダクト、おかえりなさいませ!」
ひしっと抱き合う二人、ちょっと!?チュッチュし始めたよ…他の討伐隊の方とか、次に行くうちの第三部隊のメンバーも目のやり場に困ってるし。ちょっと誰か怒ってよ…と思ってナッシュ様を見ても淡々と引き継ぎ業務をしているし?何アレ…
「おーいっいつまで引っ付いてるんだぁ。そういうのは家に帰ってからにしろー」
ジューイが上手く割って入ってくれた。私は思わずナッシュ様を睨んだ。何やってるのさ…
その日ナッシュ様はボロボロだった…書類は書き間違う。重要な会議は遅れる…
「どうしたんですかね?ナッシュ様」
「あ…うん。母上に随分怒られてたからな、ナッシュにしてみりゃ自分の母親よりうちの母上の方が実母だという感覚に近いんだと思うよ」
なるほど……不思議に思っていたが、ジューイがそう説明してくれた。
その日の夕方、一ヶ月間の魔獣退治に出撃する選出隊員が発表された。何故か私もメンバーに入っているし…いやいや某アイドルでもないのに神7入りにされても困りますよっ!是非外してくれ!とナッシュ様に懇願すると…
「一月の間、私と一緒で息が詰まるかもしれんが我慢してくれ…」
と言ってきた。
な…何?そのネガティブ発言…ホント今日どうしたのさ?不審な目で見つめると益々項垂れるナッシュ様。これはいかん…元副会長、執行役員の勘が騒ぐ。
「何かありましたか?」
「……」
「黙ってちゃ分かりませんよ?」
私は詰所の奥のキッチンにナッシュ様を連れ込んだ。キッチンは私の聖域…のつもりだ。人に聞かれたくない話は自分のテリトリーに引き入れて聞くに限る。
「話さなきゃ相手に自分の心理なんて伝わりませんよ?聞いて欲しくなければ表面はいつも通りにしておかなくちゃいけません。皇子殿下の仮面…今日は剥がれてしまってますよ?」
そう、私だって分かっている。いつもの変態行為も飄々とした皇子様然も全部ポーズだ。変態っぽくしていたら私が構ってあげるからそれらしくしているだけ…私を孤独にして気持ちを追い込まないようにする為だ。
初日、誰にも発散出来ずに泣いていたのを、見つかったのが不味かった…抱え込むタイプだとばれたようで、それから執拗な変態行為で怒りを発散させられている…私は分かっている。
だけど今日のナッシュ様は本気で落ち込んでいる、ポーズじゃない。
「昨日、叔母上に怒られた。構うのと嫌がらせは紙一重だと、限度が過ぎると心底嫌われると…私は人との付き合いが下手で心の距離?のようなものが上手く掴めん、こんなに嫌われてるとは思わなくて…からかい過ぎた、今まで済まなかった」
菫色の瞳が潤んでいる…待って待ってっ泣かせるつもりはないのよっ?ああ、どうしよう、これじゃあ給湯室で後輩を苛めているお局様の図じゃないかっ!
「あの、あのですね?全然嫌いではないですよっ!その…度を過ぎる変態は困りますけど、それも私の気持ちを発散させる為に大げさにしているだけだと分かってますし…分かってますから」
ヤバい…せり上がる涙を堪えながらこちらを見るナッシュ様のなんと美しいことか!ナッシュ様は少し息を吸い込んだ。
「今度から…泣きそうな事があったらすぐいう事…」
「はい…」
「何か相談ごとがあったら真っ先に私に言う事」
「はい…」
「討伐部隊のお料理担当して欲しいから頼むね」
「は…へ?何ですって…?」
ナッシュ様はもう復活されたのか、楽しげに笑うと懐から蜜蝋で封された封筒を私に差し出した。なんだろうか…舞踏会の招待状かな?そんな訳ないか…ガサガサ…
「…本採用決定!」
「はいっおめでとう!明日から第三部隊と軍属に採用されたな~頑張って!という訳で正式雇用されたのだから討伐部隊に付いて来てくれ…命令だ、まさか本採用の身分で上司命令に逆らわないよな?」
あぎゃぁ!もしかして…コレ言うために演技してたのか?いやまさかな…
「一応、一月とはいえ食事が外食ばかりだと飽きるとの声も多くてな…ならばアオイなら料理も上手だし問題ないだろうと…と将軍閣下達に進言したらあっさり許可が出てな!まあ頼んだぞ!まずは食料の備蓄庫見に行くか?うん…どうした?アオイ…?」
認めたくないけど…認めたくないけど…絶対嵌められたぁぁぁ!しおらしい演技しやがってぇこの腹黒変態めっ絶対私で遊んでるなっ!
「イタッ!なんだっ背中を叩くなっ!イテテ…抓るなっ」
「戯れている所をすみませんが……」
また吹雪がキッチンの戸口から吹き込んでくるっ!!雪景色を背景にしてフロックスさんがユラリと現れた。
ぎゃああ!雪女再びっ~~
「料理長が夕食前の忙しい時間を空けて待ってるのに…いつ備蓄庫に来るんだと怒鳴り込んで来ましたがぁ…キッチンでイチャついていてまだこれませんとお伝えしてきましょうか…?」
ひゃああ、もう睫毛が凍りそうだよぅ~目がっ目がっ…
「「すみませんっ!」」
ナッシュ様と二人足並みを揃えて備蓄庫にダッシュした。思わず笑いが漏れる。隣を見るとナッシュ様も笑っていた。
あ~ぁなんだか幸せだなぁ~
変態から腹黒上司にシフトしました。