温かい感情
「ったく。まぐれでちょっとかすったぐらいで、勝ったように喜びやがって」
フォラスは右手に持ったティルヴィングを足下に垂らして、無造作に俺に近づいてくる。
そりゃ、顔に傷をつけられてフォラスは面白くないだろう。
しかし、まぐれではない自信が俺にはあった。
これまでとは何かが違う。
それが何かは分からないが、明らかに違う。
フォラスの威圧に俺は一歩も引かなかった。
「アロンダイトの力は、今、俺の体に宿ってる」
本当かどうかは分からない。
だけど、その感覚はあったし、フォラスを少しでも動揺させることができればもうけもの。
剣道の試合もそうだが、一対一の戦いはメンタル面が結果を大きく左右する。
はったりでも何でも、気持ちで優位に立てれば、勝ちが近づく。
果たして、その効果はあったようだ。
フォラスはぴたりと足を止め、右手を前にして剣を俺に向け体を斜にした。
明らかに俺の言葉に警戒を示している。
一気に俺は打って出た。
まずは牽制的に袈裟懸けに振ってみる。
やはりフォラスは足を引き、上体を反らせて俺の剣をかわした。
ティルヴィングで受けようとはしない。
剣道では相手の攻撃を竹刀で受けずに避けることを選択することがある。
その方がこちら側のカウンター的な攻めが速い。
そこには、相手の竹刀が自分の体に当たっても有効打と認められない限りは一本にならないという剣道のルールがあるからだ。
しかし、これまで真剣での実戦を経験してきて、相手の攻撃は余程余裕があるときは別として剣で受ける、止めるというのがセオリーだと実感している。
肩であろうが足であろうが、剣道では有効打とされない場所でも、斬られれば痛いし、ダメージが残るし、その後の動きに制約が出てしまうからだ。
だが、まだフォラスは俺の剣をかわそうとする。
それは余程俺に斬られない自信があるのか、あるいは、触れるだけで致命的なダメージをもたらすアロンダイトの力を恐れているか。
そして、答えは後者だと俺は悟っている。
何故なら、フォラスが反撃に出てこなかったから。
攻撃に出れば、隙が生まれる。
それをフォラスは嫌っているのだ。
それがいつまで続くかな。
俺は心の中で笑った。
嗜虐的な喜びが胸を熱くする。
痛いぐらいに強く地面を蹴ってフォラスに躍りかかる。
アスカロンの剣の走りは棍棒のようなアロンダイトの比ではない。
アロンダイトはやはり重く多少なりとも剣に振らされている感覚があった。
しかし、俺の体の一部と言えるぐらいにアスカロンの動きはしっくりきている。
剣を強く振ってもティルヴィングが突き刺さった右肩には不思議なほど痛みはない。
それどころか、自分で言うのも何だが、こんなに無駄なく剣を操ったことなどないぐらいだ。
バーサーカーの発動ってこんな感じかな。
アロンダイトに乗っ取られているのかどうかは分からないが、俺はどんどんフォラスに剣を繰り出した。
まさに怖いものなしで。
ほれほれ。
いつまでかわし続けられるかな。
少しずつ顔が引きつってきたんじゃないかしら。
その時、キラッとティルヴィングが閃光を発した。
「っと」
俺は顔面に向かって伸びてきたフォラスの突きを間一髪スウェーでかわした。
フォラスはかわしながらも、攻撃に出るタイミングを見計らっていたのか。「あぶね」
俺は自分の意図とは関係なく左手を開いた。
するとそこから熱い何かがフォラスのがら空きの脇腹に向かって飛びだした。
ゴフッ
苦しそうな重い息を吐きだして、フォラスが五メートルほど吹っ飛んだ。
「「光魔法?」」
背後でデネブとアンタレスの叫びに似た歓声が上がる。
「いつから魔法を使えるようになったのよ、アル」
デネブの疑問ももっともだ。俺も今の今まで自分が魔法を放つとは思いもしなかった。
しかもあの威力。
デネブどころか前国王の力も凌駕しているかもしれない。
俺は光を放った自分の左手をじっと見た。
ここから、あれが出たんだよな。
使っておいて何だが、どうして使えたのか全然分からない。
そう言えば、デネブから宝石を借りたんだっけ。
「アル!」
デネブの悲鳴が俺の鼓膜を揺すったときには、俺の体は浮き上がっていた。
「うわぁ!」
炎撃?
赤い塊が俺を圧している。
炎が俺の体に侵食してくるのをスローモーションを見ているように理解した。
そして、まさに、弾き飛ばされた。
さっきのフォラスよりも飛距離が出るだろうな。
なかなか着地の衝撃が来ないことに魔法の威力を思い知って俺は空中を浮遊しながら人知れず焦っていた。
ボッフン
天地が分からない。
が、頭から落下が始まり、そのまますぐに頭頂部にズゴンと音と痛みがやってきたので、壁まで飛んだことを理解する。
ってことは飛距離は十五メートルぐらいか。
そんなのもう交通事故じゃん。
さすがに死んだかな、俺。
あれ?
でも痛いのは地面に落ちたときの頭だけで、他は何ともないぞ。
そう言えば、最初の衝撃の時は「ボッフン」って変な音がしたけど……。
「アル!起きて!」
デネブが叫ぶ声が耳を打つ。
ハッと目を覚ますと、また目の前に巨大な火の塊。
寝ころんだ状態のまま反射的に左手を向ける。
と、そこからも何でこんなにって言うぐらいに大きな炎撃が出た。
ドッゴーン
二つの炎撃が衝突し、爆風が起こる。
砂塵が噴き上がる。
ビシッビシッと何かが激しく裂けるような音は、壁に亀裂が入っているのか。
上からバラバラと土塊が落ちてくる。
「チッ。広間が持たないか」
もうもうと砂煙が立ち込める視界の効かない広間で、何故か鮮明にフォラスの舌打ちが聞こえた。
そして、フォラスの気配も明瞭に感じ取れる。
己の五感、いや、第六感までもが研ぎ澄まされている感覚がある。
これもアロンダイトの力か。
「そうよ。壁に魔法でクッション作ったから炎撃受けても衝撃がなかったの。にしても、こんな狭い空間でフォラスと魔法でやり合ったらあっちの二人も巻き添え喰うわ。さっさと起きなさい。アスカロンで攻めるわよ」
頭に直接アロンダイトの声が響いてくる。
「はいはい」
俺は膝を立て、地面に手をついて体を起こした。壁にクッション作ったのなら、地面に落ちるときもクッション作ってくれよ。
「はい、は一回」
「はーい」
俺の体がアロンダイトの好きなように差配されている。
口答えも許されない。
なんてこった。
「剣技は私の力じゃないのよ。私は魔法使いだから剣は素人なの。だから、頼むね」
「何だよ、それ」
そんな中途半端に俺の体を乗っ取るなよ。
ったく。
でも、何だろう、この温かい感情。
母さん。
そう言ったらまたアロンダイトに叱られるのだろうけど、やっぱりアロンダイトの声は母さんの声だ。
母さんが一緒にいる。
そう思うと胸が熱い。
「もう、母さんでも何でもいいわ。とにかくあいつをやっつけるのよ」
そう言ってアロンダイトは俺にアスカロンを構えさせる。「行きなさい。有也」
俺はフォラスの気配目がけて砂塵の中に飛び込んだ。




