アロンダイトの記憶
「マザーの力がここまでとはな」
フォラスは地面に右手をついて重そうに体を起こし、ゼーゼーと全身で呼吸しながら、ゆっくりと立ちあがった。
しかし、足は酔っぱらいのようにふらつき、顔は青ざめている。
それでも、満足そうに足元を見て笑みを浮かべた。「勝ったのは私だ。腕の一本ぐらい仕方あるまい」
フォラスは震える右手を地面に伸ばした。
そして、骨がはまったアロンダイトを掴み、高らかに頭上に掲げた。
左の肩からは緑の魔液が時折雫となって落ちている。
「勝った!私が勝った!フォー!」
雄叫びをあげ、哄笑し、アロンダイトの刀身にキスをするフォラスは先ほどまでの常に冷静で落ち着いた口調のフォラスとは別人のようだ。「貴様ら。私の喜びが理解できるか?」
フォラスは俺たちに分かり切った問いを投げかけてきたが、フォラスも答えを求めているわけではないようで、興奮した口調で言葉を続ける。
「マザーが我々を作った。全てはマザーから始まったんだ。教えてやろう。よく聞けよ。昔々、人間で魔法使いだったマザーはその人並み外れた魔法力ゆえに周囲から危険視され、疎外され、怖がられていた。友人のいないマザーは木も草も生えないこの地にやってきて、せめてもの慰みに花を咲かせようと、様々な花を植えた。しかし、瘴気のせいですぐに枯れてしまう。それでも諦めなかったマザーは何度も何度も花を植えた。何度も何度も。色んな魔法も駆使した。すると、やがて一本の花が蕾を作り、赤い花弁を開いた。突然変異というやつだろうな。マザーは狂喜してその花の種を取り、たくさんまいた。花畑が出来上がると、マザーは得意の魔法で花を大きくしたり、小さくしたり、形を変えたりした。マザーは話し相手やペットがほしかったんだろうな。人や動物の姿にして動かしたりもした。時間をかけてそいつらは自らの意思で動く能力まで宿した。やがて、そいつらはマザーの遊び相手をするだけじゃなく、マザーをいじめた人間どもを攻撃するようにまでなった。それを知ったマザーは怖くなって全ての花を焼き尽くした。そして、自分の力を封じるために自らの命を断とうとした。だが、花は一本だけ地中で生き残っていた。そう。それが最初の突然変異の一本目、アストラガルス。そしてそこから生まれたマザーをも超える力を持ったサタン様は愛するマザーに生きていてほしくて、傍に転がっていたアロンダイトというなまくら刀の精としての新たな命を与えた」
「それで?何が嬉しいんだ?」
アンタレスが吐き捨てるように言う。
「分からんのか」
フォラスは、これだから馬鹿は困る、と言いたげに首を横に振る。「私たちも虐げられてきたんだ。お前たち人間にな。まさにマザーと同じだ。気持ち悪いものを見るように、人間は地人を蔑み、見下し、忌み嫌った。それなのに、マザーは私たちに人間と戦ってはいけないと言う。人間と戦う私たちの邪魔をする。何故なんだ。私たちは理解できなかった。だがな、ある時、分かったんだ。私たちを産んだマザーは私たちとは違う。私たちはこの地で生まれた地人だが、マザーは元々は人間だ。だから考え方が違うんだ。そこに考えが辿りついた時、人間を叩き潰すには何が必要か私たちは理解した。マザーを超える。それができた時、初めて私たちは人間を葬ることができるってことをな」
「それで、アロンダイトの力を封じ込めようとしてたのか」
アンタレスが悔しそうに歯噛みする。
「ああ。記念すべき一歩を踏み出したんだ。この一歩に何十、いや百年以上かかっただろう。多くの犠牲を払ったが、まだ私以外にも地人は残っているはず。体勢を整えて、すぐにでも人間を滅ぼしてやる」
「まだ終わっちゃいないよ」
意図と反して俺の口から言葉が漏れた。
まるでアロンダイトの精が乗り移ったような口調だなと我ながら思う。
いや、本当に乗っ取られてしまったのか。
いつの間にか肩の痛みはなく、それどころか、体が軽くて走り出したいような気さえする。
空も飛べるのではないかという感覚だ。
自分の体が自分のものではないような、不思議な気分。
でも、悪くない。
俺は手で頬を拭った。
濡れた感触に驚く。
いつの間にか泣いていたらしい。
サタンの無邪気さ、優しさ、懸命さ。
自分を愛してくれる者がいることの嬉しさ。
そしてそのサタンの愛ゆえに、一度手に入れかけた死という安寧を失い、再び苦しみを味わい続けることになるという己の宿命の過酷さ。
そういう感情が体中に奔流となってほとばしり、涙となって外にも溢れた。
「アル?」
デネブが驚いた顔で俺を見る。
俺はデネブの腕にしがみついた。
デネブが俺の意図を理解して立ち上がり、俺を引っ張る。
「やれるのか?」
アンタレスも半信半疑の口調で俺を起こす。
「そんな体で何ができる?」
フォラスが嗤う。「マザーの力はもう使えないぞ」
フォラスは手にしているアロンダイトを天高く放り投げた。
アロンダイトはくるくる回転しながら穴を出て地上のどこかへ飛んでいった。
「あんななまくらはいらないよ」
相変わらず、俺は自分の口の動きを制御できない。「ここに切れ味鋭い愛剣があるからね」
俺は腰のアスカロンを抜いた。
手にするとやっぱりこれが一番手にしっくりくる。
剣から伝わってくるのは、少しの緊張感と俺に対する信頼感。
もう怯えはない。
「アル。大丈夫?」
「大丈夫だよ、お嬢さん。そうだ。ちょっと、その宝玉を見せてくれないか?」
「え?これ?」
デネブは手に握っていた宝玉を見せた。
半分に割れてしまっている。「割れちゃって……」
「こっちの半分、もらっていいかな」
「いいけど」
俺は宝玉の片割れをズボンのポケットに仕舞った。
「それは、確か、アスカロンだったか。多少はやるんだろうが……」
フォラスが俺を憐れむような表情を見せる。「アロンダイトがなければ、お前に勝ち目はない」
「じゃあ、試してみなよ」
俺は地面に転がっていたティルヴィングを拾い上げ、「ほれ」とフォラスに向かってぶん投げた。
ガツン
俺が投げたティルヴィングを顔を右に倒して間一髪避けたフォラス。
ティルヴィングはそのままの勢いで壁に突き刺さり、フォラスの左頬に走った一筋の傷からツツーっと緑色の魔液が垂れた。
「当たった。やっと当たった!」
デネブが喜びと驚きの声を上げる。
俺も自分の力に驚いた。
今まで完全に見切られていて、剣で受けることさえさせられなかったのに。




