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格の違い

「分かってるよ」


 やらなきゃ良かったかな。

 オヤジに幻滅するだけのような気がして早くも後悔し始める。

 でも、こうなったらコテンパンにやっつけて、二度と上からものを言わせないようにしよう。

 サッと立ち上がると、ワンテンポ遅れてオヤジも立つ。

 正眼に構えて向かい合うや否や猛然とオヤジが打ち込んできた。


「え?」


 気付いた時にはオヤジの竹刀が俺の小手に襲い掛かってきていた。

 咄嗟に竹刀から右手を離しオヤジの打ち込みから逃れる。

 しかし、その小手は囮だったようで、オヤジの竹刀は続けざまに面を狙ってきた。

 竹刀で受け止めるのは間に合わない。

 俺はそれを頭を振って避けた。

 オヤジの竹刀は辛うじて俺の面から逸れ、右耳の辺りを掠って肩を打った。

 それでもオヤジの動きは止まらず、さらにもう一度面を取りに来た。

 波状攻撃に受け身ばかりではいつかやられる。

 一旦オヤジとの距離を取り、攻勢に転じたい俺は、オヤジの面打ちを竹刀で受け止めてからの返し胴を見せようとした。

 その瞬間、俺が竹刀を上げるのを待っていたかのようにオヤジの剣の軌道が変わり、がら空きの俺の胴を見事に切り捨てた。


「まず一本目」


 オヤジは大げさなほど残心しながら得意げに言った。


 やられた。


 不意を突かれたとは言え、こんなに簡単に一本を取られるとは思ってもみなかった。

 自慢ではないが、部活でも同級生には負けたことがなく、先輩相手にも互角以上の勝負をしていたのだ。

 秒殺されたのはいつ以来だろうか。

 それこそこの道場でオヤジと稽古していた中学生のころではないだろうか。

 ブランクは言い訳にならない。

 それを言えば、酒浸りのオヤジの方が剣道から遠ざかっていた時間は長い。

 俺の知らないところで竹刀を握っていれば別だが。


 俺は下唇を強く噛みながら、無言で開始線に戻った。

 飲んだくれの中年に軽くあしらわれた自分がどうにも許せない。

 剣道でやられたなら剣道でやり返すしかない。

 俺は湧き上がる自分への怒りを押し殺すため深く深呼吸をしながら、オヤジが開始線に着くのを待った。


「三本で終わりだ」


 オヤジが籠手を外して指を三つ立てる。


「は?たった三本?少なすぎるよ、そんなの」

「お前は馬鹿か。何本も手合わせしたって、そんなの惰性なんだよ。集中してやらなきゃ、意味がねぇ。三本に集中してやる。それとも何か?三本だけじゃ、このおじさん相手に一本も取れる自信がないのか?」


 情けねぇ奴だ、と嘲るオヤジの両肩はよく見れば上下に動いている。

 ゼーゼーと荒い呼吸音も聞こえてきた。


 やはりオヤジは相当体力が落ちている。

 まだ十秒も動いていないのに、このざまだ。

 何だかんだ言い訳を付けているが、急に「三本」と言い出したのも、自分の体力に思いの外衰えを感じて方向転換したのだろう。

 しかし、俺の目から見てもあと二本がオヤジの限界だと分かる。

 下手に何本も付き合わせて、心筋梗塞でぽっくりいかれたら俺も困る。


「分かったよ」

「よし、じゃあ、あと二本だ。言っとくが、三本でも酒は買ってもらうからな」

「分かってるって。さっさと線につけよ」


 俺が竹刀で開始線を示すと、オヤジはヒッヒッヒと息子の俺が聞いても胸糞悪くなる笑いを響かせてのしのし歩いてくる。


 俺は親父の動きを見ながら気を引きしめた。

 もう、一本も取らせない。

 そうじゃないと死ぬまで馬鹿にされそうだ。


 開始線で正対する。

 今度はオヤジは動かなかった。

 さすがに同じ手は通じないと思ったのか。

 それとも体力温存で、一発で仕留めるつもりか。


 となれば、こちらから攻めるしかない。

 もともと思い切り体を動かしたくて、他の何かに意識を向けていないと頭がおかしくなりそうで、頭がおかしくなりかけているオヤジに声を掛けたのだ。


 俺はガシガシ打って出た。

 面、面、面。

 つばぜり合いからの引き面。

 一旦距離を取ってから、勢いを付けてぶつかるように小手、面、胴の連続技。

 しかし、全てオヤジはひょいひょいとかわす。

 さらに面、面、面。

 もう一つ、面を打とうと飛び込もうとした瞬間、スッとオヤジの体が沈むのが見えた。

 抜き胴か。

 俺は慌てて足を止め振り上げようとした腕を押し留めた。


 オヤジは構えを崩さず、真っ直ぐにこちらに竹刀を向けたままだ。

 体を沈めたのは、ただのフェイントだったようだ。

 あるいは、お前の面打ちはいつでも抜き胴で一本取れるぞという挑発か。


 俺は自分の技に思い切りが足りないことを自覚していた。

 先ほどあっさり一本を取られ、次は絶対に取られてはいけないという意識が踏み込みを浅くさせている。

 一本目のオヤジの技のキレに驚いているのも一因かもしれない。

 正直、久々に間近に見たオヤジの剣さばきは記憶していたよりも速い。

 連続で打ち込まれると防ぐだけで精いっぱいだ。

 無理に攻め返そうとすると、先ほどのように隙をつかれることになる。

 だから、こちらから攻め続けていても、オヤジが技を出してきたときのことを考えてしまい、中途半端な攻撃になってしまうのか。


「どうした?打ってこいよ」


 オヤジが嗤っている。

 少しのフェイクに過剰に反応した俺を見下している。


 くそっ。


 ムカつくが、どうにも攻め手が見えない。

 オヤジの構えは隙がない。

 切っ先が大きく見え、正対しているだけで威圧感に息苦しくなる。

 竹刀の向こうにあるオヤジの体が遠くに感じる。


 俺は少し顎を上げ、目線を相手の面に向け、大きく振りかぶると見せかけ、小さく振り下ろして小手を狙う。


 しかし、見透かしていたようにオヤジはササッと左に回りながら少し竹刀を寝かせて小手を守る。


 俺は自己嫌悪に陥っていた。

 今のはまさに小手先の技だった。

 「小手先」の「小手」は剣道の小手ではなく「小」の「手先」というのが語源らしいが、相手の威圧感に負けて、苦し紛れに一番近いところにある小手を狙い、そして案の定かわされる時はいつもこの言葉が頭に浮かぶ。


 俺は深呼吸した。

 冷静にならなければ。


 腐っても鯛と言うべきか。

 オヤジの技量は相当なものだ。

 これまでの俺の攻撃に脅威は一切感じていないだろう。

 得意の飛び込み面も全然通用しなかった。

 このレベルならいつでも一本取れると思われているような気がする。

 一本目は奇襲のような攻撃で秒殺。

 二本目は俺の攻撃を全て余裕で受け止める。

 攻撃でも防御でも格の違いを見せつけてやるというオヤジの意思表示か。


 悔しいがこのまま闇雲に攻撃を続けてもじり貧だ。

 何とかして慌てさせなければ。

 何かないか。

 何か。


 俺は一つ、試したいものが頭に浮かんで、竹刀を握り直した。

 鼻から大きく空気を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 じり、じりと少しずつ間合いを詰める。


 オヤジは何かを感じ取ったのか、急に打ち込んできた。

 面打ちだ。


 俺は竹刀で受け止める。

 即座に返し胴を狙うが、オヤジは素早く距離を取っていて、竹刀が空を切る。


 今のは様子見だろう。

 こちらの狙いを探りにきたのだ。


 俺はもう一度間合いを詰めにかかる。

 少しずつ、少しずつ。

 切っ先を小刻みに揺らしながら、相手の呼吸を感じつつ、センチ単位、ミリ単位で最適の距離まで近づく。


 今。

 そう感じたとき、オヤジの懐目がけて思い切って跳躍し竹刀を絡ませ、オヤジの竹刀を摺り上げる。

 踏み込んだ勢いのまま鍔の近くで竹刀を巻き付かせるように捩じり、さらに前へ出て小手を狙った。

 オセに使った技だ。


「むっ」


 オヤジの驚きの声とも言えない声が耳に響く。

 捩じりあげられ、切っ先が浮いた竹刀ではオヤジは受けきれない。

 オヤジは先ほどと同じように左に旋回しつつ膝を折って体を傾げ右手を沈めた。


 俺の打ち込みは空を切った。

 しかし、俺の本当の狙いは次の面打ちだった。

 外れたら負け。

 背水の気持ちで踏み込んでいく。

 バシッと竹刀がオヤジの面を捉えた感触があった。

 ただ、少し深すぎた気もする。

 間合いを詰め過ぎていたか。


 一瞬、道場が静まり返った。


「まあ、今のは旗を上げられても仕方ないな」


 オヤジは悔しさも見せずに、そそくさと開始線に戻っていった。


 何とか一本返した。

 これで漸く落ち着いて戦える気がする。

 俺は、ふぅーっと息を漏らし、開始線に戻って竹刀を構え、しっかりとオヤジの全身を見据えた。


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