琴美の告白
バシッと側頭部を叩かれて、俺は「いってぇ」と薄ら目を開く。
「何が、いってぇ、よ。さっさと目を覚ましなさい」
俺の前に仁王立ちしているのは……。
「ヴェガ王女……」
すると「まだ寝ぼけてるの?」ともう一発、今度は左側の側頭部を殴られる。
見慣れた制服姿は琴美だった。
あれ?ということは?
「元の世界よ。帰ってきたのよ」
琴美に言われて体を起こして辺りを見回す。
確かにそこはあっちの世界に行く前のプラネタリウムだった。
確か、プラネタリウムの投影の最中に入ってきて、この椅子に座って、暫くすると眠ってしまって……。
「え?じゃあ、あれって夢……じゃないってこと?」
夢だったら琴美が「元の世界」とか「帰ってきた」とか言うはずがない。
そもそも俺が今見ていた夢の内容を琴美が知っているはずがない。
「まあ、夢、みたいなもんね。全部、有也の頭の中だけで起きていたことだから」
「何だよ、それ。俺の夢だったら何で琴美が知ってるんだよ」
「んー。言っても信じないかもしれないけど、ここがそういうことができる場所だからなのよ。ここの係のおじさんに相談に乗ってもらったら、いいことができるよって」
琴美は俺の隣の座席に座ってプラネタリウムの丸い天井を見上げた。「ここのプラネタリウムで、ある人をプレイヤーとして、その人の夢の中に異世界を作り出すことができるの。そしてプレイヤーとは別に、その異世界のゴールを設定し、プレイヤーの行動を監視することができるディレクターがいる。つまり今回はプレイヤーが有也で、私がディレクターだったの」
「ちょ、ちょっと、待て」
琴美は何を喋っているのだろうか。俺がプレイヤーで琴美がディレクター?「お前、どうしちゃったんだよ。ドラマやゲームじゃあるまいし、そんなことが……」
「そんなことが、あったのよ。実際に体験したでしょ?」
「ま、まあ、そうだけど……」
「ディレクターはゴールは設定できるけど、ゴールに至る過程は全てプレイヤーである有也の作り出した夢。つまり有也の潜在意識に委ねられているわけ。だから、あっちの世界で出てきたのは有也のよく知ってる人、有也の脳に強く印象付けられている人……」
そこまで言って琴美は弾け飛ぶように立ち上がった。
そしてまた仁王立ちして至近距離で俺を睨み付ける。「あのデネブとアスカロンの精は誰なのよ!」
「え?いや、知らないって」
「んなはずないでしょ!有也はああいう巨乳の子が好きだったのね」
琴美は両手で制服の上から胸を隠すように覆った。「小さくてすいませんでしたね!」
ぷいっと顔を背け「ほんっと、いやらしい!」と非難され、俺の頭の中はパニックだ。
「何、勝手に怒ってんだよ。訳分かんねぇよ」
俺は頭を抱え、その頭の中にデネブとアスカロンの精の裸身が思い出されて、ハッと気づく。
あの二人は、俺の好きなグラビアアイドルだ。
自分が巨乳好きとは思っていなかったが、琴美の胸が小振りだから、知らず知らずのうちに大きな胸をグラビアに求めていたのか。
「誰か思い当たったみたいね」
「あ、いや、多分、アイドルグループのメンバーだな。そうそう、そうだった」
俺は咄嗟に嘘をついた。
グラビアアイドルとか言うとまた面倒なことになりそうだ。
「ふーん。まぁ、いいわ。あの状況で一線を越えなかったんだから許してあげる。もう見てるこっちがひやひやだったけど」
少し落ち着きを取り戻したのか、琴美は再び俺の隣に腰を下ろした。「夢の中の話とは言え、見えてるのに、デネブとアスカロンの邪魔をできないのは本当にやきもきして疲れたわ」
琴美は大きくため息をついた。
その顔には疲れと安堵が入り混じっているように見える。
琴美はまだ俺のことを好きでいてくれるんだなって思えた。
久しぶりに自然に話せている気もする。
いつもの少し勝気でしっかり者の琴美だ。
「なあ、琴美」
「何?」
「何か、右腕が痺れてるんだけど」
これってグシオンに吹っ飛ばされた影響がこっちの世界でも出てるってことなんじゃないのかな。
「変な寝方してたからでしょ」
琴美はあっさりしたものだった。
「そんだけのことなの?」
俺は右手を顔の前に掲げ、開いたり閉じたりを繰り返す。
言われてみれば少しずつジンジンとした感じは薄れてきている。「そんだけのことかぁ。俺はてっきり……」
「有也」
「ん?」
「ありがとう」
「へ?」
俺は突然琴美から礼を言われて、琴美の方に顔を向けた。
「私を捜してくれて。大変だったでしょ?」
心なしか琴美の瞳が潤んでいるように見える。
「い、いや。別に大したことなかったよ。俺って剣道、けっこう強いじゃん?だから、それなりにやれたし。それにあんな冒険初めてだったから、いい経験させてもらったっていうかさ。死ぬかと思うほど痛くて怖い場面もあったけど、まぁ、こうやって無事なわけだし……」
言っていて、俺の心の中で疑問がどんどん大きくなる。
こちらの世界に戻ってきて琴美の説明を聞いてから気になっていたことだ。「琴美は何でこんなことしたんだ?」
夢の中とは言え俺を異世界に飛ばし、自分を捜させた。
琴美の目的は何だったのか。
プラネタリウムのおじさんに相談したこととはどういうものなのか。
「それはね……」
そこまで言って琴美は唇をギュッと引き絞ってサッと顔を伏せた。
髪に隠れてその横顔が見えない。
「琴美……」
「私、……有也に伝えたいことがあるんだ」
「うん」
伝えたいこと。
やはり別れ話なのだろうか。
俺は心の中で身構えた。
俺は琴美と別れたくない。
異世界に飛ばされる前よりも、その気持ちが強くなっている気がする。
向こうの世界でもやっぱり俺は琴美を守りたいと思っていた。
デネブやアスカロンと一線を超えなかったのも、琴美の存在を大切に思っていたからこそだ。
「ゴールした場面、覚えてる?」
「ゴール?」
確か、グシオンがサタンを復活させてデネブが目を覚まして、その時、琴美は……。「あっ!」
急に隣にいる琴美が遠くに感じる。
弱々しく小さく見える。
「そうなの」
「で、でも、あれは……」
レラジェの毒矢がヴェガ王女の胸に傷をつけた。
ヴェガ王女は全身を毒に冒され苦しそうだった。
しかし、それは異世界の話。
俺の夢の中での物語だ。
現実のこの世界とは関係ない。
いや、関係ないと言えるのだろうか。
ディレクターとして琴美が用意したゴール。
琴美が異世界を使って俺に伝えたかったこと。
それって……。「琴美……。体が……、病気なのか?そうなのか?」
「有也」
「ん?」
聞くのが怖い。
両肩がずしんと重い。
うまく呼吸ができない。
頭が熱くて、手足が冷たい。
でも聞いてやらないと。
そのために琴美は俺をここまで呼んだんだから。
「私の心臓がね、おかしいんだって」
琴美は「へへっ」と笑った。
しかし、すぐにその顔が悲しそうに翳る。
「心臓」
確かに向こうの世界で毒矢はヴェガ王女の胸に刺さった。
そして、その毒はヴェガ王女の命を脅かしていた。「だいぶ、悪いのか」
「このまま放っておくと……私、死んじゃうんだって」
「う、……」
嘘だろって言いたかった。
でも、両手で顔を覆い肩を小刻みに震わせる琴美の哀しげな姿に嘘があるはずがなかった。「でも、何かあるんだろ?手術するとか、薬を飲むとか。そんな、死んじゃうなんて。人が簡単に死ねるかよ」
琴美は大きく息を吐いて、顔から手を離した。
膝の上でギュッと拳を握る。
「私、明日の朝、入院するんだ。それで明後日の午後、手術」
明日、入院。
明後日、手術。
「そんな……。何でそんな大事なこと……」
ぽたっと音がした。
琴美の拳の上に何か、雫が落ちている。
見れば、琴美の頬を涙が伝っていた。
いつも気丈な琴美が泣いている。
俺は琴美のことは幼稚園の頃から知っているが、その涙を見たのはこれが初めてだ。
「一か月ぐらい前にね、家で掃除してたら、すごく胸が苦しくなって、立っていられなくなって、本当に苦しくって死ぬかと思った。すぐに病院に行って検査してもらったら、もっと大きな病院で精密な検査を受けなくちゃいけないってことになって。で、精密検査受けたら、心臓に大きな欠陥があって、手術を受けないといけないって……。あっという間にそんなことになって……。そのことが私、受け止められなくて、有也にも何て言ったらいいか分からなくって……」
「琴美……」
琴美は急に立ち上がり、俺の胸にすがりついてきた。
「怖いよ、有也。死にたくないよ、私……」
俺の腕の中で琴美はボロボロと泣いた。
その体は温かくて、柔らかくて、だけど小刻みに震えていて、強く抱きしめると壊れてしまいそうだった。
 




