ヘカトンケイルー1
「魔液で魔族には見つからないんじゃなかったの?」
俺は不満混じりにデネブに訊ねる。
「それは夜の話よ。こんなに明るいんだから、においが分からなくても目が見えれば見つかるに決まってるじゃない」
なるほど。そりゃそうだ。
「さっき、キュクロプスが気持ち悪いぐらいデネブに懐いてなかった?あれも魔法?」
「そうよ。スイートキッスって魔法。かかればあたしのことが好きで、好きで仕方なくなるの」
「へぇ。魔法って便利だな」
「だけど」
アンタレスがぐったり椅子に凭れる。「キュクロプスが相手では、さすがに朝飯前とは言えないな」
「まぁな」
俺たちはまだ朝ごはんを食べていなかったが、疲れて腹も減っていなかった。
昨日夕飯を食べたテーブルに突っ伏したまま誰も立ち上がろうとはしない。
アンサーが空腹を訴えるようにデネブの足下で「クーン」と泣く。
デネブは少し体を起こし「ごめんね、アンサー。これでも食べて」と億劫そうに雑嚢から豆を取り出し魔法をかけて大きくした。
どうやらそれは何かの干し肉で、アンサーは猛然とそれにむしゃぶりついた。
デネブの顔色はまだ青ざめていた。
「あたし、朝は苦手なのよ。それなのに朝っぱらからアンタレスに叩き起こされるし、キュクロプスとは戦わなきゃいけないし、魔法を使って消耗するし。もう最悪」
デネブは「はぁー」と盛大な吐息を漏らしもう一度テーブルに突っ伏した。
とても「早く朝ごはん作ってくれよ」とは言えない。
「何で、デネブを叩き起こしたんだ?」
アンタレスに訊くと、アンタレスは椅子の背もたれに体を委ね、「昨夜、こいつが俺に魔法をかけて眠らせたからだよ」と言った。
「ああ。そういうこと」
デネブはガバッと身を起こし「いいでしょ。結局何もなかったんだから」と怒った口調で言い放ってまたテーブルに伏せた。
「何もなくて良かったよ。俺は近衛隊隊長の息子として、ポラリス王とヴェガ王女のためにアルを守らなくちゃいけない使命がある」
冗談かと思ったがアンタレスはいたって真面目な顔をしているので、俺はさすがに呆れて言葉が出てこなかった。
デネブは顔を伏せたまま俺の気持ちを代弁するように「大げさな奴」と言った。
「それにしても、アスカロンの切れ味はすごいな」
アンタレスに言われて、そう言えば、と思い出した。
「あまり手応えはなかったから、俺もびっくりだよ」
「アスカロンの精に認めてもらったってことだな」
「そういうこと、なのかなぁ」
俺はアスカロンを鞘から抜いて太陽の光にかざしてみた。キュクロプスの巨体を斬っても刃こぼれ一つしておらず、凛とした光沢が眩しい。
「どんな精だった?」
「どんなって言われても……」
妙に色っぽくて、高飛車で、だけどどこか甘えん坊で。
その時テーブルと椅子が揺れた気がした。
ハッとデネブが体を起こす。
アンサーがガウガウと吠え始める。
ズシーン。ズシーン。
遠くから地響きが聞こえてきて俺たちは顔を見合わせ「また?」とうんざりした声を出した。
この音はキュクロプスの巨体が歩いている時と同じものだ。
「逃げようよ」
デネブが眉を八の字にして「あんなの、もうこりごり」と逃亡を主張する。
しかし、アンタレスは目に険しさを漂わせ、「いや。やる。ここで逃げても、どうせいつかは戦わなきゃいけない」と立ち上がった。
「そんなこと言って、またキュクロプスの至近距離であたしに魔法をかけさせるつもりなんでしょ?」
「当たり前だ。他に戦いようがあるか」
「駄目だわ、こいつ。頭おかしい」
デネブは吐き捨てるように言って、俺を見た。「アル。逃げよ。こんな戦闘馬鹿は放っといて」
「そうしたいところだけど、もう無理みたいだよ、デネブ」
アンサーの吠え方が激しくなる。
デネブが振り向いた先には巨人が一体。
明らかにこちらに向かってまっしぐらに駆けてくる。
恐るべき視力だ。
デネブは盛大なため息をついた。
「一体だ。やれるぞ」
アンタレスがデネブの肩を励ますように叩く。「またメロメロにしてやれよ」
「はいはい。分かりましたよ」
デネブは「壊されないように」とテント、テーブル、椅子を豆に戻して雑嚢に回収した。
アンサーが元気いっぱいに巨人に向かって駆け出す。
しかし、近づいてきた巨人があまりに想像とかけ離れていたのか、不安そうにこちらを見る。
「あれ?一つ目じゃないな」
アンタレスが首を傾げて言うが、目が一つとか二つとかの問題ではない。
やってきた巨人はキュクロプスと同じぐらいの大きさだが、顔が幾つもあり、手も……十本も生えている。
その手にはそれぞれ棍棒もあれば、巨石もある。
「キュクロプスじゃなくてヘカトンケイルじゃん。顔が、一、二、三……五つもあるわよ。死角がないから近づけないわ!」




