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悪役令嬢の兄に転生した俺の妹救済計画〜妹を悪役令嬢にするシナリオを論理と拳でぶっ潰す!〜  作者: 浅沼まど
第9章:断罪イベント? その前に兄(おれ)が来た

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第36話『拳では壊せない』

 届かない。

 何度、殴っても。


 俺の拳は、エレナを包む黒い壁の手前で撥ね返された。

 穢れの防壁。王国中からかき集められた『疑い』・『恐れ』・『怒り』の塊。

 それがねっとりと渦を巻いて、妹を外界から隔てていた。


 拳の皮は、とうに裂けていた。骨が軋む音が腕の中で響いている。

 それでも止められなかった。止め方がわからなかった。

 壁の向こうでエレナの瞼が落ちていく。黒い渦の底へゆっくりと沈んでいく。

 額の上には――茨のような漆黒の冠が宙で回りながら少しずつ降りてくる。

 あれが、触れたら――妹は『悪役令嬢の器』として完成する。


「エレナ……ッ!」


 俺は腰の剣を抜いた。身体強化を限界まで引き上げる。

 骨が、筋肉が、内側から悲鳴を上げる。それでも構わず刃を壁へ叩きつけた。

 白刃が黒い壁に食い込む。ほんの数センチ。

 だが――それきりだった。

 穢れが傷口を嘲笑(あざわら)うようにぬるりと塞いでいく。斬っても、斬っても、同じだった。


 剣を投げ捨てる。剣がダメなら、直接的にやるしかない。

 今度は身体強化を全身に巡らせて、肩から壁へ突っ込んだ。

 骨が砕けてもいい。そういう踏み込みだった。

 学園で王太子を圧倒した、あの一撃を。何倍にも上回る力で。


 ――鈍い衝撃が全身を撥ね返した。

 磨かれた床を靴底がずるりと滑る。壁はわずかもへこまない。

 それどころか、ぶつかったその箇所が黒く盛り上がって、ぐにゃりと押し返してきた。

 柔らかいのに硬い。殴れる手応えがまるでない。

 水を殴っているようでも、岩を殴っているようでも、あった。

 むしろ――殴れば、斬れば、踏み込むほど――壁は嬉しそうに、濃く、厚くなっていく。

 会場の(どよ)めきや人々の恐怖を吸い上げて。俺のこの必死さでさえエサにして。

 肩で息をする。汗が目に流れ込む。腕がもう上がらない。

 なのに、壁は一ミリも薄くならない。


 強さなら誰にも負けないつもりだった。

 妹のためなら、王太子だろうと、教会だろうと、運命だろうと――あらゆるモノを殴り飛ばして、物理で折ってやる。ずっと、そう信じて、ここまで来た。


 なのに――肝心なこの瞬間に限って。


 俺の力は、何の役にも立たなかった。


「無駄ですよ、卿」


 穏やかな声がした。

 壇の脇でセリオが静かにこちらを見ていた。怒りも、焦りもない。

 ただ慈しむような悲しげな目で暴れる俺を見守っていた。


「彼女は『悪役令嬢』です。人々がそう信じる限り――〝器〟は完成する。あなたが力を振るうほど、人々の心は波立つのです。その波がすべて、彼女へ流れ込む。あなたは、ご自身の手で妹君を満たしている。おわかりになりませんか?」


 コイツの言う通りだ。

 俺が暴れるほど、会場の感情が高ぶる。恐怖が、怒りが膨れ上がる。

 そして――その熱が全て、エレナ一人へ吸い寄せられていく。


 じゃあ、どうすればいい。


 手を止めればいいのか。妹が呑まれていくのを黙って見ていろと。


 できるか、そんなこと。


「レオン! よせって言ってるだろ!!」


 ノアの声が壇の下から飛んだ。

 彼は足元の儀式陣を(にら)みつけている。額には玉の汗がいくつも浮いていた。


「聞け! キミの拳で壊せるのは外殻までだ! あの壁は殴り続ければいつかは割れる。キミは世界が計算に入れ忘れた〝たった一つの変数〟なんだからな! 物理で抗える唯一の異物だ。――でも、中身は別だ! あの器の芯は物理じゃ動いてない!」

「物理じゃない……? じゃあ、何で動いてるんだ!」

()()()()()だ!」ノアが()えた。「中身を満たしてるのは、穢れそのものじゃない。『エレナ・アルヴァレスは悪役令嬢だ』っていう、この場の全員の思い込みだ! いいか、よく聞け。エレナ嬢自身が、その役を受け入れちまえば――器は完成する。けど、逆もあるんだよ!!」


 ノアの目がぎらりと光った。


「エレナ嬢本人が。『自分は悪役令嬢じゃない』と、その役を突っぱねれば――儀式は根っこから揺らぐ! 壊すのは、キミの拳じゃない! あの子の声なんだ!!」


 その言葉が稲妻みたいに頭を貫いた。

 エレナが拒めばいい。

 俺が殴って答えを決めるんじゃない。

 エレナ自身が自分の口で、この役を突っぱねなければならない。

 顔を上げる。


「エレナ! 聞こえるか! お前は――悪役令嬢なんかじゃない!! そう、言ってやれ! お前の口で!!」


 俺は壁の向こうへ叫んだ。

 返事はなかった。

 黒い渦の底でエレナの唇がかすかに動く。けれど――その声は湧き上がる穢れに片端から呑まれていった。会場には届かない。言葉が形になる前に、黒い靄に塗りつぶされていく。封じ込められている。彼女の声そのものが。


 俺は拳を握りしめた。


 声が届かない。あの子の最も肝心な声が。世界に聞こえない。

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