第8話 葛藤と誘拐
「……やっぱり戻ってこない」
娼館の裏手にある炊事場の戸をくぐり、マイテは腰のエプロンで手を拭いながら言う。
炊事場の中にいたソルはそう、とだけ返した。
まったく意地っ張りな魔女ねと、マイテはさらに宙にため息をもらす。
件の魔女……ピエドラは娼館の裏口でソルと娼館長の話の終わりをじっと待っていたようだが、今度はマイテからの食事の誘いを断ってどこかへ行ってしまったのだ。
炊事場に置かれた樽の上に腰掛けたソルの膝には、スープの入った木皿が載っている。
その中でホカホカと湯気を立てているのは、マイテの得意料理の魚とじゃがいものスープだ。
野菜から染みた赤い色の汁が、艶々とソルの顔に光を反射させる。
しかし美味しそうに香り立つ料理も、''意地っ張り''な魔女の気には召さなかったようだ。
「その食べ物がどうやって稼がされた金で買われたか知ってるから、ってさ。……あの様子じゃ相当腹ペコでしょうに。まったく、どんなになっても潔癖なんだから」
「……」
調理台にがつんと音をさせながら頬杖をつくマイテから、ソルは何も言わず手元に目線を落とした。
旅の出発を明日にしようというのはピエドラに伝えてある。
しかしその間、魔女はこの館に居場所がないようだった。
この娼館を、そしてマイテを避けるように、すぐにどこかへ行ってしまう。
どんなに温かい食事を用意されようと、どんなに空腹の心配をしてくれる人がいようと。
旧友を避けるピエドラとは反対に、鍋をかき回す間、マイテはずっと外の方を気にしていた。
時々炊事場の扉から首を出して、ピエドラが去って行っただろう方向を眺めて。
二人が昔、友人だったことはソルも聞いている。
しかし普通の友人というより、マイテにはピエドラに特別負うものがあるようだった。
再会したときからずっと、ピエドラのことばかり気にしている。
「ほんとにピエドラが心配なんだね」
少女のその言葉に、マイテは少しだけ驚いたように目を見張る。
彼女はしばらく言葉を探すように首を回していたが、やがて意を決したように話し始めた。
「神様は酷なことをなさるわ。魔術師になることができない私達に、それでも魔力を与えて、魔女として追われる運命をお与えになった。――特にピエドラは……今からは想像もつかないでしょうけど、昔はとんでもない魔力の持ち主でね。小さい頃のあの子は、魔術の星の力を集めたような子だった」
そしてスープの器を抱えて座る少女に、そっと懐古の瞳を向ける。
「ソル、ちょうど今のあなたみたいに」
「……」
「でもピエドラは、あなたみたいに後先考えられる冷静な子どもじゃなかった。……というか、先がどうなるか知っていても、困ってる人間がいると頭から突っ込んでいってしまうの。今もそうなのかは知らないけど」
呆れるようだった口調はだんだん過去にひたるような口調に。
頬杖をつく指から強さが抜けて、語る横顔からは次第に険が薄れていく。
ソルはただそれを見ていた。
「生まれ持った才能以上に、根から優しい子だった。……一人で大人達の中に飛び込んで、魔女狩りにあってる私を助けてくれたの」
そして左手にはまった指輪を撫でる。
未来を結んだかつての友の行いごと、その手で確かめるように。
しかし過去を確かめるからこそ、その目線は今に向くのだ。
「そんな性分だから、あの子はこの世界でうまく生きられない。巻き込まれて、追い込まれて、一人になって……いつどこの路地で死んでもおかしくないと思ってた」
その瞳に後悔と、未来への不安の色を浮かべながら、マイテは天を仰ぐ。
「ねえ、ソル。どうせピエドラは今度も正義感であなたの旅に付いていくって言ったんでしょ? それならやっぱり、あの子を止めてくれない? 今のあの子はきっと、あなたの旅には足手まといよ」
「マイテ姐さんは、ピエドラに旅に出てほしくないんだね」
「旅の初日で詰むと思うわ。あの子は自分のことをよく分かってないの。だから……」
そこまで聞いていたソルは、そっとスープから顔を上げて……からんと、スプーンを置いて立ち上がった。
「ソル?」
「様子を見てくる」
そして湯気を立てる皿を樽の上に置き、足元に立て掛けてあったギャラクシアを抱えて歩き出す。
「どこへ行くの?」
「ピエドラに、スープ冷めるよって言いに行くだけ」
「何度食事に誘ったところで、どうせ食べないって言うと思うわよ? どこへ歩いて行ったかも分からないし」
突飛な行動に驚くマイテに「すぐ戻るから」と言い残し、少女は炊事場の戸口に立った。
炊事場を出るとすぐに宿の裏側に出られる。そしてそこからは昨日流されてきた川辺へと続く土手が見えていた。
腹ペコ魔女はあれを越えていったのだろう。
外へ出て目を閉じると、風が運ぶその流れが、少しずつソルに教えてくれる。
『友人思いの善き魔女じゃな。……故にこの世界では、相当生きづらいじゃろう』
いつの間にか、聖典の番人の老人が腕組みしながらすぐそばに立っていた。
どこか遠い目をしながら、ソルと一緒に風が吹いてくる方に顔を向けている。
ふうっと、その風を吸い込みながら、少女は閉じていた目を開けた。
「そういう『生きづらい』人がいたから、マイテ姐さんは救われた」
そして自らの抱える本――千年という時を何度か超えた、太古の聖典に目を落とす。
「あの人は今日マイテ姐さんに引き合わされるために、あの教会にいたのかも知れない」
『……』
「このままだと私が巻き込んだせいで、余計に二人分の不幸を増やしちゃうかも」
『彼女は、王都への旅には不適格ということか?』
「私が強引だった。ピエドラには、確かにここに身を案じてくれる人がいる。選択の余地がある」
静かに呟くソルに、老人は少しだけ肩をすくめる。
聖典を抱える少女は再び目を閉じて、空気の中にわずかに混じる、その流れに集中した。
まだ茶色く濁ったままの水に、流れていく白い糸。
雨に打たれたこの川は、このまま広くなり港へと続き、混濁した波を未知の海へと運んでいく。
ピエドラはただ、何も言わずに見守っていた。
ふっと、川に向けた杖に、それを持つ手に力を込めてみる。
「風よ……」
しかしそこには前髪を軽く持ち上げるような風が吹いただけ。水面には波紋さえ起こらない。
……この手が使える魔術は、日を追うごとに弱くなっていく。
このままではその内、魔力との繋がりも完全に絶たれるかも知れない。そうなればこの杖も、いよいよただの杖になるのだ。
はあと息をつく。
思わず……唇を曲げて変な顔になりかけた。
そのとき、
「ピエドラ」
「うわあ!?」
突如として背後に現れた少女に、ピエドラは大人げない叫びを上げながらその場に転がってしまったのだった。
川岸の泥を指に絡ませながら、三角座りの体勢から思いっきり後ろに倒れてしまう。
「ソル、どうしてこんな所に……」
座ったまま尻もちをつく格好になった魔女に、しかし現れた少女の方こそつぶらな瞳で首をかしげてしまった。
「何をしてるの?」
ピエドラは再び三角に座り直し、杖を川に向けて構え直す。
そりゃ質問したくなる光景だろう。
ピエドラは持っていた杖に糸を結び、それを川に落としているところだったのだから。
そう、杖を釣竿にして釣りをしていたのだ。
ソルはなおもその光景を珍しそうに、そして興味深そうに見つめてくる。
変なところを見られた恥ずかしさをごまかすように、ピエドラの口を言葉が突いて出てきた。
「……どうしてここが分かったの?」
「魔力の流れをたどったの」
「魔力の流れ?」
『魔術師のスキルの一つじゃ。お前さんから流れる魔力をたどらせてもらった』
ピエドラの疑問には、聖典の番人の老人が姿を現して答えてくれた。
魔術師のスキル……。魔力をたどる……。そう言えば昔聞いたことがあるような。
魔力は、魔力のある者同士で感じ取ることができる。近くにいる相手がどれだけの魔力の持ち主か、感覚を澄ませれば読めるようになるのだ。
そしてさらに鋭い感覚の持ち主なら、相手から溢れ出す魔力の流れをたどり、遠くからでも相手にたどり着くことができる。
……魔力の流れを探っての人探し。そんなのピエドラは意識してやってのけたことがない。
やはりこの少女の力は計り知れない。子どもながらに素晴らしすぎる能力だ。
比べて自分は……。
「少ない魔力だから、たどって探すの難しかったでしょ」
「……」
ソルはその言葉を否定も肯定もしなかった。ただゆっくりと、ピエドラから少し離れた場所に腰をおろす。
そして決して諭すわけでもなく、ただ冷静に魔女の顔を見つめた。
「そのままじゃ倒れちゃう。明日の出発に備えるなら、今日はちゃんと食べた方がいいよ」
真剣にピエドラを見つめて、真剣に心配して。
だがそのもっともな言葉に、曲がった答えを返すのがこの魔女なのだ。
「……ここの連中にはずいぶん無防備じゃないの。あんまりぐずぐずしてるとイクリプスの手が回って、あの宿の連中もあたし達を突き出すかもしれないわよ?」
「彼らも裏の世界の人間。雇用という繋がりがあった分、ある程度義理は通してくれると思うけど」
「裏の世界の人間だから危ないってこともあるわ。誰と繋がってて、誰にあたし達を売り渡すか分かったもんじゃない。あの人達はあたしに何の義理もないし」
少女は真顔のまま、何も言わなかった。
そして今は釣竿になっている魔女の杖と、そこから垂れ下がった糸を眺める。
「マイテ姐さん、あなたに命を救われたって言ってた。今でもあなたを大切に思ってる。きっと告げ口なんかしない」
「昔の話でしょ。……あたしが自分の力を過信してた頃の」
そこで魔女は杖を持つ手に力を込める。
釣り糸を伝い、細く弱い電流が川の中に流れていく。
小さい魚が何匹か浮いてきた。
雷の魔術を使い、魚を感電させたのだ。
ぽかんとするソルに向けて、魔女は浮いてきた魚を木の枝で集めながら呟いた。
「これが、今のあたしがまともに使える唯一の魔術」
「……」
「だから、ほんとにあんたのことも魔導書も守ってあげられないから。一回でも裏切りにあったら最後なのよ」
そして慣れた手つきで更にそこらの木を拾って薪にする。
魔女がどうやってここまで生きてきたか、そこでようやく少女は理解したようだった。
ピエドラはそのまま魚を薪の中に放りこんで、杖を振って火の魔術を出そうとする。
しかしポフポフと音をさせながら杖から出る炎は、なんとも小さく弱い。
雨あとで湿った木に着火できず、何度も小さい火の玉を出すはめになっている。
その光景をソルはしばらく何も言わずに見ていた。
そして、
「旅、出なくてもいいと思うよ」
「え」
驚く魔女に向けてそう言った。
「ピエドラはここに残ってもいいと思う。イクリプス公の刺客はギャラクシアを持ってる私を狙うだろうし、あなたが本当にあの雨の中、顔を認識されたかどうかは分からない」
呆れているわけでも、憐れんでいるわけでも、まして怒っているわけでもない。
ただ率直に、必要なことだけを伝える顔だった。
「旅に出るよりここにいる方が安全なら、そうした方がいいと思う」
「……」
「マイテ姐さんに、何か目立たずできる仕事がないか聞いてみる。しばらくここにいられるように頼んでみるから」
ピエドラは……魔女はしばらくその言葉に固まってしまっていた。
ソルが口にした言葉は、ピエドラがどこかで望んでいた言葉のはずだ。
だが……。
ピエドラが何も言わないのを……何も言えないのを、ソルは肯定ととったらしい。
魔女の返事を待たずに立ち上がると、少女はピエドラに背を向けて、娼館の方へと歩き出す。
丸くなって小さな火を消さぬよう守るピエドラは、ただその背を見送るしかなかった。
『どうする、ピエドラ。本当にここに残るのか?』
固まるピエドラのとなりに聖典の番人の老人だけは残って、魔女に最後の覚悟の確認をしてくる。
「……ソルに付いて行かなくていいの?」
『ギャラクシアの周りならある程度動ける。あんまり離れると体が引っ張られてしまうがな。聖典の番人の悲しき性じゃ』
で、どうするのか。
もし聖典を運ぶ旅に同行したいなら、ソルを追いかけた方がいいのはピエドラだ。
『ソルは、お前さんがこの旅で傷付けば、悲しむ者がいると思ったらしい』
「……ここにいる全員に心配されるのね、あたしは」
魔女は、しばらく自分の手と杖と炎を順番に眺めて……そしてその場から立ち上がらなかった。
……それがいいと思った。
ソルは至って穏やかに、ここに残るという選択肢を提示してきたが、要はピエドラを冷静に見放したと同じだ。戦力的に、体力的に、そして精神的に、過酷な旅には耐えられないと。
マイテがピエドラを心配しているというのはその後押しに過ぎない。
「そりゃそうだ。杖で釣りするしか能がない魔女なんだから……」
所在なく、木の枝で火をかき回す。
川辺に突き立てる、明るい色の杖にはいまだ釣り糸が付いたまま。
それを眺めて、番人の老人は感心したように腕を組んだ。
『立派な杖じゃな。よく使い込んである』
「盗んだわけじゃないわよ。借りっぱなしになってるだけで」
こんな使い方をされていると知ったら、貸した者も浮かばれないだろう。
そもそも貸したことすら後悔しているはずだ。
「あたしにこれを貸した人間も、きっとあたしを恨んでる。魔術師でもない人間が、持つべきじゃないものを持って他人の人生を歪めたの。……もうそうしたくない」
もっと早く魔術との繋がりを絶って、世渡りの上手い大人になっていたら……そうしたら、どこかに拾われて細々生きていくことができたかも知れない。
誰にも迷惑をかけず、巻き込まずに……。
幼少の頃抱いた魔術師になりたいという欲が、他人を、そして自分の人生さえも乱してきた。
そして二十年。二十年も、ただ月日を消費して、自警団と追いかけっこを続けているだけ。
情けなくて笑えてくる。……いいや、全然笑えない。
ピエドラがこんなだから、ソルは一人でここを旅立つのだ。
「……もっと腕のいいちゃんとした大人の魔術師のところに、ギャラクシアの護衛の運命が下されたら良かったわね」
『運命は思いがけない者にふりかかる。そして決して待ってはくれん』
「そうね。あたしはそれに耐えられなかった。――置いていって。マイテに迷惑は掛けられないから、黒マントに見つからないように、すぐにここを出るわ」
魔女はそれ以降口を引き結ぶ。
老人はしばらく長い着物の袖を組んだまま黙っていたが、やがて『そうか』とだけ一言。
そしてギャラクシアの持ち主がこの場所から相当離れたためか、ようやく番人の性質が効いてきたようだった。
『おお~、体が引っ張られる』
足から宙に浮きながら、ズルズルとソルが歩いていった方に引っ張られていく。
長い時を経て現世に出られたというのに、難儀なものだ。あれが聖典の番人の宿命か。
そして。
ピエドラは一人、川辺に残された。
ソルが現れる前と同じように、川の流れを見ていた。見ていたけど……。
いいや、心残りなんてない。
きっとこれが正しい選択だ。
世界最強の魔導書を、権力者に追われながら王のもとへと運ぶ旅。
きっと何度も死にかける窮地が訪れるだろう。その度に、ピエドラが足手まといになったせいでソルは命を落とす危険があるのだ。
もしこれが天の決めた運命の旅なら、ピエドラのせいでソルは聖典を王のもとへ運ぶ旅に失敗してしまう。
……千年に一度の聖典に、規格外の天才少女。そして聖典の番人。
最初から、ピエドラとは遠い世界の存在だ。
どんなに強く杖を握りしめても、もうピエドラの前に風は起こらない。
それがすべての答えだろう。
ぱちりと、焚き火にくべていた枝が爆ぜた。
小さな炎の中で、いつの間にか魚は丸焦げになっていた。
川辺で釣りをするピエドラと別れ、土手を下り、ソルは娼館の並ぶ通りの裏側へと戻ってきていた。
腕の中のギャラクシアを抱え直す。
ずいぶんマイテを待たせてしまった。
食事も冷めてるかも。
太陽はすでに正午を目指して高く空へ昇り。
雨だれに汚れた娼館の白い壁の群れが、徐々に少女へと近付いてくる。
どこの宿からか、格子のはまった窓から、男の笑い声と娼婦達の嬌声が聞こえてきた。
昼間から気の早い客が来たのか、昨夜から泊まっていた客か。
どちらにせよここはこういうことがずっと行われているのだ。
ソルはもう慣れているが、ピエドラがここを避けたいのも分かる気がした。
今は静かな窓の向こう側にも、夜の営業を終えた何人もの女が眠っている。
困窮という鎖で売られて、あったはずの人生を娼婦としての技に変え、それを買う男を待っている。
そういう場所がここでは何軒も、街を成すほど群がり連なっているのだ。
何十年も、何百年も、どこの国でも変わらない光景だ。
しかしこの小さな体で生きていくためとはいえ、これをどこかで仕方のない光景と思って用心棒まで引き受けていたのは、自分が鈍っていたのかも知れない。
ふと、ピエドラの丸い背中を思い返す。
この光景を否定して、独り小さな火を起こす彼女の姿を。
……これで良かったのだ。
もともと一人で旅に出るつもりだったし、ピエドラはソルの業に巻き込まれただけの一般人だ。
刺客から隠れられる場所があるなら、命がいくつあっても足りないような旅に付き合う必要はない。
ピエドラ自身、自分の魔力に確信がないようだったし。
そんなことを考えながら、ソルがマイテの待つ娼館の裏口まで来たときだった。
「離して! 離してお願い! こんなの聞いてないわよ!?」
何軒か離れた先から聞こえた、女の叫び声。暴れる人の気配と物音。
一瞬だが気をとられてしまった。
そして、
「……!?」
視界が急に真っ暗になる。
頭から袋をかぶせられたのだと、顔に当たる感触ですぐに気付いた。
そして、強い力で荷物のように地面から横向きに抱き抱えられる。
袋越しに、聞き覚えのない男達の会話が聞こえてきた。
「よし、これで今日連れていく分は全部か」
「なあ、今日こいつと一緒に来た魔女はどこだ? 杖持ってたし、あいつも魔力あるんだろ?」
「見当たらないならあいつはいいだろ。魔力弱そうだし、歳もいってそうだ」
「そうだな。朝ちらっと姿を見たが、腰が曲がって老人みたいだった」
袋をかぶせられ大人しくなったふりをしながら、下卑た会話に耳を傾ける。
そしてすぐに彼らの声の向こうから、表通りに停まる馬のくつわの音が聞こえてきたのだった。
マイテは娼館の裏を歩き回っていた。
ピエドラを探しに行ったまま、小さな用心棒が帰ってこないのだ。
彼女が置いていったスープは、もうとっくに冷めてしまっている。
炊事場を出るとき、すぐに戻ってくると言っていたのに……。
「……ソル、どこに行ったの?」
表側から娼館の中に入ったのだろうか。
確かめるために裏口を離れ玄関の方に移動する。
そしてマイテはそこで、頭を抱えて受付のカウンターに突っ伏すこの娼館の主と出会ったのだ。
「娼館長、一体どうしたの?」
慌てて彼の方へと駆け寄る。
娼館長はなおも顔を伏せたまま。額を覆うその両手の隙間から、ただ、すまないすまないと絶え間なく声を漏らし続ける。
マイテの背に、一気に冷たいものが走った。まさか……。
「ソルはどこ……?」
「すまない、すまない、マイテ」
迫るマイテに、娼館長はついに両手を離して頭を上げる。その顔は深い後悔にひきつれていた。
「ソルを売ったんだ。……貴族様が、どうしても強い魔力のある女が欲しいって……」
マイテはもう、まっすぐそこに立っていることができなかった。
……この辺りで魔力のある女が売られる。その意味も、彼女らの行く末も、すぐに頭に思い描けた。
すっと、声もなく膝からその場に崩れ落ちる。
こつんと、背後で杖をつく音がした。
魔女が……ようやく外から帰ってきたらしいピエドラが、裏口側に立っていた。
座り込むマイテの後ろから、首を傾げて怪訝そうな様子でこちらへ近付いてくる。
そして尋常ではない様子の娼館長と肩を震わすマイテを見て、その顔は一気に驚きに埋め尽くされた。
「何? どうしたの?」
杖を片手に膝をついてこちらに目を合わせる旧友に、マイテはただ冷たくなった指ですがるばかりだった。




