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龍とたてがみとギャラクシア  作者: 雨野グッピー


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第5話 ダリオとレオナルド

 よく晴れた空に、白い月が昇るある晩のこと。 


 王城の見回りの兵士は、ある音を聞いていた。

 中庭の見える回廊を小走りする、長靴ちょうかの足音を。


 ……まったく忙しない。

 この宮廷で一体誰だ? 従僕が急ぎの伝達でも頼まれたか?


 注意でもしてやろうと、警備用の槍を床に突きながら勢いよく廊下の角を出たところで、


「おおっと!」


 回廊を小走りしていたらしい者と、出会い頭に思い切り衝突してしまった。

 鉄の鎧に、厚い布地を着た腕がぶつかる。


 しかし体幹の差か、尻もちをついたのは走ってきた何者かだけで、兵士の彼は少し体を反らしたままでそこに立っていた。


「お前、一体どこ見て歩いて……」


 さらに苦言を口にしかけた兵士は、兜の隙間から尻もちをついている男の顔を確認して、


「こ、これは……失礼いたしました!」


 慌てて手を貸して男を引き起こした。


 廊下の絨毯にわずかに触れかける黒い外套。その手に握られた楓の杖。

 緩く巻いた髪が、彼が立ち上がると同時にふわりと持ち上がる。


「お怪我はありませんか、レオナルド様?」

「あはは……。俺は大丈夫だよ」


 当代の宮廷筆頭魔術師は、己の失態に恥じらいを見せるように、困り顔に笑みを浮かべてみせた。


 外套の下は乱れたよれよれシャツにジレを羽織っただけの格好。片手に杖を持ち、もう片方の手は何か赤茶けた古い紙の束でふさがっている。

 どうやら書類を執務室から自室に持ち帰る途中だったらしい。


 思わぬ邂逅に慌てる兵士をよそに、魔術師は相変わらず穏和な笑顔で謝罪を口にする。


「ごめん、仕事の邪魔して。人と会う約束があって急いでたんだ」


 そう言って軽く手を上げながら去っていく背は、気さくなのか本当に急いでいるのか。

 衝突してきた兵士を咎めることもなく、颯爽と回廊の向こうに消えていく。


 兵士はしばらく、ぼんやりとその方向を見ていた。


「おい、何かあったのか?」


 騒ぎを聞き付けたのか、同僚の兵士の一人が廊下の向こうからこちらへ近付いてくる。


 最近地方から出てきたばかりの彼は、さっきの柔和な魔術師が去っていった方を見て首をかしげた。


「誰だ、あれ?」

「獅子の魔術師様だ。知らないのか?」

「え? あれが?」

「あれがあれがって、宮廷筆頭魔術師様だぞ……」


 同僚の無知に頭を抱えながら、兵士は槍を構え直した。


 確かに彼は、常時はその出で立ちと振る舞いからまったくそうは見えないかもしれない。

 しかし、


「国で一番の魔術師を決める、『獅子の魔術大会』。彼はその大会で十二年連続優勝している大魔術師様だ。この国始まって以来、前代未聞の超天才だよ」





 その扉の前に立って、宮廷魔術師ダリオは一つ息を吐いた。


 息を吐いて、背筋を伸ばして気合いを入れる。

 しかし、朝からついた寝癖は再びピヨンと彼の前髪の上に飛び上がるのだった。


 ……夜だと言っても、もう少し身だしなみを整えて来るべきだったかな。髭も朝から生やしっぱなしだ。


 晴れた夜空には、高く白い月が輝き。この王城の離れ塔は、俗世すべての喧騒から切り離されたように静寂に包まれている。


 今目の前にあるのは、同じく宮廷魔術師の同僚の部屋。しかしただの同僚の部屋ではない。


 夜は半ばまで更けて。

 宮廷筆頭魔術師・レオナルドから、小間使いを通じて呼び出しを受けたのはつい先程のこと。

 自分の部屋から彼の部屋まで、とにかく緊張でソワソワしながらやって来た。


 宮廷魔術師達の詰める、王城の離れに位置する巨大な塔。ここはその上層にある、当代の宮廷筆頭魔術師に与えられた特別な研究部屋だ。


 当然今まで入ったことなどない。

 そこへ宮廷筆頭魔術師直々に、しかも頼み事があるなんて呼びつけられるなんて、一体何事だろう。


 なおも緊張は解けぬまま、意を決して扉を叩く。こちらの慎重なノックに反して、「どうぞ」とすぐに軽い声が返ってきた。


 そして……。

 ガッシャーンと、扉を開けたと同時にガラスの割れる盛大な音がした。


「レ、レオナルド!?」


 慌てて部屋の中に踏み込む。

 見れば、部屋の主はランプのほのかな明かりの中、床に散乱したガラス片と格闘しているところだった。どうやらフラスコを割ったらしい。


「ああ、ダリオ。来てくれたんだね」


 足元の丸いガラス片から顔を上げて、彼は爽やかにこちらへ手を上げる。


 宮廷筆頭魔術師・レオナルド。

 十二年前、初めて『獅子の魔術大会』で優勝しこの国一番の魔術師と認められてから、彼はずっとこの塔の支配者であり、宮廷魔術師達の長であり続けている。


 与えられた称号は、その勝利を称えて『獅子の魔術師』。代々宮廷筆頭魔術師が受け継ぐ称号だ。

 しかし十二年連続でその地位を守る魔術師などこの国始まって以来で、何を置いても彼は凄すぎる魔術師だ。

 歳は確か自分と同じだが、魔術師としての格が違いすぎる。


 違いすぎるが、普段の彼は見ての通り……。 


 微妙な顔で見守るダリオに、ガラスを片付け終わったのか途中で諦めたのか、申し訳なさそうに頭をかきながらレオナルドが近付いてくる。


「ごめん、こんな夜更けに呼びつけて。本来なら頼む俺が出向くべきなのに」

「え、ああ、とんでもない! もうすぐ獅子の魔術大会もあるし、忙しいだろう? 僕で力になれるなら、何でも言ってくれ」


 腰の低い柔和な笑みに、思わずこちらの方が恐縮してしまう。

 その様子に、レオナルドは少しだけ眉を上げた。


「ダリオは何かと俺に気をつかってくれるね。ありがとう」


 しかしその瞬間、先ほど割れたフラスコの中の薬品が、彼のローブに接して燃え上がる。

 火を消そうとレオナルドが跳ね回るのに連動して、周りで泡を吹いていた試験官が何本か割れた。そして中身が何なのか知らないが、こぼれた液体がジューッと床を溶かした。


 部屋の中に、一気に薬品の刺激臭とローブの焼けた臭いが充満する。

 やはり彼は魔術を使っていないときはとことんドジ……いや、何だか抜けた青年だ。


 その抜けた人物は、書き物用か、部屋の中に唯一と思われる小さなテーブルまでダリオを招きよせて、宮廷筆頭魔術師が使っているとは思えないこれまた粗末な椅子をすすめてきた。


 しかしダリオがそこまで部屋を進もうとすると、何故か床に転がっていたチェス盤を思いっきり蹴飛ばしてしまった。


 先ほどはレオナルドに目がいって気付かなかったが、部屋の中はまあまあ……よく言えばまあまあ乱雑に散らかった状態だ。歩くたび何か踏んでしまう。


 謝りながら近付いていくと、宮廷筆頭魔術師はいいよいいよとこれまた申し訳なさそうに首を振った。


「つい物を集めすぎちゃって。皆気味悪がってこの部屋には近付きたがらないよ」

「ま、まあ。個性的な部屋だけど」


 すすめられた椅子に腰かけて、ダリオは改めて部屋を見回す。


 胴だけの石膏像、目玉のような模様の宝石、何かの翼の剥製、レイピアの鞘だけ、弦の無い弓、絶えず表面が波立つ薬品の入った瓶、大小様々な割れた天球儀、壁につたを這わせる灰色の植物、液体が染みた解読不能の巨大地図。……それ以外の物は混ざりすぎて何が何だか分からない。


 レオナルドの言う通り、とにかく物で溢れている。

 そしてその合間合間に試験官入りの薬品や火を用いる実験用具が顔をのぞかせるのだから……。


「魔術師らしい部屋だと思うよ」


 お世辞丸出しの返しだったが、レオナルドはその言葉を否定も肯定もせず、ダリオの向かいの椅子を引く。そして少しだけ怪しげな笑みを作った。


「このガラクタのどこかに本物の死体があるんじゃないかと囁く人までいるよ」

「はは……まさか」


 もちろんダリオもよく知っている噂だが、レオナルドを羨み疎む者達が囁いている悪い冗談だ。


 レオナルドの後ろには、この部屋専用の螺旋階段が設置されている。

 この部屋の二階部分には通常レオナルドしか上がることができない。故にそこに隠された秘宝があるとか、国の重要機密が眠っているとか、死体があるとか好き勝手言われているのだ。


「みんなが言ってる俺が吸血鬼だ、って噂。本当だったらどうする?」

「それは……」


 さらにおどけるように重ねたレオナルドの言葉に、今度はダリオも苦笑いでは返さなかった。


 吸血鬼。

 今や冗談では済まされない話だ。


 険しくなった同僚の顔に気付いたか気付いていないのか、宮廷筆頭魔術師は引いた椅子にゆっくり腰掛けると、一呼吸置いて話し始めた。


「ごめん、呼びつけといて変な話して。……さて、ここから本題なんだけど」


 向い合わせで真正面から目に入る、ランプの光に浮かび上がる整った面、美しく波打った長い髪。ほのかな明かりのもとでも分かる、ラピスラズリ色の瞳。


 その美しい容姿も、彼を見れば想起される数々の輝かしい戦歴も、すべてが奇跡のような存在だ。

 故に先程のドジを踏まえたとしても、正面から向き合うとその迫力に思わず身構えてしまう。


 獅子の魔術大会に限らず、彼と試合で対戦することになった魔術師がどうなるかは、ここ数年の宮廷魔術師生活で嫌と言うほど見てきた。実力をうたわれる宮廷魔術師と言えど、覚悟と対策なくは瞬殺もあり得る稀代の強者だ。


 彼は間違いなく歴史に名を刻み、後世まで語り継がれる伝説の魔術師となるだろう。

 そんな天才が目の前にいるのだ。改めて、ダリオの肩が緊張でこわばる。


 しかし次の瞬間には、レオナルドの整った眉が少しだけ困ったようにひそめられた。


「先日俺が陛下に暇を乞うたことは知っているかな?」

「あ、ああ。お師匠の葬儀のために城を離れるって……」

「実はそれは口実でね」


 口実? と、ダリオが聞き返す前に、レオナルドは指で軽くテーブルを打った。


「最近横行している『吸血目的の娼婦狩り』。その真相を確かめるために、城を離れたいんだ。君にはその間の留守を預かってほしい」


 ランプの明かりに浮かぶその目は相変わらず優しく。

 故にその話の内容に、ダリオは思わず息を飲んでいたのだった。

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