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龍とたてがみとギャラクシア  作者: 雨野グッピー


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第4話 少女と聖典

 ギイと、しばらく止まったままだった歯車が動き出す音がした。


 それは停滞していた時が動き出す音。

 長い歴史が現実に、まさに手触りをもって彼女に還ってくる音だった。


「……いよいよ始まる」


 激しい雨音はここには届かず。今このときを邪魔する者はない。 


 早三日も雨に打たれる、朽ちた教会の礼拝堂。

 そこに、今まさに運命の扉を開こうとする者がいた。


 深夜の教会内部は、しかし稲光が届かずとも闇の中ではない。

 その祭壇を中心にして、昼のような明かりを保っていた。


 燭台に火が灯っていないのに明るいのは、祭壇自体が光を放っているから。

 尋常ならざる魔力と、それを蓄積する魔導機構の働きで、周囲は青く清涼な光に包まれていた。


 教会の遺物が放つ禍々しい呪いの気配も、底冷えするような冷気とともにうごめく霊魂も。この祭壇にはそのどれも及ばない。


 決して小さくないこの教会、その最奥の壁一面を埋めるような巨大な祭祀場。

 そこに並ぶ聖人像の後ろには、幾十もの小さな歯車と導線が組み合わされ、聖人のささげ持つ燭台の上に魔科学的な光を灯らせている。


 そしてこの太古の教会に不釣り合いな先端の機構の前に、静かにたたずむ少女が一人。


 流れるホコリすら照らす青い光に浮かぶ、小さな背とその中程まで伸びた縮れ髪。

 日に焼けた肌にわずかにそばかすが浮いて、琥珀色の瞳は今はまっすぐ祭壇に向けられていた。


「解けた。これで最後のはず」


 少女は見上げる。

 聖人像の遥か上に吊り下げられた、真鍮の秤の皿を。


 その皿の上には一冊、大きな本が載せられていた。


 装丁の剥がれた深い青の表紙。

 古代の意匠でありながら、今なお鈍い光を照り返すわずかな金の装飾。

 総じて特別変わった本ではないが、彼女はただ一心にその本を見上げていた。


 聖人像の前に置かれた祭壇に手を触れていた少女が、そっとその手を離す。その動作とともに、秤の皿を吊り下げている滑車が軋んだ。


 そして真鍮の皿は、ゆっくり下へと降りていく。


 その様子を眺めて、当の少女は静かな声音で呟いた。


「やっと……やっとあれを手にできる。長かった」


 少女の触れていた祭壇の上には、水面のように磨かれた黒い板に幾十もの浅い溝が刻まれ、その先に不規則に銀色の鉱石が埋め込まれている。

 そしてその溝と鉱石の隙間に、数百におよぶ円形の紋が。石灰を使ってすべて新しく手書きで記されていた。


「この封印を施した魔術師はかなりの実力者だね。解くのに三晩もかかるなんて」


 彼女の独り言とも思えるその言葉に、しかし応える者があった。


 祭壇が放つ青い光の中に、透明な人型の、さらに青白く輝く存在が現れる。

 人間ではなく冷気の塊のようで、人に見えるその体はしかし煙のように景色を透かし、その声は耳にではなく、直接頭に響くようだった。


『ああ。これは世紀の天才の技じゃ。しかしお主は解いた。その魔術師と並ぶ才能の持ち主と言えるだろう』


 祭壇から聖人像へと繋がった導線がバチバチと音を立てる。

 秤の皿はゆっくりと下降し、その上に載る本もまた、少女の手の届く所まで降りてきていた。


 古びた表紙に、少女は静かに、しかし何か大きな期待に懸けるように手を伸ばす。

 そこに、例の透明な人型の存在から声がかかった。


『お嬢さん、本当に良いのか? それを手にするということは……』

「ええ。分かってる。だけどこれが私の望み。……いいえ、私たちの望み」


 神妙な面持ちで、彼女はなおも躊躇わず手を伸ばす。

 少女が青い装丁に触れるのと、


「おい! そこを動くな!」


 教会の扉を破って現れた、黒い侵入者の怒鳴り声が響いたのは同時だった。




 石の床が剥がれ、足下でバキバキと割れていく。

 自分がついている杖のせいで確実に教会を壊していることが分かるが、しかし立ち止まっている暇はない。


 相も変わらず雨が降り続く、古の遺構。

 その暗い教会の回廊を追われる者がいた。


「何なの……」


 冷えた唇から、久しぶりにヒトの言葉が漏れる。


 魔女ピエドラ。

 普段ならそう呼ばれ怒鳴られ石を投げられるが、今日の相手はそうではない。


「おい、女! 止まれ!」


 そう叫ぶのは、今まさにピエドラを追いかけてくる黒いマントの男達。


 稲光の輝きに、追われる者と追う者の姿が眩しく浮かび上がる。


 追ってくる者は三人。三人ともフード付きの黒マントをきっちり被り、顔は判然としない。

 ガシャガシャと、追ってくる足音の隙間に硬い音が混じる。多分剣か何か武器を持っているのだろう。


 どうやらピエドラのことは知らないらしいが、口々に「見られた」とか「アレのことが漏れる」とか、走りながら他の仲間に向けて叫んでいる。

 彼らが一体何者かは見当がつかないが、捕まればどうなるかはその言葉から容易に想像できた。


 ……森の遺構に謎の馬乗り集団が現れてしばらく。廃教会は完全にその謎の集団に包囲されてしまっていた。


 必死に気配を消していたピエドラも、遺構を無遠慮に踏み荒らす集団に発見され、このような事態に陥っている。

 最早どこに逃げても隠れても、黒いマントの連中の視界の中だ。


 杖で体を支え、吹き込んだ雨で濡れた石畳を蹴立て何とか走る。

 しかし走って走って、いよいよ逃走の詰みは見えてきていた。この先はこの教会の中心、本棟の裏だ。

 本堂の礼拝堂から繋がっているのか、裏口だろう小さな扉が見えてきている。


 右から左からそして後ろから、いつの間にか数の増えた黒マントがピエドラに迫る。

 もうあの扉から中に入るしか道はない。


 一つ、覚悟を固めるために息をついた。そして古びた、しかしいまだ頑丈そうなその扉を破ろうと、杖を前に出す。


 しかしその前に、


「うわっ!」

「!?」


 破ろうとしていた扉の内側から飛び出してきた何者かと、走る勢いのまま思い切りぶつかる。


 お互い尻もちをついた。


 尻もちをつきながら、ピエドラはいつの間にか視線を下に向けていた。

 というのも飛び出してきた者というのが背の低い、幼い少女だったからだ。 


 多分三日間この教会に通ってきていた子どもだ。よりによってこんなときに……。


 そして彼女の他にそこにはもう一つ。

 先程ぶつかった衝撃で何かがばさりと下に落ちていた。


 半ばで開いた……本?


 暗くてよくは見えないが、かなり古そうな表紙の分厚い本だ。少女が抱えて出てきたものだろうか。


 向こうとしても他人との衝突は予想外だったのか、少女が驚きに目を見張る。

 しかしすぐに立ち上がって開いている本を拾うと、ピエドラの後ろから走ってくる黒マント達に視線を向けた。


 そしていまだ立ち上がれずにいるピエドラの前で、追っ手に向けてまっすぐ片手を伸ばす。そして言った。……否、唱えた。


「風よ」


 その言葉とともに、回廊の石のアーチの双方から、雨を集めた風が一気に吹き込む。

 そして回廊を走っていた黒マント達に襲いかかった。


 驚異的な風圧な上、ただの風ではない。風が鋭い刃のようになり、追っ手のマントを切り刻んでいく。


 少女は間断なく、ピエドラの脇で二撃、三撃と呪文を重ねた。

 まずは自らの出てきた扉を氷の魔術で固め、同じ術で黒マント達の足元を固めていく。流れ込んでいた雨がすぐに氷の塊に変わった。

 追っ手は総崩れだ。全員武器を落とし、その場に転がり氷に縫い止められ。


 しかし。


 倒れた黒マントの集団の後ろから、炎の塊がこちらへと飛ぶ。

 どうやら追っ手の中に魔術師がいたらしい。


 少女は怯まず水の塊を。両者が宙で衝突し蒸気の爆発を生み出す。


 少女はそのまま、何故か自ら雨の中に踏み出した。

 魔術師達が即座にそれを追う。


 しかしそれが誤った判断であることを、彼女はすぐに彼らに思い知らせた。魔術で。


「雷よ」


 雨雲から、少女の言葉に答えるようにその場にだけ雷が注ぐ。黒マントの魔術師達は、残らず感電しその場に伏していった。


 動けるまま残されたのは、例の本を抱えて静かにたたずむ少女と、尻もちをついたまま巻き起こる事態に置いていかれっぱなしのピエドラだけだった。


「……死んだの?」

「いえ。ギリギリ生きてると思うけど」


 かすれ声で恐る恐る質問したこちらに対して、少女は空模様でも聞かれたかのように平然と返してくる。


 そして未だ教会の外に響いている複数の足音に耳を傾けると、


「数が多い。私は逃げるけど」


 と、座り込むピエドラに向けて一言放った。

 子どもらしいおっとりした声音に、微塵の焦りも恐怖もない。


 しかし何だ、その言葉は。

 私は逃げるけどあなたはどうする、ってことか。

 そりゃもちろん逃げるよ。いまだにこの事態が何なのか飲み込めてないけど。


 杖をついて、何とか足に力を入れる。

 あれだけのことはあったが流石に腰は抜けていないようだ。伊達に二十年逃亡生活を送っているわけではない。


 しかしそんなピエドラにとどめを刺すように、


『しかしどこに逃げる、ソル? 森は包囲されとると思うが……』


 少女が魔術で固めた扉から、戸板と氷をすり抜けて登場した半透明の老人。

 その姿に、今度こそ魔女は腰を抜かしたのだった。

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