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龍とたてがみとギャラクシア  作者: 雨野グッピー


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第1話 涙の記憶と小さな救世主

 苦い思い出だった。

 今思い出しても、記憶の中のその声に震えてしまうくらい。冷たい思い出だった。


「泣くな! それでもアンヘル家の男子か! 魔術師の子か!」


 非常な勢いで、杖がダンっと地面に突き立てられる。

 心底嫌いな音だった。


「私が帰ってくるまでにその壺を割っておけ! いいな! 課題をこなすまで家には入れないと思え!」


 そう怒鳴りながら初老の男性は、杖をガツガツ突きながらさっさとどこかへ行ってしまう。


 その場に残されたのはぐすっ、ぐすっと、しゃくり上げる一人の少年。……昔の僕だ。


 人の頭を軽く越える赤い石の壁に囲まれた、午後の箱庭。

 そこに一人、僕は立っていた。


 片手に自分の背ほどあるポプラの杖を握りしめ、涙ばかりが溢れて止まらない。


 僕の少し先には、大人の腕で抱えるほどの素焼きの壺。

 魔術師が魔術の練習をするために使うもので、決して日用品ではない。ある特定の魔術を当てなければ割れない、特別な壺だ。


 それを壊そうと、僕は何度目か杖を振ってみる。


 しかしその先からはカスカスと煙が上がるだけ。

 本日の課題であるあの壺を割るための炎の魔術は、決してこの手からは放たれない。

 

 ダリオ・アンヘル。才能なき一人の少年。


 この世に生まれついたときに決められた、魔術師になるのは僕の運命。

 さっき怒鳴りながら僕を置いていった男性は、教え子に運命を果たさせるよう僕の両親に申し付けられた魔術の先生。


 なのにろくに魔術を使えた試しのない僕を、彼はいつも鬼のような形相で怒鳴る。杖で脅して、しまいには課題が出来るまで放置する。


 食事の時間が来ようが、日が暮れて辺りに霜が落ちようが。子どもの僕はお構い無く外に放って置かれた。


 ふと、庭木の先から一羽、小鳥が空へ飛んだ。


 僕は流れる涙を最早ぬぐうこともなく、それを……自分の頭の上を取り囲む壁を見上げる。


 僕をこの庭に閉じ込める、何度も塗り替えられた石の壁。


 代々続く魔術師の家系に生まれながら、僕にはまったく魔術の才能はなかった。

 一日を通して、ひ弱に泣くばかり。この壁を越えて逃げる力すら無い。


 明日も明後日も、こんな時間がこれから延々と続くのだ。この壁の中で、何度も怒鳴られ涙を流して。


 そう思うだけで、必死でつないできたものも切れそうだ。もう杖を上げる気力もない。


 今日もこのままここで夜を迎えるのかな……。


 そう思ったときだった。


「ちょっと。ちょっとちょっと」

「うわあ! ビックリした! 壁がしゃべってる!」


 囲む壁から突然、何故か鮮明な声がした。

 ……子どもの声? 一体誰だ?


「壁じゃないよ。いいからちょっとこっちへ来てみな」


 驚きながらも僕は声のする方へ、恐る恐る庭木をかき分けて近付く。


 そこに穴があった。

 壁が朽ちて穴が開き、それが木の影に隠れているのだ。今すぐ誰かの侵入を許すほどではないが、人一人の顔がすっぽりはまってしまうくらいの大きな穴だった。


 そこからひょこっと、


「わあ!?」

「大丈夫、怪しいもんじゃないわ」


 人間の顔が半分のぞいた。

 僕と同じくらいの歳の、少女の顔だった。


 そしてその少女は、


「ちょっとだけ、あなたのその杖をあたしに貸してごらんなさいな」


 そう言った。


「ええ? 君に杖を……?」


 僕は思わず穴から外をのぞき返していた。この壁の向こうは、自分よりずっと貧しい人々の暮らす街だ。


 穴の向こうの少女の顔は煤に汚れ、着ているものは丈が短くぼろぼろだった。

 だから一目で、彼女がどの層に属する者か分かった。


 物乞いだ。


 僕は最初、彼女がそのまま杖を盗んでいくつもりだと思った。

 でも、もうそれでも良かった。


 両親の押し付ける、魔術が嫌いだった。

 魔術を通してしか家族とみなされない、ここが嫌いだった。


 こんなもの、もうどうにでもなれ。そう思った。


 杖を貸すことを承諾すると、少女は一応礼儀だと思ったのか、手の汚れをパンパンと払う。


「ある属性の魔術を当てないと壊れない壺なんて、魔術師もなかなか面倒な練習するのね」


 と、その子は壁の穴からこちらへ手を突き出す。細い手だった。

 その手に、僕はそっと杖を預ける。


 一体何をするつもりなのか。やっぱり杖を盗んで……。


「ほれ」


 軽い掛け声とともに、炎の魔術は細い手から杖を伝って、一直線に的へ向けて放たれた。


 火の玉が当たった壺は、小さく爆発を起こしバラバラに粉砕される。


 僕はしばらく何も言えずにそれを見ていた。


 壁際から庭の真ん中にある壺へ、壁の穴からしか前が見えない状態で、何より貧しい少女が魔術を当てたのだ。

 驚かないわけがなかった。


 一仕事終えたとばかりに、少女の手がぽーんと庭に杖を放る。

 そしてこう言った。


「これでもう泣かなくてすむでしょ?」




 夜空に輝く星々をこの地上に落とすように、魔術の神はいくつもの才能をこの世界に生んだ。


 魔術師。この世界の超常を担う者。

 火、水、風、雷、土、闇も光も、魔力によってそのすべてを操る、天恵の賢者達。


 教会、商会、軍隊、そして宮廷。

 この世界の至るところで、魔術師は燦然と輝く選ばれし守護役だ。


 誰もがその栄光を掴めるわけではない。

 魔術を使うには、生まれ持った才能と魔力が必須。抜きん出た強い才能ほど、眩しく世界に輝く。


 しかしその一人が貧民街のぼろ着の少女だと、一体この世界に住む何人が気付くだろうか。


 その後も彼女は、壁の外で僕の魔術の講義を盗み聞きながら、僕の不出来が先生を怒らせ置き去りにされたとき颯爽と現れ課題を代わってくれる、まさに『救世主』だった。


 講義のないときも、庭先で練習する僕に、彼女は得意の魔術を見せてくれた。

 水も炎も風も雷も、彼女の魔術は先生が講義で見せるお手本より何倍も大きくて美しい。


 僕は初めて、魔術が綺麗なものだという感覚を持った。


 彼女の魔術は、最早子ども離れしているというレベルではない。すでに一人の魔術師と呼ぶに相応しいものだった。


 そんな彼女に、ある日僕はぽつりと漏らしていた。


「君は本当にすごいね。それに比べて僕、才能無いし覚えも悪いし根性ないし……このまま練習しても魔術師にはなれないって、自分でも分かってる。家族からも、誰からも必要とされない、価値のないダメ人間のまま一生を終えるんだ」


 悔しいわけでもない。うらやましいわけでもない。ただ、彼女の魔術があまりにも眩しくて。


 魔術の世界は弱肉強食の世界だ。

 力のない者も知恵のはたらかぬ者も、覚悟や出世欲の足りない者も、即座に潰され喰われていく。


 そんな世界が弱い僕の前に広がっているのだ。

 僕は自分の力で、自分の行く先を照らすことさえできない。 


 いつも道は真っ暗だったから。


 でも。


「ダメじゃないよ」

「え?」

「こんな場所で毎日耐えてる。なかなか出来ることじゃないよ。大人はすぐにあたし達に『自分はダメだ』って言わせたがるけど、そんなはずないじゃん。ダリオ、ここで毎日がんばってんだから」


 思わず、目を見張っていた。

 それは僕が今まで過ごしてきた世界の、どこにもない言葉だったから。


「あたしも、多分このまま一生魔術師になれないけどさ、ダリオもあたしのこと無駄だなんて言わないでしょ」


 そう彼女は続けた。


 はっとしたんだ。

 自分のことばかりで、他に壁に閉じ込められている人がいることに気付いていなかった。


 そうだ、どんなに魔力が強くてもこの人は……。


「あたし達は誰からも必要とされない者同士だね」


 あのときの彼女の言葉を、僕は生涯忘れない。


 僕らは二人とも、星の導きもない冷たい海に漕ぎ出す弱き者だった。


 彼女はこの世界を生きる、もう一人の僕。

 絶対に光に届かず人生を終えていく、闇の中の遭難者。


 目の前には、ただ、簡単に明日を踏みにじられるだけの厳しい世界が広がっている。


 どこまでも冷たい事実だった。

 僕はただ、彼女の言葉でその冷たい真実に気付いただけだ。


 でも何だか、それが嬉しくて。

 彼女がそう言ってくれたことが嬉しくて。

 初めて一人じゃないと思えて。


「望まれないのなんて上等。自分の人生を自分だけのものにできるんだよ。好きに生きてやろうよ」


 強がりとは思わなかった。

 厳しい環境に放り出された小さな君は、その言葉に生かされている。それが分かったから。


 僕に見える世界は未だ闇の中。

 でもあのとき自分の内側に、この心に輝き出したものは、誰にも消せない。今も消えないんだ。


 鳥が飛んだ。 

 僕はもう、その行方を目で追ったりしなかった。


 暗い海に、航路が開けていく。今まで生きたいつよりも、胸が高鳴って。


 この壁の中で初めて、僕は『自由』を感じられたんだ。


 


 そんな僕と彼女の日々が続いた、ある日のことだった。


「最近お前の魔術の腕が格段に上がったと、先生が褒めていらしたぞ」

「お前を領主様の御前試合に推して下さったのよ。しっかり励みなさい」


 数日間隔で顔を合わせる僕を前に、両親は喜色の色を浮かべてそう言った。


 久しぶりに目の前がグラグラ揺れた。


 彼女のお陰で何とか課題をこなせるようになった僕を、そうとは知らない先生は貴族の前で行われる魔術の大会に推薦したのだ。


 試合とは大会で行われる、魔術師同士の魔術の撃ち合いのことを指す。つまり対戦だ。


 そんなものに、壺割りの課題もこなせない僕が出るなんて。


「どうしよう……。僕の実力じゃ試合なんて絶対無理だよ」


 半べその弱い呟きが、昼下がりの庭に消えていく。

 すっかり相談相手となった壁の向こうの彼女は小さく、


「代われるもんなら、あたしが試合に出てあげるんだけどね」


 そう呟いた。


 それを聞いたとき。

 僕の頭に、わずかな稲妻が走った。


 彼女と僕の背丈と、髪の色はほぼ同じだった。


 ……そうだ、代われるものなら。

 彼女に、自分の力を存分に発揮できる機会を譲ることができるなら。


 そして、禁断の一言が、喉の奥からこみ上げた。


「じゃあ、僕の代わりに、君が――」




 今でも鮮明に覚えている。


 あの頃よりすっかり大きくなった手で、部屋の窓を開け放す。


 見上げた先には満天の星。天の川が見えていた。


 彼女とは、あのときからもう二十年も会っていない。


 彼女はあの後、僕のせいで……。


 静かに瞬く星に、今日も思う。

 この空の下、彼女は魔術師になっただろうか。いいやその前に、生きているだろうか。


 あれからずっと無事を願い続けている。

 それでも彼女のような人が、この世界で平穏に生きていくことは非常に難しいことを知っている。

 下手をすれば、成人するまでにこの世を去っているだろう。


 それでもまだこの世界に彼女がいるように感じるのは、あの日の贖罪を果たしたいこの心の弱さのせいだろうか。


 謝りたい。感謝したい。何より、もう一度会って伝えたいことがある。この身が今この姿であるのは――。


「失礼いたします、ダリオ様」


 ぎいと、部屋のドアが開かれる。

 伝達役の小間使いがそこに立っていた。

 思考の終わりの時間だ。


「お休みのところ申し訳ありませんが、レオナルド様がお呼びです。ダリオ様にお願いしたいことがあると」

「レオナルドが? 一体何だろう……」


 すっかり思い出にひたっていたが、急な呼び出しを食らってしまった。


 開け放した窓辺から離れ、部屋を出るために外套を引っ掛ける。

 視界のすみに、すっかり手に馴染んだ樫の杖が見えた。


 ……世界のどこかにいるかも知れない君へ。僕は魔術師になったよ。


 星が瞬いている。


 苦い思い出だった。

 今思い出しても、記憶の中のその声に震えてしまうくらい。冷たい思い出だった。


 でも涙の思い出の最後には、いつも君が現れる。僕をこの星の海に連れ出してくれる。


 それだけで――。


 友よ。彼方で常闇の海を渡る人よ。

 どうかその身に魔術の星の加護があらんことを。

 願わくはこの暗い海の真ん中で、互いの航路が再び交差するように。



 どんな伝説の再来よりも、僕はそれを待ち望むんだ。

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