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龍とたてがみとギャラクシア  作者: 雨野グッピー


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第18話 炎と機械人形

「見ーつけた」


 その声はまるで静寂に落ちた一雫だった。


 古城の中庭に隠された、秘密の石室に突然響いた若い男の声。


 それは一瞬、背後に立たれたのかと錯覚するほど鮮明に。

 少女達を狙う大男が撃ち出す魔術の隙間に、涼しい声はやけに大きく響いた。


「久しぶりに墓参りに来てみたら、どうやら過激な墓荒らしがいたようだ」


 その言葉に続いて、石室へ下りる階段に長い影が伸びてくる。


 大男は思わず、地下の少女達に浴びせていた魔術を止めて背後を振り返っていた。


 中庭から差し込む赤い陽が、石室を照らす魔導機構の緑の光と入り交じる。

 その夕陽を背に、石段に影を伸ばす者はゆっくりと足を前に踏み出した。

 階段を下りる靴の音が、カツカツと石室の中に高く響く。


 それに耳をすませる大男の背に、何故か一瞬。ほんの一瞬冷たいものが走った。

 しかし階段を下りてくる足音は止まらない。


 そしてその足音の人物はとうとう、石室の中に姿を現した。


 まずは城壁の外からやって来たことを示す、雨上がりの泥はねの跡を残した上等な長靴が。

 そして鮮やかな色のサッシュを巻いたその腰元が自分の目の前に現れるころには、大男はすっかり地下の少女達のことなど頭から飛んでしまっていた。


 階段の上の中庭から、凍る時を動かすように、庭木に降りるシギの鳴き声が聞こえる。


 中庭から流れ込む新鮮な空気も、悠久のときを流れた埃をため込むこの空間も、今はすべてが、迫る者に備えて絶えず震えていた。


 ……否、それは自分の腕の震えから来るものと、大男は次第に気付かされていったが。


 そして、


「おおっと!」


 ズルッと、自分のローブを踏んで、『彼』は階段の残り三段ほどを自ら転げ落ちてくる。


 大男は唖然としてそれを見ていた。

 その視線の先で、階段を落ちてきた男は頭をかきながら悠長に立ち上がる。


「イテテテ……決まらないなあ」


 石室を照らす魔導機構の光を鈍く受ける黒のローブ、磨かれた楓の杖。

 緩く巻いた髪が、男が整った顔を上げるとともにふわっと持ち上がる。


 大男はただ、杖を掲げることも忘れてそれを見ていた。


 その視線の先にいるのは、自分の身も自分で守れなさそうな優男。

 どうやら魔術師のようだが、一体何をしようとここまで来たのか。階段に打ち付けた己の腰をさするばかりで、ご立派な杖を構えようともしない。

 しかも先ほどのドジは何だ。顔付きも一見緊張感がなく抜けた印象を与える。


 しかしそのラピスラズリ色の瞳が、静かにこちらへ向いたとき――。


 地下へと開いた地割れ穴のギリギリに立ち、大男は侵入者に向けてやっと杖を構える。そして思わず吠えていた。


「な、何だ、お前? どうやってこの城に入ってきた? お前みたいな魔力、全然気付かなかったぞ!」


 現れた男……美しい顔立ちの彼は杖を片手に姿勢を正し、その言葉にさらに口角を上げる。


「そんな大層な魔力は持ってないさ。俺はただその棺に花を手向けに来た、しがない旅の魔術師なんだ。どうかその場所を譲ってもらえないかな?」


 困り顔に笑みを浮かべて、そう呟いた。


 大男の歯がガチガチと鳴る。

 彼はその音の原因を次第に理解しながら……否、その原因に今からとって食われることを青い瞳にじわじわ知らされながら、それでも最後の矜持から侵入者に向けて杖を振り上げた。


「ほ、炎よ!」


 その言葉の先にたたずむ魔術師は微笑みを崩さぬまま。

 その目はただ、大男が背にした地割れの先に見える、美しい石の棺だけに向けられていた。




 落とされた地下から階上を見上げ、もれ聞こえる声からその様子を観察していたソルは、


「出口を……」


 燃えるような熱さに達していた魔導書を閉じ、唐突にそう呟いた。


「え?」


 ソルの後ろにくっついていたローサが目を見張る。

 そして言葉を言い終わる前に自分を囲む地下室の壁という壁を猛然と調べ始めた縮れ髪の少女に、何事かと首を傾げた。


「このままここにいたら、私達も危ない。……足下の景色の一部になるかも」


 言いながら忙しく部屋を歩き回るソルの言葉に、お下げの少女は改めて自分の足下に視線を落とす。


 そして今になって『それ』に気付いたのか、顔を青くしながらその場に跳び上がった。

 さっきまで己が踏みしめていた物を見て、声にならない叫びを上げて。


 その様子に構わず、足下に無数に転がる白い骨を蹴散らしながら、ソルは地下室の壁を急いで叩いて回る。


 ローサは己の口に手を当てその光景に固まってしまっているが、階段の仕掛けを解くときに見た記憶の断片から、ソルにはある程度予想がついていた。


 美しい魔導機構と棺を戴くその空間の下に、この陰惨な光景が隠されていることを。


 しかしこれでも少ない方だ。

 足下に十数人分ほど転がる、恐らくこれはここに迷い込んだ盗賊か何かの骨で、この城が隠している骨はもっと多い。

 たがらこそ早くここから出る必要があるのだ。


 ここに最早光明はない。

 まるで少女達の窮地を救うかのように、突然石室に現れたあの男。

 恐らくソル達が中庭に出る前に聞こえた爆発を起こした者だろうが、その正体が何者であろうと危険過ぎる……。


 先ほど彼は、久しぶりにここに墓参りに来たと口にしていた。

 ということは彼はこの城に関係のあった者だ。肖像が切り裂かれ、地下に骨が転がるこんな城に。

 つまりまともな人間ではない。


 ……そして何より。何より彼から感じる魔力だ。

 大男は、近付いてくる彼の魔力に気付かなかったと言った。もちろんソルもだ。

 今の今まで、あんな魔力の持ち主が近付いているのにまったく気付かなかった。


 それは当然だ。彼が隠していたからだ。

 溢れ出す狂気のような力を、ごく弱い水準に抑えて。

 そして今は、その一部をわざと垂れ流すことによって対する敵を煽っている。……戦意ではない。その恐怖心を煽っているのだ。


 ここに籠る空気に落ちてくる、わずかな魔力の粒子が教えてくれる。

 彼の魔力の質、そしてその本来の大きさを。


 ……吸い込むだけで、まるで胸に氷柱を突き立てられるような感覚だ。

 あんな魔力を放つ者には、今まで一人として会ったことがない。


 縮れ髪の少女は、小さな手で壁という壁を探る。

 この地下はもっと広く、城の下を縦横に伸びているはずだ。

 この地下室の出口さえ見つかれば、この場はなんとか……。


「あった……!」

「ソル?」


 涙声のローサの言葉を背に、縮れ髪の少女は再び魔導書を開く。

 迷っている暇はない。


 ソルが対面する灰色の壁には、うっすらと切れ目が。過去その場所が開かれたことを示す跡があった。


 秘密の階段を開いたときと同じように、ソルは過去の記憶を拾って隠し扉の仕掛けを解く。

 ガラガラと音を立て、ただの平面を装っていた石の壁が奥にずれていった。


 地下室に開いた横穴を前に、ソルはローサの手をひく。


「今のうちに行きましょう」

「え!? あの男の人は? いいの?」

「彼が私達の味方とは限らない」


 言いながら現れた横道へとローサを引き入れ、自分もまたそこに入っていく。

 そしてその場を去る前に一度だけ、胸を刺す膨大な魔力の持ち主がいるであろう階上を見上げた。


「……彼からしてみれば、私も墓荒らしでしょうからね」


 階上から下りてくる魔力の粒子は、相変わらずソルの頬をピリピリと刺激する。


 あの大男は多分……数分も持たないだろう。いや数十秒か。

 とにかく今はここを離れなければ。


 ローサの手を引き、ソルは半ば駆けるように現れた地下道を抜けて行く。


 ……走り去る少女達より一拍遅く、閃光は階上の石室を白く染め上げた。





 石室の中を一度雷光が閃き、すぐにその場は静かになった。


 バチバチと、魔術の残滓は彼の杖の周りを舞うように落ちていく。


 どさりと、大きくそれなりに柔らかさを持った『何か』が下に落ちる音が響いた。


 その上から、


「落としたか……」


 楓の杖を床につく黒ローブの魔術師の、抑揚のない声が地下に降り注ぐ。

 地下に落ちた大柄な者の沈黙が、最早破られることもないだろうということを確認しながら。


 そして、その沈黙を作り出した者は改めて地下全体の様子に目をとめると、


「あれ? あの二人は……」


 さっきまで感じていた魔力が二つ、その場から消えていることに気付いた。


「どこに行ったのかな」


 呟きながら魔術師は石室の中に視線を戻す。


 そこには地割れのギリギリでこの階に残された、翡翠色の棺があった。

 墓参りの前に()()()あったが、どうやら棺は無傷で済んだようだ。


 地割れを飛び越え、彼はやっとその棺と対面する。


 杖を片手に跪き、その手でその蓋の上を撫でようとして……彼はそこに手向けられた二輪の野の花の存在に気付いた。


 年月の降りた棺桶の上に、今を刻むように置かれた瑞々しいそれに、青年はわずかに目を開く。

 棺に伸ばそうとしていた手を戻し、可憐な白い花に目を落とすと、彼はその青い瞳を静かに瞬いたのだった。





 沈黙の機械人形と自分を追い詰める小男の狭間で、ピエドラは己の杖を握りしめていた。


 聖典を持つ男との、ある意味必然の出会いと追いかけっこは終わり。

 魔女は悪魔城の一室、不気味ながらくたを集めた物置に追い詰められてしまっていた。


 その戸口に立つ小男は血走った目で魔女をとらえ、バシバシと指を叩き付けるように魔導書のページをめくっていく。


「捕らえた女達の中に怪しい動きのある者がいるとは聞いていたが、まさかお前みたいなのを紛れ込ませていたとはな……」


 なるほど。このみすぼらしい格好の魔女をどこの回し者と思って追ってきているのか疑問だったが、どうやらピエドラはこの城に前もって潜入していた何者かと勘違いされたらしい。

 この格好は変装でも何でもないのだが。


 先の崖下の爆発を起こした謎の侵入者といい、潜入者疑惑といい、どうやらこの城の中ではピエドラの預かり知らない闇の世界の闘争が繰り広げられているようだった。


 そのいざこざにピエドラは何ら関わりもないし、関わり合いになるつもりもなかったが、今はそれをこの小男に宣言しても仕方がない。

 この男にとって、ピエドラは完全にさっきの爆発を起こした謎の侵入者の仲間。どこかの組織の一員ということになっているのだ。


 戸口に立つ小男は額に青筋を浮かべたまま、魔女を滅する呪文を唱えようと口を開きかける。


 しかし、


「な、何だ?」


 ヒュルヒュルと自分を拘束する縄のように飛んできた得体の知れぬ存在に、そしてその冷気に、彼は慌てて顔を上げた。

 聖典の番人の老人が、精霊の体を使って小男の体をすり抜けのだ。


 一瞬だが小男の気がそれた。


「風よ!」


 この土壇場で何とかピエドラの魔術も成功する。

 風の弾は戸口に立つ小男を吹っ飛ばし、後ろの部屋の中まで彼を突き倒した。


 その隙に、中庭に出る扉の前へ戻るべく、ピエドラは倒れた小男の脇を抜ける。

 ついでに彼の手から吹っ飛んだ聖典ギャラクシアも回収させてもらった。


 これさえあれば、ソルはこの城で最早敵なしになるはずだ。

 早く合流して、彼女に聖典を渡さなければ……。


 ズッシリとかさばる魔導書を抱えて、ピエドラはここまで逃げてきた道をひた走る。


 それにしても聖典ギャラクシア。持ってみると結構な重量だ。あの少女はこんな重い物を抱えていたのか……。


 心の中でそんなことを呟きながら戻ってきた廊下は、ピエドラを追いながら小男が放った火の魔術が燃え移ったのか、辺りは一面炎に染め上げられてしまっていた。

 魔女が目指していた中庭に続く扉も、今や業火に包まれ通れなくなっている。


「そんな……」


 ここを越えればソルと合流できるのに……。


 ピエドラがまともに使える魔術は風の魔術だけだ。

 これがもし広い場所だったら、それで何とかこの火を吹き消せたかも知れない。

 しかしこんな袋小路で風の魔術なんか使ったら、逃げ場のない空間で炎がさらに大きく燃え上がるだろう。


 ……ソルと合流できないばかりか、これでは二重の窮地だ。

 ピエドラが逃げなければならないのは小男からだけでなく、この身には今や炎も迫っているのだ。


 中庭に出ることは諦め、魔女は急いで城主の絵が飾られていた広間の方へと切り返す。

 ここまで来ておいて残念だが、今はこのまま城に入ってきた道を戻るしかない。


 ……しかしそのとき魔女の背後から、異様な音が聞こえてきたのだ。


 ドシンドシンと、何かが大きく規則的に石の床を振動させる。

 駆け出そうとしていたピエドラは恐る恐る、背中の方を振り返った。


 ピエドラが先ほどまで追い詰められていた物置部屋。そこに寄りかかっていた巨大な鉄の機械人形。

 ……その機械人形には何のためか首元に大きな穴が開いていたが、その穴はどうやって使用するのか、今まさに小男が目の前で実践してくれていた。


「待て、薄汚い権力の犬が……」


 廊下へ続く部屋の戸をくぐり、巨体を揺らしながらこちらへと歩いてくる機械人形の上から、渾身の恨みを込めるように男が呟く。


 逃げなければならないのに、魔女は思わずそれを凝視していた。


 機械人形の上に、小男が乗っていた。

 まるで彼が機械人形の頭となるように肩から上を鉄の体の上に出し、手元で何かレバーのようなものを操作して人形を操っている。


 まるで小男を頭から生やした巨大な鉄の甲冑が、生命を与えられて動いているかのようだった。


「嘘……」


 迫りくる炎を背に、機械人形と一体となった男は血走った目でこちらをとらえる。


 長らく捨て置かれていたその身の始動を喜ぶように、鉄の装甲の手足の継ぎ目からバチバチ火花が散った。

 そして人形は巨大な体躯で魔女を威嚇するように、炎の中で大きく腕を上げ咆哮の体勢をとる。


「うそお!!」


 久しぶりの心からの絶叫とともに、魔女は廊下を遮二無二走り始めた。


 ドスドスドスドスと、普通に生きていれば聞くはずもない追跡の音が後ろから迫ってくる。

 人間ではあり得ない恐ろしい歩幅で、鉄の巨人は一気に距離を詰めてきていた。

 そして、


「潰してやる、このアマ!」


 鉄の腕の横なぎが魔女の背を襲った。

 間一髪で、ピエドラは前に跳んでそれをかわしたが……。


「ギャラクシアが……!」


 魔女の腕から聖典がすっぽ抜ける。すかさず機械人形がそれを拾い上げた。


 そして再び小男の元へと渡った聖典に、しかしピエドラはもうその様子を振り返る余裕もない。


 男が聖典を拾い上げる間に、やっとのことで魔女は廊下を走り抜け広間へとたどり着いた。そしてさらにその先の廊下へ戻ろうとして……。


 ピエドラの鼻先を小男が放った火の玉が飛ぶ。

 魔女が行こうとしていた廊下は、あっという間に炎でふさがれてしまった。


 追ってきた人形の上で、魔導書を構える小男の唇が笑う。

 そうだ。今やあれはただの鉄の巨人ではなく、魔術を放てる鉄の巨人に変わってしまったのだ。……万事休すだ。


「……風よ!」


 ピエドラは慌てて、火の壁を吹き飛ばそうと焦る手から風の魔術を放つ。

 しかし風の魔術は炎の中に吸収され、火はいよいよ大きく燃え上がった。


 ……そう言えば昔、教え子をすぐに杖で脅す壁の中の魔術の先生が言っていた。


 炎の魔術を得意とする者と、水の魔術を得意とする魔術師がいたとする。

 この二人が戦うとすると、これは一見、炎を水で鎮火させられる水の魔術師の方が有利に見える。


 しかし二人の間に魔力の差があった場合。


 相手の炎の魔術の方が大きく、その性質の再現にも優れるならば、水の魔術は焔に触れる前にその熱で蒸発させられてしまう。水の魔術師の方が負けるのだ。


 同じように、風の魔術を得意とする魔術師でも、魔力が高ければ炎の魔術師に対抗することができる。

 そう。魔力が相手より高く、より強度のある魔術を使うことが出来れば、風は炎に負けない。逆にそれを吹き消す。


 ……しかしそれが出来なければ風はただ炎をあおり、吸収されるのみだ。


 今の、焦りまくっているピエドラでは、聖典から放たれたこの炎を消すことなど到底無理だ。

 行く手をふさぐ、燃え上がる壁を越えることはできない。


 最早ピエドラに残された道は一つだった。広間の階段を上がるしかない。


 ピエドラの背まで迫っていた機械人形が、また鉄の腕の一閃を振るってくる。


 それをかわし、悪あがきのように風の弾を機械人形に向けて放ちながら、魔女は優美に湾曲した豪奢な階段を駆け上がっていった。


 小男はすぐにそれを追ってくる。

 逃げる魔女と鉄の巨人の追いかけっこを、広間の真ん中の肖像画だけが切り裂かれた顔で見送る。


 二階の天井すれすれに頭をくっつけながら、鉄の巨人は相変わらず床を踏み抜きそうな勢いで魔女の後ろにくっついてきていた。


 そしてどこをどう逃げたか。


 鉄の巨人の腕が伸びる。ピエドラの首根っこをつかもうと伸びてくる。


 すんでのところで魔女はある部屋の中に入り、大急ぎで閉めきられていた窓を開け放った。

 そして一か八か、窓枠に足をかけながらほんの目と鼻の先のとなりの棟の屋根を見据える。


 向こうへ飛び移ってしまえばこちらのものだ。

 あの人形の大きさでは肩がつかえて窓枠を越えられまい。


「落ちませんように……!」


 下は見なかった。

 一度固く目をつぶり、ピエドラは一気にとなりの屋根に飛び移る。移った先でグラグラと体勢を崩しかけたが、何とかその場から落ちずにすんだ。


 案の定、小男の乗る機械人形は窓枠で引っ掛かっている。

 小男は一度こちらを睨んだが、すぐに窓から身を離した。


 何だ? あの様子だと窓枠を突き破ってでもこちらへ来るかと思ったが……。


 はあはあと息を整えながら、ピエドラは窓の奥へと去っていく機械人形の背を眺める。

 どうやら窓を通っての追跡は完全に諦めたらしい。


 呼吸を整える魔女の視線の先には、下の階の窓の隙間からモクモクと上がり始めた黒い煙が見えていた。

 飛び移ってきた向こうの棟を、じわじわと階下から炎が蝕んでいるのだ。もうあちらには戻れない。


 ピエドラの見据える先。潮に風化し足下でボロボロ削れていく屋根の向こうには、この城の象徴である天を刺すような尖塔がそびえていた。このまま行けば尖塔を支える石のアーチからその中に上れるだろう。


 ピエドラは屋根伝いにそちらの方を目指して歩いていく。


 あの尖塔に続く階段か梯子から下の階へ下りられるはずだ。

 去っていった機械人形の行方は気になるが、まだピエドラを追いかけてくるつもりなら今のうちに早く下まで下りなければ。


 しかし、魔女が屋根伝いに尖塔にたどり着くと同時に、


『ピエドラ、まずいぞ!』


 聖典の番人の老人がようやくピエドラに追いついてきた。そして渾身の力で魔女の身に迫る危険を叫ぶ。


 ピエドラがたどり着いた古城の尖塔。その下の階からは、ここへ続く螺旋階段を猛然と駆け上がってくる巨人の足音が聞こえ始めていた。


「早くない……?」

『どうやら機械人形の魔導機構をオーバーヒートさせたようじゃな。全速力でお前さんを追ってきておる』

「限界突破してまで追ってくる価値がこんな魔女にある? 権力の犬だの何だの……あの誤解、解いとけばよかった……」


 最早絶望の色も浮かばぬ真顔で、魔女は螺旋階段から顔を上げた。

 ぼーんと、派手に階下を突き破ってくる鉄の腕、吹き飛ぶ石の建材とともに、機械人形がピエドラと同じ階へと姿を現す。


 その巨体は炎にまかれたのか、それともオーバーヒートのためか、今や真っ赤に焼けただれていた。


 その上で、煤で顔を汚した小男も叫ぶ。


「もう逃がさんぞ! 汚らわしい魔女め!」


 ピエドラはまたしても、上に行くしかなくなった。

 目の前にあった梯子に飛び付いて、尖塔の上を目指していく。

 番人の老人が再び男に取り付いて、時間を稼いでくれていた。


 しかし時間稼ぎは時間稼ぎに過ぎない。

 梯子を上に上っていく魔女に、何らの勝機があるわけでもない。


 梯子を上りきり、ピエドラは丸く開いている階下との隙間から小男を見下ろす。


 ……いよいよ最後だ。この塔の頂上まで追い詰められた。


 梯子の下からピエドラを睨んで、老人の妨害に喘ぐ小男が聖典を開く。


 ピエドラもとうとう、杖を構えた。

 まだ高い位置にある夕陽が、空の斜から魔女と機械人形を照らす。


 機械人形は梯子を上がれない。ここからは互いの魔術の勝負だ。


「風よ!」

「炎よ!」


 ピエドラにごく近いところで、魔女の風の弾に当たった相手の炎の弾が大きく爆発する。

 撃てば炎に吸収されてしまう風の魔術しか使えない不利を、まざまざと見せつけるように。


 徐々に炎にまかれていく尖塔の上。

 ピエドラは聖典を手にする人買い魔術師と、心ならずも決闘に臨むことになってしまった。


 青白い光の塊のような聖典の番人はただ、夕陽も映らぬその瞳で、みすぼらしいポプラの杖の持ち主の圧倒的不利を呈す勝負の行方を見守っていた。

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