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龍とたてがみとギャラクシア  作者: 雨野グッピー


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第16話 入城と地下墓地

「こんな城なんて聞いてないわよ……」


 噂の悪魔城を近くに見る海岸松の林の影で、ピエドラは忙しく木の幹から顔を出したり引っ込めたりしていた。


 娼館街からここまで、旧友の手を借りその婚約者に助けられ、奇跡も重なって、正直思っていたより何倍も楽にたどり着けたと思う。


 しかし……。


 幅広の川を集めた内海の淵を支配する、絶壁の悪魔城。

 たどり着いたその城があまりにも大きすぎる。


 崖がそのまま隆起して城になっている。そう錯覚させるほど、岩肌と馴染んだ堅牢な要塞だ。

 城郭の下はほぼ垂直の崖。

 尖塔を持った巨大な棟が手前と奥で合わせて二つあって、ここから見ると奥の棟は霞むほど遠い。同じ敷地内で二つ城が組み合わさったみたいな広さだ。


 そして広大な城壁に対して、正面に見える入り口は細い石畳の道が一本だけ。

 外敵に備えた完璧な造りに思わずため息が出る。潜り込むための穴一つない。


 その威容が、まだ城に入ってすらいない魔女を、既に悲嘆の海に叩き落としてくれている。


 前に見張りが立っているとかではないが、城壁は高くその中は未知の領域だ。踏み込めば二度と出てこられないかも知れない。


 ……ほんとにこの城なの? と、弱く情けない呟きが唇から漏れる。

 踏ん切りがつかず、魔女はしばらく木陰から出たり入ったりしていた。


「どうしよう……」


 ひとしきり困り果てて、目の前の空気に弱々しく呟いたそのときだった。


『敵の本拠地の真ん前まで来て「どうしよう」とはな』

「うわあ!」

 

 聞き覚えのある、脳に直接響くようなその声。肌に感じる何とも言えない冷気。


 見ればいつの間にか、聖典の番人の老人がすぐ側の木陰に立っていた。


 青白く輝き、景色を透かす異国の着物姿。ふさふさの眉と髭。少し呆れたふうな口調とは裏腹に、魔女を見つめる瞳には世間の人のような険はなく。


 なんだかずいぶん久しぶりに感じるその姿に、思わず力が抜けてしまう。

 驚きと安心半々の間の抜けた顔で、魔女は怒らせていた肩を下ろしていた。 


「どうしてこんな所に……」

『言ったじゃろ。ギャラクシアの周辺ならある程度動ける』


 そうか。聖典ギャラクシア。

 もしかして人さらい達は、ソルを誘拐する途中で聖典だけ捨てたのではないかとも思っていたが、一緒にこの城まで持ってこられていたらしい。


 ピエドラに降りかかったすべての災厄の元凶と言えど、聖典の番人の老人が無事だったのは何よりだ。

 生きた人間ではないが、やっと見知った者に会えた。


 しかし同時にそれは、確かにここが人さらいの根城であるという証左でもあった。

 あのソルから……世紀の天才魔術少女から聖典を取り上げて誘拐してしまえるくらいの大組織がここに座しているのだ。


「聖典が近くにあるってことは、ソルもこの近くにいるのね」

『いいや。ソルは聖典とは別の場所じゃ。この城の奥の建物に連れていかれた』

「そう……」


 どうやらソルは聖典と引き離され、老人の声も届かない城の奥に捕らわれているらしい。

 やはりことは一刻を争うようだと、ピエドラが一人静かに覚悟を固めていたら……。


『……連れていかれたが、ソルはとっくに捕らえられていた牢獄から脱出したようじゃ。城を歩き回っておる』

「いや天才か。じゃああたし来たの余計なお世話だったの……?」

『いいや。魔力を感知する限り城からの脱出には苦戦しておるようじゃ。自分だけでなく、捕まった女全員と共にここを脱しようとしているのかも知れない。……なにせそれが大所帯じゃからな』


 どうやらソルはピエドラが思っていたよりずっと勇敢で、城の内部は魔女が思っていた以上の混沌に包まれているらしい。

 今まさに、この城の中では人さらいに捕まった女達の逃走劇が繰り広げられているのだ。


 ……ソルの行動に、教会で会った一夜以上驚かされることはないと思っていたが、改めて度肝を抜かれる。


 聖典もないのに脱獄を成功させ、自分のみならず他の虜囚をも脱走させようとしているとは……。

 最早一人の子どもの話ではなく、古の英雄の冒険譚でも目の当たりにしているようだ。

 すべての行動が鮮やかで、大人であるはずの自分はまともに心配すらさせてもらえない。


 しかしその逃走もまだ完成していないと言うのなら、まだピエドラがこの城に入る意味もあるはずだ。

 ソルが追われているというのなら、自分は敵を分散させるための囮くらいにはなれるだろう。


 ……とにかく今は加勢が必要だ。それは分かっているけど。


 相変わらず松の木の影で考えを巡らす魔女に、番人の老人は少しだけ眉をハの字に下げた。


『ソルを追ってくるにしても、この城に正面から挑むとはな……』

「仕方ないでしょ。城なんて来たことないんだから。裏口があるんなら教えてほしかったわよ」

『まったく……』


 番人の老人が呆れたように顔を伏せた。

 ふさふさの髭をモゴモゴさせながら彼は小言を続ける。


『正面から入れば、お前さん一人でそこにいる敵すべてを相手取ることになる。何か、大きな陽動でもなければ……』


 そのときだった。


 ドーンと一度、崖の下の方からかなり大きな音がした。空気が即座に乾いた衝撃を伝え、地面が揺れる。


 しかし落石や崖崩れが起きたわけではなさそうだった。

 轟音と同時に、海面の近くから煙が上がってくるのが見えた。


「爆発した……?」

『お前さんの他にもう一人侵入者がいるようじゃ。水路から舟で城に入ったらしい』

「ええっ?」


 崖下を眺めて得心がいったように頷く番人に、驚きながら魔女は木陰を出る。


 侵入者? ピエドラの他にもこの城に乗り込む動機を持った者がいるのか。

 しかも同時に城に潜入をはかるとは。いや、こっちはこれから入るとこだけど……。


『城の構造を熟知しておるようじゃな。お前さんとは大違い』

「……賢い侵入者ってことね。けど、どっちにしろ爆発のせいで敵が集まってくるじゃないの」

『その通り。だから今の内じゃ。見張りはさっきの音の方に集中する。お前さんも中に入れるはずじゃ』


 お前さんも、とは何だ。

 まあいい。突っ込んでいる場合ではない。

 何だか城の中では様々なことが巻き起こっているようだが、それなら本当に今の内だ。

 賢い侵入者が何者かは知らないが、愚鈍な侵入者の方はこの機を逃すわけにはいかない。


 今度こそ大きく息を吐いて覚悟を決めて、ピエドラは杖を構え、城の正門へと走っていく。


 番人の老人の青白い目は、ただ静かにその背に視線を注いでいた。

 本来ここに来るはずもなかった、ひ弱を自覚するその背に。


『戻ってきた……。木陰に隠れるほど、己を無力と知っていても』


 景色を透かすシワだらけの手が、そっと長い髭をすく。


『運命は思いがけない者に、か。ピエドラ、もしお主にその運命が開けるのなら……』


 海風にかき消される言葉は、今は誰のもとにも届くことはない。


 ピエドラはただ、道の先に現れた目の前の城門を。

 押し開こうとして魔術を使い失敗し、物音に気付いて出てきたごろつき風の男を奇跡的に暴発した魔術で倒し、何とか城の中へ入っていく。


 その様子を離れた位置から風の流れで読んで、老人はそのポプラの杖の持ち主に、そっと後から追随していった。





 気味の悪い二階の探索によって魔導書を手に入れたソルとローサの二人はその館の一階に戻り、中庭への出口を探して長い石の廊下を進んでいた。


 この建物の裏は海。故に脱出のためには、この城の中庭を通って正門の方へ行くしかない。


 二人は廊下の彫像の台座の影に隠れて進み、無闇に敵と接触することは避けるが、確実に廊下を歩く男の数が増えているのが分かる。

 男達はランタンを高く掲げながら、ときどき振り返っては回りをキョロキョロ。明らかに警戒態勢だ。


「一生懸命私達を探してるみたいだね。……魔力のない相手に魔術を撃つのは気が引けるけど、いざというときは仕方ないかも」

「……」


 ソルのその発言に、ローサが横から疑いの目を向けてくる。本当にそう思っているのか、と。

 魔術で防御できない相手に向かって魔術を撃ち込むのはフェアではないし気が引ける、というのは本心だったが、そんなに覚悟の決まった顔をしてしまっていたか。


 隠れながらさらに廊下を進んでいくと、先ほど自分達が出てきた地下牢の入り口に男達が集まっているのが見えた。

 しゃがれ声の女達の安否は不明だが、女が逃げたことは城中に広がり、地下牢は再び人さらい達に制圧されてしまったらしい。 


「どうしよう、ソル……。もうあたし達だけかも」


 かたわらでローサが弱く呟く。

 しばらくの間、ソルも台座の影で黙考していた。


 しゃがれ声の女達の安否は気になるが、今は逃げ道を探すことが最優先だ。


 魔術を使えば見張りは倒せる。しゃがれ声の女達も取り戻せる。

 しかし大勢の女達の命を背にしている以上、魔導書を持っているからといって迂闊なことはできない。


 安全な逃げ道が見つからなければ、見張りを全員倒して正門から堂々と脱出するという手段も考慮に入れなければならないが、それは最終手段だ。

 あまり派手なことをすれば精強な増援を呼ばれる恐れもあるし、敵がなりふり構っていられなくなり、貴族に売る『商品』であろうと女達の命を奪いにくるという可能性も考えられる。


 一人でも口がきける状態でここから逃がせば、貴族相手の人身売買が世間に露呈するのだ。逃がすくらいなら生かしては帰すまい。


 人さらい達、並びにその上にいるだろう黒幕貴族の油断を誘うために、今はまだこちらが無力だと信じさせておきたい。


 しかし地下牢の前に立つ男達は、辺りを警戒したまま頑として持ち場を動かない。

 二人の少女に緊張が走る。

 いよいよその前に躍り出ていって、魔導書の力で道を開かねば打開策はないかと二人が意を決したそのときだった。


「な、何? 地面が揺れてる?」

「……」


 少女二人が屈み込む床を震わせる、ドシンという地鳴り。

 同時に何かが破裂するような音が壁の外から鈍く響いたが、それはこの地鳴りを引き起こした原因が遠くにあるだけで、実際異変の側ではかなりの轟音が鳴ったことが予測された。


 何事かと、明かりを持った男達が次々外へ走っていく。

 地下牢の見張りも持ち場から動いて、ついでにこの建物から中庭に出る扉も開けっ放しにしていってくれた。


 男達の後から、少女二人もそっと中庭へと足を踏み出す。


 男達が駆けていく真ん中の太い道を避けて庭木の影に入り、背を低めて茂みの間を縫っていく。

 そして正面の城郭の方へ、辺りに気を配りながら進んでいった。


 ときどき二人の側を、先ほどの物音の方へ猛然と駆けていく男達が横切っていくが、音の方に注意を引き付けられているのか少女達にはまったく気付かない。

 音の正体が何であるにせよ、これは好機だ。一気に正門の方まで近付けるかも知れない。


 ガサガサと木の枝や葉っぱを髪に引っかけながら、二人が庭の中程までやってきたそのときだった。


「うわ!」


 段差を踏んだのか、ローサが茂みの中で片足をずぼっと地面に突っ込む。

 彼女の左足の下には、茂みに隠れた四角い溝があった。


 ローサが足を突っ込んだとき、側面に張り付いていた苔が落ちて、そこから白い石の段が姿を現している。

 しかし溝を下りていくその石の段は三段で終わっていて、その先は周りの地面と変わらぬよう埋め立てられていた。


 かなり不自然な終わり方をする階段だが、常人なら先に進めないただの段差だと放っておくところだろう。実際ローサもそうしようとして、


「待って。道とは思えない場所が道だってこともある」


 何かに気付いた様子のソルにそう止められた。


 驚くローサの目の前で、縮れ髪の少女はさっと溝の中に下りる。

 三段で終わった石段に目をこらし、表面に生えた苔を削ったり、段の上に手をかざしたり、最後には埋め立てられた階段の下でピョンピョンと飛び跳ねたりした。


 その様子に不安になったのか、ローサが恐る恐る声をかけてくる。


「ど、どうしたの、ソル? この階段何かあるの?」


 のぞきこむローサの下で、ソルはなおも苔むした石段を眺め思案していた。


 これだけの規模の城だ。堅牢な城門を通らずとも、どこかに城主を逃がすための抜け穴があってもおかしくはない。

 この不自然な階段には、多分続く道がある。跳んでみた感じ、階段の下は埋め立てられているのではなく、石の板で塞がれているようだ。


 しかし腕力で開閉させる仕掛けではない。

 この場に堆積したものに付いたわずかな魔力の破片から、昔何人も魔力のある人間がこの階段を通ったことがうかがえる。

 故にこれが魔力を使う仕掛けということは分かるが……。


 一つ息を吐き、ソルはなおも自分をのぞきこんでいるローサに目を向けた。


 ……消耗を厭えば、背負っているものなど簡単に失くす。今は全員でこの城を出るための、安全な抜け道が必要なのだ。


「……少しだけ集中させて」

「な、何するの?」

「昔この場所を通った人と、魔力を介して記憶の共有をするの。かなり断片的で不鮮明な視覚情報しか拾えないけど」

「何でもできるんだね、ソルは……」

「なかなか濃い人生を送ってるからね」


 言いながらソルは魔導書を石段につけ、さらにその魔導書に自分の額をつける。


 過去の人との記憶の共有。これは一生修練したとしてもすべての魔術師が習得できる技ではない。

 その場に残ったわずかな魔力の残滓まで感知する、極めて研ぎ澄まされた感覚と集中力が必要だ。それに生半可な魔力の持ち主が行おうとすると、何日も気を失ってしまうくらい気力と精神力が疲弊する。

 使う必要がないなら、なるべく避けた方がいい技だ。


 そして……。


 しばらくして、縮れ髪の少女はゆっくりと魔導書につけていた頭を上げた。

 しかし頭を上げた後、どこか呆然と宙を眺めるその顔の険しさに、心配したローサが溝の上から駆け寄ってくる。


「ソル?」

「仕掛けの解き方が分かった。分かったけど……」

「どうしたの?」


 見つめる視線に、ソルはただ沈黙を返す。

 この階段の仕掛けの解き方は分かった。


 しかしそれと同時に見えたものが、断片的で不鮮明であったにも関わらずあまりにも酷で……。ソルはお下げの少女にそれ以上語るのをやめた。


 代わりに、


「このお城はやっぱり危険だってこと」


 小さな手で魔導書を広げながら、宙に向かってそう吐き捨てた。




「うそ、これホントにあの中庭の下なの?」


 後ろから差し込む弱い夕陽を背に石段を下りてきながら、お下げの少女は呟く。

 先に下に下りていたソルは、その先に待っていた部屋の様子を見て、構えていた魔導書を閉じた。


 あれからソルは、記憶の中の先人がそうしたように、火、光、雷の魔術を順番に石段に当て、それに反応して開く仕組みになっていた石の板を動かした。

 そして板の先からは予想通り、地下へと続く階段が現れたというわけだ。


 初めて見る魔導機構の仕掛け扉にローサは目を丸くしていたが、仕掛け自体は魔術を使う順番を知ってさえいれば解ける単純なものだった。


 そして中庭から秘密の階段を下りた、二人の少女の目の前に現れたもの。


 それは部屋自体がほんのり明かりを灯す、広い石室だった。


 魔導書で明かりを灯そうとしていたソルも、後からやって来たローサも、思わずその光景に嘆息しそうになる。


 幻想的な薄緑色の光に包まれた、そこは部屋と言うより神殿のようだった。


 石室の一番奥に設けられているのは、緑色の穏やかな光を放つ魔導機構。

 教会のすみに置かれている小型のパイプオルガンのような見た目をしている。

 構造は簡単で、動力のある四角い箱部分から蓄光性能のある水晶の筒が何本か伸びて、この場を明るく照らしているのだ。


 あの魔導機構は、まさにそれだけの目的のためにここに置かれているようだった。

 この秘密の石室に明かりを供給するためだけに。


 ――そしてその明かりが暗闇から守っているもの。

 魔導機構の前には、打ち捨てられたように一つ、古い棺が置かれていた。

 珍しい石造りの棺で、蓋は閉じたまま石室の床の上に置きっぱなしになっている。


 棺自体は古いから、故人が入っているとしても最近亡くなったわけではないだろう。中庭からここへ続く石段は苔むしていたし、しばらく階段の仕掛けが開かれた様子もなかった。


 亡くなってから時間が経っているとすれば、それなのに地面に埋めずに秘密の石室に放置されていることになる。一体あれは何者が入った棺なのか。

 ソルはそっと、涼しい気配を放つその棺まで近付いていく。


「きれいな棺桶だね」


 屈み込んで棺を眺めながら、となりでローサも呟いた。

 本物ではないだろうが、濁った白い石の棺は翡翠によく似た色で着色され、蓋には花の模様も彫り込まれている。


 ローサがその凝った造りの棺に感嘆したのもつかの間。その棺をともに見下ろしていたソルは、おもむろに……そして結構無遠慮にコツンコツンとその美しい蓋を叩き始めた。

 ローサはじとっとした目でその行動を見守る。


「『中身』が入ってる。開けるのは止めといたほうがよさそう」

「……そりゃそうだよ」


 呆れ顔でローサが肩を落とす。


 そして彼女は棺に無礼をはたらく同行者から視線を外すと、外の空気と一線を画す、その静謐な空間をゆっくり見渡した。 


「ソルが頑張って仕掛けを解いてくれたのに、行き止まりだったね。他の道を探さなきゃ……」

 

 そのままその場から立ち上がろうとして、ローサはもう一度棺に目をとめると、


「……女の人だと思う」


 出し抜けにそう呟いた。

 その言葉に、棺をコツンコツンやっていたソルは少しだけ驚きながらローサの顔を見る。


 棺の装飾からすれば、故人の性別は彼女の言う通り女性である可能性は高いが……。


 そして何か思いついたのか、ローサは「ちょっと待ってて」と言うと、急いで先ほどの階段を上がっていった。

 何事かとソルが待っていると、ローサはその手の中に何か包みながら、すぐに石段を下りてくる。


 そして彼女は静かに佇む棺の上に、中庭の草むらから摘んだ白い花を二輪、そっと手向けた。


 その様子を、ソルはただ横目で見ていた。

 こんなときでなければ共に死者に祈りを捧げたいところだが、この部屋にはまだ観察しなければならない部分が残っていたから。


 ローサはこの空間を見て行き止まりと言った。


 それはそうだ。この部屋の四方の壁はすべて、不自然なほどきれいに石を組み塗り込められている。

 珍しい魔導機構はあるが、一見この先に行ける道はない。

 ここはただ、この棺を置いておくためだけに造られた空間のように見える。


 しかしこの部屋に続く階段を開くため、過去の記憶を見たソルには、この空間は『不足』だった。


 拾い見た凄惨な記憶を裏付けるには、この部屋は狭すぎる。……棺も一つしかない。


 あるとすれば、ソルが想定しているその空間はこの部屋の''先''ではなくその下に……。


 棺に祈りを捧げるローサのとなりで、ソルが進む道に思いをはせている、そのときだった。


「見つけた!」


 二人が開け放してきてしまった、秘密の階段の上から声が響く。大柄な体格を思わせる、太い男の声だった。


 そして、大きな靴音とともに階段を飛び下りて、その男は二人の前に姿を現す。


「しまった……」


 薄明かるい魔導機構の光の前に、巨大な背はぬっと現れた。

 ローブのフードですっぽり髪を覆った、普通の男より頭三つ分上背のある大男がそこに立っていた。しかもその男、杖を持っている。


 ソルは後ろにローサをかばう。

 その様子を杖を構えて眺めながら、男は唇の横に鉤裂きになった古傷を示すように、余裕たっぷりに舌なめずりした。


「この前逃げた女は魔力が弱すぎて気付かなかったが、お前らは魔力が強いからすぐ分かったぞ」


 言いながら一歩、また一歩と二人の少女へ向けて足を進める。


 ローサをかばいながら、ソルは少しだけ歯噛みした。

 牢の付近の見張りには、魔力がない男ばかりを置いていたから油断していた。


 魔力を持つ女をさらうため、そしてここから逃げ出すのを阻止するために、魔力を探知するスキルを持った魔術師が一人くらいいてもおかしくはない。


 体格が与える威圧感とともに、男は高く杖を掲げる。


「今のうちに降伏すれば痛い目にはあわさねえぞ。さ、牢の中へ戻りな」

「おあいにく様」


 腕の中の魔導書を、ソルは音もなくさっと開く。男はその様子に目を見開いた。


「雷よ!」


 雷撃は真っ直ぐに、何の防御も許さずに、大柄な男をとらえその大きな体を這いのぼっていく。

 びくりと体を震わせ感電しながら、男はその場に膝を折って叫びを上げた。


 それを聞きながら、これで終わりになるかと、ソルは魔導書を閉じかけたが……。


「くそ、このままじゃニーノに怒られちまう……」


 バチバチと巨体に電気を纏わせながら、男はゆっくりその場に立ち上がる。

 少女二人は目を丸くしてそれを見ていた。

 構わず男は魔術を唱える。


「岩よ!」


 大きく隆起した岩が、ソルとローサの周りを囲む。そのまま岩の壁で二人の身動きを封じようとしてきた。


「氷よ」


 ソルは至って冷静に、内側から鋭い氷柱を生やしてその壁を突き崩す。

 即座の反撃に、男が顔を青くした。それにとどまらず、少女は再び雷の魔術を男に向けて放つ。


「だ、大地よ!」


 神速のソルの魔術に焦ったのか、男はこの場で使うべきでない魔術を重ねて使った。


 石の床が前方へと連なる形で隆起し、それがソルの雷から男を守る。


 その魔術のあとだった。

 大きな荷重を続けて加えられた石室の床が、ミシミシと亀裂を走らせ始めたのだ。


 ……仕掛けを解くときに見た記憶から、そして床から反響する音からそうかとは思っていたが、この石室の下には隠された地下があるようだった。


 地割れとともに床が大きく砕け、そこから漆黒に包まれた秘密の地下が露出する。


 その闇の中に薄ら見えるものに、ソルは一度目を見張りそうになったが、今はそれどころではなく、


「うわ、……ソル!」


 ローサが、地割れに巻き込まれて地下に落ちていく。

 ソルはとっさに、


「風よ!」


 そう唱えながらローサの方へと跳躍する。

 そして自らも地下へ飛び下りながら、地面に向けて急いで風の塊を放出した。


 吹き出す風が二人を包み、ゆっくりと地面へ下ろしてくれる。

 地下までそれほど高低差がなくて助かった。


「ちっ! でもこれで逃げられないぞ!」


 頭上から聞こえた男の声に、ソルは急いで魔術で防壁を張る。


 あの男、判断力に反して魔術の腕はなかなかのものだが、魔力は確実にこちらの方が強い。

 石膏像から奪った、この使い慣れぬ古い魔導書を手にしていても、なおこちらの方が実力は上だと分かる。しかし、


「喰らえ、雷よ!」

「……!」


 この状態では明らかに向こうに地の利がある。出口のない地下に落ちた少女二人は袋の鼠。これでは上から狙い撃ちだ。


 四角い部屋の中で、ソルとローサはその限られた中を逃げ回る。

 このままでは防戦一方だ。


 雷撃が目の前をかすめる。ローサはぎゅっと目をつぶって、魔術で防御するソルの背中にくっついている。


 上階の大男は、杖のくせに魔術の完成が早い。魔術はそこまで火力が高くないが、早撃ちを得意とする魔術師のようだ。

 撃ち上げられるほどの大魔術を使う隙をなかなか与えられない。


 腕の中のボロボロの魔導書が、今にも全ページを焼失しそうなほどバラバラと勢いよくめくれていく。防御魔術の連発に耐えられなくなってきているのだ。


 ソル自身の魔力の持続の問題もある。

 先ほど階段の仕掛けを解くために過去の記憶を拾ったのが効いた。明らかに気力が消耗してしまっている。


 展開する魔力の防壁の中から、岩や炎の降り注ぐ天を少女が睨み付けた、そのときだった。


「見ーつけた」


 降り注ぐ魔術の隙間に、その涼しい声はやけに大きく響いた。

 その場の空気が、『彼』の一息で変わった。


「久しぶりに墓参りに来てみたら、どうやら過激な墓荒らしがいたようだ」


 未だ姿の見えぬ声の主に、その何とも言えぬ魔力の波動に、ソルはその生で初めて、恐怖の感情から肩を震わせたのだった。

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