第14話 脱走と魔導書
「……ふう。上手くいったね」
つい先ほどまで女達が捕らわれていた牢に投げ込まれた男二人を眺めながら、しゃがれ声の女はパンパンと手をはらう。
その牢に鍵がかけられるのを側で見守りながら、ソルはここまでの首尾を振り返っていた。
牢番の数は二人。しゃがれ声の女の色仕掛けに引っ掛かった一人目の男を気絶させた後は速かった。
『出荷』とやらのために牢から出した女を連れて階上に上がっていたもう一人の男は、仲間の叫びを聞きつけてすぐに地下牢へと下りてきた。
相棒が倒されたことへの予想より素早い反応に、牢から出た娘達は身構えたものだが。
そのとき、牢から出された先程の女が後ろから、階段を下りる彼を思い切り突き飛ばしてくれたのだ。
かくして牢番は二人とも気を失い、女達の代わりに鉄格子の向こうへ放り込まれることとなった。
正直ここまで上手くいくとは思わなかった。
女達をか弱い存在と侮って背を向けまくっていた彼らが悪いと言えばその通りだが……。
男を突き飛ばした女としゃがれ声の女は、自分達のなした事を認め合うようにうなずき合っている。
魔力がないとはいえ、刃物を持った男相手にそれは見事な連携だった。
しかし……。
「……何だい?」
自分をじっと見つめるソルの視線に気付いたのか、しゃがれ声の女が問う。
視線を外しながら、ソルは軽く首を振った。
「いいえ、何でも。先を急ぎましょう」
……今は心強い味方を得たと、単純に喜ぶとしよう。
しゃがれ声の女の功は色仕掛けだけではない。
彼女が腕っぷしをきかせて最初の禿頭の男を突き倒してくれたから、脱走はここまで上手くいったのだ。子どもだけでは到底こんなことはできなかった。
ソルのとなりで、ローサが感心したように彼女を見ている。
「夜の女の人ってすごいんだね……」
「……」
衣服から大胆に出た白い肩。熟れた唇。しなやかにくびれた腰。
明かりのもとでよく見れば、かなりの厚化粧をしていることが分かるが、それもまた彼女の魅力を引き立てている。
牢番が食いついたのも納得の、妖艶な美貌の持ち主だ。
ひとしきりしゃがれ声の女を観察して、ソルはこれからのことに意識を移す。
牢からは出られたが、まだ脱走経路はつかめていない。この先にどれだけの敵が待っているかも分からないのだ。
大人数でいきなり逃げ出すのは危険だし、牢の中には弱った女もいる。
まずは数人で、確実に逃げられる経路を探った方がいい。
ここは当然ソルが。しゃがれ声の女と、先ほど階段から男を突き飛ばした女も、ともに出口を探す役を買って出てくれた。
男達のいる牢以外はすべて鍵を開け、しかし扉は閉めたままにする。一見鍵がかかっていて逃げ出せないように見せかけながら、他の女達には牢の中で待ってもらうことにしたのだ。
「あ、あたしも行く」
探索のために地下牢から階段を上がっていこうとする有志達に、意を決した様子のローサも付いてくる。
かくして檻から出た四人は、悪魔城の探索に乗り出した。
地下から出る階段を上りながら、ふとソルは物思いする。
聖典は……ギャラクシアは無事だろうか。
価値を知らない者から見れば、あれはただの古い魔導書だ。どういう扱いをされるか分からない。もしかしたら廃棄されているかも……。
聖典の番人の老人はどうしているだろう。
気付けば最近、何かあるとすぐ彼に話しかけていた。
彼と会ったのは実質三日前だが、いないと何だか不思議な感じだ。
……この身の、この姿のありのままを話せるのは、この世の人ではない彼だけだったから。
「ねえ、ソル」
「え?」
考え事をしている頭に急に響いてきたローサの言葉に、前を行く少女は思わず立ち止まってしまっていた。
「ここら辺、何か武器になる物ないのかな……。広いお城だったら、ソルが使える魔導書とか杖とかもあるんじゃない?」
「武器なら、牢番からナイフを剥ぎ取ってきたけど、あんた達には扱えないだろうからね」
しゃがれ声の女も、その言葉に同意する。
確かに杖でもあれば助かるが……。
一行は階段を上がりきり、牢番達が詰めていたと思われる散らかった小部屋を通る。
しかしそこには転がった酒瓶や食べかすが散乱するだけで、ナイフ以外の武器はなさそうだった。
小部屋の先は薄暗い廊下。
人気のないことを確認してその廊下に出たソルは、思わず呟いてしまっていた。
「……ほんとに広いお城だね」
ぽわっと、自分の手にうっすら光の魔術を灯して、辺りを見回す。
少女の左右に伸びるのは、どこまでも続く暗い石造りの廊下。
そこには等間隔で、高い台座の上に等身大の剣士の彫像が並んでいる。
さすがにこれには参った。
袋を被せられたまま牢屋まで運ばれているとき、確実に広い建造物の中を通っていることは分かっていたが、想像以上だ。
この広大な城の中を、恐らくいるだろう他の人さらい組織の者達を避けながら、何とか脱出の糸口をつかまねばならない。
一行は息を潜め、冷気に満たされた廊下を行く。
暗闇の先に、上の階へと続く階段が見えてきていた。
よもや脱走する女がいるとは思っていないのか、まだ牢番達以外の男には遭遇しない。
多分、牢番と同様、他の人さらい達にも魔力は無いだろう。
魔術で攻撃されはしないが、そのため居所を探知することもできない。故に細心の注意を払う必要が……。
「あっ……!」
長い幽閉のために足が弱っていたのか、例の牢番を突き飛ばした女が自分のスカートを踏んでけつまずく。それだけなら良かったが、
「しまった……」
ガシャンと、つまずいた振動で壁際の彫像が握っていた短刀が落ちる。
そして、
「誰だ!?」
「おい、女が逃げてるぞ!」
一行のすぐ先の扉が開く。
明かりを持った男が、部屋から顔を出した。
彼の声を合図に、他の部屋からも次々と仲間が顔を出す。
「見つかった……!」
脱走の一行に戦慄が走る。
しかし男達に見つかったのは、どうやら大人二人だけのようだ。
それは男の次の発言で分かった。
「女が逃げた! 二人だ!」
ただでさえ暗い廊下だ。
どうやら背の低い少女二人は、彫像の台座の影になって、相手からは見えなかったらしい。
しゃがれ声の女が目配せする。お前達はこのままここに隠れてやり過ごせと。
その通りに、子ども二人は台座の影にぴったり身を寄せる。
二人の女は、牢番から奪ったナイフを手に、来た道を引き返し廊下の奥へと走っていった。
縮こまるソル達のすぐ脇を、ランタンをガタンガタン言わせながら男達が駆け抜けていく。
その隙をついて、ソルとローサはずんずん廊下を進んでいった。
何とか二人はその場をやり過ごせたが、しゃがれ声の女達とは離れ離れになってしまった。
ローサが泣きそうな顔で背後を振り返る。
「あの二人、捕まっちゃうかな。捕まったら、やっぱり……」
彼女の言葉の先は察せた。
一つ静かに息を吐き、ソルはローサに答える。
「向こうは私達を貴族に売る『商品』だと考えてる。簡単に傷を付けたり、殺したりはしないでしょう」
人買いは女達の魔力、そしてそれが流れる女達の血を売り物にしている。
この国の今の技術では、生き血を運ぶ必要がある以上、生かしたまま貴族のもとへと送らなければならないはずだ。それならとりあえず命だけはとらないだろう。
廊下の先を観察しながら、ソルはそのようにローサをなだめる。
……何故かローサはその返答にますます顔を引きつらせてしまったが。
それはさておき、どうやらこの道は不正解のようだった。
階段の先は部屋の扉が一つあるだけの行き止まりになっている。
階段が上りしかないからここは多分一階だ。
脱出するならこの廊下のどこかの部屋の窓から外に出られるだろう。しかしどのドアを開けるかは賭けだ。
しかも階段のすぐ脇の扉からは、どんちゃん騒ぎする男達の声が聞こえてきている。
酒を飲んで賭けに興じているのか、大きな声で怒鳴り合い、手を叩いて笑い合っているのが聞こえていた。
どうやらそこそこの規模の人さらい組織がこの城を占領しているらしい。
そしてやはり彼らには魔力がない。
残念ながら、こんな所に杖や魔導書があることには期待できないだろう。
そして。
ぎいと、そのどんちゃん騒ぎが聞こえる部屋の扉が開いてしまった。酒臭い空気とともに、男が一人出てくる。
とっさに、二人の少女はすぐそばにあった階段を上っていた。
息を潜めながら、沈黙と暗闇に包まれた階上へと足を踏み入れる。
どうやら見つかりはしなかったようだが、しばらく下の階には戻れなくなった。
二人が上がった先は廊下ではなく、広間のような開けた空間になっていた。
足下も、絨毯が敷いてあるのか柔らかい感触がする。
古い紙とカビた衣類が混ざったような、独特の臭いがしていた。
人の気配のないことを確認して、ソルは再び手の平に光を灯す。
その瞬間、ローサが「ひっ」と声を上げた。
「……」
声こそ上げなかったが、ソルもまた、それを見て絶句する。
この階に人の気配がないのは、なるほどそこが家具や美術品ばかりを集めた物置になっているからだろう。
前の城主のものか知らないが、持ち出して売ることのできない巨大な彫刻とか石膏像とかが置きっぱなしになっていた。
それだけでなく……。
「ソル……」
怯えるお下げの少女は、自分より背の低い少女の影で震えながら縮こまる。
……闇の中に浮かぶ、目を覆いたくなるようなその異様な光景に。
ソルの灯す光に浮かぶ、古代の人々を模したと思われる石膏像と彫刻の群れ。
その頭はすべて、首元から砕かれるように失われていた。
頭のない幾十もの像が、古代の戦いや神話の一場面を体だけで再現しながら、壁に影を伸ばしているのだ。
これは美術品として盗んだとかそんなのではないだろう。頭だけ壊したのだ。
彫像といえど陰惨な光景にローサが震えるのも無理はない。
「……正気を失ってたのかな」
言いながらソルは光で異様を照らす。
像はすべて、頭のない首の上にまでほこりをかぶらせている。
汚れ具合から見て、多分この城の前の持ち主の所蔵品で合っているだろう。
しゃがれ声の女は、この城を刑死した魔女の家族の城と言っていた。
この城の規模と、至るところに置かれた美術品から、かなりの大貴族の邸宅だったと思われるが……。
血筋はどうあれ一体どういう精神状態の住人が暮らしていた城なのか。興味はないがため息だけは出てくる。
さすが悪魔城。
今のところ人々の噂に上る魔物や悪霊の類いには遭遇する気配はないが、これはとても常人が住んでいた城とは言いがたい。
探ればもっと怪しい品も見つかりそうだ。
壊された像ばかりが並ぶその広間を、ソルとローサはかたまって歩いていく。
彫刻、石膏の他にも、広間には椅子やテーブルなどの家具類、美術品を収納していたであろう棚などが置いてあるが、ほとんどのものが乱雑に放置され、壊され、荒らされた後なのが分かる。
相変わらずソルの影に隠れながら、並ぶ異様をなんとか薄目で眺めるローサが口を開いた。
「やっぱり武器になりそうなもの無いね……」
「いいや。武器とは思えないものが武器だってこともある」
言いながら、石膏像を眺めていたソルは突然その中の一体の上へとガシガシよじのぼり始めた。
「ソ、ソル、何やってるの?」
驚くローサの目の前で、少女はその像の手から、ある物をもぎ取る。
石膏像が装飾として持たされていた、一冊の本だ。そしてそれは、
「やっぱり魔導書だった」
「魔導書? 本物なの?」
「そうみたい」
像から下りながら、ソルはローサにその本を見せる。
深い緑色の表紙の、装飾の少ない古い本。
しかしページをめくれば確かに魔導書だと分かる。
美術品の一部となっていたため誰も気付かなかったのだろう。装丁がほこりまみれで石膏に紛れていたし、価値のある品だと思われなかったか。
明かりで照らしながら、ソルはペラペラと中に載っている呪文を確認する。
それが魔導書か、とローサが顔を寄せてきた。
「一ページずつ大きな模様……? が書いてあるんだね」
「これは魔術を発動するための紋」
「紋?」
「魔導書は魔術師のイメージの構築を待たずに魔術を使えるように生み出されたもので、このページには『燃える』という記憶を具現化するための式と紋が書かれている。この紋に一定の魔力が流れると、唱えるだけで『燃える』という現象を呼び起こすことができるの」
この本に載っている呪文であれば、魔術師は杖で使うより短い集中で魔術を使うことができる。
故に魔導書を持つ魔術師は、杖を持つ魔術師より脅威とされるのだ。
「じゃあ、魔術師はみんな魔導書を持った方が強いの?」
「ええ。でも魔導書は数が少なくて滅多に手に入らない。だから杖の方が一般的なの」
「へえ……」
「そして、魔導書を使うには魔術師自身の資質が必要。魔導書に持ち主として選ばれなければ、中を開くことはできない」
「じゃあ、ソルはその魔導書に選ばれたんだね」
「まあね」
魔導書を開く条件には例外もあるが、とりあえずソルはこの場に奇跡的に飾られていたこの本の持ち主としてふさわしい魔力を有していたらしい。
ページがボロボロで使えない呪文もあるが、やっとまともに魔術が使える状態になった。これはこの城を脱するための確かな光明だ。
魔導書を使い、ソルはより広い範囲でその場を照らし出す。
美術品の向こう側に、閉めきられた木戸が見えた。
「さて、悪霊城っていうのはどれほどのものか……」
少女二人はその窓を開け、そこからそっと外をうかがう。
窓の外から見える景色は、
「……すごいね」
「これじゃあなかなか逃げられないでしょうね」
ローサが驚嘆のため息を漏らし、肝の据わった天才魔術少女も今ばかりは素直にそれに賛同する。
二階の窓の外から見える景色。
まずは巨大な中庭だ。それを越えて正面に見えるのは巨大な別棟。
そしてそれを囲む城壁の向こうの、海だ。
この城がどこに建てられているか、一目で思い知らされた。
陸に囲まれ外海と接する内海の岸。その断崖絶壁に建てられた、要塞のように巨大な城。
ソル達の正面には、尖塔を持つ城郭が中庭を挟んで高くそびえ立っている。それに今ソル達がいるこの建物も、窓から首を巡らす限りかなり大きい。
少女達はしばらく、言葉もなくその光景を見ていた。
そして。
「まさか……」
見渡す外の景色に、何かに気付いた様子のローサが広間の反対側へと走っていく。
反対の壁にあった窓から外を見たお下げの少女は、今にも泣きそうな声でもう一人の少女を呼んだ。
「ソル……反対は海だよ」
「……」
ソルも同じ窓から外を見て黙る。
窓の外はどこまでも垂直の壁。
その下は波の花が砕ける海だ。
つまりこの城は断崖絶壁スレスレに建てられている。この建物の裏に逃げ場はない。
ソル一人なら、危険だが魔術を駆使すれば海に投げ出されてもなんとかなるかも知れない。しかしそんなことはローサにも、他の女達にも無理だ。
逃げるなら正門の方へ。中庭を越え、正面に見える建物を越えて行かねばならない。
窓から見る限り、その中庭というのがこれまた広大だ。
ほとんど森のようなものだ。
真ん中に太い通路は見えるがその周りは手入れされない庭木が伸びて、中庭を黒く埋め尽くしている。
隠れながら進むにはちょうどいいかも知れないが、その先にある城郭が難題だ。
再び先ほどの窓から城の様子を見ながら、縮れ髪の少女は思案する。
ふと、ソルはその中庭の真ん中を、ゆっくり歩いてくる何者かの姿に気付いた。
中庭を歩く、三人の人間。
金髪の小柄な男が、ペコペコ頭を下げながら、誰か……深い紺のマントで顔を隠した人物を、案内するように前を歩く。
その後ろには、マントの人物の背を頭三つ分越すような大柄な男がくっついて歩いていた。
金髪の男が、紺のマントの人物の案内を引き継ぐように、大柄な男を前に立たせる。
大柄な男に連れられ城の奥へと歩いていくマントの背に、金髪の男はお辞儀しながら恭しく何か喋り続けていた。
ソルが見ていたのはその男の腕の中だ。
「……」
小柄な男の腕に、しっかりと抱えられた聖典ギャラクシア。その姿を、少女はただ凪いだ瞳で見つめていた。




