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龍とたてがみとギャラクシア  作者: 雨野グッピー


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第11話 帰郷と助っ人

「これは、レオン様。よくお帰りになりました!」


 耕していた畑から顔を上げ、恰幅のいいその老人はかぶっていた平たい帽子をとる。


 そしてくわを置いて、現れた客人の方へと軽やかに畑のうねを越えていった。

 白い髭が囲む唇に、久しぶりの邂逅を心から歓迎する笑顔が浮かぶ。


 老人の側でうねの間の草を抜いていた彼の妻も、畑のすみに現れたその男を認めると、すぐに夫と同じくその方向へと走っていった。


「子ども達も心待ちにしておりましたよ。こうしてゆっくりここに戻られるのは、もう一年ぶりになりますか」


 近付いてきた老人のその言葉に、客人……長身を光沢のある黒のローブで覆った男は、「長い間お任せしてしまってすみません」と、杖を片手に体を折り頭を下げる。

 老人はすぐにその頭を上げさせた。


「いえいえ、何を仰います。レオン様のおかげで食べ物の心配もなく、村の人々とも折り合いをつけてうまくやっております。子ども達にも私達にも、これ以上ない幸せでございます」


 夫のとなりで、初老の妻も客人に恭しく礼をとる。

 そして畑の向こう側を手で示した。


「さあさあ。子ども達は外で遊んでおります。レオン様が帰ってくると聞いて、それはもう大喜びでしたよ」


 その言葉に、客人はこの瞬間を待っていたとばかりに表情を緩め、笑顔とともにフードを取る。

 肩の上に、緩く束ねられた淡い色の髪がふわりとこぼれた。


 そのまま彼は案内される方へ、長靴で雨上がりの土を踏みながら進んでいく。


 老人達の行く先には、森の中にポツンと立つ古い教会風の建物が。そしてその周りに立てられた柵の内側で、たくさんの子ども達が元気よく跳ね回っていた。


 女の子も男の子も、目の色も髪の色も様々で、楽しそうに水溜まりを踏む子も、雨粒を乗せた草を摘む子も、久しぶりの太陽に浮かれて追いかけっこをする子どもも。とにかく混ざって色々な子がいた。


 歳もバラバラで、一番下はようやくヨチヨチ歩きを始めたばかり。そして一番上は十二歳ほどの少年少女達。

 皆健康的に頬が赤く、着ているものは質素だが洗濯が行き届いて綺麗で、穴の空いた靴を履いている者は一人もいなかった。


 遠くからそれを眺め、顔をほころばせる客人の前で、子ども達の追いかけっこは続いていく。


「きゃー! 助けてー!」

「待って! 足速いよ! そんなんじゃ逃げ切れないよ!」

「お前ら遅いぞ! そんなんだと悪魔城の魔女に追いかけられても、すぐに喰われちまうぞ!」

「もう、やめてよ!」


 どうやら追ってくる者を何かの怪物に見立てて、なかなか緊張感のある鬼ごっこをしているらしい。


 そして。鬼に追いかけられながら走っていた子どもの一人が、自分達を見守る客人の姿に気付いた。


「レオン……?」


 小声で客人の名を呼ぶ。

 その声に連鎖するように、周りの子ども達も次々と彼の存在に気付いた。


「レオンだ!」

「やっと帰ってきてくれた!」

「レオン、レオン!」


 自分のもとへと一目散に走ってくる子ども達に、客人は腰を折って目線を近付ける。


 そして「楽しそうだったね」、と鬼ごっこをしていた少年少女に微笑みかけた。


 その笑顔に照れくさそうにしながら、鬼だった少年と、追いかけられていた少女が口々に先程の遊びを説明する。


「村外れの悪魔城の、人喰い魔女ごっこをしてたんだ」

「魔女が恨めしそうな顔で追いかけてきて、おっきな口で旅人を丸飲みにしちゃうの」


 彼らの説明に客人は、


「悪魔城の人喰い魔女か……」


 そうかすかに呟く。吹いた風が彼の言葉をさらった。


 子ども達が首をかしげる。


 彼らが聞き取れぬその声は、端正な唇から続けてこう発せられた。


「その魔女には、頭はないはずなんだ」


 なおもきょとんとする少年少女を、ラピスラズリ色の瞳が見つめていた。





 稲光のように、青い光が差した。

 避けようもない運命と、向き合うときが来たことを告げるように。


 もう一度、傷だらけの腕の中に抱いた、たった一つの希望に視線を落とす。

 守った。しかし守り抜けなかった。


 後悔の暇さえ与えぬとばかりに、重たい足音がこの身を取り囲んでいく。

 最後だ。誰も助けに来ないこともよく分かっている。


 前方は抜き身の刀を手にした兵士。後方は矢をつがえた武者達。

 周到なものだ。いっそ笑えてくる。

 この身に、最早抗う力は残っていないのに。


 そして。

 囲む兵士の群れの向こうに、何故かその足音だけは鮮明に聞こえた。


 ……そこから刺さった視線を見返した瞬間。


 青い光だ。

 この胸をそのまま刺すような眼光だった。

 

 お互いの姿を射貫き合うように、その男と視線を交わす。


 この憎み合いも最後だ。勝利は彼のものとなり、この身はいよいよその手の届かぬところへと昇る。


 その眼光を胸に刻むように瞳を閉じた。

 向こうはこの顔を、いつまで覚えていてくれるだろうか。


 兵士達が前へ踏み出し、武者達が矢をつがえる。誰も止めてはくれない。


 腕の中の希望は、このときをただ静かに見守っている。悠久の時の砂粒となる、この一瞬を。


 矢が放たれ、鎧を着た足が地面を蹴る。


 ――そして。



「ソル、大丈夫? うなされてたよ」


 目を開くと同時に側から聞こえた声に、ソルは今自分がいる場所を再確認した。


 相変わらず目蓋を開けると暗い牢屋の中で、体はジメジメとした硬い床に横たわっている。


 同じ牢にいるお下げの少女――名前はローサというらしい――が、心配そうに自分をのぞき込んでいた。

 どうやら眠ってしまっていたらしい。


 ギャラクシアの封印を解くのに三晩もかけて、その間ろくに睡眠をとっていない。

 さすがに疲れがきたか。久しぶりに嫌な夢まで見てしまった。


「……いいの。もうすぐこの悪夢も終わる」


 ローサにそう返しながら、改めて牢屋の外に目を向ける。


 あれから牢番が地下牢に下りてくる気配はない。下りてこないことには、逃走のチャンスは来ない。

 今はただ、この牢の鍵が開くタイミングを待つばかりだ。


 相変わらず蝋燭すら灯されない牢の周りは暗く、昼夜の判断がつかない。

 長く閉じ込められている者は、精神的に相当まいっているだろう。


 しかしそんなふうに冷静に周囲を観察する縮れ髪の少女に、ローサは感心と驚嘆が半々のため息を漏らした。


「あたしより小さいのに、すごいね。ずっと落ち着いてる……」


 その言葉に、慣れてる、と思わず口にしかけてソルは踏みとどまる。

 この歳の子どもが、こんな状況に慣れているはずがない。


 ……そうだ、子どもなのだ。


 だからこそ聖典を取り上げられたのは痛い。

 しっかり抱えているつもりだったが、子どもの腕力では大人の男の腕力にはかなわなかった。

 ろくに魔術が使えぬこの状態では、脱出のための策をより周到に練らなければ……。


「ねえ、ソルもやっぱり……家族に売られたの?」


 ふと、牢屋の外に気を向けながら思案顔をしていたソルに、ローサが質問してくる。

 ソルは牢の外に目を向けたまま答えた。


「いいえ。私に家族はいない。売ったとしたら……雇い主かな」

「そ、そっか」

「あなたは家族に売られて、ここに……」


 ローサはうつむきながら、答えづらそうにその言葉に答えた。


「旅の人の杖を借りて、魔術を使ったの。使っちゃいけないことは分かってたんだけど……それで魔力があることが父ちゃんと母ちゃんにバレて……」


 そこまで言って、何かを振り切るように顔を上げる。泣き笑いのような表情が幼い顔に浮かんだ。


「父ちゃんと母ちゃんは、前から何回もあたしを娼館に売る相談をしてた。街にいい働き口があるって騙して連れていこうって。だから……」


 彼女の両親は、ちょうど魔力のある女を漁っていた人買いに遭遇した。そして、行く先が悪魔城と知っていたかは定かではないが、金に目がくらんで娘を売ったのだ。

 家畜小屋で鶏の餌やりをしていた彼女は、後ろから突然何者かに目隠しをされ、ここまで連れてこられたという。


 どこか遠くに視線を合わせ、ローサは独り言のように呟く。


「自分の運命は分かってた。どこかへ売られるのも分かってた。……でもどうしても自分の力を試してみたくなった。だから杖を持ったの」

「……」

「ねえ、魔力を持つのが許されないことなら、神様は何であたし達に力を与えたの?」


 そしてすがるようにソルを見つめる。

 自分より歳上の少女の問いに、彼女が返した答えは、


「私達が力を持つことを『悪』にしたのは地上の人間。一部の人間がそう決めて、そう思い込ませただけ」


 短く淡々と、しかし迷いなき口調で発せられた言葉に、ローサは息を飲む。


「人間が決めたことは人間が変えられる。私達が自由を得るのは、何百年……いいえ何千年後かも知れない。でも私達に力を与えたのが神様なら、今も、遠い星をつかむ日も、この戦いを見守ってくれてる」


 ローサはしばらく、瞳を潤ませているものをこぼさぬよう天井を見上げていた。

 しかしやがて、意を決したようにソルに視線を向けた。


「ねえ、ソル。……あたしに魔術教えてくれる?」


 牢屋の外を見ていた少女はわずかに瞠目しながら、そのまっすぐな視線を見つめ返した。




 暗い牢屋の中で、少女は語る。

 牢番には届かぬよう声は低めて、その講義はひっそり続いていた。


「――人は過去に起こったことを、記憶として頭の中に蓄積している。……世界もそう。この周りの景色にも、確かに過去の記憶は降り積もっている。私達の生きるこの現象界には、記憶界という記憶の世界が重なっているの」


 相変わらず拐かされた娘達を包む暗闇に向けて、しかし淀みなく、ソルは言葉を続けていく。

 ローサはじっと、その声に耳を澄ませていた。


 八歳の少女から十歳の少女へ、魔術の講義は続いていく。


 同じ牢の中に入っている、例の酒焼け声の女が、せせら笑うように話に入ってきた。


「その子に魔術の講釈なんてしてどうなるんだい? 農民の娘が魔術なんて……」


 ソルは構わず先を進める。


「魔術師の中にある『燃える』というイメージと、世界に記憶された『燃える』という現象の記憶が一つになって、この現象界に呼び起こされる。魔力はその触媒を果たすの。魔力を多く持つ者は、より強く大きな現象をこの世界に呼び起こすことができる」

「世界があたし達の呼び掛けに答えて、あたし達の思い描いたものを現実にしてくれるってこと?」


 理解の速さを示すローサの答えに、八歳の少女はほんの少し唇を緩ませる。


「そう。だから、どんな魔術を使うにしても、ただ唱えるだけではだめ。起こしたい現象をイメージしながら、呼び掛けるの。自分の魔力を信じて、強く」


 そして指先に光を灯してみせる。

 ローサはそれを真似しようと自分の指先を広げたり曲げたりこすったりしているが、ソルと同じような現象は起こる気配すらなかった。


「最初は杖なしで魔術を使うのは難しいかもね」

「そっか……」


 肩を落とす少女に、ソルはゆっくり向き直る。


 確かに杖なしで魔術を使うのは難しい。

 かなりの集中力を要するし、初心者にはそれなりの練習期間が必要だ。

 しかしローサの魔力なら……。


「光の魔術は難しいけど、火の魔術なら何とかなるかも」


 言いながらソルは一度ぱちんと指先を鳴らして、ぼわっと小さな火花を手の上に散らせてみせる。


 そしてまだ火の魔術の温度が残った手で、直接は触れずにローサの手の甲を下から包んだ。

 ローサも、空気を通して伝わるその温度に集中するように目を伏せる。


「焦りを捨てて。起こしたい現象のイメージだけに集中して。ゆっくりでいい。肩の力を抜くの。その呼吸と一緒に……」


 お下げの少女の手に、ぼっと一瞬小さな炎が灯る。マッチで起こすような火だったが、牢屋の暗闇を照らす火が確かに灯った。


「や、やった」


 先程の現象が信じられないとばかりに、ローサは己の手をまじまじと見る。


 牢屋のすみで嬉しげに言葉を交わす幼い二人の姿に、とうとう酒焼け声の女もため息をついた。


「そんなことしてる暇があるなら、もっと間近に迫った問題に備えな」


 声は呆れたようだったが、最早ソルとローサを小馬鹿にしている様子ではなかった。

 そして、


「脱走するんだろ? このままここにいたらその魔術の講義も無駄になる。……協力してやるよ」


 その言葉に、ソルはニッと口角を上げたのだった。





「さあ、もうすぐ南の村に着くぞ」

「ええ。分かった……」


 御者台から聞こえた男の声に、ピエドラは緊張気味に返事を返す。


 地面の凹凸を踏むたび、荷台は軽く跳ね上がる。ピエドラと一緒に幌の中に押し込められた木箱が、右に行ったり左に行ったりした。

 その幌の隙間から見えるのは、灰色の馬の背とそれを操る黒髪の御者。そしてその向こうに、うっすらと背の低い家並みが見え始めていた。


 ここまで自分を運んできてくれた馬車の荷台で、ピエドラは決意を固めるように瞳を閉じた。



 ――遡ること数刻前。


「馬車で送っていくって……大丈夫なの?」

「一体何に追われてるのか知らないけど、追われてるなら姿が隠せた方がいいでしょ」


 娼館の裏口側で、ある人物の到着を待ちながら、ピエドラは改めて旧友に最後の確認をする。

 不安を口にする魔女に向けて、マイテは再び左手をひらひら振ってみせた。


「商隊の馬車を使えば、目立たずにこの街を出られるし、徒歩で行くより速いわ」


 ピエドラがソルを追うと宣言してから、何だか彼女の方が生き生きしている。


 その生き生きした旧友からの提案は驚くべきものだった。

 マイテの結婚相手……国中を移動して商売を行う、商隊の隊長の手を借りてソルを追えというのだ。彼はちょうど港からの荷を積むために、この辺りに滞在しているのだという。


 しかしマイテの結婚相手ということは……。


「あんたの旦那になる男っての、この娼館に通ってきてた野郎なんでしょ? そんなのの手を借りる気は……」


 魔女の問いに、マイテは少しだけおかしそうに首を振った。


「残念ながら彼はここの客じゃないわ。私がよく買い物に行く店に荷を下ろしに来る商人だったの」


 魚を買いに港まで行ったとき出会った男らしい。元船乗りで、船から降りた後商人に転身した人物だという。


「ソルも、もともと彼がここに連れてきたのよ。知り合いの船乗りから預かったけど、自分は長い旅に出ることが多いから世話は無理だって、私に預けたの」

「へえ……」


 船乗り……海の商人……。一体何の因果でソルはそんなのと関係があるのか。


 そうこうしているうちに、娼館の裏に馬車がつける音が聞こえてきた。


「マイテ!」


 そして裏口の扉を慎重に開けながら、よく日に焼けた筋肉質のその男は、二人の前に姿を現したのだった。



 ――馬の速度を緩めながら、マイテの婚約者……この馬車を駆る黒髪の商人は再びピエドラに声をかける。


「村に入った。ここからは馬車のわだちだらけだ」


 その言葉に幌の隙間から顔を出せば、そこには近付いてくる小さな家の群れが。その周りに広がるじゃがいも畑が見え始めていた。


 娼館街の近くの港街から出て最初に着く村……通称『南の村』だ。

 海岸線に迫った森の近くにある小さな村で、特に変わったところもない普通の集落だ。この村を出ると道はしばらく森がちになって、大きな人里には行き当たらなくなる。


 そこに乗り入れながら、御者はピエドラに向けて再び呟いた。


「この辺りに人さらいの根城があるってのは有名な話だが、詳しい場所までは……」


 娼館街からここまでは、雨後で地面に残った人さらいの馬車の轍が導いてくれた。

 それがソルを追う唯一と言っていい手掛かりだった。


 しかし村に入れば、何台か別の馬車が通った跡と人の足跡が混ざって、どれが目的の人さらいの馬車の跡か最早判然としない。


 この先は魔女の仕事だ。


「ありがとう。ここまでで大丈夫よ」


 商人達の長、そしてマイテの伴侶となる彼を、これ以上危険な目にはあわせられない。

 むしろこんなところまで送ってくれたことに感謝せねばなるまい。


 彼はマイテの呼び掛けに応えてすぐに現れ、商隊の隊長直々に馬車を駆ってくれたのだ。


 ピエドラがかなりの権力者から命を狙われていることは伝えたが、マイテの頼みならと快くこの役を引き受けてくれた。

 歳はマイテやピエドラより少し若いように感じるが、元海の男だけあって、何とも肝が据わった人物だった。


「……ほんとにありがとう。恩に着るわ」


 彼のお陰で黒マントに怪しまれることなく街を出られたし、御者の腕がいいのか、雨後でぬかるんだ道も難なく馬車を走らせてきた。


「その……マイテにも、礼を言っといて」

「ああ。分かった。気を付けてな、姉さん」


 誰もいない村の入り口で、商人は馬車を止める。

 魔女はゆっくりと、幌から出て荷台から降り、濡れた地面に足を着けた。


 いよいよ悪魔城へ。ここからは何が出てきても、何が起きてもおかしくはない。


 杖を握りしめ前方を半ば睨むように見据える魔女に、御者台の彼は少しばかりおどけたように言葉を放った。


「暗い顔だな、姉さん。そんなんじゃ悪魔の方から寄ってきちまうぜ?」


 そして浮かべた笑顔は、商人らしい人当たりの良さも感じさせるが、同時に厳しい世を渡っても良心を保つ芯の強さを感じさせた。


 ピエドラの緊張を緩めようとしているのか、さらに彼は御者台から身を乗り出して言う。


「しょうがないな。景気付けに俺とマイテの熱い馴れ初めでも……」

「マイテが魚買いに行った港で会ったんでしょ? 馬車に乗る前に聞いた」

「ああそう」


 そう言うと彼はスッと姿勢を正す。魔女の目を正面から見据えた。


「マイテはよく君の話をしてた。命の恩人だって。君がいなければ、俺達が出会うこともなかったんだから」

「……」


 商隊のことがなきゃ、もっとあんたに協力してやりたいんだが……と、彼は馬の背を撫でる。


「何が起きてるか知らないが、ソルをよろしく頼む。魔力が強いって言っても、まだ小さい子どもだ」

「ええ。でもきっとソルに助けてもらうのはあたしの方だわ」


 魔女のその言葉に「あの子は色々と規格外だもんな」と苦笑しながら、商人の彼はズボンのポケットから何かを取り出した。

 そして太陽のもと銀色の光を照り返すそれを、ひょいっとピエドラに投げる。


「……何これ?」


 魔女が手の平で受け止めたそれは、銀製の小さな板で、これは……龍か? 遥か東の国で守護神として奉られているという空想上の生き物が表面に彫られていた。

 龍は何か玉のような物を持っているが、その部分は水晶かガラスか、透明に輝くものでできている。

 板の端に小さく丸い穴が開いて、首からかけられるように紐が通っていた。


「俺の父親は大陸の反対側の『龍の国』の出なんだ」


 出会ったときから思っていたが、なるほど彼の顔はこの国の大半の人間ほど彫りが深くない。それは父親が龍の国とやらの出身であることに由来しているらしい。


「父親の先祖は『龍の魔女』さまの一族でね。だから俺にもちょっと魔力が流れてる。それはその一族が魔力を込めたお守りだ。あんたがソルに会えたら、渡してやってくれ」

「龍の魔女……?」


 聞いたこともないが、何だか大層な称号だ。「龍の国に伝わる伝説の魔女さまさ」と、商人は誇らしげに笑顔を浮かべる。


 その一族が魔力を込めたというお守りは、ピエドラの手の中で鈍く太陽を反射していた。


 かなり古いものに見えるし、ずっと身に着けていたということは結構大事な物のようだが、商人の彼は真剣な眼差しでピエドラの方を見ていた。

 これは彼からソルへの、唯一の餞別なのだろう。


 一つ頷いて、魔女はそのお守りとやらを自分の杖に結ぶ。

 商人はそれに満足そうに微笑みを返し、馬に鞭をくれた。



 静まる村を背に、商人の駆る馬車の姿は小さくなっていく。

 ピエドラは唇を引き結び、それを見送った。


 ……さあ、ここからは一人だ。

 先程大丈夫と言ったのは決して虚勢を張ったのではなく、ソルを探す方法はこのへっぽこにも一つだけ残されている。


 魔力の探知だ。


 川辺で釣りをしていたピエドラを見つけたとき、ソルは魔力の流れを追ったと言っていた。


 ピエドラは、意識してそんな高等な技をやってのけたことはない。しかし無意識のもとでなら、多分一度その力を発揮したことがある。


 思い出したのだ。

 マイテが魔女狩りにあったあのときだ。


 ピエドラは森の中に入った彼女の後を、同じく森に入っていった大人達の誰よりも先に探し出し、守ることができた。


 あのときはただ闇雲に森を走っている感覚だったが、あれは魔力の流れに導かれていたのだ。

 非常時で勘が冴えていたのかも知れないが、かなり遠くからでもマイテの後が追えた。


 今は? もうあのときのような力はなくなったのだろうか。


 杖に額をつけて、集中する。


 ソルほどの強い魔力の持ち主がいる場所だ。他にも魔力がある女が囚われているというなら、その魔力も加わってかなり強い魔力の流れがこの辺りにただよっているはずだった。


 しかし、


「魔女だ! 魔女を見つけたぞ!」


 閑散とした村の通りに響いた、浮かれたような男の叫び。

 その声に、ピエドラの集中は一気に乱されていったのだった。

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