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龍とたてがみとギャラクシア  作者: 雨野グッピー


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第10話 旅立ちと悪魔城

 杖をこっつん、こっつん床に突きながら、ピエドラは娼館の玄関を行ったり来たりしていた。


 娼館長は相変わらず玄関の隅で頭を抱え、マイテはその場を歩き回るピエドラをじっと見守っている。


 マイテから聞いた。

 ソルが突然姿を消したこと。

 ……そしてその原因を。


 この娼館街では最近、突然娼婦が消えることがあるという。駆け落ちや出奔の前触れもなく、突然。

 そしていなくなったのは全員、魔力のある女ばかり。


 娼婦だけではない。この周辺の街で屋根無しの生活を送る若い女が次々いなくなっているというのだ。彼女らも少なからず魔力があったと言われている。


 しかし自警団の魔女狩りによるものではない。いなくなる者達は、ある日突然静かに姿を消すのだ。

 そんなことができるのは、もっと裏に深く根を張っている人間だ。


 ――組織的人買い。

 この宿の主はそこに、ソルを売ったのだ。


 まさか黒マント達に捕まる前に、味方だと思っていた人物に売られるとは……。

 魔女は足を止めて、改めてことの元凶の方を見る。


「狙ってたのね」


 ピエドラの言葉に、娼館長は頭を抱えたままびくりと背を震わせた。


「何が目的か知らないけど、魔力があるソルに高値が付いたから、こんなに早く手を回したんでしょ?」


 旅の出発を明日にしろと言ってきたのはこのためだったのだ。


 頭を抱えたまま、彼はしきりにすまない、すまないと呟く。

 どうやら売ったと言っても金に目がくらんだわけではなく、半ば脅されてソルを差し出す選択をしたらしい。


 これは単なる噂だとマイテは前置きしていたが、さらわれた女達……魔力があるとおぼしき彼女達の行く先は、ある『悪魔の城』なのだという。

 悪魔の城の主は大貴族で、誰もそこに手が出せないということも。


 娼館長はその貴族に直に命じられソルを差し出したのだ。 


「この辺りの元締めの貴族が、その人さらいの親玉なのね」


 娼館長はうなだれたまま、無言でそれを肯定する。


 そりゃ庶民は手も足も出ないだろう。

 相手はこの娼館街を牛耳っている貴族なのだ。

 見返りの金銭より、逆らった末の暗殺の方が恐い。

 逆らえない相手だったと、言ってしまえばそれまでだが……。


 娼館長も、ソルがこの娼館に戻ってきたら知らせろという命だけ与えられ、人買いが彼女をどこへ連れ去ったかは知らないという。


「娼館長、どうして……。魔力なら私にもあるでしょう?」


 マイテのその言葉に、娼館長は弱く首を振る。


「なるべく身寄りがない女を用意するように、と言われたんだ」

「だから結婚を控えたマイテは魔力があっても狙わないか。探されない女を集めてるって……相当狂った連中ね」


 今聞いただけでも、かなり闇の深い人身売買業が行われていることが分かる。


 マイテが言っていた、悪魔の城のもう一つの噂。

 ……さらわれた女達の誰一人、そこから帰ってきた者はいないということ。


 奴隷としてどこかに売り飛ばすというより、黒魔術の類いか何かに使うのか、彼女達の命にこそ価値を見出だしているように。

 実際貴族にはそういう『趣向』を持った者も少なくないと聞く。

 下層の者の命を、ただの贄としか考えられない、まさに悪魔のような人間が。


 一同の間に重たい空気が流れる。


 ソルはただ魔術が使えるだけではない。その歳の少女ではあり得ないほど戦い慣れている。人買い相手なら容赦なく火でも雷でもぶちかますだろう。

 彼女の魔術を浴びれば、人さらいだろうと悪魔だろうとひとたまりもないはずだ。


 しかしソルが人買いから逃れてこの娼館に戻ってくる気配はない。

 魔導書を持っていながら無抵抗で連れ去られたとすると、拘束されているか何かで魔術が使えない状態にされたのか。

 つまり今の彼女は完全に無力な状態。この先何をされるか分からないということだ。


 しかし。


 杖をつくのをやめて、ピエドラは深く息を吸い込む。


 ……追う必要がない。追ったところで何もできないからだ。

 ソルがピエドラを見限ったように、ピエドラもその可能性を諦めなければならない。

 

 人さらいの本拠地で、それも娼館街を牛耳る貴族が相手なのだ。

 今のピエドラでは、そこに一歩踏み入る前に命を落とすだろう。


 そもそもあの教会での一夜から、ソルが運んできた災難はピエドラの手に負えるものではなかった。


 伝説の魔導書。追ってくるイクリプスの刺客。そして裏に貴族が付いている人買い……。

 もうこんなことに首を突っ込んでいられない。


 さっさとこの宿を出て、今まで通り路地裏に逃げ込んで過ごせばいい。

  聖典のことはいつかほとぼりが冷めるし、今まで通り自警団さえかわせれば何とか生きていけるのだ。


 そうだ。それが最善なのに……。


 ……何を迷う? 何で迷う?

 もうどこにも希望なんてない。

 分かっているのに……何故ここで足を止める?


 どうやら外側から見てもピエドラは葛藤しているように見えたらしい。

 心配そうにマイテが近寄ってくる。


「ねえ、ピエドラ……変な気は起こしてないわよね?」

「……」

「私達にできることは限られてるでしょ? あなた、今は上手く魔術が使えないみたいだし」


 迷う心に、冷静に打ち水されていくようだった。

 全部正解だ。

 魔術で火起こしすらまともにできないような人間が、何をどう頑張ったら貴族がバックにいる人さらいと渡り合うことができるのか。


 震える娼館長と、不安げにこっちを見るマイテ。


 時間は冷たく通り過ぎていく。ソルがいなくなって、それでも大人達が何もできないまま、過ぎていく。


 いつの間にかきつく握りしめていた杖に額をつけ、ピエドラはその場に座り込んでいた。




 立て続けに現れる暗闇の中を、ソルは誰かに担がれ運ばれていた。


 袋を被せられたまま馬車に乗せられ、その状態でどれほど走っただろう。

 雨の後で道がぬかるんでいたのか、馬車は車輪をとられ途中何度も止まり、かなり時間をかけて目的地までたどり着いたようだった。

 昼が夜に変わるほどではないが、もといた娼館街からはだいぶ離れたはずだ。


 馬車の中には自分の他に何人か人が乗せられている気配を感じたが、下手に声を出すこともできず、行き先も分からずじまいだった。


 馬車から降ろされた後も、男の手で担がれどこか……多分石造りの天井の高い建物の中を、ずいぶん長い間運ばれた。ひんやりした広い部屋をいくつも通り、さらに細長い階段を下って。

 奥へ奥へと進む度に、気温は低く、明かりは乏しくなっていった。


 そして、


「大人しくしてろよ」


 その声と共に被せられていた袋が外され、どさっと何かの内側に突き倒される。後ろでガシャンと金属の扉が閉められる音がした。


 そこがどこなのか自分の目で確かめる前に、去っていく男の足音とともに明かりが消えた。


 仕方なく、軽く頭を振って周囲の気配に集中する。

 危害を加えてくる者や獣の気配はないが……いかんせん暗い。


 手探りで歩いてみる。

 前方には冷たい鉄格子。側面は石積みの壁か。見事なまでに牢屋だ。

 鉄格子の向こうに、わずかに蝋燭の白い輪郭が見えるが、火が灯されていないため辺りは一寸先しか分からない暗闇なのだ。

 ご丁寧に、獲物を牢に入れた後消していったらしい。


 石の壁の隙間から湿気とともに冷気が流れ込んでくる。

 地下か洞窟か。どちらにせよ居心地のいい環境とは言えない。


「光よ」


 短い囁きとともに、手の平の中に小さく淡い光の玉を灯す。

 さすがに聖典は取り上げられてしまった。

 杖も魔導書もない状態では、このくらいの魔術しか使えない。


 小さな明かりを灯して分かったのは、決して広くないその牢屋には自分だけでなく、他に三人ほど若い娘が詰め込まれていたということだ。


 どうやらソルと一緒に馬車に乗ってきた者達ではないようだ。

 長い間ここに閉じ込められているのか、ソルが近付いて行っても誰も声を上げない。

 皆疲れきったように壁や床に体を預け、ぐったりと宙を眺めている。 


 こんな状態では何か尋ねても答えてはくれないだろうか……。


 しかし、


「あなた、魔術使えるの?」


 一人、奥の壁に寄り掛かっていた十歳ほどのお下げの少女が、うっすらと目を開けてソルにたずねてくる。

 服装からして農民の娘だろう。

 黒く汚れた頬をしているが、まだ他の二人と違って瞳に生気があった。


 「ええ。少し」と答えながらソルは少女へと近付く。一番引っ掛かっていたことは、まずは彼女に聞いてみることにした。


「ここがどこか分かる?」

「ううん。目隠しされて、馬車で連れてこられたから……」


 悲しげに少女は首を振る。

 彼女もソルと同様のさらわれ方をしたようで、この場所のことは知らないようだ。


 もうこれ以上この場所について分かることはないかと思っていた矢先……。


「南の村の外れの、『悪魔の城』だよ」


 鉄格子に肩を預けて、暗い牢屋の外を見る格好になっていた女が突然口を開いた。

 酒に焼けているのかかなりのしゃがれ声で、喋り方もずいぶん気だるげな様子だった。


「城?」

「あ、悪魔?」


 ソルとお下げの少女が口々に聞き返す。

 なおも宙を見たまま、しゃがれ声の女は答えた。


「この辺りでは有名な、怪物やら魔物やらが出るって噂の城だよ。十何年前に王都で処刑された魔女の家族が住んでた城さ。刑死した娘の亡骸を城の墓地に葬ったらしいんだが、それから城の中を魔女の霊が歩き回るようになったとか。魔女の霊が他の魔物を呼んで、城は人が住めない魔窟になったんだ」

「なるほど。人が近付かない悪魔城か……」


 さらってきた女を隠しておくには最適な場所だ。


 改めて、ソルは自分を囲む気配に集中する。

 この牢屋にいる全員、強弱はあれど魔力を持っているようだった。

 ということは、これは最近魔力のある女が立て続けに拐かしに遭っているという、あれか。


 鉄格子の外にも集中を向けてみる。

 冷たい空気の中に、かすかな魔力の流れを複数感じた。

 この牢屋の他にも、この空間にはいくつか牢屋があって、そこに数人ずつ魔力のある人間が閉じ込められているようだった。


 暗がりに、かすかにすすり泣きのような声も聞こえてくる。多分先ほどソルと一緒に連れてこられた女が泣いているのだろう。


 同じ馬車で連れてきた者達を引き離したのは、恐らく顔見知りの可能性を考慮しているのだ。

 同じ場所で捕らえた者同士を一緒にすると、協力して逃亡をはかる恐れがあると踏んだらしい。

 若い女といっても魔力があるから、そこは警戒しているようだった。


 そのまま鉄格子の前に立って思案していると、お下げの少女が恐る恐る聞いてくる。


「ねえ。あなた魔術が使えるなら、この檻から逃げたりできる?」


 彼女自身なかなか強い魔力があるように思うが、魔術の使い方については疎いらしい。

 自分で魔術を使ったこともあまりないようだし、魔術が使える条件についてもよく知らないようだった。


「残念だけど、杖も魔導書もない状態じゃ、ごく弱い魔術しか使えない。一瞬火花を起こしたり、小さな明かりを灯せるくらい」

「そ、そっか……」


 しかし肩を落とすお下げの少女とは反対に、ソルは静かに宙を見据えるとこれからの算段に入った。


「さて。助けは……来ないだろうし。自分達で何とかするしかなさそうだね」

「な、何とかするって……。弱い魔術しか使えないんでしょ? どうやって逃げるつもりなの?」


 お下げの少女が目を見開く。

 あまりに大胆な発言に、例のしゃがれ声の女も口をはさんできた。


「やめときな。妙な真似すると殺されちまうよ? またどこかへ運ばれるまで大人しくしてりゃいいのさ」

「大人しくしてるといいことがあるの?」

「殺されなくてすむじゃないか。……どうせ売られた身だ。今度もまたどこかへ売られるんだろ。娼館にいるのと何が違うって言うんだい?」


 酒焼けといい、肩をはだけたその格好といい、彼女は娼婦だったらしい。

 波乱の人生を送ってきたのか、その口ぶりはどこか投げ遣りだった。


 だが、


「違うらしいよ」


 その投げ遣りを牢屋の新入りは即座に叩き折る。そして鉄格子の外に耳を澄ませた。


 おそらくここは地下牢なのだろう。牢屋の上の方……多分、階段を上がった先と思われる方から、かすかに男達の声が聞こえていた。

 どうやら牢番同士で話し込んでいるらしいが、その会話の内容というのが……。


「ホントにあんな女どもの血で魔力が上がるのか?」

「さあな。貴族様がそう言うんなら、そうなんじゃねえか。買い手はみんな魔術師様なんだから」


 特別大きな声量で話しているわけではないが、階下の静寂のために、内容ははっきり聞き取れる。

 ソルの横で会話を聞いていたお下げの少女が震え出した。


 そんなことは知らず、男達は彼女の身への言及を始める。


「あのお下げの小さい娘はずいぶん前に連れてきたのに、何で牢屋に入れっぱなしなんだ? 他の女はさっさと買い手のところに送られていくのに」

「そういうシュミの貴族様用に取っとくんだそうだ」

「そういう趣味って、貴族の目的はあいつらの生き血だろう?」

「若い女が秘密のルートで男に買われるんだぜ? それだけのはずがないだろ? 散々楽しんだ後で、ようやくその血をいただくのさ。最近はそういう『注文』を付けてくる貴族も多いらしい」


 少女はもうそこまでしか聞いていられなかったらしい。

 鉄格子に背を預けると、がくりとその場にへたり込んでいく。


「う、嘘……。あたし達……」


 その体は恐怖に震え、今にも顎がガチガチと鳴りそうだった。


 しかし、


「なるほど、生き血か。魔力は血流に乗って全身を巡ってると考えられてるからね」


 震える少女のとなりで、ソルだけは冷静に得心がいったようなため息を漏らす。

 その落ち着きっぷりに、お下げの少女は先程とは違う意味で大きく目を見開いた。


 例のしゃがれ声の女もさっきの会話に唖然としているようだったが、この牢屋の新入りだけは違う。


「じっとしてると、悪魔城の次は吸血鬼のお城に連れていかれるみたいだね」


 どこか悠長なその言葉に、聞いている者達はあらゆる意味で顔を青ざめさせていくだけだった。




「ピエドラ。もういいでしょう?」


 座り込む魔女の肩に、そっとマイテの手が回される。


 軒先に風が吹き、そこに飾られた極彩色の飾り布をなびかせていく。その音だけが今はやたら大きく響いた。


 沈黙が落ちた、娼館の玄関口。


 ……誰も何も言わなくなってからしばらく時は進み。

 流れたのは、少女を救う術は何もなく、ここにいる全員がソルを見放すしかないという事実を受け入れるための時間だった。


 ピエドラの肩に手を回したまま、マイテはつぶやく。


「……これはソルの、運命だったのよ」

 

 絞り出すような、声だった。肩に回る手が震えている。

 飲み込み難い現実を、必死で飲み込もうとしている者の姿だった。


 彼女も自分を抑えているのだ。

 もしソルを取り返そうと動けば、ことはマイテだけの問題にならない。この宿の全員が人買い貴族の次の標的になる。

 魔女狩りにあった幼少のときのように、彼女はまた自分の暮らす場所が燃え上がるのを見なければならなくなるのだ。


 貴族が為すことを、止められる平民はいない。

 その力の前に、絶対的に無力なのだ。

 彼らが為したことを、そのまま受け入れなければならない。

 この世界の、未だ覆せぬ理だ。


 もし少女を救いに行ける者がいるとすれば、唯一ピエドラだけはこの宿とは無関係だ。

 しかし人さらいの組織と戦うには圧倒的に力不足。

 炎はなんとか焚き火に使えるだけ、雷は小魚を浮かせるだけ……それで何ができる?


 ……目の前を過ぎる赤い流れは続いていく。この時代を生きる宿命は、決してひっくり返らない。


 迷わずマイテを助けに走ったあの日は遠く。宿命に沿い足を止めて、今度こそ自分が何者か思い知るときだ。


「……あんたの言う通りよ。あたしにはどうにもできない」


 床に視線を落としたまま言った旧友に、マイテも安心したように肩の力を抜く。


「そう。でも行かなくて正解よ。相手が相手だもの。命をかければ、救えるわけじゃない」


 そうだ。何も救えない。救えなかった。


 このまま魔術を使わなければ、魔力との繋がりもいつか断たれる。そうすれば普通の人間に、そして普通の大人になれる。

 もう自警団にも追われなくてすむかも知れない。


「あたしは……魔術師じゃない」


 杖を持たなければ、こんな思いを味わう日も来なくてすんだ。底のない無力も、子どもの命を見放す後悔も。


「最初から、魔力がなければよかったのにね……」


 旧友のその言葉に、マイテがはっと息を飲む音が聞こえた。


 やるせなく、魔女は小さく背を丸めていく。

 葛藤の終局。そしてすべてを手離すときが来た。


 気持ちに反して……まだ杖を持つ手には力が入ってしまうけど。

 

 言葉と体がちぐはぐな魔女の姿を、最後まで悩み通すその姿を、マイテはじっと見ていた。

 ずいぶん長い間、旧友がそのままでいるのを。


 そして。


 頭の上で、何か意を決するようにマイテが息を吐くのが分かった。

 不思議に思いながら、ピエドラが頭を上げると……。


「ねえ、ピエドラ。今さらだけど、どうしてあのとき、私を助けてくれたの?」

「え?」


 そこにはただ、凪いだ瞳で自分を見つめるマイテの顔があった。


「私が魔女狩りにあったとき。森の中まで追いかけてきて、自警団から私を守ってくれたでしょ」


 何だ。あのときの恨み節か。

 そんなの……。


「……自分の力におごってたのよ。何でも出来ると思ってた」


 その言葉に、マイテは少し……少しだけ息を吸い込んで。

 視線が迷い、宙を向き、そして最後にピエドラを見た。


「そんなことない。すごく真剣だった。あなたもあの場で一緒に死んでたかも知れないのに」

「……マイテ?」


 座り込むピエドラに向けて、旧友は何かを辿るように言葉を続けていく。そのたび声が震えていった。


「会うのはこれで最後かも知れないから言うわ。……あなたが、雨みたいに飛んでくる自警団の矢から私を守ってくれたとき、あなたに魔力があって良かったって心から思った。辛い道かも知れないけど、あなたにはそのまま、魔術師として生きてほしかった」

「……」

「あなたの前から姿を消したのは、私にかかずらってあなたまで自警団に追われてほしくなかったから。……生かされて恨んでたわけじゃないわ」


 膨らんだ涙袋が震える。

 しかし言葉が溢れ出すまま、その語気は強まっていく。

 二十年という時がせきを切って流れ出すように。


「両親を失ったあの日のことは、今でも頭から拭い去れない。でもあの日の記憶の最後は、私を助けてくれたあなたで終わる。……時代は許してくれなかったかも知れない。でも、あなたは私の最後の――」


 旧友の肩をつかみ、彼女は途切れさせていた言葉の続きを口にしようと息を吸い込む。


 しかしそのとき。


「ちょっと娼館長、聞いてよ」


 隅で頭を抱えていた娼館長。座り込むピエドラとそれに必死で語りかけていたマイテ。

 固まる三人の前で、玄関の扉がばっと開かれる。

 そして額に手を当てうんざりした様子で、一人の娼婦が宿の中に入ってきた。


 この宿に所属しているらしい彼女は、なおも迷惑そうに雇い主に向けて言う。


「表に変な奴らがいるのよ。なんか黒いマントで全身覆ってさ。顔すらまともに見えないの。まったく気味が悪いわ。あんなのが歩いてたら客が寄り付かないじゃない」


 その言葉に、魔女は一人目を見開いていた。

 それにかまわず、娼婦はなおもまくし立てる。


「そいつら、小さい女の子と杖をついたボロ着の女を探してるんだってさ。そんなのどこにでも転がってるって……」 


 言葉の続きを待たずに、ピエドラは静かに立ち上がっていた。……立ち上がらなければならなかった。

 涙袋を膨らませたまま、マイテが不思議そうにこっちを見る。


「……ピエドラ?」


 聖典の番人の老人の言った通りだ。

 運命は決して待ってはくれない。

 なけなしの決意なんて待たずに、最後の一押しを決めてくる。


「……もうここにいられない」


 黒マントがこの街にやって来た。

 そして予想よりずっと執念深く、この身を探しているという。

 このままここにいたら、何人無関係の者を巻き込むだろう。


 そっと、マイテから離れる。


「ソルを追いかけるわ。ソルと一緒じゃなきゃ、どっちにしろあたしは破滅するのよ」


 一人ではここに残ることも、王都へ行くこともできない。

 情けない理由でも、今はそれだけだ。その一点だけが背中を押す。


 宿を出なければ。

 玄関の戸口の方へと後ずさっていく魔女を、マイテはただ呆然と眺めている。


 マイテの……旧友のさっきの言葉の容量が大きすぎて、魔女はまだ何一つ飲み込めていない。

 自分が誰かを救ったなんて、まだ信じられない。


 話せただろうか。

 時間が許すならもっと……。

 これが今生の別れかも知れないならもっと……。


 心残りを振り切るように、首を振って歩き出す。杖で大きく床を押した。


 行かなければ。


 例の悪魔城の場所について、まったく手掛かりなしではない。

 娼館長が言うに、ソルは人買いに馬車で連れ去られたようだ。

 玄関の扉の隙間からそっとのぞけば、表にはくっきりその車輪の後がついているのが分かる。しばらくはあれを追えるだろう。


 息を大きく吐いて、ドアノブに手をかける。


 しかし外を警戒しながら出ていこうとするピエドラを、すんでのところで後ろからマイテが引き止めた。


「待って、ピエドラ。歩いてソルを追いかけるつもり?」


 目頭をさっと拭うと、旧友の肩に手を置く。

 その手はもう震えてはいなかった。


 いくらか負っていたものが下りて……何となく、魔女のこの選択を知っていたような顔をしていた。


 驚くピエドラに、彼女は指輪がはまった左手を振ってみせる。


「商隊の隊長が相手だって言ったでしょ?」

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