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龍とたてがみとギャラクシア  作者: 雨野グッピー


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第9話 代理と人狩り

「――最近横行している『吸血目的の娼婦狩り』。その真相を確かめるために、城を離れたいんだ。君にはその間の留守を預かってほしい」 



 代理として座る宮廷筆頭魔術師の執務室で、ダリオは一人、テラスから見える空を眺めていた。


 そして頭の中に甦る声と青空を行ったり来たりする。まさに上の空だった。


 正午過ぎの太陽は高く。四角く刈り込まれた庭木を燃えるような緑に、段違いに流れる人工池の水を閃光のような青に輝かせている。

 

 宮廷筆頭魔術師レオナルドから、その留守の間の執務を任されて三日目。


 散らかりまくりのレオナルドの自室とは違い、王城内にある彼の執務室は小間使いによって隅々まで整理され、庭の見える大きなテラスも備えられている。

 部屋の中には来客用のテーブルセットまで置いてあって、正直居心地が悪いほど広い。

 さすが、この魔術大国で一番の宮廷魔術師に与えられる仕事部屋だ。


 空模様はここ数日ずっと晴れ。西から大きな雲が流れてきていたが、この辺りでは大した雨にはならないだろう。


 向かう机の上の書類を、パラパラと乾いた風が吹いていく。


 子どもの頃は雨の多い地方で育ったが、王都周辺は温暖で雨も少ない。

 先日城を旅立ったレオナルドも、うまく雨雲を避けられたはずだ。


 ピーピーと、執務室内の静けさを破るように、足下からある音が響く。


 それを聞きながら、ダリオはぼんやりと過日のレオナルドとのやり取りを思い返していた。




「最近横行している、吸血目的の娼婦狩り。その真相……黒幕を突き止めるために城を離れたい」


 ほのかなランプの灯りのもと、宮廷筆頭魔術師は確かにそう言葉をつむいだ。


「ダリオ、君にはその間の留守を預かってほしい。宮廷筆頭魔術師代理として、宮廷魔術師達をまとめてほしいんだ」


 ダリオの目を、その瑠璃色の瞳でまっすぐ見ながら、当代最強魔術師はそう告げる。


 しばらく、返事を返すことができなかった。


 やっぱりもっと身だしなみを整えてくるべきだった。いいや、心の準備をしてくるべきだった。


 こんな時間に、宮廷筆頭魔術師直々に自室に呼び出されたのだ。どんなとんでもない頼み事をされるのかと思っていたが……これはとんでもない頼み事だ。


 代理として執務を任されるのはいい。宮廷筆頭魔術師と言えど、留守には仕事を代わる者が必要だ。

 しかし今しがたレオナルドがダリオに話した、彼が城を離れたい理由というのはこの場だけの極秘事項だろう。


 魔術の世界では今、影に表にとんでもない噂……迷信にも近い悪魔の噂が席巻している。


 ――魔力のある若い女の血を体内に取り込む。それによって、自身の魔力を底上げすることができる――。


 一度聞いたら嘘だと思うだろう。いくら何でも突飛で馬鹿げた噂すぎる。

 根拠も何もないばかりか、そんなの試すこと自体禁忌だ。


 ……しかしときは世界を巻き込んだ大魔術師時代。力がすべての世界は、この噂を『現実』へと変えてしまった。


 変えたのは、この国に現れた新たな支配階層――魔術師貴族。


 戦における功により家名と爵位を手に入れた魔術師達が祖となった、国の新興勢力だ。

 この魔術師時代において、しかし圧倒的な力を持つ彼らは、今やこの国の中心に確固たる基盤を築いている。

 城に仕える宮廷魔術師のほとんどが、この魔術師貴族出身だ。


 ……問題はこの、時代の栄華を欲しいままにする彼らの発展の仕方の一部にある。


 魔術の素養は親子間である程度遺伝する。

 強い魔力のある者同士の間には、強い魔力のある子が生まれる可能性が高い。


 家の勢力を保ち続けるため、魔力のある子女を持ち、育てることは魔術師貴族の大事。

 そのための政略結婚は当然で、彼らは魔力のある貴族同士で結びながら、世代を経るたびその勢力を伸ばしつつある。


 ……しかし魔術師貴族に生まれながらも、思うように魔力を得られなかった人間はいる。

 悪魔の噂は、その隙間に瞬く間に浸透したのだ。


 他人の血を使って自身の魔力を上げることができる。その噂が、力を渇望する者達の間で鵜呑みにされどうなったか……。


 魔術師貴族達は、裏で巨大な人身売買の市場を持つようになったのだ。

 これもあくまで噂の域を出ないということになっているが、そのような市場があることはほぼ確定している。


 人身売買市場の目的は一つ。魔術師貴族達に、生きた女とその血を提供すること。

 そして今、その市場で扱われる『商品』として狙われているのは、


「娼婦……」

「売られてきた身の彼女達は、いなくなっても探す者がいない。彼女達の魔力に目を付けた娼館の主が人買いとグルになって、魔術師貴族に彼女達を『斡旋』するんだ」


 淡々と、レオナルドはただ分かっていることだけを話す。


 この部屋で彼に指示を受ける者達は、皆この顔を前に覚悟を試されるのだろうか。


 ランプに照らされる顔はまだいつものレオナルドのものだ。

 しかし彼は、こんな話をしていてもその長いまつ毛一本震わせることがない。

 恐ろしいくらいに冷静だ。


 その姿に、改めて彼がこの国のどの地位にある人物か思い知らされる。


 国の粋たるこの城で、ただ魔術や研究だけに没頭していればいいわけではない。

 国に仕え、王の近衛でもある宮廷魔術師達は、政治にも深く関わる必要があるのだ。


 その筆頭ともなれば、大臣や軍の総帥でしか知り得ないことも同じように知っている必要があるし、彼らに出し抜かれぬようさらに先を読む政治力も不可欠になる。

 この人はそれを十二年こなしているのだ。


 そんな人物から聞かされるのが、今世紀の悪夢とも言える、魔術師界最大の醜聞とは……。


「とんでもない話だ。妄言に惑わされて民衆に手を出すなんて……」

「確かに俺達なら噂が妄言だと一言で切って捨てられるが、力を渇望する者はそうじゃない。出世のためなら彼らが何でもすると、今の状況がよく教えてくれる」 


 突き付けられる事実に、思わず奥歯を噛む。

 ……どこまでも歪んだ構造をしている。


 魔術師の世界は、実力こそすべての世界。

 魔力のある者だけが出世し、力を持つ。そうでなければあっという間に淘汰されてしまう。

 それは事実だ。だがそのために自分達に逆らえない下層の者から命の搾取をするなんて……。


 噂の元凶は不明だが、実行しているのは魔術師貴族でほぼ間違いない。

 国中の人狩り組織と繋がり、人身売買の市場を闇の内に伏せておけるのは、国の特権階級である彼らしかいないのだ。


 ……実力ある魔術師は、裏では魔力増強のために女の血を啜っている。


 今では貴族の社交の場でさえ、まことしやかに囁かれている冗談だ。


 ふと、壁際に取り付けられたランプの一つの炎が揺らいだ。

 レオナルドは椅子からゆっくり立ち上がると、そのランプの火を消し、燃料のオイルをつぎ足していく。


 どうやらこの部屋のことは小間使いには任せず、すべて自分で行っているらしい。

 そのまま彼は話を続ける。


「人買いの狙いは娼婦だけじゃない。騒ぐ者さえいなければ彼らは何でもする」

「農民や貧民の娘か……」

「まあ、いなくなっても上が動かない者を狙うだろう。貧しい平民の娘がいなくなっても、役人はろくに探したりしない。それが家族もなく路上生活を送る娘ともなれば、いなくなったことを通報する者はおろか、気付く者さえいないだろう」


 ランプに指先を添え、レオナルドはふうと息を一つ。そしてその息とともに灯された火を片手の動きだけで操り、ランプの明かりを調節する。


 路上生活者の中から魔力を持つ者を探し出すのは難しいが、同時にかどわかしやすい。

 魔力を持つ上流階級の女子を誘拐するのは簡単ではないが、娼婦と同様に彼女達ならさらいやすいということだろう。


 この国では未だ、人の命に階級別の優劣が付く。貧しい女がいくら消えても役人が動かないからこそ、この問題は今まで大きく取り沙汰されてこなかった。


 ……まさに魔窟だ。


「ダリオ……そんなに肩を怒らせなくても」

「あ、ああ。ごめん」


 レオナルドの話を聞きながら、ダリオは思わず感情のままに肩を怒らせ口を引き結んでしまっていたらしい。

 がらくたをかき分けながらこちらへと戻ってくるレオナルドの指摘に、息を吐いて背中の力を抜く。


「まあ、こんな話を聞いたら当然の反応だ」


 ダリオと違って、淡々と事実だけを述べるレオナルドには淀みがない。私情から離れて職務をこなすことに慣れた者の姿だ。


 椅子には座り直さずテーブルの横に立ったまま、彼は彼方に目線を向ける。


「もうすぐ獅子の魔術大会。それまでに、人狩りは一層激化するだろう。大会の順位を上げるために、魔力を増強したいという貴族は少なくないはずだ」

「……」


 今ここで頭に血を昇らせても事態は何も良くならない。……それは分かっているが、再び肩に力が入ってしまう。この国の中枢に蔓延る、どこまでも醜悪な事実に。


 レオナルドは言葉を続ける。


「だからこそ、今のうちに手を打たなければならない。娼館街からの人の流れを伝って、彼らの根城にはだいたい目星をつけてある。後はそれをどうするかだけだ。……大会直前で魔術師貴族が見境なく『贄』を集めている隙を狙いたい」


 やはり怒りに肩を震わせるだけのダリオとは格が違う。


 相手は腐っても貴族。力ある者の凶行を止めるには、それなりの対策が必要だ。

 故にレオナルドはずっと前から、この日のために念入りな準備を行っていたらしい。


 そしてダリオはその『準備』の一部に選ばれたのだ。

 レオナルドは言う。


「残念ながら、他の宮廷魔術師に俺の代理は頼めない。誰が人狩りに関わっているか、分かったものじゃないからね。……今は君だけが頼りなんだ」


 どうやらダリオは信頼できる、できないの消去法で宮廷筆頭魔術師代理として選出されたらしい。

 レオナルドが事前に部下に調査させて、ダリオが人買い市場と無関係と判断したのだろう。

 しかしダリオが潔白ということは、他は……。


「宮廷魔術師の中に、人買いに関わっている者がいる、ということか」


 レオナルドは静かに、片眉だけを上げる笑みでその言葉に応えた。


「それを確かめるためにも、俺は城を出る必要があるんだ。どう? 宮廷をしばらく留守にすることを認めてくれるだろう?」

「認めるも何も、君は筆頭魔術師なんだから、ただ僕に命じてくれればいい。僕で力になれるなら何でもするよ」


 少しの間執務の代理を任されるくらいならお安い御用だ。

 レオナルドはこれから、今まで誰も踏み入れなかった魔術師貴族達の闇に飛び込もうとしているのだから。それに比べれば……。


「ダリオ?」


 レオナルドが首を傾げる。

 いつの間にか、自分でも気付かない内に、ダリオのテーブルに置いた拳は震えていた。


「……本当は僕も君に付いていきたいくらいだ。宮廷魔術師なんて言っても何もできない。ただここに座って、身勝手な貴族や魔術師の巻き起こす惨状を眺めているだけなんて」


 歯を食いしばる同僚を、レオナルドはしばらく黙って見つめる。

 しかし、やがて一言。


「宮廷魔術師だから何もできないときもある。相手はそれだけの権力者だ。それでも俺が出向くことで何か変わるなら、そうしたいんだ」


 そして、その優しくも力強い双眸が、ゆっくりダリオの目を見た。


 ふっと、その視線に肩の力が抜けていく。

 励ましの言葉も、見下ろす視線も、穏やかだが頼りがいに溢れていて。

 今まで、本当の意味で彼のことをよく知らなかったのかも知れない。


 飛び抜けた才能を持つ世紀の天才。しかし普段はおっとりしていて、実力故の黒い噂も意に介さない異端の宮廷筆頭魔術師。


 しかし単純に魔力の強弱だけでなく、彼は確かにこの国の『獅子の魔術師』に成るべき資質を備えている。


 そして単純に誇らしい。

 先ほどのように言ってくれる人間が、この国の宮廷筆頭魔術師であることが。


 改めて、ダリオは当代の最強魔術師の目をまっすぐ見据える。


「後のことは任せてくれ。しっかり役目を果たして、宮廷一の魔術師の帰りを待ってるから」


 ダリオの言葉に、レオナルドは少しだけ照れ臭そうに「ありがとう」と微笑んだ。


 暗い話の連続だったが、ようやく表情の柔らかい『普段』のレオナルドが戻ってきたようだった。


「そう言ってもらえて嬉しいよ。これでやっと、安心して師匠の葬儀も上げられる。ずいぶん先生を待たせてたから」

「そうか。お師匠の葬儀も……」


 もともとレオナルドは、師の葬儀をかの人の故郷で行うという名目で王に暇を乞うていた。

 それはただの城を出るための口実というわけではなく、人買いを追いつつも師の葬儀を行う予定は本当にあるらしい。


 それはそうだ。恩師の葬儀は、レオナルドの念願のはずだ。

 彼の師は、無実の罪で十二年も前に刑死している。

 しかし当時はその罪状のために、弟子たちも近親者も、ささやかな葬儀すら行うことが許されなかったとか……。


 ダリオが何か言う前に、レオナルドはポンと一つ手を打って話題を変えた。


「それで、執務の引き継ぎなんだけど……」


 そして彼は自分のすぐ足下に置いてあった木箱の蓋を開ける。

 開けた箱から、何故かピーピーという輪唱が響き始めた。


「間違えた」


 言いながらさっと蓋を閉める。


 そして、「珍しい食材だってもらった鳥の卵、放っといたら孵っちゃったよ」と、すぐとなりに置いてある箱をあさり始めた。


 どうやらさっきの箱のピーピー言う中身は何かの鳥の雛だったらしい。

 先ほどまでの話との落差に、ダリオは思わずポカンとする。


 料理番には黙っておいてくれ、と念押しされた。どうやら成鳥になるまで自分で飼うつもりらしい。


 気を取り直して、レオナルドは代々宮廷魔術師の長が継いでいるという、執務の手引きが書かれた赤茶けた紙の束を出してくる。

 悠久の時を感じる、ずいぶん年季の入った引き継ぎ書だ。


 一介の宮廷魔術師がそんなものを読むのは気が引けたが、誰でも読めるようにしているものだからと、彼はそのすべてをダリオに引き渡した。


 改めて、とんでもない大役を任されてしまったという実感がじわじわと沸いてくる。

 しかしそれより……。


「その、レオナルド……」


 渡された古い臭いの書類から顔を上げて、ダリオは再びレオナルドに顔を向ける。

 相手は不思議そうにこっちに視線を返した。


「宮廷筆頭魔術師にこんなこと言うのもなんだけど、無事に帰ってきてくれよ? 今の宮廷には君が必要だ。陛下とミレイア様にとって、君は一番の希望の星なんだから」


 ダリオはあくまでもレオナルドの代理だ。


 魔術師貴族は家柄でも兵力でも政治力でも精強。それを相手取れるのは、宮廷魔術師の首席であるレオナルドしかいない。

 しかしその戦いの末に彼が欠けてしまえば、宮廷はさらなる混沌に陥るだろう。


 輝くべき場所に輝くべきものがなくなれば、きっと王をはじめとする人々は大きな不安と混乱に陥る。

 レオナルドほどの強い光がなくなれば、特に。


 ダリオの何の気ない言葉に、天才の同僚はいつものようにすぐに笑顔を返してくれると思っていた。


 しかし。


「……」


 刹那……本当に刹那。

 宮廷筆頭魔術師は先ほど人買いの話をしていたときと同じような、いいやそれ以上に感情のない顔をした……ような気がした。

 そして、


「ああ。すぐに帰るよ」


 と、一瞬の間を置いて穏和な微笑みを返してくる。

 先ほどの瞳の陰りなど、なかったかのように純朴な笑みを。


 ……だからダリオの胸には、このときのことが強く刻まれたのだろうか。



 魔術の世界の闇を改めて思い知ったこの日。

 かくして宮廷魔術師ダリオは、宮廷筆頭魔術師レオナルドより、その留守の間の代理を承ったのだった。




 中天の太陽が照らす、眩しい庭を風が渡る。


 執務室に置かれた立派な机から立ち上がって、宮廷筆頭魔術師代理は久しぶりに大きく体を伸ばした。

 テラスの方へ出て、ぼんやり美しい箱庭を眺める。


 ここがダリオの生きる世界。


 どんなに眩しくても、煌びやかでも。

 宮廷もまた、魔力や権力という物差しで人を測る壁の中に過ぎない。


 王公貴族は常に王位継承争いを繰り広げているし、魔術師貴族は魔術師貴族同士で常に隙をうかがい潰し合っている。


 そこに生まれた瞬間逃げ場はない。

 産声を上げ、どれほどの能力を持っているか父母に確かめられたときに、彼らはすでに勝負の世界に立たされているのだ。


 毎日が綱渡り。毎日が決闘。毎日が選別。


 それに勝ち続けるために、他人を自らの贄にしようとするまで追い込まれても……。 


 今は縁を切っているが、ダリオは魔術師貴族の一つ下の、彼らに仕え従軍する魔術師の家系に生まれた。

 そのダリオでさえ、幼少の頃は魔術が使えなければ人とも扱われぬという経験をしたのだ。


 ……人の生き血で己の魔力を増進できる。

 力の有無がすべての世界で、あの悪魔の噂は暗い海に差す一条の『光』だったのだろうか。

 

「ピッピッ」

「おおっと、危ないぞ」


 ふいに、黄色い小さなふわふわ頭がダリオの足下から顔をのぞかせた。そのままオレンジ色のくちばしを先頭に、テラスから庭へ飛び出そうとする。

 ダリオはそれを、手の平にすっぽり包んで部屋の中に戻した。


 宮廷筆頭魔術師代理を引き受けたあの日、ダリオにはレオナルドから、もう一つ任されてしまったものがあった。

 

 先日この世界に生まれた、ふわふわした新しい命。

 レオナルドが孵してしまった何かの鳥の雛を預かったのだ。……五羽も。


 庭に出ようとした雛と同様、ふわふわの黄色い体が四つ、今も縦横無尽に執務室を走り回っている。

 誰もいないレオナルドの自室に置いておくわけにもいかず、五羽ともここまで連れてきてしまったのだが……。


 ピーピーピーピーと、高い鳴き声は絶えず執務室内を行ったり来たりする。

 おそらくアヒルか鴨の雛だろう。

 てっきり一人孤独に執務に当たらなければいけないものと思っていたが、実に賑やかな代理生活となってしまった。


 鳥類の雛は卵から出て初めて目にした者を親と認識するという。

 その『親』であるレオナルドから引き離されたために、雛たちは絶えず盛大に鳴きながら彼の姿を探しているのだ。

 共に世話をしてくれているこの部屋付きの小間使いや従僕も、気を抜くとすぐに脱走をはかる彼らの面倒には四苦八苦しているようだった。


 だがこれも少しの辛抱だろうか。レオナルドならきっと、すぐに真実をつかんでここへ戻ってくるはずだ。


 ふと……執務室を走り回る小さなふわふわの集団を見ながら物思いする。


 食われるか孵るかの二択を、彼らの天秤は最後の最後で孵る方に傾いた。 

 それと重ねるわけではないが、この頃よく思い出すのだ。


 ……ダリオもまた、魔術師の家に生まれた魔力の弱い落ちこぼれだった。

 だが今、そのダリオは宮廷にいる。宮廷筆頭魔術師の執務室で、その代理として陽の光を浴びている。


 手の平を握れば、今は確かに、自分の中に魔力の流れが巡っているのを感じるのだ。


 ――気付けばもう二十年。あの日、その人と出会わなければ、自分も人の生き血に手を出すような、魔力のためなら何でもする人間になっただろうか。


「ピッピッ」


 また一羽、テラスから外に出ようとした雛を部屋の中に返す。


 何にせよ、今はこの宮廷筆頭魔術師代理という立場を全うするだけだ。

 レオナルドと人買い魔術師貴族との戦いはすでに始まっている。

 

 自分がその戦いに協力できるなら、できることは何でもしたいと思う。


 他人をこんなふうに頼りに思うのは……そう、あのとき以来かもしれない。


「……魔術の星よ。漕ぎ出す舟にどうかご加護を」

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