エピローグ
今日は経典庫の虫干しの日だ。
エリザが翻訳を始めてから経典庫は以前より出入りが多くなっているため、掃除の頻度は上げている。でも、本を出して虫干しするのは年に一度の大仕事だった。
最近エリザは夜の自由時間に古語や外国語を皆に教えていた。各自が一番覚えたい言語を選んで、一人一か国語から始めている。
「あ、これは『王女メリーズと女騎士アリス』? なんでヤマタ王国の言葉なの?」
修道女の一人が手に取った本のタイトルを読み上げる。彼女はヤマタ王国の言葉を覚えている最中だった。
「見せて見せて!」
「ほんとだ。ヤマタ王国の文字だわ」
「『王女メリーズと女騎士アリス』って大陸古語の経典でしょ?」
発見した修道女の周りに、皆が集まる。
エリザは彼女の前にある本のタイトルを確認した。
「確かに、『王女メリーズと女騎士アリス』ね」
中を開くと、見慣れた文字があった。
「まあ! これ、聖女カオルコ様の筆跡よ!」
「え? 本当?」
「だったら、カオルコ様の手による写本ってこと?」
盛り上がる皆をよそに、エリザは中を読んでいく。
「これは、新しい解釈だわ!」
「何よ、エリザ。どういうことか説明してよ」
エリザは質問したオルガに向き直ると、
「王女が実は女装した王子だったって解釈で『王女メリーズと女騎士アリス』を読み解いているの。あの経典は、古語が使われていた時代より古い時代の話を書き起こしたものだから、カオルコ様の時代でもいくつか解釈が分かれていたみたい」
それを聞いた修道女たちはわっと盛り上がる。
「王女と女騎士の強い絆の話よね。恋愛とは名言していないけれど、主従愛よりは濃い関係の……」
「王女が王子だったら、セリフの意味が変わってくるじゃない!?」
「え、うそ。読み直したい!」
エリザはさらにページをめくる。すると、後半はまた別の解釈が載っていた。
「待って! これ、後半! 王女が王子で、女騎士も女装した男騎士だって解釈なんだけれど!」
「どういうことよ? 女同士と何が違うの?」
「こちらは、お互いが相手の性別を知らないの」
「えー、複雑すぎる……」
「その解釈は深読みしすぎなんじゃない?」
「そうよね。前提がそこまで変わると、物語全体が変わってこない?」
「でも、読みたいわ!」
ますます盛り上がるところに、シスター・サマンサが現れた。
「皆さん! 口より手を動かしなさい!」
サマンサに怒られて、皆は口々に謝り作業に戻る。
エリザも自分の持ち場に戻ろうとしたら、サマンサに呼ばれた。
「シスター・エリザは気になるなら次はそれを訳したらいいわ。私も気になるからそれにしなさい」
「はい、承知いたしました」
「用事はそれではなくてね、院長があなたを呼んでらっしゃるわ。ハリー司祭様がいらっしゃったそうなのよ。ここはいいから早く院長室に行きなさい」
「ええっ! 年に一度の虫干しですよ? タイトルを読むだけでも新発見があるかもしれないのに?」
エリザは不満を口にする。
「今日は司祭様とのお約束はなかったはずですが……」
「何か緊急の用事なんじゃないかしら。愛を知るために協力してほしいとかなんとか、おっしゃっていたわよ」
「えー、私は今まさに『愛を知る』活動の真っ最中ですよ?」
サマンサに「つべこべ言わずに行きなさい」と背中を押されて、エリザは経典が並べられた講堂をあとにする。
数か月後、ハリー司祭の『愛を知る』活動が以前と少し違っていることにエリザが気づいたときには、彼の『愛を伝える』活動が始まっていた。エリザが『愛し愛される毎日』を送るのは、まだまだ先の話である。
――経典の翻訳で知られるシスター・エリザは、その生の終わりまで修道女だった。
彼女は、聖カオルコ修道院の経典庫や、訪問先の教会の書棚、招かれた他国の王宮の図書館などから、誰にも知られずにいた恋愛小説をいくつも見つけた。『経典に愛されている』と言われるのはそのためだ。
シスター・エリザは経典だけでなく多くの人からも愛された。公私ともにパートナーだったハリー司祭――『黒百合司祭シリーズ』のモデルとして有名――は、布教活動のたびに「今回も気が気じゃなかった」とジョージ騎士――『白騎士シリーズ』のモデルとして有名――に愚痴を言っていたとか。
『黒百合司祭シリーズ』の十五巻収録の一編や十八巻は、シスター・エリザの親友シスター・オルガが執筆した二人の実話だったとも伝えられている。
仲睦まじい二人が婚姻しなかったのは、「『愛し愛される毎日』に婚姻は不要だったから」だそうだ。
シスター・エリザの誓願前の素性は一切伝わっていないため、どんな経緯があったのか後世の研究者はさまざまな資料にあたったけれど、いまだにわかっていないのだった。
おわり
最後までありがとうございました。