24-08 これで聴こえるか?
「銃を捨てろ!」
「撃つな!」
おたがい興奮のなかにあった。俺と認識していないのか銃を下ろそうとしなかった。俺は構えていることに気づいて、グリップを握っていた左手を外し両手を上げた。
「磯野、磯野なの?」
千代田怜だった。怜は俺を確認すると銃を下ろした。柳井さんと竹内千尋も後ろに見えた。怜は俺のいる空閑へと入り、俺の横へ目を落とした。
「……そうか」
彼女はつぶやいた。
俺はつられて目を落とすと、霧島榛名が横たわっていた。俺がいるのは幌延深地層研究センター跡地の換気立坑だった。
しかも二日前の八月二〇日のHAL05とライオネルにかばわれて真柄の部隊から逃げたあとだった。そう、俺がいま見ているのはタイムスリップが行われなかったあとの時間だ。
「ともかくさっさとここから出よう。榛名ちゃんを運び出さないと」
俺はどう答えるべきか迷った。ここから二日後のワゴン車へ戻るためにどうすればいいかは伝えられていない。それならなりゆきに任せておくしかないのだろうか。ともかく俺は榛名の杖を手に取ったうえで彼女を抱え上げた。千代田怜は拳銃を構えなおしてもといた廊下へと戻り、西立坑へと向かう。柳井さんが俺の手から杖を受け取るが、気を遣ってくれたのか、榛名は俺に抱えさせたままでいてくれた。
「疲れたら交代するからな」
これから地上まで脱出するとしたなら、あの長い梯子を上らなければならないだろう。そのとき榛名を引き上げる手立てがあるのだろうか。そもそもどこまで行けば、二日後の世界へ戻れるのだろう。それともこの世界でやるべきことがなにかあるのだろうか。
「磯野、いま話すことじゃないが、霧島榛名さんを生き返らせられる方法があるかもしれないんだ」
「柳井さん、それって榛名をもとの世界に戻せば生き返させられるって話ですか?」
「誰から聞いた? いや、俺はわからんが三馬がZOEから連絡を受けたらしい。それによると、この世界もお前たちの二つの世界も存続する選択肢にたどり着ける可能性が残されているって話だが」
洋館での世界線で聞いていた話とちがう。むこうでは、この三つ目の世界はどうにもならないから、俺たちの世界の存続を優先させるという話だった。二つの世界が融合してひとつになってしまうが、その過程で榛名が生存する状態に戻せる。そのためにいま俺は動いているはずなのに。もしかして、いまいる世界線ではこの事態を打開出来るやり方が存在するのか?
「三馬さんはいまどこにいるんですか」
「この基地侵入する際に使った梯子の上だ。榛名さんを引き上げるために、ウインチ付きのピックアップトラックで待機している。急ぐぞ」
この世界の三馬さんに会わなきゃならない。もしもっといい方法を三馬さんが知っているのなら、教えてもらわないと旭山記念公園での判断を間違ってしまう。
俺たちは、ソ連兵を警戒しながら一五分ほどかけて梯子の下までたどり着いた。見上げると、はるか上から月光が差し込んでいる。柳井さんが無線を取り出した。
「三馬、梯子の真下に到着した。ウインチを下げてくれ。霧島榛名さんを引き上げる」
「了解」
無線をとおして聴こえる三馬さんのくぐもった返事とともに、真上から機械音が鳴り響いた。
「無線を貸してもらえませんか。俺も三馬さんに話したいことが」
「磯野、いまはそんな時間はないぞ。さっさとここから離れないと危険だ」
「でも」
柳井さんは顔をしかめながら、無線に向けて言う。
「三馬、磯野がおまえに話したいことがあるらしい。このまま話せるか?」
「いまか? ああ、代わってくれ」
「三馬さん、榛名を生き返らせる方法ってどうすればいいんですか?」
「ここから脱出してからじゃダメなのかね」
「いま聞きたいんです。俺が知っている方法と同じかどうかたしかめないと」
ゆっくりとケーブルに吊された人ひとりがはいるオレンジ色のバケットが目の前まで降りてきた。千代田怜と柳井さんと千尋の三人がかりで霧島榛名を慎重に乗せはじめた。
「磯野君、きみの知っている方法というのは、ZOEが伝えてきたものかね? もしそうなら、私が知っている方法と同じはずだが」
「二日後の二二日の一四時四四分七秒に旭山記念公園に出現する情報の道を利用して、もとの世界にもどることで、」
「いったいなにが起こったの!?」
怜の声に振り返ると、榛名を乗せたはずのバケットがからになっていた。
「え」
「いま目の前にいたのに!」
まずい。俺は無線を掴みながら三人が覗き込むバケットへと駆け寄った。
「磯野君、私がZOEから聞いている話と違う」
三馬さんの言葉がそこで途切れ、目の前にあったはずのバケットも消えた。代わりに大きな揺れに身体を振り回され、となりにいた竹内千尋にぶつかってしまう。
「磯野!」
「驚いたな」
千尋と柳井が立て続けに声を上げた。ロングワゴンの後部座席に姿勢を崩しながら座っていることに気づいた。
「グッドタイミング! このまま公園まで上りきるよ!」
千代田怜が叫んだとたんに車は加速する。二二日に戻ってきたらしい。腕時計を見ると一四時四〇分をすでに過ぎていた。さっきの三馬さんの言葉に思考が追いつかない。このまま俺と榛名はもとの世界に戻って大丈夫なのか? 高台につけばなにか手がかりが見つかるのか? ZOEはどこまで知って俺たちに指示を与えているんだ?
ワゴン車は旭山記念公園への坂道を走る。まえの追手がどうなったかはわからないが、リアガラス越しにみると追手の影は無かった。
「第二駐車場にたどり着いたら、生体保管装置を担いで高台まで運ぶことになる。真柄博士によるものか、はたまた警察かわからないが、なにかしらの妨害には遭うだろう。磯野君たちが情報の道の扉を通れば、我われは無理をせずに捕まろう。ここまでくれば、我われの役目は果たしたからね。磯野君、健闘を祈るよ」
俺は三馬さんに返事が出来ず黙り込んだ。情報の道の扉の出現まで、すでに三分を切った。さっきの世界の三馬さんの言いかけたことはいったいなんだったのだろう。別の方法がある? どちらにしろ、高台を登り切ったらもとの世界へ帰るかどうかの決断に迫られることになる。こんなときに二択を迫ってくるんじゃねえよ。洋館での話だけなら、素直に帰ればいいんだ。それとも、それぞれの世界線のZOEは互いに予測が違っているってことか?
妨害もなくロングワゴンは第二駐車場へと入った。高台へいちばん近い奥まで車を寄せて止まる。俺たちは車からいっせいに降り、霧島榛名の入ったカプセルを外へ出す。ひとり車に残る千葉が、運び出されるカプセルを目で追っていた。
「磯野さん、お気をつけて」
千葉の別れの言葉に俺はうなずいた。このまま俺と榛名がこの世界から去ってしまったあとのことが、いまさら脳裏によぎる。いまいる世界のみんなはこの世界が存続するという希望のもとに動いているのだろうか。それとも洋館の世界線のように、この世界が消失することを前提に俺に付き合ってくれているのか。いまさらそんなこと聞けやしなかった。
高台へと向かう階段を、千代田怜が拳銃を構えながら先行する。そのうしろを男四人が生命保管装置を担ぎ、あとに続いた。目的地は高台にある、涙を流していた俺のドッペルゲンガーが座っていたベンチだ。階段をのぼるにつれて、札幌の景色が眼下にひろがりはじめた。
高台へとたどり着いた。左をみると、ひらけた空間に目当てのベンチがあった。人の気配がない。不気味に感じながらも、一歩一歩目的のベンチに近づいていった。
風を切る音が一瞬遅れて聞こえたあと、千代田怜の体が宙に飛んだ。
「え」
狙撃だった。どこから撃たれたのかわからない。そんなことはどうでもいい。すぐに怜のそばに駆けつけたかった。が、生命保管装置を担いだままでは無理だった。
「怜!!」
そもそもいま起きたことを、俺たち四人は把握しきれていなかった。ただ、ここから一歩動いたら、今度は俺たちのうちの一人がおなじように撃ち抜かれるということだけはすぐにわかった。
「落ち着け磯野! いまは動くな。今度は俺たちが狙撃される」
「そんなのわかってますよ!」
横たわったままの怜は、ピクリとも動かない。ベンチからわずか五メートル手前で、俺たちは動けなくなってしまった。どこから撃ってきた? どちらにしろ、こんなひらけた場所で、しかもカプセルを担いでいては格好の的だ。おだやかな風に乗って、彼女の血のにおいが鼻に届く。いまにも気が狂いそうだった。
「もういい。このままカプセルを下に降ろしましょう。そうすれば、俺たちがもとの世界に戻るのを諦めたことが相手に伝わります」
「そんなことをしたら、榛名さんは助からないんだぞ? 死んだままの榛名さんときみは、この世界がブラックホールに飲み込まれるまで監禁されてしまう。榛名さんを救うなら、まえに進むんだ。きみたちは、もとの世界へ戻らなければならない」
この世界のみんなも洋館の世界線と同じ決意をしていたんだな。目の前の怜は生きているんだろうか。死んでしまったのだろうか。どうすれば、あいつと榛名の両方を救えるんだろう。
「姿をあらわせ真柄!! 話したいことがある!」
俺はあたりを見回しながら叫んだ。
「磯野君! なにをするつもりだ!」
「三馬さん、みんな、真柄との交渉が済んだら、榛名をあのベンチまで運び込んでください」
「ダメだ磯野! どうしたってこの世界は消え去るんだ」
「柳井さん! ほかに選択肢があるみたいなんです!」
「なに言ってんだ?」
「さっきの遷移で、ZOEが、」
ヘリのローター音が、風圧が俺たちを襲った。俺たちの死角から軍用ヘリがあらわれた。俺たちが振り向くと、開かれたドアに真柄とISO、そして狙撃手がこちらに銃口を向けていた。さっき撃ってきたのとはべつの狙撃手なのだろう。それでも俺たちを威圧するには十分効果があった。
「三馬さん、通信用のイヤフォンってまだ持ってますか?」
「ああ、私の上着のポケットに入ってはいるが」
俺は生命保管装置を担ぐのをやめて、三馬さんのポケットから通信用イヤフォンを取り出し、自分の左耳につけた。
「これで聴こえるか?」
「ああ、聴こえている」
真柄の声だった。
「真柄、あんたは俺と榛名のどちらか片方が残れば、まだこの世界は維持できると言っていたな」
「たしかに言ったさ。だがいまさらその言葉を信じると思うかね。ZOEがあの外国人を使って襲撃し、きみは逃げ出したじゃないか。それに霧島榛名さんをもとの世界へ送り返したことによるこの世界への負荷は馬鹿にならない。交渉をするなら、もっと良いカードを持っているときにするべきだったね」
真柄の言うとおりだった。圧倒的に有利な状況なのに、俺の要求を通すはずはない。けれど、それなら世界線の遷移は、この状況を打開するはずだった超常現象はどうして起こらなかった?
突然、俺の左耳に真柄とは別の、愛すべき人の声が語りかけてきた。
「いいですか聞いてください。あと一〇秒後に情報の道が開きます。三馬博士に声をかけたあと、前方に走ってください。あとはわたしがなんとかします」
「ハル!?」
「なに!?」
俺と真柄の声が重なった直後、目の前のヘリに衝撃が走り傾いた。
「三馬さん!!」
俺の声を聞いた三馬さんたちは、意図を理解してうなずき、カプセルを担いだままベンチに走り出した。同時に俺はヘリに向かって走り出す。ヘリは傾いた姿勢を戻したが、狙撃手は俺に一度照準を合わせたあと、後ろに向けなおそうとした。そこへもう一度ヘリが揺れた。俺は振り返ると、ベンチに置いたはずのカプセルが消えるのが見えた。三馬さんたちはそれぞれ地面に伏せる。
榛名を送り返すことに成功した俺は、ヘリに向けて両手を上げるが、ヘリの狙撃手は俺でも、三馬さんたちでもないさらに奥に銃口を向けていた。
「ハル!!」
俺が振り返り叫んださきに、匍匐姿勢でヘリコプターを狙うHAL05がいた。
「磯野さん、あなたに出会えて本当によかったで」
その声がノイズに塞がれたのと同時に、一発の銃弾がHAL05を貫いた。
「真柄あああ!!」
俺はヘリに向かって振り返り、白衣の男を睨みつけたが、狙撃手はすでに三馬さんたちに照準を合わせていることを悟った。俺はもうなにもしないことを示すために、両手をあげ、なかば懇願するようにひざを落とすしかなかった。





