24-07 ふっざけんなあ!!
「わかった。三馬、行き先のルートをナビしてくれ」
ロングワゴンが屋敷を後にする。車が加速してゆっくりと屋敷が遠ざかり、車が左折したところで木木に隠れてしまった。ごめんな怜。このまま行かせてくれ。
一〇分程度車を走らせ、県道へと出る道へ差し掛かった。
「ここだ」
三馬さんが柳井さんに伝えた。
車は路肩で止まった。車の往来がまったくないのが不気味だった。
「緊急事態宣言もいまだに解除されていないからね。人工衛星の墜落後、GPSも電話回線も制限されている。こんなときに外へ出回るなどよほどの事情を抱えている人間だろう。柳井、そっちだ」
三馬さんは柳井さんに指をさした。柳井さんと竹内千尋は、三馬さんの指差したさきを何度かたしかめて、ポケットから取り出した白いチョークで車道に線を引いた。
「ZOEの指定した地点が正確なら、この線を越えればタイムスリップを伴った世界線の遷移が起こるはずだ。遷移先はこのロングワゴンと同じタイプの後部座席にきみと、榛名さんの入った生体補完装置が飛ばされることになっている。ああ、あと十分前だな」
三馬さんは腕時計を見ながら答えた。
「八月二二日の一四時一八分へ飛ばされたら、そのさきで二度の世界線の遷移が起こる。行って、帰ってくるってことだ。気をつけてくれ。向こうの世界線は、状況的に最も多くの磯野君の可能性、つまり世界線が重なっている。目的地へ進むルートをすこしでも間違うと、パズル化した時間の断片に迷い込んでしまう。運が悪ければ、もとの世界へ戻る手段を八月三一日まで遅らせてしまうことになる。そうなれば、生体補完装置を抱えたままでは日米両政府のどちらかに確保され、身動きがとれなくなってしまうだろう。霧島榛名さんを生存状態に戻す可能性を著しく下げてしまう結果となる」
「わかりました。俺はいいとして、榛名はどうやってあの白線を越えればいいんですか?」
「きみはなにもしなくていいんだよ。五分前にこの車に乗ってもらう。柳井がうまくタイミングを合わせて、あの白線を車ごと越えてきみと榛名さんを遷移させる。我われはこの世界線に残ったままだが、きみと榛名さんは無事遷移できるだろう」
「あの白線を越えて向こうの世界に飛ぶなら、車に乗らずに白線のまえにいて、一歩踏み出せばいいんじゃないですか?」
「遷移先の世界の車の速度を合わせて白線を越えなければならないんだ。そうしないとほぼ止まっているきみは飛んだ先で、車内で時速八〇キロでぶつかる交通事故に巻き込まれてしまう」
「交通事故……」
「うまくタイミングを合わせてか……。あとは時間まで待つだけだな」
口にした物騒な言葉と、連想される思考をさえぎるように、柳井さんが手についたチョークの粉を払いながら言った。背後から車両の走行音が聞こえてくる。俺たちが振り返ると、一台の軽乗用車がすごい勢いでこちらに向かってきた。
「うわ、怒られるぞありゃ」
柳井さんが引きつった顔で言った。竹内千尋も珍しく顔がこわばっていた。ワゴンのなかにいる千葉は、かえってホッとした表情を浮かべて軽自動車を見守っていた。急ブレーキをかけ、エンジンをかけたまま千代田怜が車を降りた。運転席のドアが閉められた反動で、軽自動車の車体が揺れる。その光景に俺は恐怖した。
向かってくる千代田怜は警察の制服を着たままだったので「ああ、逮捕されようとしている瞬間もこんな心境なのだろうな」などと呑気なことが頭に浮かんだ。彼女が間近に迫ると、そんな考え吹き飛んでしまった。俺を睨みつける怜の目の端には涙が浮かんでいた。千代田怜はそのまま俺とわずかなあいだ見つめ合ったあと、俺の胸に飛び込んできた。
俺は無言のまま、千代田怜を抱きしめることしかできなかった。彼女の背がわずかに震える。この世界線自体がこのあと消え去ってしまうんだ。ここにいる人たちを犠牲にして、俺はもとの世界に戻ろうとしている。弱り切っているとはいえ、その人たちを、目の前の千代田怜を無碍にして、この世界線から去ろうとした俺自身を恥じた。
「あんたが」
千代田怜は嗚咽で言葉に詰まる。彼女は俺の首に両腕を回して、けれど、そのまま俺の左肩に顔を押しつけて、
「こんなことになるんなら、もっと早くあんたに」
ちがう。おまえが伝えるのはここにいる俺ではなく、富士ジオフロント脳科学研究所にいるこの世界にとっての俺なんだ。それでも俺はなにも答えることができない。たぶん、この世界がつづいていたら、この世界の俺は、これだけ愛してくれている千代田怜をもっと大事にしていたのだろうな、と思った。
「無事で生きて」
怜はそう言うと、抱きしめていた力を抜いて、俺の目の前でうつむいた。俺はしずかに彼女の頭を撫でた。そんなことをする資格は俺にはない。いま受け止めている感情と湧き上がる俺の感情に面と向かうのが怖かったんだと思う。ごめん、とこころの中でしか言えなかった。
「磯野、そろそろ時間だ。千代田さん」
俺は柳井さんとともにロングワゴンに乗り込んだ。指定された後部座席に腰をかけると、目の前に霧島千葉が、彼女の背にある窓の外には千代田怜が竹内千尋とともに立ち尽くしていた。助手席に三馬さんが乗り込む。
「さあ出発だ」
「健闘を祈るよ磯野君」
ロングワゴンの運転席にタブレットが備えつけられていた。画面には三〇分の一秒単位まで表示できるタイムコードがカウントダウンしていた。
「多少のズレは許容範囲だから心配するな。それより千代田とちゃんとお別れ出来たか?」
「正直、わかりません」
「そうか」
柳井さんはバックミラー越しに笑顔を返した。タイムリミットが一分を切った。
「俺たちのことは心配するな。三馬の予測だが、うまくいけばおまえの世界に引き寄せられて収束する可能性もあるそうだ。しばしの別れだな」
三馬さんは無言でうなずいた。俺への気休めの言葉なんだろう。俺もうなずき返す。残り十五秒を切り、ロングワゴンは発進した。車が加速するなか、千代田怜が別れを惜しむかのように追いかける。
俺も怜を目で追った。彼女とわずかに目が合ったあと、窓の端が彼女のすがたを消した。加速する車内は突然停電にあったかのように真っ暗になった。一瞬だった。ふたたび周囲が明るくなると、相変わらず車内にいた。さっきまでとちがうことがあるとすれば、車内にいるみんなが俺とカプセルに注目していることと、千代田怜が運転席にいることだった。
「驚いたな」
三馬さんが助手席から声を出した。
「三馬さん喋らないでください。舌噛みますよ」
千代田怜が答えた直後、車体が右に引っ張られる。車内の運転手以外の全員がそれぞれアシストグリップを掴み、遠心力に耐える。向かいに座る千葉を見ると、余裕を持って身体を支えていて俺は安心した。
俺はG-SHOCKを見ると、八月二二日の一四時18分を指していた。無事に目的地にタイムスリップ出来たらしい。
「怜、曲がる箇所はわかっているよな?」
「何度打ち合わせしたと思ってるての。任せなさい」
いつもどおりの怜に俺は安心した。
助手席の背中にタブレット端末が備え付けられていることに気づいた。現在位置から旭山記念公園第二駐車場までの経路までの線が引いてあった。経路は何回か迂回するかたちで引かれていた。
「三馬さん、このGPS情報って、どうして機能しているんですか?」
「この表示はオフラインだ」
「オフライン?」
「GPSとは同期されていない。この車両が移動した方角と距離と地図のデータを重ね合わせて相対的に位置を割り出している」
こっちはこっちで万全ってことか。
後方の窓を見ると、二台のSUVが追いかけてきていた。真柄の部隊だろうか、けれどソ連軍とはちがって、ドンパチを仕掛けてくる気配は無い。
「万が一にあいつらを撒けたとしても、結局旭山記念公園でも待ち構えられているんですよね?」
「おそらくだが通行止めがされているだろうね」
「磯野、後ろの黒いの二台、目をはなさないどいてね。あいつらわたしたちの位置を捕捉しつづけることが目的みたいだから。あいつらが変な動きをしたら、たぶんしかけてくるよ」
ロングワゴンは十字路をもう一度左折した。あえて遠回りする経路を選択している。このワゴンと尾行してくる二台以外に車は見当たらなかった。相手はGPS情報を失った上で、無線を通してこちらを追い詰めているらしい。この動きまで含めてZOEが先回りして対策出来ているのだろうか。
「やつらを撒くことは出来ないんですか?」
「ヘリがいる」
ヘリコプターのローター音がしていることにいまさらながら気づいた。いくら怜でもワゴン車で追っ手を引き離すことはできないだろう。尾行がついた状態のまま一五分ほど走り、札幌市内へと入った。
「遷移まであと三分」
「てことは相手も仕掛けてくるってことね」
怜はつぎの左折地点へ加速した。後方の二台も車間距離を保ちながらついてくる。
「こっちでも時間遷移についてすでに知っているんですね?」
「そのために遷移地点に向かっているところだ」
三馬さんがふりかえりながら言った。
「遷移先は? 知っているんですか?」
「いや、わからない。磯野君は向こうからは、なにも言われてないのか?」
「遷移のタイミングと目的地までのルートは聞いているんですが」
「とにかくまずは時間通りに遷移地点までたどり着くだけか」
「柳井さん、「着くだけ」じゃないですよ。磯野がすこしでも邪魔されたら敵の勝ちなんですから! その遷移を越えて山のうえまでたどり着かなきゃいけないのに」
「千代田さん、正確には世界線を移動するのは磯野と榛名さんだけなんだ。ここにいる俺たちは最初の遷移地点までたどり着いたら役目は終わりだ」
「え? それじゃあ、磯野と榛名ちゃんが別の世界に移動したら、こっちの世界に戻れなくなりません? この車から消えちゃうんでしょ?」
「おそらく移動先にもべつの我われがいるだろうと思うが、神のみぞ知るだな」
「じゃあ、ここでお別れってこと?」
怜は眉を寄せてハンドルを握りなおした。
遷移までの時間はあと三〇秒を切っていた。突如目の前に一台のSUVが割り込んできた。
「コイツら!」
怜は車体を左右に揺らし、ワゴン車を制動させる。邪魔しやがって! と悪態をついて、怜はふたたび加速した。前方いるSUVに向かって突っ込んでいきながら、
「コイツらを押し上げるよ! みんな掴まれ!」
直後、ロングワゴンは前にいる一台と接触し一気に押し上げた。ぶつかった衝撃とガリガリと押し上げていく音が混ざった。タブレット画面を見ると、あと三〇メートルの距離を残して車は減速していった。速度を落としたのに合わせて、背後にいた二台がワゴンの左右まで追い上げ、潰す勢いで押しつけてきた。
「ふっざけんなあ!!」
千代田怜は突如ホルスターから拳銃を取り出し、アクセルを踏んだままフロントガラス越しに構えた。いままで聞いたことのない三馬さんのちょ? という声がかすかに響き、両手で耳を塞いだ直後、五連発の発砲音が車内を埋め尽くした。フロントガラスが割れたところで、リボルバーの弾倉をすかさず入れ替えた千代田怜は、今度は右側の車のリアガラスに集中的に銃弾を叩き込む。ワゴン車は、右側のSUVの制動が損なわれたことで右側にずれ込んでいく。五秒を切るなか、前方の空いたワゴンは一気に加速した。
運転席から怜が俺に振り返った瞬間、周囲の世界がコンクリートの壁面へと塗り替えられた。
後部座席に座っていたはずの俺は、拳銃を構えながら立ち尽くしていた。目の前には円形のバンドルが回り、金属製の重い扉が開かれようとしていた。扉の奥が見えた直後、人影が拳銃を向けていた。





