表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二つの世界の螺旋カノン  作者: 七ツ海星空
24.タイムスリップ
192/196

24-04 磯野、まあ座りなよ

 生体保管装置とは昨晩のワゴン車に積み込まれたときのカプセルのことだろうか。


「あの、出鱈目って昨日みたいに過去にタイムスリップしてしまうってことなんですか? じゃあ榛名が死ぬまえに戻れるんですか?」

「どのような方法をとろうとも、霧島榛名さんの死を阻むことは難しいだろう。世界が時間軸を失った原因が霧島榛名さんの死だからだ。この状況に陥った起点とも言える」


 三馬さんの言葉に、わずかに抱いていた榛名を生き返らせる希望が潰えた。それでもまだ可能性があると自分に言い聞かせながらも、こころが虚ろに染まってしまう。


「君たち二人がこの世界にたどり着いたことでこの世界が発生したのはすでに話したとおりだ。そして、君たち二人の状況がいまもこの世界に影響を与えつづけている。磯野君、きみも命を失えば、君たち二人がいる限りこの世界は存続するが、それでも特に時間次元の拗れがいまよりもさらに混迷を極めることになるだろう」


 話のあとに、榛名を生き返らせるための話が出るかもしれない。けれど、辛抱していられるほど、俺は強くはなかった。


「この世界のことなんかどうでもいい! 榛名は、霧島榛名を生き返らせる方法はもうないんですか!?」


 怒りまかせに口に出したひと言は、どんなことがあっても吐き出してはならない言葉だった。この世界を救うためにいままでやってきたこと、そのすべてを否定する言葉をたったいま吐いてしまった。俺のなかで保とうとしていたものが、崩れていくのを感じた。

 

「すまない磯野君」三馬さんはそう言って目をそらす。「いまここにいる私達は、きみが昨日まで接触していたのとは違う存在だ。君は六時間後に、もとの世界線に戻ることになる」

「……ちょっと待ってくださいよ。全然話が見えない」


 頭もこころも追いつけなかった。榛名を失ったこと、この世界に暮らす人びとへ浴びせてはいけない言葉、この二つに翻弄されて、俺は俺を見失いそうになっていた。


「落ち着いてくれ。我われは、直接きみの支援を出来るわけでは無い。しかしZOEの指示にしたがうことで、彼女を生存状態に戻すことが出来る可能性がある」

「ZOEの指示?」

「ZOEは、ソ連の超人工知能であるスパスカヤへ侵食し融合したあと、ライナスが仕掛けていたバックドアをみずからひらいて消失した。その直前にZOEは我われに連絡をとってきたんだ。ここにいる我われの役割は君に二つのこと、今後どのように動くべきか、もうひとつはきみがおかれている現状を伝えることだ」

「断片化された世界とさっき三馬が言っただろう? 俺たちは、この洋館に存在する世界線にいて、おまえが来るのを待っていたんだ。この世界線は唯一と言っていいほど存在確率が低い」

「今後についてきみに助言をするために存在する世界線、と言っていいだろうね」


 俺は柳井さんと、そのあと言い添えた三馬さんを交互にみた。俺に起こったいままでのことをすべて知っているかのような口ぶりだった。


「磯野、まあ座りなよ」


 竹内千尋がそう言って向かいのソファに手をかざした。霧島千葉は俺の顔を見上げて、小さく頷いた。俺はうながされるままに、千葉のとなりに腰掛けた。


「ではまずは、きみが「なにをしなければならないか」について伝えよう。ライナスとZOE、その指示を受けていたHALシリーズもまた最優先事項としているのは、きみと霧島榛名さんをもとの世界へ帰還させることだ。それさえできれば、きみたちの二つの世界から、情報の道を通じて流入してくる情報の行き先であるこの世界が消え去り、君たち二人のいたもとの世界が消失する危機をまぬかれるだろう。きみたちがもとの世界に帰還することで、もとの世界で起きた出来事もまた、いままで起こったことの辻褄を合わせるために歴史が組み替えられる。その際、遺体となった霧島榛名さんが、生きた状態としてもとの世界に存在出来る可能性がある。もとの世界の霧島榛名さんは、生きている状態だからね。死に至った榛名さんがもとの世界へ戻されたとしても、五〇パーセント以上の状態で彼女は生存していることになる。その状態で世界が改変されれば、彼女は生きている状態で、きみたちの世界に定着する可能性が高い。ただしその改変された世界は、すでに情報が失われたきみたちの二つの世界が互いを補うようにして融合されたひとつの世界となるだろう」

「それって」

「世界のニコイチだニコイチ」


 緊張感のない声で柳井さんが補足した。三馬さんが言ったことは、映研世界とオカ研世界が融合してひとつの世界となり、そこに俺と榛名が戻されるということだ。もとの世界で生きている榛名とひとつとなって彼女は生きかえる。


「けれど――」


 そこまで言って二の句を継げない。


 ――俺たちがいなくなったあとのこの世界は?


 もうこの世界についてなにかを言う資格は俺には無い。


「磯野、そもそもこの世界は存在していなかったんだ。おまえたちの世界を救うのなら、なおさら存在しちゃいけない世界なんだよ」

「けど」

「それでいいんだ。おまえと榛名さんが俺たちの世界にしてくれたこと、それには感謝するが、おまえの大切な人まで失わせて、もともと存在しなかった世界を救ってもらうのはこっちが心苦しいからな」


 ――ごめんなさい。


「だからな、俺たちの世界のためにそこまでしてくれたおまえに、ひとこと言わせてくれ。ありがとうな」


 ――ごめんなさい。


  柳井さんはいままで何度もみせた、おだやかな笑顔をふたたび俺に向けてきた。俺はその笑顔に応えられないままでいると、三馬さんも千尋も千葉もまた無言のまま俺にうなずいた。


「磯野、あのね、この世界が消えてしまっても僕たちはそのことに気がつかないままなんだ。たからね、僕たちは大丈夫。もし消えることを知らないままだったら、なにごともなくこの世界が消えるまで過ごしていただろうからさ」


 ――ごめん。


 千尋はつづける。「けどね、磯野がね、この世界のために僕たちみんなのために命をかけて頑張ってくれたことを知っているほうが僕たちにとっては嬉しいことだからさ」


 ――ほんとうにごめん。


 俺はうなだれてしまう。

 なにも言えなかった。謝罪の言葉だけが頭のなかでくり返された。


 客間のカーテンが風に揺れ、反射した光が部屋に差しこんだ。窓のそとから、木木がこすれる音と、野鳥の鳴き声が聴こえてくる。


 榛名の死と、この世界の消滅と、言ってはいけなかったひと言。

 それが、頭のなかでかき混ぜられ、どうしていいのかわからない。ここまでたどり着いてしまった理不尽と、ここにきて、いまだに指示を与えてくる存在に怒りが湧いた。

 

「この世界線のZOEは、なにか言っていないんですか? この世界も、二つの世界も救える世界線があるってアイツは言っていたんですよ?」


 それでも結局神だのみだった。ZOEにしか見えない正解の選択肢がどれなのか、それをここにいる人たちに授けていてくれてはいないか、怒りの矛先に、それでも淡い期待を抱き、すがるしかなかった。


「残念ながら、我われには伝えられていない。そもそもきみたちの意思がこの世界に影響を与えている時点で、この世界はホログラムのように投影された仮初の世界なんだ。きみたちの世界線で、この世界を救えるとZOEが仮に言ったとしても、それはZOEがきみをここに連れてくるための方便だったと受け取ったほうがいいだろう」

「三馬、いまの言葉で気づいたんだが、インド思想におけるヴィシュヌ神の眠る夢こそが現実世界であるという考え方と似ていないか?」

「磯野君と榛名さん二人の観る夢ということか? 面白い考えだがその可能性は低いだろう。二人の夢の世界だと断定するには、この世界の成り立ちがあまりに物理的に過ぎる。いま現在も、二つの世界から情報が流入し、その弊害としての世界線の横断と磯野君の時間遡行、つまりタイムスリップが発生している。しかも、このタイムスリップは、磯野君だけでなく世界自体の時間の断片化を前提に引き起こされている。いま現在における我われの認識する時間は、時間の矢を描く一枚のガラスが割れて、いくつもの断片にわけられた状態だ。ガラスの中央を横切るX軸となる時間の矢が引かれ、同一の時間に存在する無数の別の可能性としての世界線が存在するY軸が縦に引かれている。そのガラスが割れて断片化し、過去、現在、未来がエントロピーの増大――因果律を無視して無秩序に繋げられてしまう。問題はその範囲だ。磯野君、きみは過去に夜空に浮かぶ星に線が引かれていたと言っていただろう?」

「……はい。地学の教科書で見たように星の軌跡が引かれていました。すでに夜空一面に無数の線が途切れることなく引かれているを昨晩見ました」

「磯野君と榛名さんに見えていたその軌跡の長さが、きみたち二人の時間遡行における過去と未来の移動範囲の限界だ。きみたちに見えていたその長さは、きみたちのいる世界の前後の時間と、Y軸となる並行世界の可視化と遷移範囲を示しているとみていいだろう」

「星が引く線の長さは、そのままお前がタイムスリップ出来る時間の範囲を表すってことだ。そしてお前にその星の引く線が見えているってことは、ほかの世界線の空も見えているってことだな」

「けどなんでそんなことが起こるんですか?」

「ZOEが言っていただろう? 世界の不安定化の答えだ。この洋館に我われがいる世界線に、訪れることの出来ないはずのきみがたどり着いたのも、そういうことなんだよ。エントロピーの増大により時間的秩序が保たれていたものが崩壊をはじめている。それでも磯野君が観測し、遷移出来得る範囲が未だ限定されているのが救いだ。時間遡行の範囲が無制限に行われてしまう状態まで世界の安定が損なわれたとき、この世界は崩壊してしまうだろう。当然、それまでに我われもまたタイムスリップを認識しているだろうけどね」


 三馬さんは、もう一度、念を押すように言う。


「きみの今後の使命は、この世界が崩壊に至るまえに榛名さんとともに脱出を果たし、もとの世界へ帰還することだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ