24-01 行け
ライナスとハルを乗せたロケットが東側にわたるのを阻止した磯野だが、榛名の生存世界が五〇パーセントを下回り――
――榛名さんの死の世界が、50パーセントを上回りました。
俺を見つめたままHAL05は告げた。わけがわからなかった。霧島榛名の死の世界の数が、生存世界の数を超えてしまった? なぜこのタイミングなんだ。この世界に存在する生存世界の数、この数が50パーセントを下回った瞬間に、死の世界に塗り替えられてしまうことはライナスから聞いていた。けれど、
「……なんで榛名が死ななきゃならないんだよ」
叫んだはずだった。実際は喉からしぼりだしたかすれた声が、通路の空気をわずかに震わせただけだった。その空気の小さな振動は、いままで大事にしていたものを、なにもかも消し去ってしまいそうなくらいに弱弱しかった。俺は銃を抜き、こめかみに突きつけた。
HAL05は俺の懐まで詰め寄り、押し倒し、銃を奪う。
「あなたが死んでも彼女は戻ってきません!」
もがき逃れようとする俺の両手首を、HAL05は押さえつけた。
「落ち着いてください。いまあなたの生存状態をやみくもに不安定化させたら、この世界の状況はさらに悪化します」
「じゃあどうすればいいんだよ!!」
「榛名はどうすれば!」
「……どう…………すれば」
やっとのことで吐き出た叫び声が、空間をふたたびふるわせた。彼女に押さえつけられたまま、ただ叫ぶことしか出来ない無力さが己に刻み込まれる。じわじわと、どうしようもない、どうするすべもないという現実が、救うことなど出来ないという現実が、俺を追い詰めていく。
駄目だ。このままじゃ榛名が生きている世界が、その可能性が、刻一刻と遠退いてしまう。うめき声をあげながら俺は起きあがろうともがいた。
「たのむ! 離してくれよ! いまならまだ…………わからないだろ!? まだあいつが生きている世界がどこかにあるはずだ! おねがいだから……! 榛名を」
「磯野さん、そのままじっとしていてください」
声が、左耳から聞こえてきた。彼女の口もとはすこしも動いていない。イヤフォンから聞こえてきたその音が、彼女が作り出す通信用の音声であると気づいたそのとき、廊下のむこうから発砲音が響いた。
数名の人間の倒れる音が聞こえた。俺のまわりにいた隊員たちは、あるものは廊下の壁に体をつけ、あるものは身をかがめて、廊下のさきへ銃口を向けた。HAL05もまた、あらたな敵の出現に拳銃を引き抜いて立ち上がる。だが、彼女のとった行動に俺は目を疑った。HAL05は、佐々木さんの後頭部に銃を突きつけた。
「磯野さん! 榛名さんを!」
叫ぶHAL05に、隊員全員が銃を向けた。佐々木さんを人質に取るHAL05と、銃口を向ける十四人の隊員が一触即発のなか対峙する。
なにが起こっているっていうんだ?
「磯野さん、いいですか」
落ち着いたHAL05の声が、イヤフォン越しに聞こえてくる。
「榛名さんを連れてこの基地を脱出します。私の指示にしたがってください」
「なぜ?」
お構いなしに俺は声をあげた。隊員たちが俺に振り向く。俺たちが通信していることに気づいただろう。HAL05がなにを目論んでいるかなんてどうだっていい。このまま彼女の言うとおりにしたがう気などなかった。
HAL05の表情がゆがむ。
「真柄博士は、ライナス博士とHAL03を救出したこのタイミングで、磯野さんたちを確保しようとしています。この世界からの離脱を阻止するためです」
榛名が死んだいま、もとの世界に戻ることなどどうだっていい。彼女を生き返らせる方法があるなら、どこに閉じ込められようとかまうものか。
「磯野さん、落ち着いて聞いてください」HAL05は言う。「榛名さんを生存状態に戻せる可能性はまだあります」
榛名を生存状態へ戻すことのできる可能性?
「お願いです。わたしの指示にしたがってください」
いまさらふざけるな。ここまでたどり着かせておいて、その結果がこれだ。それなのにいまさら生存状態に戻せるだと? ライナスとハルを救出したのは俺と榛名の意志だ。けれど、彼女の死に追いやるような結末を望んだんじゃない。
「俺は失敗したのか?」
俺は我にかえる。
ライナスとハルを救うことには成功した。けれど俺と榛名もまた無事である選択肢を選べなかったということか?
HAL05は首を振った。
「ならなぜ」
ライナスとハルを救うには、榛名が死にいたる世界に一度たどり着いてから彼女の生存世界にたどり着く必要があるってことなのか?
もしそうなら、ZOEはこうなることを予測していたってことなのか? それともZOEを失ったいま、HAL05自身が、榛名を生き返らせられる可能性を見つけだしたっていうのか? 俺をここから脱出させるためだけの方便なのかもしれない。いままで希望と絶望が何度も繰り返されてきた。俺はうんざりしたのだろう。あと何度、この徒労感を味あわなければならないのか。
「まずは榛名さんを抱えて私の合図を待ってください。合図したら廊下の向こうまで走ってください」
HAL05はまくしたててくる。猶予などないのだろう。俺は言われるままに霧島榛名を抱きかかえ、
「走って!」
隊員たちに背をむけて走った。佐々木さんを人質にしたHAL05が後ずさりながら追う。
「君はなにをしているのか理解しているのか?」
佐々木さんはHAL05に問う。
「私たちの協力関係がライナス博士たちの救出作戦までだということは、折り込み済みだと思っていましたが」
「敵中でやることではないだろう」
二人の会話がしだいに遠ざっていく。俺は換気立坑へと折れる通路へとさしかかった。最初に発砲してきた、アサルトライフルを構えた人影がみえた。男の顔に見覚えがあった。
「ライオネル」
北海道へ向かう飛行機に同乗し、チューブリニアの世界へ迷い込んだ俺を、ふたたびもとの世界へと送り戻したスーツの男だった。ライオネルは、他の隊員とおなじ装備を着込んでいた。
「行け」
すれ違いざまに男は叫んだ。
俺は通路のかどを曲がり、隊員たちの射線から逃れた。
換気立坑へとつづく誰もいない空間にたどり着いた俺は、腰につけたホルスターに意識をむけた。
――いまならやれる
霧島榛名の死からどれくらいの時間が経ったのか頭を巡らせた。七分……八分は過ぎただろうか。
榛名を生存世界へと戻せる可能性があるとHAL05は言っていたが、どこまで信じられるっていうんだ? 俺がいまできることは、すこしでもはやく生存世界の収束を起こして、榛名が生きている世界にたどり着くことだ。
――ああそうだ。いまならやれる。
俺は彼女を床におろし、もうひとりの霧島榛名が落としたキャスケット帽を彼女の胸のうえにおいた。右手を腰に回してホルスターから拳銃を引き抜く。激鉄を起こし、左手を添えてあごの下に銃口を突きつける。一度大きく息を吸い込んで、吐き出した。震えているのを感じる。何度やっても慣れない。こういうことは、勢いをつけないと怖気が顔を出してしまう。
「神様……」
すがるしかない言葉とともに、俺ははからずも両手を胸のまえで組み、祈るようなすがたとなって、引き金を引いた。
脳天をつらぬく衝撃を最後まで感じきれないまま、世界がうつり変わった。色の薄い世界を垣間見、そこからさきの世界をたしかめるまえに、いままでのものよりもさらにひどい眩暈と頭痛が俺を襲った。かろうじて確保できた視界のさきには、さっきまでとおなじ通路が広がっていた。目を落としてみても、霧島榛名は横たわったままだった。
「……手遅れなのか」
認めたくない言葉が口から漏れ出る。
俺は気分の悪さに耐えながら、いつのまにかホルスターにおさめられた拳銃を、もう一度取り出す。俺は徒労感を抱きながらも、あごの下に銃口を突きつけた。駄目だった。俺は引き金が引けない。
収束後にまた、変化がなにも無い世界へたどり着いてしまったら、いたずらに死の世界が五〇パーセントを上回る状況に近づいてしまう。その恐れが、なにも出来ない無力さとなって、俺のこころを覆っていく。
HAL05の言う可能性に賭けるしかないのか。
認めてしまうことに苛立ちを覚えてしまう。身勝手な怒りであることは重重承知している。それでもいま俺が出来ることは、彼女が生き返る可能性にすがるしかない。
俺は体温の残る榛名の体を抱えながら換気立坑へと入った。
一五分前に、ここで何度も死を経験したことを思い出す。あのときは上空からのドローンの銃撃から榛名をかばい、無数の銃弾に押し潰されたのだった。
円筒状の立坑のキャットウォークを反時計回りにわたっていくが、途中で俺は立ち止まってしまう。
「我に返っちゃ駄目だ」
「すこしでもまえに進まなきゃ」
――ここから早く脱出して、榛名の生存世界へたどり着かなきゃいけないんだ。





