23-01 あなたが彼女にたどり着くことを拒んでいます
連れ去られたライナスとハル取り戻すため、北海道のどこかにあるソ連の秘密基地を探す磯野達。HAL05が見上げた夜空に無数の流星が地に落ちて――
「メッセージ?」
「磯野さん榛名さんすぐに車へ!」
HAL05は、走りながら叫んだ。無人の立体駐車場に、彼女の声が響きわたる。こんなに焦る彼女を俺は見たことがなかった。
「HAL03からって……ハルからのメッセージってなんなんだ!」
「車のなかで話します。早く!」
HAL05は、トランクから出した防弾ベストとジェラルミン製のアタッシュケースを、後部座席に乗り込んだ俺たちに、押しつけるように手渡し、バンを発進させた。立体駐車場を出た車は、ライトも点灯せずに北へと走る。夜空にはいまだ大地へ無数の流星が墜ちていた。俺は運転席に目を向けた。HAL05はみずからハンドルを握っていた。彼女の頬に、一筋の光が照らされたようにみえた。
「たったいま起こった人工衛星へのサイバー攻撃によって、東西で稼働している半数の人工衛星およそ一〇〇〇機が一〇分後に失われます」
「この流れ星は全部……人工衛星?」
「はい。ZOEとスパスカヤは、たがいの人工衛星を墜とすのと同時に、残りの人工衛星で旅客、物流の運航制御の再設定を開始しました」
「それって……」
「全世界のGPS情報が失われ、航行不能になるのを食い止めようとしています」
「運行制御の再設定が間に合わかったらどうなる?」
「現在稼動中の世界中の航空機、船舶、車両が制御を失います」
「制御を失うって……そんな」
「HALさん、間に合うんですか? 世界の人びとは――」
「安心してください。助かります」
榛名は彼女の言葉を聞いて、シートに沈み込んだ。
「けどなんで車を走らせる? 俺たちはどこに向かうんだ?」
「G2Annexとの合流地点です」
「G2Annexって……真柄さんのあの部隊のことか。けどなんで?」
「一〇分後には、私たちの現在位置が敵に特定されます」
「俺たちの居場所がバレる?」
「はい。ZOEが利用する通信量の八割が制限されてしまいます。そうなれば、お二方の位置情報の偽装をおこなうために必要なリソースも失います」
八割の通信制限。
「俺たちは、ZOEの保護を失うってことか」
これまで俺はZOEの真意をはかりきれず、彼女に疑いの目を向けていた。とはいえ彼女の保護があったからこそ、俺たちはここまでたどり着くことができた。だが、これからはちがう。すでに一〇分を切った絶望的な未来を突きつけられて、俺たちは彼女に生かされてきたのだと、いまさら気づかされた。
HAL05は信号を無視して、往来の無い真夜中の十字路を突っ切った。
「敵も同様に保護状態を失います。北海道内の敵の位置、およびロケット基地の所在もあと八分後には判明するということです。ZOEを失う私たちは、G2Annexと連携する必要に迫られます。彼らとの協力のもと、米海兵隊の制圧作戦を先回りして、ライナス博士とHAL03を救出しなければなりません」
「真柄さんは俺たちに協力してくれるのか? 合流したら拘束されて、身動きがとれなくなるんじゃないのか?」
「その心配はありません。ライナス博士とHAL03の奪還は、日米両政府も望んでいます。とくに真柄博士は、私たちとおなじように、二人の生存を前提に動いています」
「二人の生存って……それって」
「はい。米政府はソ連に渡るのを阻むために、奪還の際に二人の生死は問わないと今回の作戦の実行部隊――米海兵隊に通達しています」
「そんな」
黙り込んだ俺とは対照的に、榛名から悲痛な声が漏れ出た。
状況を整理しろ。つまり俺たちは、アメリカよりも先回りして、二人を助け出さないといけないということだ。しかも今回は海兵隊だ。新東京駅のCIAのときでさえ、俺たちはさんざんな目にあった。それなのに、ソ連の特殊部隊からの奪還を、米軍相手に出し抜いてやってのけられるのか?
「囚われているハル……03さんからのメッセージってなんですか?」
車は加速する。
「HALさん?」
「……いえ、ごめんなさい。HAL03は、磯野さん、あなたが彼女にたどり着くことを拒んでいます。あなたを危険に晒したくないと」
ハルならそう言うだろうな。
「ですが、彼女との通信中に、ZOEは彼女の記憶領域へ侵入しました。解析した情報のなかにタイムリミットと思われるデータがみつかりました」
「タイムリミット?」
「救出作戦完了までの残り時間の予測です。彼女は基地の図面も、兵士の数も把握している可能性があります。ですが、詳細な情報までは取得できませんでした。そのかわり、米軍が投入する兵力と作戦規模と残り時間から、敵の戦力規模が想定出来るようになりました」
「それで、残り時間はあとどれくらいなんだ?」
「残り五七分です」
「五七分!? ぜんぜん時間がないじゃないか!」
「一時一八分までに作戦が完了している必要があります」
俺はG-SHOCKのタイマーを残り五七分に合わせた。
ほんとうに間に合うのか?
「あともう一つ」
「なんだ?」
「取得した情報のなかに相対座標がありました」
「相対座標?」
「基地の位置が判明した際に特定できると思われる座標です。日米両政府に把握されていない極秘の基地潜入ルートがあるとその情報は示しています」
ハルもライナスも自分たちが犠牲になることで、俺たちを逃した。
ハルは、彼らは、俺たちが助けに来ることをはじめから知っていたんだろうと言う。だから、俺たちが救出に向かうことを彼女は拒んだ。そこまではわかる。
だが、HAL05が手に入れた情報は、ほんとうに残り時間と極秘の潜入ルートだけなのか? それならHAL05のあの涙は? HAL05はなぜ泣いた? 彼女にとって、もっと重要ななにかが、ハルからのメッセージに込められていたんじゃないのか?
「HAL、メッセージは……本当にそれだけか?」
「はい」
俺はバックミラーを見た。
鏡に映り込む彼女の双眸は、すこしの動揺もないように見えた。彼女にこうも言い切られると、俺は二の句が継げない。
榛名の手が俺の手を握る。振り返ると、彼女は俺にうなずいた。
「磯野さん、榛名さん、準備を」
HAL05に即されて、俺は、上着のうえから防弾ベストを着込んだ。横を見ると、榛名は防弾ベストを身につけるのを手間取っていた。
「榛名、背中を向けて」
ハルに防弾ベストを身につけるのを手伝ってもらったときのことが頭に浮かんだ。
「あのときとは真逆だな」
「え? なに?」
「いや、なんでもない」
「気になる」
ハルが俺の防弾ベストを身につけさせてくれたあのあと、思わず彼女の息が、俺の顔にかかるくらいの距離になって。俺も彼女も、お互いに目をそらしたあの情景。
榛名の背中に手を置き、体温を感じた。
「磯野くん?」
「なんだか、安心するんだ」
「うん」
彼女は防弾ベストが身につけられているかをたしかめる。
俺は隣でずっしりとしたアタッシュケースを膝の上に置く。なかには一丁のブローバック式拳銃と弾倉が三つ収められていた。
グロック17。
「磯野さんはすでに所持していますので、拳銃は榛名さんに。磯野さんは弾倉をひとつだけお取りください」
「……ああ」
「このバンは北大病院で使った車両よりも防弾性能が劣っています。敵の襲撃にお二人の力をお借りしなければなりません」
まくしたてるように言うHAL05に、俺は空返事をしながら拳銃を取り出した。拳銃のグリップに手が触れたとき、森での出来事が頭によみがえった。リボルバー拳銃をこめかみに突きつけ、何度も生存世界への収束を繰り返した榛名。このグロックだって、彼女自身を殺める道具になりえる。
――今後、霧島榛名さんが死に至るのを阻止すること。
三馬さんの言葉が、目の前の拳銃とかさなった。
自分のぶんのマガジンをポケットに突っ込む。榛名を見ると、左耳に手を添えていた。
「HALさん、三馬さんとの通信も切っているんですか?」
「はい。ZOEに負荷をかけさせてしまいますので」
俺は彼女のぶんのグロックもまた腰に隠した。
「けど三馬さんたちや怜ちゃんも、ZOEさんと連絡が取れないままなんですよね?」
「安心してください。彼らの乗る二車両にもZOEがいます」
「ZOEさんが……「いる」んですか?」
HALの言葉に、榛名は戸惑う。
しかし俺は、彼女の言う意味を理解した。
ZOEが自分自身を私達と言っていた意味。それは、HALたちを指す言葉ではない。ライナスが言うとおり、ネットに放たれたZOEは、複製されてネットにつながるあらゆる場所にいる。そう解釈したほうが腑に落ちる。
「磯野さん、榛名さん、ZOEとの情報共有が不可能となったため、さきほど申し上げたとおり、G2Annexとの連携を開始します。ライナス博士とHAL03の救出を行うことになります」
「さっきも話していたG2Annexって、北大病院で助けてくれた人たち?」
「ああ。真柄さんが率いてる部隊の名前だ」
「日本の諜報機関のひとつです。設立は二次大戦終戦時にまでさかのぼりますが、現在は対ソ連の諜報活動および、富士ジオフロント脳科学研究所の警備、日本独自のヒューマノイド計画に深く関わっています。護衛および作戦実行部隊として、自衛隊の特殊部隊員も所属しています」
それじゃあ、佐々木さんは自衛隊の特殊部隊員ってことになるのか。
「時間です。ロケット基地の位置が判明しました」
「どこだ?」
「幌延にある深地層研究センターの跡地です」





