22-06 わたしが名付けた訳ではありませんので
そして、磯野は、いままでZOEに一度もお願いをしたことが無かったことに気づき――
一五分後、HAL05が戻ってきた。
彼女の印象は、いままでと変わらなかった。けれど、俺と視線を合わせたとき、彼女はわずかに微笑んだような、そんな気がした。
「北海道内に潜伏するKGBおよびゴーディアン・ノットのいままでの行動予測および、敵ASI――人工超知能の戦略予測から、ライナス博士とHAL03は、ソ連本国へと送還されるとZOEはみております。その際、国外への脱出手段は、潜水艦も含む船舶、航空機、ヘリ、そして有人ロケットが想定されます」
「留萌へ向かう二三一号線、海岸線を走らせていた理由はそれか」
「はい」
「なんとも磯野君、ZOEは君の行動も予測済みだったようだ」
三馬さんは笑いながら言った。
「笑ってる場合じゃないだろ、三馬。そもそもあんな襲撃事件を起こしておいて、宣戦布告なんてされてないだろうな」
「今回の事件は、反政府組織ゴーディアン・ノットによるものとして発表されています」
「新東京駅の襲撃事件と同様、ここまでされても日米両政府とも黙りを決め込むんですか?」
「柳井、東西どちらからも宣戦布告なんてするはずがない。そんなことをすれば世界は核の報復で終わる。だから双方とも冷戦を維持しているんだ。また、そういう最悪な事態に陥らないためゴーディアン・ノットが国内に多数仕込まれている。それに、二つの事件どちらとも、攻撃されたのはアメリカ本土ではない。日本だ」
「……まったく。気に食わん」
柳井さんはため息をつき、
「HAL05……いや、ZOEさんか、あなたはいまあげた脱出手段のうち、どれがいちばん可能性が高いと思う?」
「有人ロケットです」
HAL05は即答した。
「いちばん現実味の無い答えですね」
「いえ、柳井さん、移動手段として現実性の高い選択肢である海空域は、日米両政府、軍事機関がすでに対策済みです。現在、北海道北西沿岸部の領空および領海の警戒態勢を最大にしています。ソ連側は、航空網を抜ける唯一の手段として、道内に極秘に建設したロケット基地から有人ロケットを飛ばし、二人を回収する計画を立てていると考えるのが、妥当かと」
「まてまてまて! 道内にソ連のロケット基地だと!? 本当にあるのか!?」
「ZOEだけでなく、NSAの分析結果から日米両政府ともに存在することを想定しています」
「呆れたな。陰謀論めいたオカルト話が国家公認だと? そもそも本当にそんなものが日本にあるとすれば、スパイ天国どころじゃないぞ」
「ZOE、話を差し挟ませてもらうが、さっき敵AIと言っていたね。磯野君たちの話では、何度かそのAIに君は出し抜かれたという話だが、いまHAL03が敵の手駒となっている状況で、そのロケット基地を突き止めることは可能なのか?」
「博士、現在、ZOEはNSAおよび日本版ヒューマノイド型ASI――人工超知能ISOと連携して、ここ一週間の通信量および、交通網の利用状況から、KGBの足取りを分析しています。昨日、磯野さんたちが襲撃された、伊達市有珠町付近の道央自動車道に現れた軍用車両が使用した経路は判明しています。ですが、敵AIの妨害に合い、いまだロケット基地の場所を特定出来ておりません」
「まてまてHAL、ISOってなんだ?」
「ISOといえば普通は国際標準規格のことを指すが、そういう意味でではないよな」
「俺は仮想ドライブ用のDVDの拡張子しか思い浮かばんぞ」
「磯野さん、あなたの遺伝子を用いて作られたヒューマノイドのことです」
「え?」
カロリーメイトを水なしで頬張り、森の中から真柄さんに手をつれられた坊主頭のことを思い出した。
あ、あの丸坊主のこどものことか!
「あ、ISOってさ、なにかの略じゃなくて磯野だから、イソでISOってことじゃないかな」
「はい。正解です竹内さん」
HAL05は真顔のまま答えた。
「ダジャレかよ……」
「わたしが名付けた訳ではありませんので」
人ごとのように言うHALもギャグにみえるな……。
じゃあ、あの子供にまたどこかで再会したら、あいつのこと、イソって呼べばいいのか?
「もうひとつ情報が。ソ連側ASIのコードネームも判明しました。HAL03拘束時、ZOE側との連携解除のタイミングで入手出来ました」
「いままでさんざんかき回してくれた敵AIの名前か」
「彼女の名前はСпасская。サンクトペテルブルグにある地下鉄駅の名前と一致しています。名前の意味は救世主」
「……救世主。二人を何度も襲い、世界を滅亡に近づける人工知能につけるにはなんとも皮肉な名前だな」
「磯野君と榛名さんを手にしていないソ連から見れば、サイバー戦で主導権を得られるその人工超知能は、まさに東側の救世主なのだろうよ」
ところで、と三馬さんは一度あらためたあとつづける。
「ZOE、たしかめておきたいのだが、君の言うすべての世界が救われる道筋となる世界線は、ライナス博士とHAL03の救出と、その後の磯野君と榛名さん二人が二二日にもとの世界に戻る、というシナリオと重なるものなのか?」
「お答え出来ません」
「答えられない理由は?」
「その質問もお答えできません」
「私の予想だが、ZOE、君の能力でも確実性の高い未来予測は不可能ということか? もしくは、私の問いの答えを、いま我々が知ってしまうことで、求める未来への選択肢を閉ざしてしまう、からか?」
「…………」
「沈黙もまた答えか。なるほど」
「申し訳ありません、博士」
「いや、いいんだ」
三馬さんは俺たちに顔を向ける。
「我々は我々で正しいと思える道、求める道を選ぶというだけだ。なあ、柳井」
「なんで俺に振るんだよ」
「お前がいちばん難しい顔をしているからだよ」
三馬さんは笑った。
「じゃあ俺からも訊くが、ZOEさん、これからその日本の国防的にはあまりに間抜けなそのロケット基地をどうやって見つけ出すんだ? スパスカヤ……か。その地下鉄駅AIには、ZOEさん、あなたの情報を抱えたHALもいるんだ。まともにやったところで煙に巻かれるだけじゃないのか?」
「ロケット基地の所在地は、八月二二日には判明します」
「八月二二日? 世界の入れ替わり――俺たちの帰還の日じゃないか!」
俺は声を上げてしまう。
「はい。磯野さん、あなたがたの世界の入れ替わりのタイミングに合わせて、東側はロケットの発射準備を開始するでしょう」
「ソ連側が世界の入れ替わりタイミングをなぜ知っているんだ?」
「HAL03の回収で、ソ連側はこちらの持ち得る情報の多くを共有しました」
「もうひとつ訊くが、なぜソ連は、二二日、世界の入れ替わりのタイミングを狙うんだ?」
「あなた方二つの世界の入れ替わりのタイミングに、情報の道から流れ込む情報量が飛躍的に増加します。西側各国のスーパーコンピューターおよび稼働しているZOEをふくめた人工超知能のリソースは、解析のために一時的にその多くを割くことになります」
「つまり、手薄となった通信網の監視、つまり国防の隙を突いて、ロケット発射を実行するということかね?」
「その通りです、博士」
「ZOEさん、二二日の打ち上げのほかには、ロケット発射基地への手がかりは見つけられない?」
「榛名さん、現時点では困難な状態です。ただし、HAL03が私達へなんらかのメッセージを伝えてくる可能性があります」
「メッセージ?」
「悲鳴という表現のほうが近いかもしれません。HAL03は、北海道大学襲撃の際、作戦範囲のすべての監視カメラからの情報をリアルタイムで取得していました。北大病院一階での銃撃時、私達ZOEとの競合――接触がありました」
「え、それって……。ZOE、お前は、ネットを通じてハルと接触したってことか?」
「はい。その際、HAL03側にノイズが発生しました。わずかな時間ですが、強い電磁波ノイズです」
「それが悲鳴?」
「そのデータを先ほど解析したところ、多くは意味消失していましたが、数カ所ですが、磯野さん、あなたの名前を意味した情報がデータに存在していました。作戦実行前から、HAL03は磯野さんのことを観ていたはずです。時間を照合すると、磯野さん、あなたが危機に直面したとき、そのノイズは発生しています」





