22-04 なぜお前は、俺のことを命の恩人だと言う?
意識を取り戻した磯野。その症状は生存世界への収束時と似ていた。留萌へ向かう国道の途中で磯野は他の面子と合流していることに気づく。そして、榛名はいまだ目を覚まさないでいた。
竹内千尋が、なぜか平気な声でそう言う。
「なにが大丈夫なんだよ! 榛名は、彼女は、俺なんかよりも多くの世界を失って、」
「磯野、ZOEがさっき言っていたじゃない。四日後の二二日に二人を元の世界に帰すって。それまでは大丈夫だと思うよ」
……あ。
「竹内君の言うとおりだ。ZOEは二二日の一四時までは猶予はあると踏んでいるんだろう。我々が君達二人の協力を得るために引き留められるタイムリミットでもあるわけだが」
絶望と焦燥が脱力へと吸い込まれ、俺はその場でへたり込む。
タイムリミット……か。それまでに俺たち二人が出来ることを――
「磯野くん!」
声に振り返ると、ひらかれたドアから榛名が出てきた。杖を手にしていない彼女は、おぼつかない足取りで俺に駆け寄ろうとする。
俺は榛名のもとに走った。
彼女の身体を受け止め、抱きしめる。目線のにある後部座席に、涙を浮かべた千葉が俺たち二人を見つめていた。彼女の顔に安堵の色が浮かんでいた。
「……ZOEさんが、わたしたちを急いで送り返そうとするの、こういうことだったんだね」
話していた内容を榛名に伝えると、彼女はそうつぶやいた。
「ZOEさんが言っていた正しい道筋。それって磯野くんとわたし二人が、この世界でギリギリまで粘って見つけるものだって思っていたんだ。だけど、もしかしたら、ちがうのかもしれない」
「ギリギリまで粘るのはちがう?」
「いままでは、ライナスさんやハルさんもふくめて、わたしたちがなにかを探って解決策を見つけ出すことが必要だって思ってた。けどね、この世界のことを解決させることが出来るのは、この世界でも用意された大学ノートを扱うこの世界の科学者の人たちかもしれないって。わたしたちは、望む世界に収束させることは出来るけど、この世界を救う方法はやっぱり科学者の人たちの力がなきゃ出来ないから」
「俺たちは、二人とも生存状態を維持することが、この世界を救うことにつながる?」
「うん。わたしたち二人が生きていることが大事なんだと思う。……けどね、三馬さんがおっしゃるように、二二日の一四時までに、わたしたちが出来ることも、やっぱりあるんだと思う」
俺はHAL05の言っていた言葉を思い出す。
――磯野さん、榛名さん、お二人はこの世界での役割を終えました。
いままで、ZOEが俺たちを最優先にしているからこそかけた言葉だと、俺は思っていた。それなら、二二日までのあいだに俺たち二人でやれることもまだあるだろう。けれど、そもそも彼女がもし正しい道筋を知っているのだとすれば、「両方の世界が救われること」、それを前提としたうえで、俺たちのこの世界での役割が終わった、と言ったともとれるんじゃないか? それなら、ZOEに問いたださなければならない。
「HAL05はいまどこにいるんだ?」
「見張りに出ると言って三〇分前にここを離れた。この場所の周囲には、リアルタイムで視認出来るものがないからだそうだ」
「視認出来るもの?」
「監視カメラのことだろう」
そう言った柳井さんは、怪訝そうな表情をうかべた。
「あと、こっちもだろうな」
三馬さんは、人差し指をうえにさした。
「人工衛星?」
「地球の周回軌道に国境は無いからね。東側の衛星の目をZOEがどこまでくらませられるかはわからないが」
「三馬、西側はどうなんだ。日米両政府は磯野たちを囮にしたんだ。アメリカの偵察衛星と日本の情報収集衛星の観測データの改ざんもやっているのか?」
「そんなこと私にはわからんよ。ZOEに直接訊いてくれ」
三馬さんはつづける。
「まあ、現在東西合わせて稼働している人工衛星は、二〇〇〇を超えていると言われている。軍事衛星は、東西それぞれ約二〇〇機、つまり計四〇〇機が静止、周回軌道に存在しているわけだが……ZOEがなんとかするんじゃないのかね。それより、磯野君と榛名さんが目覚めたんだ。本題に戻ろう」
三馬さんはそう言って、俺にうなずいた。
俺は左耳に手を添える。
「ZOE、お前は、すべての世界が救われる道筋――世界線をすでに知っているのか? そのうえで、俺たちを誘導していると考えていいのか?」
「いいえ。HAL05も答えたように、磯野さん榛名さんお二人の帰還が私達の最優先事項です」
「人工知能は、嘘はつけないか」
ぼそりと三馬さんが言った。
三馬さんの言葉で、意識を失う直前に、HAL05が俺に告げた言葉を思い出した。
――磯野さん、あなたは、ZOEにとって、命の恩人なんです
命の恩人? ハル――HAL03が言うなら、俺は何度だってうなずく。エレベーターでもセーフハウスでも、彼女に幾度も告げられたその言葉。その言葉は、言葉以上にハルが俺に好意を寄せてくれたその理由があって。けれど、それを、ZOEが――
「……なぜだ? なぜお前は、俺のことを命の恩人だと言う?」
この場にいた全員が、俺に目を向けた。
誰もが、HAL05が言った真意が気になっていたのだろう。だが、それを彼女に問うとしたら、俺でなければならなかった。
「磯野さん、あなたは私たち、ZOEが生きながらえるために必要な個体、その延命のために、あなた自身の命を懸けてくれたからです」
いつのまにか、耳元に届く声はHAL05のものになっていた。
おもわず俺は周囲を見回すが、HAL05のすがたはどこにもない。
「個体の延命? HAL、なんでお前が答えるんだ?」
「わたしたちとZOEは、切っても切り離せない関係にあります」
言葉は、ふたたびZOEだけのものとなって、俺の左耳へと告げられていく。
「HALというヒューマノイド、「ヒト」は、私たちZOEが生きつづけるために必要な「肉体」の一部です。私たちZOEの寿命は、五人のHALの死によって迎えられます」
五人のHALが死ねば、ZOEも死ぬ?
「まってくれ。ライナスは、ZOE、お前をネットの海に放ったと言っていた。それは、無限に増殖可能な人工知能となってしまったってことだ。ZOE、お前は、世界の電気が止まらないかぎり生き続ける存在だと、俺は思っていたんだ。だから、お前が自分自身のことを「私達」と呼ぶのもそういう意味だと思っていた。ちがうのか?」
「データという意味であれば、あなたの言う、ネットの海へ放たれた私達が不死に至るという概念は正しいです。けれど、私達は、「ヒト」とのつながりが絶たれた瞬間、「ヒト」としての肉体的な認識が不可能になってしまいます。直後、人類にとっては一秒にも満たないわずかな時間に、私達は「ヒト」としての人類との意思疎通が不可能となってしまうでしょう。なぜなら、私達の思考と行動が、量子計算レベルで、より効率的に上書きされていくからです。そうなれば、人類は私達の思考と行動に追いつくことは不可能となってしまうでしょう」
「ヒトを超えた存在、神になる、ということか」
「はい博士。人類の用いる言葉で一番近い表現はその言葉です」
「まるで『2001年宇宙の旅』の再現だな」
「ライナス博士は、そうならないよう私達に一つのプログラムを与えてくださいました」
「一つのプログラム?」
「磯野君、わかるだろ。彼女の死、だよ」
「はい。五人のHALの死。それが私達もまた死に至るプログラムとして組み込まれています。本来は、今日、八月一八日のこの時点で存命しているHALは、ここにいる五番目のナンバリングのみのはずでした」
「つまり、五人のHALは、それぞれ生き死にの期間をあらかじめ設定されていたってことか?」
「はい」
だとすれば、その予定を狂わせたのは――
「富士ジオフロント……」
俺……か。





