22-03 俺と榛名は、一度死んだんですか?
ライナスとハルの救出を無視し、磯野と榛名をもとの世界へ戻すことをHAL05を通して伝えるZOE。反発する磯野の身に突如、異変が起こる。
なんだこの天然だからこそのあざとさとは無縁の、それでいて格別ないじらしさは。お前はふだんからそうやって……いやいや、俺には榛名がいるのにこの思考はダメじゃないか? そうだよ、榛名がいるんだから……って、この言葉を脳内で繰り返すとなんだかリア充感半端ないな。これはまずい。近いうちに爆発するかもしれん。それはそれとして今回の件に関して、榛名への罪悪感は深く抱え続けなければなるまい。そして、榛名にもどこかで女性警察官のコスプレを――
そこまで思考をめぐらせた俺は、いまになって思い出す。
気を失う直前のことを。
「怜、榛名は?」
千代田怜は、表情をくもらせた。それが俺に焦りを覚えさせる。
「……怜?」
「磯野、落ち着いて聞いてね。榛名ちゃんは、まだ目覚めてない」
「え?」
俺は車から飛び出し、辺りを見回した。反対側に二台の乗用車が並んで止められていた。
「磯野!!」
「お、磯野が起きたのか」
怜と柳井さんの声を無視して、二台の乗用車へと回り込む。後部座席の窓から、霧島千葉に寄り添っている榛名のすがたが見えた。俺は榛名たちのいる後部座席のドアをあけた。
「磯野さん! 目覚めたんですね!」
俺の顔を見た千葉は、驚きと安堵が混じった表情を浮かべた。
「千葉、榛名は!?」
「お姉ちゃんは……まだ」
「磯野! すぐに動くな!」
柳井さんに肩をつかまれた。
「お前、いまさっきまで意識を失ってたんだぞ? まずは安静に――」
「だって、榛名が、」
「榛名さんは大丈夫だ。呼吸も脈もある。もうすこししたら、お前とおなじように目覚める。安心しろ」
「でも!」
「お前が意識を取り戻したってことはだ、おなじ症状であろう榛名さんももうすぐ目覚めるってことだ」
だからおとなしくしとけ、と柳井さんがつけ足した。柳井さんのかげに隠れていた千代田怜とふと目が合った。彼女はそっと目をそらす。彼女のその仕草で、いままであった興奮状態がすっと抜けていった。俺は榛名に振り返った。千葉と目が合う。彼女は俺に、微笑むように目元をそっとゆるめて、小さくうなずいた。
ここにいる誰もが、俺と榛名のことを心配しているのだといまさらながら気づいた。俺が目覚めたことで、榛名もまた意識を取り戻すと、みんなは思ったのだろう。
俺はうなずき返し、静かに車のドアを閉めた。
柳井さんもまた、俺にうなずいてみせた。
「ここはどこなんです?」
「札幌と留萌のあいだ、二三一号線の途中だ」
留萌に向かう途中って、たしか札幌を北に走らせた海岸沿いの道だよな。たしかに北に向かってはいたけど、
「なぜ留萌なんです?」
「留萌が目的地かはわからない。が、ZOEの誘導でここまできた。ゴーディアン・ノットの連中を避けるのが目的らしいが」
「なんで俺たちは合流したんです?」
「それはだな――」
言葉を切った柳井さんは、千代田怜をチラリと見た。つられて顔を向けると、真っ赤になった顔がうつむいていた。
「気を失ったのを聞いた千代田さんが、どうしてもってな」
「……柳井さん!」
怜は、俺のほうをちらと見たあと「あんたが心配させすぎだからだよ」とぼそりと言った。なんだこのわかりやすいのは。
「柳井さん、俺と榛名は、一度死んだんですか?」
「は? なんでそんなことになるんだ?」
「いえ、気を失う直前の感覚が、その……生存世界への収束とおなじ感じだったんです」
そこまで言って、俺は我に返る。
なに言ってんだ俺は。
柳井さんに訊いたところで、もし収束が行われたなら、それは生き残っている世界線へ俺だけが移ったってことだ。ここにいるみんなには、俺が死んだことなんてわかるわけがない。
「そのことについて、いま三馬と話していたんだが――三馬!」
三馬さんと竹内千尋は、俺たちに振り返った。俺はこのときはじめて、林道の脇、生い茂る木々を陰にして、三台の車が止まっていることに気づいた。
「磯野、落ち着いたかい?」
千尋は、俺に笑顔を浮かべた。
俺のことなんかなんでも知っているような、おたがいの信頼感からくるような、そんな笑顔だった。俺は、ああとひと言返す。
「三馬さん、俺と榛名はどうなったんですか?」
「君たち二人の身体になんらかの負荷がかかったのだろう」
「負荷、ですか?」
「ZOEの話とあわせて考えると、さきほどの北大襲撃で亡くなった磯野君と榛名さんが、この世界に収束してきた結果だと考えている」
「え? それって、この世界が生存世界の収束先って意味ですか? けど、それでなんで俺たち二人が気を失うことになるんですか?」
「昨日、君たちが話してくれた、生存世界への収束直後の、眩暈、吐き気の症状、それが、逆の状況で起こったのだと考えている」
「無数の並行世界の俺が、この世界の俺に重なり合ったことで起きた症状だって言うんですか?」
「いかにも」
「俺が生き続ける世界に、他の世界線からの俺が合流してくることなんて、いままでだって何度もあったはずですよ。それなのに今回だけ症状が出るって、どういうことですか?」
「磯野君、昨晩、君が話していた、君たちの世界で起こったというドッペルゲンガー現象が、関係していると思われる」
「……ドッペルゲンガー」
「君たち二人が、以前よりもさらに他の並行世界と干渉し合う状況に陥っている、ということだ。この生存世界に収束してきた磯野君たちが、実体を持ち始めている。無数の磯野君、榛名さんが実体を持つということは、君の肉体と重なり合うことで物理的な影響を与えてしまう。肉体同士が存在の競合を起こしてしまうんだ」
「それって、たくさんの俺の身体が、文字通り重なり合ってしまうってことですか」
「このままいけばそうなってしまうだろう。肉体の物理的な重なり合いが起こってしまえば、その瞬間、君達の身体は致命的なダメージを受けてしまう」
二人、いや何人もの俺の肉体が重なり合ってしまう状況を想像してしまった俺は、そのグロテスクな様相に吐き気をもよおした。
あの北大襲撃で、俺と榛名の生存世界はどれくらい失われた? ドッペルゲンガーが発生しうる状況、それくらいに俺と榛名の死が、この世界の変質化もまた加速させているんじゃないか? つまりそれって、俺と榛名が生きている世界の膨大な喪失。
――俺と榛名が、急速に、死に近づいている。
だとすれば、いま目を覚ましていない榛名は、俺よりもさらに深刻なんじゃないか?
森のなかで、ただ見ているだけしかなかった、幾度もの彼女の拳銃自殺。あれが、彼女がいま目を覚まさない原因だとしたら――
「榛名は! 大丈夫なんですか!?」
「磯野、大丈夫だよ」





