22-02 それでも我々はもがきたい
人工超知能ZOEの5体目のヒューマノイドHAL05の救助により危機を脱する磯野たち。しかしHAL05は、襲撃を指揮する意外な人物の名を口にする。
「そんなはずがない!」
ZOEの言葉をかき消そうと、俺は叫ぶ。
「黙れよお前!!」
HAL05の言葉に、他人事のような言いぐさに、俺は自制を忘れ、吼えた。俺の声が、車内を沈黙へと押しつぶし、走行音が空間を満たした。バックミラー越しのHAL05の瞳は、さっきとはうって変わって、俺に向けられることはなかった。
車は、道路を変えながら北へと走らせていた。
なぜ北に向かうのかはわからない。敵の追っ手をまくのに、最適なルートなのだろうか。が、このときの俺は、ハルのことでいっぱいでそこまで思考が及ばなかった。
「HALさん、ZOEさんはこうなることを、ハルさんがこうなってしまうことを望んでいたんですか?」
沈黙を破った榛名の問いに、HAL05はわずかのあとうなずいた。
「わたしたちのいまの状況は、ライナス博士とHAL03がもっとも長く生き長らえる可能性の高い選択肢であり、その結果です。ZOEが、その選択、決定を下しました」
「そんな……」
「話に割り込んですまない。私は三馬だ。いま現在、ZOEと君の誘導で我々は北に向かって走っているわけだが、磯野くんたちとはどこかで合流出来るのかね」
「博士、全員を一箇所に集めるには危険が伴います。一〇分後にあなたがたの乗る救急車から、こちらで手配した二台の乗用車に乗り換えていただきます」
「なるほど。合流はかなわず、ここにいる我々も二手に分かれて二二日まで潜伏することになるのだね?」
「はい」
「それはつまり、ZOEは磯野君と榛名さんを元の世界に戻す。その目的を最優先に行動している。そう解釈していいんだね?」
「はい」
三馬さんは深いため息をついた。
ZOEに従えば、いまいる全員は生き残ることはできるだろう。しかしそれは二二日までの話だ。俺と榛名が二二日にもとの世界に戻ってしまえば、ZOEの目的は達せられてしまう。
そうなってしまえば、ZOEがほかのみんなを見殺しにする可能性だって考えられる。それになにもせずに俺と榛名がもとの世界に帰ってしまえば、この世界が消えて無くなる運命から逃れられない。
「ZOE、それでも我々はもがきたい。君も聞いていただろう。このまま解決手段を得られないまま二人を失ってしまったら、この世界は、その影響に耐えきれず、確実に崩壊する。しかし一方で、二人がこの世界に居続けても、この世界をつなぐ「情報の道」から流れ込み続ける質量が超高密度に圧縮されることによって、地球はブラックホールに飲み込まれてしまう」
そう、飲み込まれてしまうんだ、と三馬さんは小さな声で反芻した。
「我々はこの世界を救う手立てをいまだ持ち得ていない。だがZOE、君はこの世界が救われ、磯野君たちの世界も存続する選択肢があることを我々に教えてくれたじゃないか。それならZOE、君が我々に希望を与えてくれたのは、いったい何故なんだ」
「榛名さん、磯野さん、繰り返します。お二人はわたしがお護りします。二二日にこの世界からあなたたちが脱出するそのときまで」
HAL05は、三馬さんの問いを無視して言った。
「ZOE、お前は、それでもライナスもハルも救えないまま、この世界が存続出来ない事態に陥ろうとも、俺たちを元の世界に戻そうとするんだな?」
HAL05に――ZOEに俺は尋ねた。
「はい」
彼女の、そのひと言で――
「……お前は」
俺のなかで――
「お前は……!」
――なにかが、がはじける。
「お前は、生みの親をなんだと思ってるんだ!! 人類を存続させる? だから、この世界にいる人間は、生みの親だろうと見殺しにするっていうのか!? お前は、」
「――磯野さん、あなたは、ZOEにとって命の恩人なんです」
HAL05の肉声と、左耳から流れ込む女性の声が、俺の思考を停止させた。
「命の恩人? 俺が……お前の?」
俺はおもわず聞き返した。
突如、眩暈が俺を襲う。
覆い被さってくるような重さと吐き気が、俺にのしかかってくる。まるで、生存世界へ収束していくときとおなじ……。
――俺は……死んだ?
いや、そんなことは無い。
死んだのならもっと、つぎの世界までの「つかの間」があるはずだ。生存世界へと収束するまでの、瞬く時間が。
「……磯野くん」
「榛名?」
俺は榛名へ顔を向ける。
彼女の顔が、青い。
「榛名……」
「鼻から血が」
彼女は、うつろな目を俺に向ける。その彼女の鼻から、血が流れ出していた。けれど、彼女が俺に、そのことを告げている。
いや、ちがうよ榛名。
鼻血を流しているのはお前――
無意識に拭っていた俺の手の甲には、真っ赤な血がこすれついていた。
視界が墜ちた。
だれかが、俺の頭を撫でている。
そっとなぞる手に、こわばっていたこころが、するするとほどけていくような、そんな心地よさにつつまれた。
このままでいたい。
もうすこし、このおだやかな心地にひたっていたい。
ふと思う。頭を撫でられるなんて、何年ぶりだろう。幼稚園のころまでさかのぼるだろうか。あのころは、目に映るなにもかもが鮮やかなオレンジ色に輝いていた。いろいろなものに興味を抱いてから、だろうか。いつからだろう。目に映るものにすこしずつ興味を失って、なにもかもが面倒になって――
ゆらゆらと揺れる景色。八月の青。
夏の日差しのもと、俺は真駒内から大学までの長い道のりを、去年の秋に買ったお気に入りのクロスバイクで走る。
なんで、あんなに必死になって毎日部室に通っていたんだろう。
夏休みなのに、俺は、なんで――
青ざめた榛名の顔が浮かぶ。
彼女の鼻から流れる赤。彼女は、俺に笑顔をむけながらも次第に、それが面影となって消えていってしまう。……いや、それとも、俺が――
「……あ」
うっすらと視界に入ってきたのは、千代田怜の顔だった。
目を大きくあけた顔が一瞬ゆがんだあと、彼女は俺をつつみこむ。
制服ジャケットのごわごわした感じと、ワイシャツをとおして伝わる彼女の熱が、俺の頬に触れた。
「……気を失ってたのか? 俺は」
「そうだよ。すごく心配したんだから」
「悪い」
「ううん。目が覚めてくれて、本当に良かった……って!」
怜は我に返ったかのように顔を真っ赤にして、彼女の両腕を宙に浮かばせた。同時に俺の頭もまた宙に浮き、直後、重力によってふたたび彼女の太ももへと落下を開始した。そうだ、俺は女性警察官のタイトスカート越しの太ももという、まるで引力という名の物理法則に引き寄せられるかのように、顔を下へと向かせ埋めよぐえええ!!
鋭い衝撃が頭部の方向転換中に走った。
「調子にのるんじゃねえ!」
「ご無体な!」
俺は後部座席のソファに手をつき、窓の外を見た。
一〇メートルほどはなれたところに三馬さんと柳井さん、竹内千尋が向かい合っていた。柳井さんは深刻そうな表情を浮かべ、三馬さんの話に聞き入っていた。
そうか、みんなと合流したのか。
俺は窓から目を離し、逆側のサイドガラスから外を覗こうとした。と、千代田怜と目が合ってしまう。
「……あ」
「……な、なに?」
寝覚めに鉄拳食らったとはいえ、俺の頭はぼんやりしていた。それでも、俺は、気づいてしまう。
怜に膝枕されてたってことだよな……。
怜に膝枕されてたってことだよな?
頭に浮かんだこそばゆい単語に、俺の目が高速で泳いだ。
いまだ警察官のコスプ……いや、警察官姿の千代田怜は、俺の性癖……嗜好からしても、とても魅力的であった。
目が合ったのが気まずかったのか、怜はそっと目をそらした。





