22-01 ……ZOE、お前は俺たちを囮につかったのか?
ゴーディアン・ノットの襲撃。真柄と共に北大病院からの脱出を図る磯野達。防弾車両に乗り込ませ、脱出させた女性は自らをHAL05と名乗り――
「ハル……ゼロファイブ?」
彼女が口にした数字に、俺は戸惑いを隠せない。
ライナスはHALを五人用意していると言っていた。
昨日迷い込んだ別の世界線。俺と榛名がみた新東京駅から発車したチューブリニア。霧島千葉を失い、ライナスの死、そして榛名の死を目の当たりにした世界。そんな地獄のような空間で俺たちを護ってくれたのは、HAL04。昨日の時点で彼女は、ハル――HAL03の脱落にそなえて新東京駅周辺で待機していたはずだ。それならいま運転席にいる「五人目」は、はじめからこの札幌で行動することを想定して、あらかじめ待機していたってことか?
「磯野さん榛名さん、わたしたちは一度札幌を離れます」
「え?」
「四日後の八月二二日まで身を潜め、ふたたび――つかまって!」
HAL05と名乗った女の声と、榛名と千葉の悲鳴が混じり合った。突如、遠心力がかかり、車体後部が外側へと振り回された。フロントガラスを見ると、急速に拡大していく筒状の物体が、車が一瞬まえまでいた軌道をかすめていった。直後、すべての音を轟音と激しい振動が、背後からまき起こる。
「なんだ!?」
「対戦車ミサイルです」
「ミサイル!?」
路地へと入った車は、前方をふさぐ六人の戦闘員らしき人影に加速した。
運転席から拳銃の装填音が聞こえたかと思うと、すでに下りていた運転席のサイドガラスから、HAL05は上体を乗り出し、一人ずつ、正確に、敵の頭を撃ち抜いた。彼女は、倒れ込む残りの三人をためらうこと無くはねた。後方には死角から飛び出した二人が、車に銃弾を撃ち込んできたが、HAL05はかまわず左折した。通りへ出た車はふたたび北へと進路を戻した。
「あの装備はゴーディアン・ノットです」
ハンドルを握りなおしたHAL05は、声色を変えることなく言った。
彼女のまとう空気、それはハルともHAL04ともちがっていた。彼女のそれをひと言でいうならば、「冷たさ」。人のかたちをしているが、彼女の雰囲気、振る舞いは、無機質な――機械のようだった。
榛名は千葉の耳を塞いだまま彼女を抱きしめていた。俺と目が合った榛名は、青ざめた顔のまま平静をよそおってうなずいた。
榛名は……彼女は、敵が撃ち抜かれた光景を見たのか?
運転席の真後ろだから、榛名からは死角になっていたはずなんだ。けれど――
「怜ちゃんたちは!? みんなは無事なんですか!?」
榛名が声をあげる。
と同時に、無音だった左耳の通信用イヤフォンから、空気音――サーッというホワイトノイズが浮かび上がった。
「磯野か?」
「柳井さん!」
「榛名さんは? 霧島のご姉妹は無事なのか?」
「磯野!!」
柳井さんの声に悲鳴のような叫び声がかぶる。
「怜お前! 声でか過ぎだ!」
俺は思わず叫び返してしまう。
ほんのわずかな無音のあとに「わたし、本気で……心配、したんだから」と言う千代田怜の声を聞いた。
「怜ちゃんも……本当によかった。柳井さん、磯野くんも千葉もわたしも無事です。みなさんは?」
「榛名さん、こっちも全員――俺に竹内、千代田さん、三馬もいっしょにいる」
「救急車っていうのは、かなり乗り心地の悪い乗り物だねえ。骨折で運ばれたら、病院に着くまでにのたうち回りそうだ」
「三馬さん!」
かなり気をつけて走ってるつもりなんですけど、と言う千代田怜の声が、榛名の声と重なって聞こえた。
「怜が運転しているのか?」
「……そう」
「自動運転じゃないのか?」
「機械なんかにまかせておけないじゃない!」
みんな無事に脱出したってことか。
「HAL! 昨日の晩、百年記念会館にいた学者たちは無事なんだろうな?」
「彼らは大学ノートとともに、あのあとすぐに札幌を脱出しています」
「……よかった」
よかった?
俺は、つぶやいた自分の言葉に苛立ちを覚えた。
ちがうだろ。昨晩、あの実験のあと早々に脱出したって、それって……。
「……ZOE、お前は俺たちを囮につかったのか?」
いや、俺たちだけじゃない。
北大病院一階ロビーのいたるところに転がっていた死体。血なまぐさいあの光景をつくる無数の犠牲。あの人たちもまた、この襲撃に誘い込むための囮――生け贄だったっていうのか?
……ふざけんなよ。
「ふざけんなよ! ZOE!! お前はすべてわかったうえで、あんなに大勢……あれだけの人たちを犠牲にしたのか?」
「今回の作戦はホワイトハウスと日本政府の共同作戦です。北海道に潜伏しているKGBおよび反政府分子の炙り出しに成功しました。わたしたちは、その機会に乗じて必要最小限の犠牲に済むよう、脱出計画を遂行しています」
ZOEの代弁をするHAL05の口調は、相変わらず事務的な冷たさをまとっていた。代弁どころか、彼女こそがZOEと呼ばれる存在そのもののようにさえ思えた。
「お前、本当にハル……なのか?」
俺は問うてしまう。いままで出会った彼女とはあまりにかけ離れ過ぎている。いや、ZOEだと思えば、これほど一致する人格は無いとも言える。だからこそ、人間らしい優しさをまとっていたハルと重ねることが出来ず、俺は、混乱した。
「わたしはHAL05。わたしが起動するフェーズは、磯野さんと榛名さんのお二人を、あなた方の世界に無事送り届ける段階に到達したときです」
「そうじゃない。俺が訊きたいのは、」
「わたしは任務遂行上、HAL01から03までの記憶を除外しています。三体の経験は文字情報としては把握していますが。わたしはZOEの意思を直接的に遂行する端末として機能しています。これで、よろしいですか?」
HAL05は、バックミラー越しに瞳を向けてきた。運転しているにもかかわらず、その目は、ずっと俺の目を離さない。まるで、俺がなにを感じたか、なにを考えるか、それを逃さずに観察しているようだった。
「わたしたちは四日後の八月二二日まで身を潜め、ふたたび札幌の旭山記念公園へ向かいます」
俺の返答を待つことなく、HALは言う。
――旭山記念公園?
「待ってくれ。話が見えない。なぜ八月二二日……旭山公園なんだ?」
俺は思考が追いつかないまま、彼女に問う。
「八月二二日一四時四四分〇七秒。その時点が、あなたたち二つの世界に戻れるタイミングだからです」
――八月二二日一四時四四分〇七秒。
元の世界の、そう、旭山記念公園で、俺のドッペルゲンガーに遭遇した直後の入れ替わり時間。
「磯野さん、榛名さん、お二人はこの世界での役割を終えました。今後はあなたたち二人のいた世界の存続を第一に考えて、行動してください」
「ハルさん! わたしたちはライナスさんと三人目のハルさんを助けるために、」
「この襲撃を指揮しているのはHAL03です」
は?
北大病院を襲撃したのは、ハル?
そんなわけないだろう。あのハルが、どうして俺たちを?
「……なに言ってんだよ……お前」
「磯野さん、HAL03は、すでにソ連によって戦力化されています」
俺の視界が、脳が、横殴りにされる。その後一瞬遅れて、HAL05の言葉が、俺のこころをじわじわとなぶってくるような感覚に襲われた。世界が、沈んでいく。
「な……んで」
ハルが、そんなこと
「そんなことするわけないだろ!」
血なまぐさい記憶が、ふたたび鼻をかすめる。
死に満ちたあの空間をハルが作りだしたっていうのか? 北大病院の一階。そこらじゅうに死体が横たわる世界。あのときはアドレナリンの影響か、それほどショックを受けずに俺はやり過ごしていた。幸運にも、やり過ごすことが出来た。けれど、あの状況を引き起こしたのが彼女――ハルだと結びついて、はじめてその凄惨さが、奇妙な現実感覚として俺を侵食していった。
俺は真っ赤に染まった思考を振りとほどこうとする。ハルが――彼女がいままで人の殺生をぎりぎりまで避けてきた、たくさんの場面を頭にめぐらせた。俺の頭にこびりつく死の世界を、ハルの思い出で上書きしようと、した。
「彼女はソ連へ北大襲撃作戦に必要な情報と、彼女の持てるリソースを提供したうえで、敵側の人工超知能の端末として今作戦を指揮しています。今回の損害の大半は、彼女によるものです」





