21-08 もう時間が無い。すぐにもここは戦場になる
星降る世界の螺旋カノン。彼女が発したその言葉がすべての世界を救う道筋となることを、二人は願う。
昨晩はなにごとも無く、本当に残念ながらなにごとも無く朝を迎えたのであった。
あのあと俺と榛名はお互いの部屋に戻って朝まで休んだ。まあ、あんなことになったのだから、気が散って落ち着かなくてそれどころではなかった。昨晩はお楽しみでしたね、とか冷やかされたかったよ、まったく……。
八月一八日 九時三七分。
俺はと霧島千葉は、北大病院で健康診断をおこなった。
俺は昨晩受診出来なかったための初診、彼女は昨晩の時点で衰弱状態だったらしく、点滴ののち今朝もう一度診察を受けるということだった。
「いくつか擦り傷はあるが、体は至って健康」
俺は医者からそう言われて安心したが、いま五体満足でいられるのも、生存世界への収束――つまり、何度も死んだ結果だというのも皮肉なものだ。
検査を終え、上着を羽織ったところで、拳銃とスマートフォン、そして通信用のイヤフォンに目がいく。
俺は拳銃を所持した状態で病院にいるんだよな……。
普通なら持ち物を調べられたうえで取り上げられるはずのものだが、そんなに信頼されているってことなのか? それとも、護身用に所持を許可させなければならないくらい、事態は緊迫している?
取り上げなかったといえば、ライナスからあずかったこのイヤフォンもそうだ。昨晩もZOEとのやりとりで使用したコイツを、日本政府も三馬さんも俺から取り上げなかったのは、なにか理由があるのだろうか。
この北大敷地内において、ZOEとの通信は日本政府、ひいてはNSA――アメリカ国家安全保障局――の傍受範囲であるから、むしろ取り上げずにしている、というのが正解なのかもしれない。
そういえば、昨晩ZOEが言っていたライナスからのメッセージはなんだ?
俺は廊下に出て左耳にイヤフォンをつける。
ライナスのメッセージを傍受されること前提で聞いてもいいのか? 一〇時からはじまるZOEとの対話だって筒抜けのうえでのことなら、やはり、この場で訊くべきだろう。
「ZOE聞きたいことがある。昨日言っていたライナスからのメッセージだが――」
そこで、肩をたたかれた。
振り返ると、意外な人物がそこにいた。
「真柄さん?」
昨晩とおなじスーツを着た真柄さんと、おなじく迷彩服の佐々木さんが立っていた。俺は佐々木さんを見てギョッとした。この病院内で彼はアサルトライフルを抱えていた。
あの戦場から帰ってきてそのままなのはわかる。二人とも寝ていないのか憔悴しているように見えた。だが、いくらなんでもこの場所でその装備は物騒過ぎる。
「なんでこんなところにいるんですか」
「おはよう磯野くん。昨晩はこの世界の存続に手を貸してくれてありがとう。だが、もうそろそろここから離れないといけない。我われと来てほしい」
「え? どういうことです?」
不穏な空気を感じ取る。
「みんなは?」
「大丈夫」
「なにが大丈夫なんです? 昨晩は俺たちのことなどお構いなしだったじゃないですか!」
「あのときは、ZOEがきみたち二人をここへ送り届けるとわかっていたからだ。だが、いまはちがう」
「なにを言っているんです?」
「もう時間が無い。すぐにもここは戦場になる」
「戦場?」
「磯野くん、これを」
佐々木さんが、拳銃のマガジンを二つ手渡してきた。
「真柄さん、いったいどういうことなんです?」
「日本政府―いや、正確には米国はきみたち二人を、国内に潜伏するKGBをおびき寄せるための囮に使うつもりだ」
「おとり?」
「昨晩のタイムトラベル実験、あれは東西両陣営とも了解済みの出来事だった。だからきみら二人が、この北大までたどり着くのは織り込み済みだったんだ」
「ちょっと待ってくださいよ! 東側もってことは、あの戦闘機や森での特殊部隊はなんだったんです!」
「磯野くん、彼らの行動は一貫してるよ。君たち二人の生存世界の数を漸減、削っていくことだ」
佐々木さんが答えた。
「いま言ったとおり、君たち二人が北大に到着することは東側も承知していた。そのうえで日米両政府は、昨晩までに北大を中心に札幌市の北区と中央区を中心に自衛隊と米特殊部隊により要塞化を完了している。表向きは道警のみの警備と見せかけているが、敵も当然見抜いているだろう」
昨晩見た自衛隊員はそういうことだったのか。
「これも、北海道に潜伏するKGBの戦力では太刀打ち出来ないことを見込んだうえでの敵の襲撃の抑止を狙うものだった。ところが、きみたち二人が北大に入った直後から石狩平野各所での通信量が不自然に膨れあがった」
「通信量?」
「潜伏しているであろう工作員の活動が活発化したってことだ。巧妙に隠蔽されているため内容自体まではつかめないが、その動きの規模からみて、要塞化された北大を襲撃するに十分の戦力があることがわかった」
「さっき俺たちを囮に使うって」
「それでも日米両政府とも対処できると踏んでいるということだ。きみたちが北大にいることで潜伏している工作員を一網打尽に出来るなら、特に日本政府にとって願ったり叶ったりだろう。だが、いままでの敵の動きからみて、そう簡単に済むとは思えない」
真柄さんはそこまで言うと、声のトーンをあげる。
「それにZOE、お前も手は打ってあるんだろう?」
「この件について、すでに対策はしております。ご安心ください」
その声は、俺の身につけているイヤフォンとともに廊下に響いた。
驚いた真柄さんが、自分のポケットからスマートフォンを取り出すと、スピーカー通話状態でZOEの声が出ていることがわかった。
「ZOE、お前は生みの親を見殺しにしておいて、ぬけぬけとよくそんなことが言えるな」
生みの親を見殺し?
「いったいどういうことです!? ZOE、ライナスたちは無事じゃないのか!?」
「ライナス博士、HAL03はKGBに拘束されましたが命に別条はありません。ライオネルは重傷を負いましたが、近くの病院に搬送されました。こちらも無事です」
拘束されったって……、
「拘束されたってどういうことだよ!!」
その瞬間、はげしい揺れとともにドーンという爆発音が響いた。
「早過ぎる」
真柄さんがそう言ったのと同時に、佐々木さんがアサルトライフルを構え、無線機を取った。
「……え」
まるで映画のなかのように、爆発音と無数の銃声が窓を隔てて聞こえてきた。そのたびに、建物が揺れ、悲鳴が響く。
「磯野くん、霧島榛名さん二人の生死などどうでもいい連中だ。この建物もろとも吹き飛ばすつもりでくるだろう。いまのところこちらとZOEのハッキングで直撃は――」
俺は真柄さんの脇をすり抜け角を曲がり、待ち合いベンチへと駆けつける。榛名と千葉がいた。榛名が妹をかばうように抱きしめている。
「磯野くん!」
「榛名!」
千葉に手をおいたまま彼女は立ち上がった。
俺は振り返り吠える。
「真柄さん! どうなってるんですか!」
「敵は一枚も二枚も上手だ。すでに病院への侵入を許してしまっている。佐々木くん」
おそらく待機していたのだろう二名の迷彩服が駆けつけてきた。佐々木さんは無線の確認後、真柄さんに答える。
「敵、西五丁目通り側から侵入。人数は不明。外来診療棟一階で銃撃戦開始」
「外の砲撃は囮か」
「外へ目を向けさせているうちにここを潜入した部隊で急襲しているかと。西側、医学部方面より脱出します」
「よし。二人とも行けるか?」
「ちょっと待ってくださいよ!」
俺は千葉のまえにかがみ込む。
「磯野さん」
「大丈夫だ。俺が抱えていく。いいね」
千葉はうなずいた。
俺が千葉を抱えて廊下に出たのを見計らって、佐々木さんを先頭に西へと進んでいく。俺たちのうしろに二人、アサルトライフルを構えた兵士が護衛についた。
「エレベーターは使えない。階段で一階まで下りるが磯野くん、大丈夫かね」
五階ぶんか。
俺はうなずいた。
抱えられた千葉をみると、申し訳なさそうな顔をしていた。
「大丈夫。軽いから」
千葉の顔が赤くなった。
佐々木さんが先行して階段を確認する。
歩き出した佐々木さんと真柄さんのあとに俺たちはついていく。
階を下るごとに銃声は大きくなり、確実に敵に近づいているのがわかった。
二階まできた佐々木さんは、踊り場から廊下を見、俺たちに振り返った。
二人の兵士に手合図をした。最初の三という合図だけわかった。二人の兵士は足音を消しながら佐々木さんのそばへと駆け下り、銃を構える。
「千葉、耳をふさいで」
次の瞬間、三人はたがいが射線に入らないようにしながら銃をさらし、廊下に向かって撃ち込んだ。銃声が鳴り終わると、佐々木さんはまた階段へと戻り、一階へと歩きはじめた。
富士ジオフロント脳科学研究所では俺とハルの脱出を阻んだ佐々木さんが、いまは俺たち二人の護衛として進路を確保している。心強いことこの上ないが、なんとも複雑な気分だ。
「真柄さん、ここまで入り込まれている割に敵が少ない」
「出し抜かれているとはいえ、本隊も頑張っているんじゃないですかね」
どこか悠長にきこえる真柄さんの言葉。
敵の急襲に対処できている余裕もあるのだろうが、なぜだろう癇に障った。
一階までたどり着いた俺たちは、敵がいないことを確認する。
いや、正確には自衛隊と敵、双方の死体が転がっていた。
「千葉、目を閉じてて」
そう言う俺も、この血なまぐさい状況に吐き気が込み上げてくる。
うしろにいる榛名にまで気を回せないのがまたつらかった。
「南正面のホールにも人はいませんが、予定通り西側の出口に向かいましょう」
佐々木さんがそう言い終わると同時に、突然、俺の左耳から声が聞こえた。
「左、屈んでください」
その場にいた全員が左に屈み、佐々木さんはそのまま目標へと引き金を引いた。
無数の激しい銃声が聴覚を覆う。
かどからあらわれたのは、二名の用務員の格好をした日本人と、欧米風の大男だった。その顔に見覚えがあった。一瞬だが俺をとらえる冷酷な目。あいつは――
「八月七日のロシア人!」
絶え間なく射撃をつづけながら、俺たちはそれぞれ柱の陰へと身を隠す。
佐々木さんもまた、柱の陰に隠れたが、肩に銃創を負っていた。その先には、迷彩服の兵士の一人が倒れていた。頭を撃たれている。
「ZOEの目、たしかに便利だ」
銃撃の合間に、真柄さんの一言が響いた。
五階からこここまで、沈黙を守っていたZOE。
それがいまさら俺たちに警告を与えてくる。これもZOEは予測済みだったのか? それならもっとまえにこの状況を避けられたんじゃないのか?
――これが彼女にとっての正しい選択ということなのか?
「突破は無理です。ここは我われに任せ、ホールへ」
そう叫ぶ佐々木さんに、真柄さんは渋い顔をした。
「ZOE!」
俺が叫んだそのとき、ロビーから一台の車が突っ込んできた。黒の大型SUV。車は俺たちが隠れている柱を越えて、ロシア人たちとの射線をふさいだ。車を隔てたさきで激しい銃声が鳴り響いた。
俺たちの側の運転席の窓と後部座席ドアがひらく。
「磯野さん、榛名さん、急いで!」
その声は聴きなれていて、けれど彼女が発する声には違和感があった。
運転席には、ワイシャツに防弾ベストを着た女性のすがたがあった。
「ハル!」
俺はそう発した瞬間、俺は千葉を抱えたまま後部座席に飛び乗った。すぐさま、右手を差し出し、榛名を引き寄せる。榛名が俺に覆いかぶさるかたちで車に乗り込んだ。すぐさま車は発進し、ロビーから南エントランスの自動ドアを突き破って外へと飛び出した。
「ハル! 無事だったのか!」
「身をかがめていてください」
俺と榛名は身をかがめ、助手席側の窓を見る。
「防弾……アサルトライフルを弾くのか……」
ハルは駐車場に出ると武装した兵士たちと鉢合わせる。銃撃の雨が車を襲うが、かまわず西五丁目通りへ突き当り、北へ左折した。
「そっちは敵が襲ってきた――」
「しっかりつかまっていてください」
車は一気に北へと突っ切る。
俺は、バックミラー越しにハルを見ると、彼女もまた俺に一瞥して言った。
「わたしはHAL05。ZOEに創られた最後のヒューマノイドです」





