21-04 話を整理しよう。この世界を救うためには二つの課題がある
三馬は、三つの目の世界は八月七日一八時二七分二七秒以前には存在した痕跡が無かったことをみんなに告げる。
この場にいる全員が言葉を失う。
だが、俺は三馬さんの口から出た日時に納得した。おそらく榛名もだろう。
――八月七日一八時二七分二七秒。
俺が色の薄い世界から帰ってきた、オカ研世界との入れ替わりがはじまった「第二特異点」。
「この世界における過去は、未来へと時間が進むごとに拡大し、八月一八日現在、七日から一一日前の七月二七日までの歴史が実体化している」
「この世界の歴史が過去にも広がっている?」
「ああ、未来へと時が進むに従い、過去の歴史もまた生み出されている。まるで波紋のようにね」
世界の変質化のときとおなじだ。
第二特異点を原点として未来へと時が経つほどに、過去へ向けても「影響の輪」が波紋のように広がっていく。
「けど、わたし八月七日以前どころか、子供のころの記憶だってあるんですよ!?」
「千代田さん、竹内君がさきほど言っていたとおり、世界五分前仮説のような現象が起こったんだ。我々が記憶しているはずの過去が、本当に存在していたかどうかは、誰も証明することができない」
「けど、その重力波発生装置と、その波紋の広がりを観測する機械が証明を可能にしたんですよね」
竹内千尋の問いに、三馬さんはうなずいた。
「磯野君、この世界ではきみたちの世界その過去へ情報を送信することが可能となった。マレット博士を中心にしたグループが、大学ノートの性質を利用して、ある程度コントロール可能なかたちでのタイムトラベルを実現可能にする装置を作り出した。数行のメッセージを送る程度ではあるがね。我々はこの技術を応用することで、地球がブラックホールに飲み込まれるという世界の危機から脱する糸口をつかんだ。ただ、この世界を救うにはきみと榛名さん、二人の協力が必要となる」
俺はとなりに座る榛名へと顔を向けた。
彼女は俺にうなずきかえす。
「俺と榛名もこの世界を救いたい。これは俺たちの本心です。けど、問題があります。俺たちのいた世界もまた危機的状況にあるなかで「この世界と自分たちのいた世界のどちらの世界を救うか」っていう、二つの世界を天秤にかける状況にも陥っています」
「磯野、天秤ってなに?」
青ざめた顔を向けてくる千代田怜。
俺は口をつぐんでしまう。
「千代田さん、私から話そう。この密閉空間に君たちを連れてきたのも、磯野君の言う天秤の話と、ZOEがいままで進めてきたことが関係している。まずZOEとは、千代田さんも言っていたとおり人工知能だ。米国が開発したもので、西側の安全保障に関わっているらしい。彼女はこの世界の危機と、この世界を生み出した並行世界について私に話した。その内容はさきほど君たちに話したとおりだ」
「……ブラックホール?」
「そのとおり。人工知能ZOEは、この地球がブラックホールに飲み込まれるまえに、磯野君と霧島榛名さんを彼らのいた世界に戻そうとしているんだ。彼らの人類を存続させるためにね」
「磯野たちを戻すってどういうことですか? それって、」
そこまで言った千代田怜は不安げに三馬さんを見た。
「……ゾーイは、この世界をあきらめている?」
三馬さんはうなずいた。
「この世界は、磯野君と霧島榛名さんがいることで成立している世界なんだ。ZOEによれば、二人がこの世界を創ったきっかけ、つまり、この世界の存続につながる五次元ワームホール空間――情報の道をひらいたこと、これが二人とこの世界を強く結びつけてしまっている。たったいまも二人の状況や行動、精神面が、この世界に大きな影響を与えている。まるでこの世界における神のようにね」
おなじことを真柄先生に言われた。だけど、神様なんて実感は無い。もし神のように力があるのなら、ここにいたるまでの道のりをもっとマシにできたはずだ。
「しかし、その二人がひらき、この世界が生まれるために必要な情報の道とそこから流れ込む情報量が、結果的に高密度化されることにより、ブラックホールを生み出す原因となってしまっている。情報の道を閉じるには、ここにいる二人をもとの世界に戻す必要がある」
「じゃあ、磯野と……榛名ちゃんを二人のいた世界に戻したら、ブラックホールは出来ないってことですよね? それですべて解決じゃないんですか?」
「千代田さん、そうはいかないんだ。さきほども言ったとおり、二人の状況がこの世界に大きな影響を与えている。二人とこの世界の結びつきは、簡単に切り離すことが出来ない。まるで絡み合う糸のようにね。それを無理やり切り離そうとすれば、この世界はその影響に耐えられないだろう。そうなれば人類どころじゃない、宇宙規模での崩壊を招いてしまう」
三馬さんの言葉に、この場にいる全員の空気が止まった。
「……ゴルディアスの結び目――ゴーディアン・ノット」
柳井さんのつぶやきに三馬さんはうなずく。
「彼ら東側の目的はまさにそれだ。磯野君と榛名さんの二人をこの世界にとどまらせる。そのうえで、西側――主に米国がこの二人を利用することを阻止するには、二人を抹殺してしまうのが理にかなっている。二人が死んでしまえば、元の世界に戻ることもないし、この世界に対する二人の影響力もまた失われるからね。……二人の死が、この世界に与える影響については未知数だが」
「え……。けど、磯野と榛名ちゃんがもとの世界に帰っても、なんの解決にもならないじゃないですか!」
思い詰めた顔で言う怜に、三馬さんは申し訳なさそうな顔を向ける。
「いや、千代田さん、彼らの世界の人類は存続される。人類の滅亡がまぬがれるんだ」
「磯野……本当にそうなの?」
まっすぐに見つめてくる千代田怜の目を見つめ返すこともできないまま、俺はうなずいた。
「……そんな」
榛名は怜になにか言おうとしたが、言葉が出ないまま目を伏せた。
「三馬さん、いまの話だと、この世界の人類に未来はないですよね。けどさっきブラックホールの発生の阻止のための研究組織が立ち上がるって言ってましたよね」
竹内千尋の発言に、三馬さんはうなずいた。
「話を整理しよう。この世界を救うためには二つの課題がある。
――ブラックホール発生の阻止と、
――磯野と榛名さんがもとの世界に戻ってもこの世界が存続することだ。
この二つのうち、前者のブラックホール発生の阻止については、いま科学者たちが取り組んでいる。今夜の二世界間でのタイムトラベル実験の成功が解決への糸口となるだろう。まずはブラックホール発生をどれだけ引き延ばせるかだが――」
「三馬、もったいぶるな。問題は後者だ。二人がいなくても存続する方法はなんだ?」
「筋道だよ」
「筋道?」
「我々が行き着く未来のひとつに、磯野君と榛名さんがもとの世界へ戻ろうとも、この世界が存続しうる可能性が存在することをZOEは示唆した」
は?
「三馬さん、まってください! ZOEが言ったんですか? 俺たちが戻ってもこの世界が救われるって」
「ああ。だが磯野君、その可能性は確率にして一パーセントを切るレベルのものだ」
「一パーセントを切る? それって可能性が無いのとおなじじゃないですか!」
「ZOEという人工知能は、未来を予測することが出来る。しかし、それはあくまで確率によるものだ。我々の世界ときみたちの世界の存続において、より多くの可能性を持つ選択を未来予測として結論づけるんだ」
三馬さんの言わんとしていることが理解できない。
「確率の母数は、磯野君と榛名さん二人のいま現在この世界で生存している世界の数。その膨大な世界の中から、両方の世界が存続する可能性がほんのわずかながらに存在する」
俺たちの生存世界の数?
俺と榛名の残りの生存世界の可能性のことか?
残りの生存世界のうち、二つの世界を救うという正解があるってことか?
つまり、一パーセントを切るという言葉の真意は、
「俺と榛名の生き残っている並行世界の数はわからない。無数にある並行世界のなかで一パーセントを切るってことは、数で言えば片手で数えられる程度か、もしくは、最悪、
――たった一つの並行世界に、両方の世界を確実に存続させる筋道がある。
ということですか?」





