21-03 ここにいるのがこの世界の磯野じゃないってどういうことですか!?
百年記念会館の大会議室。そこには、世界各国の科学者たちに囲まれて、この世界の大学ノートがあった。三馬は磯野に「文字の浮かび上がり現象」を起こし、映研世界へメッセージを送るよううながす。
八月一八日 二時一八分。
多くの科学者たちがその場に残るなか、大会議室から出た俺たち三人と三馬さんは、エントランスまで出たところで榛名と竹内千尋に鉢合わせた。
「榛名、なんでここに?」
「ぼくは妹さんといっしょに休むように言ったんだけれどね」と千尋は苦笑いした。
「千葉は?」
「病院で検査を受けたあとホテルに案内されたんだけど、千葉だけ寝かしつけてきた」
無理言ってごめんね、と言って榛名は千尋に振り返る。
「ううん、ぼくだって三馬さんたちの話聞きたかったし、気持ちはわかりますよ」
「ここで全員が揃ったのもいい機会だ。もうすこし付き合ってもらおう」
三馬さんは、百年記念会館からすこし歩いた場所にある建物へ俺たちを案内した。キャンパスに不自然に建てられた白い四角形の物体。仮設建造物らしい平屋の建物には窓が見当たらなかった。
「三馬、なぜここに移ったんだ?」
「これから話すことを、ある人に聞いてほしくないからだよ」
「ある人?」
それがこの建物に窓がない理由か。
外から完全に遮断することで、唇の動きを読み取ることによる会話の盗聴すら防ぐということだろう。
「この建物内では、会話盗聴のあらゆる可能性を排除できる」
「話がよく見えん。そもそもこの件が終わったらすべてを教えてくれるって話だろ?」
「まあ待て柳井、なかで詳しく話すから」
建物の入り口にいた二人の警察官に、三馬さんはスマートフォンを預けた。
「すまないが、君たちも身につけている電子機器を預けてくれないか」
「完全に盗聴対策だな」
そう言って柳井さんもまたスマートフォンを出した。
そういえば――
「あの三馬さん、ちょっと待ってもらっていいですか?」
「ああ、かまわんよ。いまのあいだほかの皆さんは、そこの自販機で飲み物でも買っておくといい」
俺はみんなからすこし距離を置く。榛名と目があい、うなずいた。彼女もおなじことを思っていたようだ。
俺は小声でイヤフォンへ語りかける。
「……ZOE、ライナスたちは無事なのか?」
「はい。ライナス博士、HAL03、ライオネル氏三名に生命の危険はありません」
「よかった。いま話せるか?」
「ライナス博士からメッセージが届いております。いま再生しますか?」
メッセージ?
……三人が無事ならそれでいいんだ。
それに三馬さんたちを待たせるにもいかないし、
「いや、あとで聞かせてくれ。ZOE、ひとつ確認するが、いまもライナスとお前の計画どおりことが進んでいるんだよな? 日本政府の管理下に俺と榛名が置かれている状態でも問題ないんだよな?」
「はい。問題ありません」
彼女の答えを聞いても、まだなにか引っかかる。
それでも、いまは――
建物の一部屋に案内された俺たちは、小会議室のような空間にテーブルを挟んでならぶソファにそれぞれ座った。三馬さんは、部屋のドアをロックし、用心深く確認した。
「この世界を救う相談をするのにZOEに水を差されたくないからね」
「ZOE?」
なぜ三馬さんはZOEのことを知っているんだ?
三馬さんのいまの言葉は、ZOEの目的をわかったうえでの発言だと思われる。だとしたら、彼女の存在と目的を知るあらたな人物なのか?
――この三つ目の世界が消えてなくなることをいとわず、俺たちをもとの世界に戻す。
だがZOEの真の目的を知っているのは、ライナスとハル、そして榛名だけだ。当然、真柄さんや富士ジオフロント脳科学研究所の関係者のように、ZOEにたいして疑惑を抱いている組織はあるはずだ。しかし彼女の目的については、CIAもふくめて誰にも知られてはいけないはずだった。
「八月七日に、私のもとに連絡があったのだよ。ZOE本人からね」
「ZOE本人って……それって本当ですか?」
おもわず出た言葉に、三馬さんはうなずいた。
八月七日って、俺がこの世界にたどり着いた日じゃないか。もしその話が本当なら、ZOEはライナスやハルに黙って別の計画を進めていたことになる。しかも、ついさっきやりとりしたばかりだ。なぜZOEはそのことを俺に黙っていた?
「磯野、ゾーイってさっき話してた人工知能のことだよね。磯野たちの味方じゃないの?」
俺は答えに窮してしまう。
俺たちを守ってくれているのはまちがいない。けれど、この世界を見捨てることを前提のうえでだ。そんなことをこの場にいる「この世界の人びと」のまえで言えるわけがない。
「磯野?」
「私から話そう。米国で作り出された人工知能ZOEは、人類の存続を目的にその使命を磯野君と霧島榛名さんに託した。ただし、存続される人類とは、この世界のことを指しているのではない。彼ら二人のいたもとの世界の人類のことだ」
「三馬、今夜ここにくる磯野はこの世界の人間じゃないと俺たちは聞いた。俺も竹内も理解が追いつかないままお前を手伝った。だがな、そもそも、そのZOEっていうのは――」
「ちょっと待ってください! ここにいるのがこの世界の磯野じゃないってどういうことですか!? 磯野、そんなことひと言もいってなかったよね!?」
青ざめた千代田怜の顔が俺に向けられる。
「……あ、それはだな」
俺はそこで言葉を止めてしまう。
ライナスの言うことが正しければ、日本政府によって富士ジオフロント脳科学研究所に拘束されているはずなんだ。
「この世界の磯野君は、すでに保護されとある場所に匿われているらしい。彼もまたこの世界における最重要人物だ。安心していいだろう」
三馬さんは怜にそう答えたが、あの場所から命がけの脱出した俺にとって、まったく説得力が無かった。
「そうなんですか? そう、なんですね…………よかった」
千代田怜は、三馬さんの言葉をたしかめるようになソファにもたれ込んだ。
この世界の俺だとしてもだ、こんなに心配してくれる彼女に俺はなにか言ってやりたくなる。が、いつかこの世界の俺と再会したときに、おそらくそいつは言うのだろう。俺じゃなくて、そいつが。けれど、
怜、ありがとな。
「人類の存続だのなんだのってまるで映画だな。三馬、お前の言葉を真に受けるなら、人類の危機に直面しているってことになるのか?」
三馬さんはうなずいた。
柳井さんはハッとしたあと、声のトーンを落としてつづける。
「いま現在、全国で起こっている多発テロと国家非常事態宣言は、いまの話とつながっているのか?」
「柳井、その通りだ。順をおって話そう」
こうして、三馬さんは八月七日にあったZOEからの接触からの今日にいたるまでのことに関してこの場の全員に打ち明けた。その内容は――
この世界がそう遠くない未来にブラックホールによって飲み込まれること。
ブラックホールの発生には、別世界から来た俺と霧島榛名が深く関係していること。
ブラックホールの発生を阻止する方法はまだ発見できていないこと。
大学ノートによる向こうの世界へのメッセージの送信は、ZOEが提案したと言うこと。
それに合わせて、三馬さんは世界中の科学者たちに、ブラックホールの発生阻止のため、力を合わせることを提案したこと。
日本政府、米国政府を中心として、今夜の署名のために西側各国の科学者を北大に集め、これから本格的にブラックホール発生阻止の研究組織が立ち上がるということ。
この世界は八月七日に創り出されたということ。
「信じられん」
柳井さんは缶コーヒーを手にしたまま、ぼそりと言った。
「……わたしだって信じられませんよ。世界がたった一〇日程度まえに創り出されたなんて。それにいまここにいる磯野が別の世界からきたっていうのも、ぜんぜんピンとこないし」
「この話って、世界五分前仮説そのままですね」
「竹内君、まさにその通りだよ。まったく皮肉なものだ」
三馬さんはつづける。
「世界が一一日前に誕生したことを裏付ける証拠がある。今回のタイムトラベル実験とも関係しているのだが、米政府主導で八月七日から現在まで、連続的に並行世界へ向けて大規模なレベルでの重力波を出力させ続けている。重力波は減衰することはない。出力した瞬間から、距離や時間の影響を受けずに広がっていく。また重力波は時空を越えて広がっていく性質を持っている。ところが、初日の八月七日の出力時点で、日本標準時における八月七日一八時二七分二七秒以前に、世界が存在した痕跡を見つけることが出来なかった」
「おい、世界が存在した痕跡を見つけることができないって……」
「言葉通りだ柳井。それ以前の時間に世界が存在していなかったんだ」





