20-04 わたしだって、この世界の、主人公、なんだぜ
磯野たちはZOEがしめす七百メートルさきの林道を目指して、森を歩く。だが、敵の足止めをするハルが別れの言葉を告げて
「……ちくしょう。……なんで、」
悪態を晒してしまう。
左耳から流れ続けるジャミングのノイズが、俺たちが、すべてから切り離されてしまったことを強調する。千葉を抱え、両手をふさがれた俺は、そのノイズにさえ、なされるがままにされてしまう。
頭がどうにかなりそうだった。
いまこの場で千葉をおろして、拳銃で己の頭を撃ち抜いたら?
ダメだ。
生存世界への収束は、俺と榛名が生き残る世界にしかたどり着けない。
ハルやライナスやライオネルが生きている保証はどこにもない。
……けど!
俺たちの生きている世界のなかに、あの三人が生き残っている世界もあるかもしれない。
――その確率はどれくらいある?
それ以前に、俺たちの生存世界の残りがわからない。
俺と榛名の二人が現実世界に戻らなければ、俺たちの世界は救われない。ダメだ、リスクは……冒せない……。
「……あのね、磯野くん。わたし、さっきシートに来てくれたときに、ハルさんから、言伝をお願いされたの」
「……ハルからの?」
「ZOEさんは、賭けに出たって言ってた」
「ああ、それは俺も聞いた」
「人工知能の、ZOEさんにとっての賭けってどういうことか、わかる?」
人工知能の……賭け?
「ZOEさんはね、わたしたちの願いも叶えるために、あえて確率の低い、危険度の高い選択を選んだ、ってそう言ってた」
「……危険度の高い選択?」
「わたしたちや、世界を危険にさらしたうえで切り抜けようとする選択。わたしと磯野くんが願ったものを手に入れるには、それだけのものが必要なんだって。だから、そのためには、わたしたちにも、
――その覚悟が必要なの」
俺たちが願ったもの。
ハルやライナスたちがいる、三つ目の世界を救うこと。
……いや、世界じゃない。ハルを、ライナスを、千葉を、みんなを救いたいんだ。そのために、この世界もまた必要なんだ。
けど、世界を危険にさらすって、どういうことだ?
榛名を見ると、夜空を見上げていた。
空には、いまだ無数の流れ星が地上へと堕ちている。
「この流れ星は、重なり合う世界が、見えているんだって」
「重なり合う世界?」
「さっきの収束で、世界の歪みがさらに進んだんだって。ほかの世界の情報がこの世界に重なり合って、地球が重くなるの。だから、そのぶん星たちがわずかにこの星に引き寄せられて、その星たちが、いくつもの世界の星たちがずれながら重なっているから、わたしたちには、
――星が降るように見えるって」
星が降るって……地球が重くなったそのさきは、
「……ブラックホール」
――二つの世界、つまり二つの宇宙の質量が、この世界のある一点に流れ込んでくれば、ブラックホールの発生条件は簡単にクリアされてしまう。
あの屋敷で、ライナスとはじめて会ったときの言葉。
この言葉が正しければ、すでに俺たちの二つの世界も、この世界の地球が引き寄せてしまっている。
「ハルが、言っていたのか?」
「ううん、ZOEさんが」
ZOEが?
「わたしたちの心の状態も、この世界に影響を与えてしまう。ZOEさんはそれを狙っているから、協力してほしいって。けど、わたしたちがそれを望むなら、覚悟が必要になってしまうから――」
「なんで俺には言わないんだ? なんでZOEは、俺に、」
榛名は、右手の杖から手を離す。
「どうした?」
その右手つかって、榛名は眼鏡をはずし、防弾ベストの陰から拳銃を取り出した。
「……え?」
榛名は、拳銃の銃口を、おのれのこめかみに当てる。
「大丈夫、だから」
「駄目だ!」
榛名は、安心させるような顔で、それは、まるで、ハルのようで、
轟音が、すべての音を、奪う。
俺はとっさに、抱えている千葉をおろそうとして、
世界が、歪んだ。
「……ちくしょう!!」
俺と榛名が、数十メートルうしろへとスライドされていく。
スローモーションのまま、倒れ込んでいく榛名と、幾度も重なり合った状態の俺が、見えた。
……ほぼ同じ状況の俺が、無数にいるのか?
世界の歪みがおさまるのと同時に、千葉を置いた俺は、倒れ込む榛名に駆け寄る。
苦しそうにうめく榛名。
俺は、彼女を抱きかかえた。
「馬鹿やろう!!」
榛名は、いっそう青くなった顔を俺に向けて、
「……磯野くんだけじゃないんだよ? わたしも、わたしにも、世界を、みんなを救う力があるんだから」
「だからって、こんなこと、お前にさせるなんて……俺は!」
「三七パーセントだって」
「三十……七パーセント?」
「わたしのほうが、確率が高いんだって。だから、これは、わたしの役目」
「……役目って、お前」
「けどね、わたしたちなの」
「わたしたち?」
「ただ、引き金を引くだけじゃダメなの。磯野くんも、わたしも、みんなを救うって、そのための覚悟をしなきゃ」
「そんなこと、俺だってわかってる!」
「……大丈夫。磯野くんは、さっき、やり切ったから」
「え? ……俺が?」
「彼女が犠牲になろうとするのを、磯野くんが命を懸けて否定してくれたから」
――……磯野さん……わたしが……あなたを……。
「……そういうことなのか」
「だから今度は、私の番」
けどね、と榛名は俺を見上げ、
「何も起こらなかったら、もう一度、わたしが、やらなくちゃ」
……は?
「駄目だ! 飛行機の墜落でお前だってかなりの数を失ったんだ! つぎは俺がやる! だから、」
「磯野くんはやっちゃだめだよ。磯野くんの確率は、三パーセント……だから」
「……三パーセント?」
絶望的な数字が、俺の頭に叩きつけられる。
あまりにも残酷な状況に、俺の意識が、すべてを、手放しかける。
ダメだ。
俺の耳は、すべての音から遠ざかっていく。
……ダメだよ。
俺の頭は、これからやらなきゃいけないことへの思考が止まらなくて、
――意識を……保ってくれ。
答えを、心に刻み込んでしまう。
――愛する人の死を、もう一度、見届けないといけないことを、
こうしているあいだも、何も起こらない。
榛名は悟ったように、俺にうなずいて、もう一度、右手を持ち上げる。
「……やめてくれ」
首を振る俺に、榛名は微笑んで、言った。
こめかみに、きちんと、銃口が当たったことを、彼女は確認する。
「ちゃんと……みんなを信じなきゃ、ね」
「……榛名、俺が、……なんとかするから」
「出来なことは、言っちゃダメだよ。それに、」
榛名は、微笑んだまま、
「わたしだって、この世界の、主人公、なんだぜ」
飛び散る血とともに、
世界が、
「うああああああああああああああ」
――歪む。
何度も、何度も、銃声が響き、
そのたびに、歪み、歪んで、
――世界は、移り変わっていく。
視界が、ぼやけて、なにもかもわからなくて。
彼女の顔のシルエットしか見えなくて。
「…………神様」
なにもできない俺が……もう、なにがなんだかわからなく……なって。
それでも、
眼鏡を投げ捨て、右腕で涙をぬぐう。
焦点がわずかに定まり、遠くにあった左耳のノイズが世界に戻ってくる。
力なく微笑む榛名を視界にとらえた俺は、
彼女のかすれた「大丈夫」、を聞いた。
俺はうなずき、彼女を抱きしめた。
「……お願いだ。このままじゃあ、榛名が……死んじまう……。ZOE……だれでもいい……」
ノイズは、途切れない。
「返事をしてくれえええええええ…………!!」
どれくらいの瞬間が過ぎたのだろう。
世界はなにも変わらず、彼女の死だけが積み重ねられる。
認識しようとする意識が、すべてを手放して、彼女を見ることすら出来ずに――
音が、響いた。
俺は、音のほうへ目をやる。
その音は、俺たちを取り囲むようにそこかしこから聞こえてくる。
複数の草木のこすれる音と気配が、俺に悟らせる。
俺たちはいつの間にか、アサルトライフルを構えた無数の人影に囲まれていた。
「……え?」
一〇人はいる。いや、もっとだ。数えきれない数の人影が、俺たちの周囲を取り囲んでいた。
なぜ、気づかなかった?
これだけの数なら、草を踏む音や気配でわかるはずなのに。
気づけなかったんじゃない。
――世界の収束の結果だ。
榛名が幾度も命を落として得た世界線。
それは、敵に囲まれている状況を作り出した。
そうか。彼女がここまでして、命を落としても、
――三七パーセントの世界を、引けなかった……のか。





