20-03 ――生きて
ソ連特殊部隊に待ち伏せされたジェット機は不時着を余儀なくされる。杖をつく榛名と、千葉を抱えた磯野を先に行かせるために、ハル、ライナスたちは足止めをするが、
「目を慣らしながら行け」
「はい。ライオネルさんもご無事で」
別の世界線で俺たちを救ってくれたその男は、表情を変えずに軽くうなずき、拳銃を抜いて外に出た。
つづいてハルも外に出ようとする。
「ハル!」
ハルは振り向き、なにかを言おうとしたが、俺に微笑みを見せたまま外に出た。
…………ハル。
「イソノさん、ハルナさんも、これを」
ライナスが榛名に眼鏡を手渡してきた。
新東京駅でも使った、ディスプレイ付きのものだった。
両手のふさがっている俺に、榛名が眼鏡をかけさせてくれた。
「どう、見える?」
「ああ」
「目的地までGPS経由で表示してある。ただ、途中、敵からの妨害があるかもしれない」
「ジャミングですか」
「ああ。ここは高度四万フィートとはちがう。いままでのように通信障害を仕掛けてくる可能性は十分にある。気をつけてくれ。ZOE、イソノさんに――」
「一二時の方向、真っ直ぐに七〇〇メートル進んでください。林道に出ます」
ZOEの声とともにディスプレイに進行方向が表示された。
それほどの距離ではない。
しかし、千葉を抱えている俺と、杖をついて歩く榛名では時間がかかってしまうだろう。
「乗用車が一〇分後に到着します。カーキのSUVです。それに乗り込んでください」
「よし、イソノさん、ハルナさん気をつけて」
「ライナス」
「すぐに追いつくさ」
ライナスもまた、エアステアを下りた。
俺は榛名にうなずくと、ライナスにつづいてエアステアに足をおろす。
しめっぽい外気の生暖かさが肌に触れた。
エアステアを壁にしながら、踏み外さないよう慎重に降りる。
振り返ると、榛名は杖をつきながら後をついてくる。
抱えた千葉の頭や脚が、敵の進攻方向から死角になっているエアステアからはみ出ないよう、身体をななめに向けた。榛名が下りる切るのを待つ。
ここからだ。
「榛名、森のなかじゃあどっちにしろ全力では走れないだろう。お互いはぐれてしまうほうが心配だ。俺の上着の袖をつかんで歩けるか?」
「わかった」
榛名の、握力の弱い左手が、俺の上着をつかむのを感じた。
俺たちは歩きだす。
前方にある森のなかへと、榛名の感触をたしかめながら。
七〇〇メートルを歩き切るまでに何分かかる?
そのぶんの時間を、ハルとライナスとライオネルが稼がなかればならない。けれど、これ以上はやく移動することはできない。
「ZOE、ハルたちとの通信はまだ出来るか?」
「三〇秒なら」
「頼む」
「……磯野さん」
ハルの声がイヤフォンに届く。
「ハル、大丈夫か?」
「わたしは大丈夫です。ここは食い止めますので、安心してください」
そうじゃない。
「ハルたちは、ちゃんと……逃げられるのか?」
……馬鹿やろう!
言葉を吐いてから、あまりにも頭の悪い問いに気づく。
そんなことを訊いてどうする。ハルは俺たちを安心させるために、気休めの言葉しか返してこないじゃないか。そんな言葉など聞きたくないのに。
けれど、彼女の答えはちがった。
「あの……磯野さん、わたしは――」
ごめん。ちがうんだ、ハル。
俺が思い浮かべた返事の先回りなんて、しなくていいんだ。
「こういうときの、お別れの言葉が」
……お別れの言葉?
「ZOEは賭けに出たんだろ? なんでそれがお別れになるんだよ!」
「磯野さん、」
「……ハル、ダメだ」
「わたし、苦手で――」
俺は、なにをしているんだ。
どこかで、こうなることに気づいていたんじゃないのか?
ZOEがどうにかしてくれる。
そんな甘い言葉を、俺はどれだけ期待していたんだ?
俺はただ、その言葉にすがっただけじゃないのか?
……なのに、
「ハル!!」
「だから、」
「……ねえ、ハルさん」
俺ではさえぎり切れない彼女の言葉を、榛名がさえぎった。
榛名が作り出した、三人のあいだの、わずかな沈黙。
その沈黙を、彼女がふたたび破る。
「わたしたちが、この世界を救うから。ハルさんが生きていてもいい世界にするから、だから、
――生きて」
発砲音が、響いた。
イヤフォンと森に響き渡る銃声が、わずかな時間差を生んでいた。
「ハル! ハル!!」
花火のような発砲音が、森を木霊する。
俺は、足を止めてしまう。
「ハル! ライナス! ZOE、どうなってるんだ?」
「時間がありません。あと四〇〇メートルです。前進してください」
「待てよZOE! お前がなんとかするんじゃないのかよ!」
怒りでどうにかなりそうだ。
「ZOE、ふざけるんじゃねえ!」
イヤフォンにノイズが混じった。
「……ジャミング?」
絶望が、ノイズとなって左耳を覆っていく。
おい、待て。待ってくれよ。
そんなことってあるかよ。……冗談はやめろよ、ZOE――
「ゾーーーイ!!」
乾いた銃声が、遠くから、絶え間なく続く。
心が引き裂かれそうになる。
……こうなることがわかっていたなら、
「こうなるってわかっていたなら!!」
最初から、ジェット機に留まって生存世界への収束で、みんなが生き延びる選択肢を見つけ出せたはずなんだ。
いや、まだ間に合う。
まだ、みんな生きている。
「ああ、そうだよ。生きているんだ」
俺は、振り返った。
「榛名、ごめん。俺は――」
榛名は、俺を見つめ、首を振る。
「けど!」
「磯野くん、みんなを信じるの」
「だけど、この状況で、助かるはずが無いじゃないか!」
「ライナスさんも、ハルさんも、無責任なこと言うはずがない」
……無責任とか、そういう問題じゃないんだ。
俺しか、彼らを救うことが出来ないのに、
「俺しか救えないのに!」
「磯野くん、聞いて」
「俺は!」
右の頬に衝撃が走った。
「……榛名」
「信じて」
「…………」
「磯野くん、」
「……だけど、みんなが」
「わたしだって、助けに戻りたい!」
彼女の声は震えていた。
顔を歪ませ、頬を流れ落ちる光に、俺は言葉を失う。
「……だけどね、いま戻ったら、磯野くんも千葉も失ってしまうから」
「じゃあ、どうやって……」
ハルの言葉が、よみがえる。
――磯野さん、これから起こることは、磯野さんにとって受け入れがたいことかもしれません。けれど、それでも、わたしたちのことを信じてください。
信じるって……
――そして、あなたにとっていちばん大切な人を護ることを、約束してください
「……いちばん……大切な人」
うつむいたさきに、千葉の顔があった。
顔を上げて、榛名と目を合わせ、
――榛名と千葉を、危険にさらしてはいけない。
いまさら浮かんできた言葉。けど、この状況は、
……受け入れがたいなんてもんじゃない。
ライナスとハルとライオネル。
榛名と千葉。
この二つを秤にかけた天秤を突きつけられ、俺の視界は、世界は、揺らぐ。
「……なんなんだよ……この、天秤は」
けれど、両手に抱えている人が、いっしょにいる人が、
――重すぎる。





