19-06 俺自身の手で、足で、状況を動かして、
ソ連によるSu-57の日本領空牽制により緊張がはしるなか、護衛機であるはずの二機のF-16が、磯野たちの乗るガルフストリームG550に牙を剥く。
このままいけばこの世界の俺たちは死ぬ。
だとしたら、生存世界へと収束することを祈るしかない。
ふと、いままでの生存世界の収束の場面が脳裏によぎる。
八月七日の追い詰められた車内への収束と拳銃を使うかどうかの選択。
研究所からの脱出時、俺とハル、どちらが先に走るかの選択。
新東京駅で榛名の死の直後。
老人が撃たれたことで榛名の射殺が阻止されたあのとき。
ハルによる収束後の世界。
あの眼鏡が弾き飛ばされたときも、
――強い意志と行動が、俺たちを生存世界へと結びつけた。
いままで起こった生存世界への収束は、なにかしら行動を起こした結果、死に至ったことにより別の選択したであろう可能性へ収束したということだ。つまり、もがいたぶんだけ生存世界へと至るルートが生まれる可能性が増えるわけだ。
じゃあ、現状はどうだ?
もしこのまま俺と榛名がなにもせず座席に座り続けて死を迎えたら、この旅客機に乗ることを選択した俺と榛名の無数の世界線もまた、一瞬にして失われてしまうだろう。
それに、いままでの流れを考えてみろ。
俺たちが飛行機を選択する可能性は、チューブリニアやほかの移動手段を使うよりもはるかに高かったはずだ。つまり、それは、
――俺と榛名の生存世界のかなりの数が失われることになる。
だが行動するにしたって、俺は飛行機を操縦出来ない。
下手に動いたら、それこそハルの邪魔になるだけだろう。
「ZOE、敵がミサイルを撃ったら逃げ切れるのか?」
「困難でしょう。本機は旅客機としての運動性能しか持ち合わせていません。さきほどは、HAL03が敵機の想定外の行動を取ったことで、被弾を軽微に抑えられましたが、このままミサイルが発射されれば回避は不可能でしょう」
こんな事態だというのに冷静な声で返答してくるZOEに、俺は苛立ちを覚えた。しかしそんな感情にとらわれている時間はない。なにか、出来ることを――
――ゲームには選択肢とそれに対応する分岐がそれぞれ存在する。いまこのようにページをめくる選択肢と、ページをめくらない選択肢。この二つの分岐の先にそれぞれストーリーが続くとしたら、ストーリーは二つになる訳だ。言い換えれば、世界が二つになる。
オカ研の部室で解説していた三馬さんの言葉が、頭に浮かぶ。
この三つ目の世界で、並行世界と俺の数は増えることはない。
あの大学ノートで増えたぶんの並行世界だけが、この三つ目の世界に存在しているからだ。
数の限られた並行世界。
生存世界への収束に共通していたのは、選択肢となる行動と、強い意志。
……意志?
新東京駅で見たように、あの無数の俺、いろいろな場所から、榛名を助けようとしていた。あのときの俺のように彼女を救おうという意志があった。大学ノートのときだって、伝えようという意志が、言葉を浮かび上がらせた。
操縦出来ないとかそういうことではない。
――なにもせずに座りつづけているのが、間違いなんだ。
この三つ目の世界に閉じ込められた、限られた数しかない並行世界。
それでも正解へとたどり着くための分岐を、その行動を。
それぞれの並行世界にいる、
まだ生きている俺たちが、
手分けをして、
――俺たちが望む世界の正解を見つけ出すんだ。
瞬間、瞬間に選択肢がある。
行動自体に意味がなくてもいいんだ。
この世界を救うと、彼女に伝えてやればいい。
操縦席で一人戦う彼女のそばにいてやるだけでもいい。
生きるための意志を。
大事な人たちを救うための気持ちを。
俺自身の手で、足で、状況を動かして、
――収束させろ。お前が救うべき世界へ。
俺は、操縦席へ向かおうと立ち上がる。
それを阻むように、機体が激しく揺れた。
悲鳴が飛び交うなか、俺は、シートをつかみ、崩しかけた体を起こす。
「イソノさん!」
「ライナス、なにもせずに撃ち落されたらダメなんだ!」
「なにを」
恐怖におびえる千葉に手を伸ばしていた榛名が、俺の言葉に振り返った。
「そうか、バタフライ・エフェクト……」
ライナスは、驚いて彼女を見た。
「わたしたち二人が、バタフライ・エフェクトを起こして、生き残る可能性を……だから!」
榛名が手を伸ばす。
「榛名!」
「磯野くん!」
俺はその手を取り、前へ一歩。
バタフライ・エフェクト――バタフライ効果って、柳井さんと千尋もまえに同じ言葉を発していたよな。たしか、蝶の羽ばたき一つがどこかで竜巻を起こす、だったか。
機体が加速をはじめたのか、体が後ろへと押される感覚に襲われた。
また姿勢を崩しそうになったところで、榛名に手をつかまれた。
ふたたび態勢を崩した俺の腕を、ライナスがつかんだ。
二人に引き揚げられながら、千葉のシートへ手をかけて、もう一歩。
「……磯野さん!」
声に振り向くと、恐怖に涙を流しながらも、それでも、俺の左腕をつかみ支えようとする霧島千葉の顔があった。
旋回でまた斜めに傾くなか、みんなに支えられた俺は、前へと進み、進み、進んだ。
客室から通路へ入り、操縦席のドアが見えてきた。
あとすこし。
もうすこしなんだ。
ドアを開くと、耳につく警報音が耳についた。前面いっぱいに埋まっている計器類とモニター。その手前に操縦席が二つあり、その左側にハルがいた。
俺はハルの座る操縦席に手をかけた。
ハルは驚いて振り返る。
目が合った俺たちは、一瞬、時間が止まったように感じられた。
俺は、口を開き、声に出す。
「俺は、ハルのいる、この世界を――」
つぎの瞬間、
――背後から衝撃波が襲ってきた。
激しい炎が外側へと鋭くはじけ飛び、全身が空中へと飛び出したような気がした。
恐ろしいほどの風圧と、凍えるような冷たさと、いくら飲み込んでも足りない酸素の感覚と、激しい頭部の痛みが、俺の意識を鈍くしていく。
起こるべくして起こった撃墜と、その直前に発しきれたかわからないハルへの俺の意志。
収束後の世界がすこしはマシになっただろうか。
すこしは、空路を利用した世界線の俺たちが生き残れる可能性を、生み出すことができただろうか。
……さっきZOEが言っていた高度三万四〇〇〇フィートって、どれくらい高いんだろう。
そんな言葉が頭をかすめたとき、
――世界が、歪んだ。
目を閉じていても、この感覚はわかる。
己の体もふくめた空間が揺れるこの感じ。
新東京駅ではその直後に、無数の俺が出現して、
だから、いまこの瞬間も、無数の俺が周囲にいて、
そうか、
――榛名が、死んだのか。





