19-05 本機後方へ回り込まれ距離をとられます
ライナスから語られるこの世界の911。そして、この世界の霧島榛名の昏睡状態を維持させることにより世界の安定をはかっていることを告げられた磯野は、
この世界の霧島榛名は、昏睡状態でいることで世界を安定化させている。昏睡状態とはいえ、彼女の命が無事であること。それが、この理不尽な問いへの猶予を俺に与えてしまっている。
しかし、もし霧島榛名の命を奪わなければならなくなったら、俺は、あとさき考えずに榛名を選んでしまうだろう。
「富士ジオフロント脳科学研究所にいるこの世界のイソノさんも、同様の理由で昏睡状態にされているはずだ」
ライナスはそう付け加えた。
この世界の、俺。
「じゃあ、この世界の俺と榛名は、意識を回復させないことで、七七億人を救いつづけている。それしか、この世界を現状存続させるには方法が無いってことか」
そう言葉にしたとき、ライナスが言ったのと同じ言葉が、脳裏に浮かんでしまう。
――この世界が消えてしまえばいい。
自暴自棄でしかない。
ああ、それはわかっている。
けれど、俺はともかく大事な人が理不尽を被りつづけてしまう世界なんか――
「二〇年だ。この世界は、八月七日から一週間にも満たないのかもしれない。だが、私のなかには生まれてからの月日と、この二〇年の現実が存在しているんだ。私はね、きみたちのことに限らず、同じような、どうにもならない犠牲とその生け贄がいたるところに存在していることをひたすら見つづけてきた。それを承知したうえでいままでを生きてきた。それでも、まだ足りないんだ。その犠牲が、私の家族を失わせ、今きみたちを生け贄に捧げてなお、まだ足りないと言ってくる。もう、うんざりなんだ。だから、
――一度でいいから、一度だけでいいから、このどうしようもない世界を消し去ることで得られる救いを、味合わせてほしい」
最後のひと言は、とても、弱々しかった。
俺は、答えることができない。
この世界の二人を犠牲にしながら存続していく世界に対して、俺には怒りがある。けれど、解決出来る答えを、俺は持ち合わせていなかった。
ふと、離陸前にロビーで話した内容を思い出す。
――ZOEは、起動した瞬間からネットの海へと増殖し、西側の至るところにあるネットワーク・サーバーに入り込んでいる。
コンピューターウイルスと同義と取れるライナスの言葉。
いままでのライナスの発言を結び付けたさきに出てくる彼の行動は、人類のその運命を、人類を超越した人工超知能ZOEに委ねること。ネットの海に、自己増殖していくそのAIを放出すること。それは彼の答えなのだろう。だけど、いままでのライナスを見る限り、俺には――
「非常事態です」
突然、左耳からZOEの声が響いた。
「日本海上空、防空識別圏内、九時方向、本機から二五〇キロメートルの距離にソビエト連邦空軍のものと思われる戦闘機二機を捕捉しました。高速で接近中です。一分後に日本領空に侵入。三沢基地からF-35A戦闘機四機が緊急発進、牽制に当たります。本機は針路を変更、東に迂回します」
シートベルト着用サインが点灯した。
「きみたちは座っていてくれ。HAL、ZOEと連携してジェット機の操縦を」
「戦闘機って」
「日本の航空路監視レーダー網を掻い潜ったことからみて、ステルス機でしょう。ソ連の第五世代戦闘機Su-57とみて間違いありません。ステルス機とはいえ、もうすこしまえに捕捉出来たはずなのですが……」
ハルが操縦席に移動しながら答えた。
「敵機への対応はミサワ・ベースに任せ、F-16二機は本機の護衛を継続する」
「ライナス、大丈夫なんですか?」
「事態は予測していた。ZOE、」
「はい。自衛隊のレーダー網および衛星の戦術データ・リンクへの侵入はいまだ確認されていません。NSAと連携し引き続き、サイバー攻撃への警戒態勢を維持します」
ソ連製人工知能はZOEの能力を上回っていると、ライナスは言っていた。相手の動きを予測していたとしても、敵の妨害を防ぎきることが出来るのだろうか?
「万が一に備え、救命胴衣を着用してください」
ZOEによるアナウンスが機内に響く。
座席前方にあるモニターが示す座席下から、俺は救命胴衣を取り出して身に着けた。顔を上げると、救命胴衣を身につける千葉を、榛名が心配そうに見つめ、その目線を俺へと向けた。
俺はうなずくと、榛名もまたうなずき返してきた。
「ZOE、このジェット機はどこを飛んでいるんだ?」
「本機は、函館の東二〇キロメートル、高度三万四〇〇〇フィートに位置しています。緊急事態です。護衛のF‐16二機、速度を下げました。本機後方へ回り込まれ距離をとられます。回線コンタクト出来ません」
「どういうことだ?」
「――護衛のF‐16は、おそらく敵だ」
敵?
ライナスの言っていることが、一瞬、理解できなかった。
彼を見る。苦渋に顔が歪んでいた。
「敵って、どういうことです!?」
後方へと重力がかかり、機体が大きく揺れた。
「本機、HAL03によりF‐16のAIM‐9Xの最小射程限界を狙い、ミサイル発射の阻止を試みます。ZOE、F-16二機の所属および、外部からの工作が無いか検索開始」
ZOEの声が左耳に響く。
「ミサイル発射の阻止?」
その横で、ライナスが怒声を発した。
イヤフォンを使って誰かと通話をしているようだったが、早口の英語らしく、よく聞き取れなかった。
「ZOE、ライナスは――」
「CIA作戦部長、ロバート・ウェッブ氏に現在の事態に関して問い合わせています」
「通訳出来るか?」
「はい。現在、米空軍へ攻撃中止を要請しているが、CIAは関与していないと、ウェッブ氏は言っています」
機体が斜めに揺れ、急降下した。
「F-16、機銃発射」
直後、激しい衝撃が機体を襲う。
「左翼被弾しました。軽微。敵、再度、照準を合わせます。検索結果により、F-16二機は、ロイヤル・ウイングマン計画用のUAVであることが判明しました」
すくなくともCIAではないのだろう。
確保するでもなく殺しにかかるのは、新東京駅のときも同じだった。ソ連側もまた、俺たちの生存世界への収束を知っていてそうしているのであれば、いままでとおなじように、俺たちが死ぬまで殺し続けるのだろう。
が、なんでこんなにあっさり出し抜かれる?
ソ連の人工知能がZOEを上回るといったって、これじゃあザルすぎるだろう。
「未確認機への迎撃に向かっていたF‐35A小隊の二機、こちらへ向かっています。到着まで四分」
遅すぎる。
ジェット機は絶えず揺れ続けていたが、突如前方に重力を感じた。
「F‐16、ふたたびミサイル発射可能距離を確保。本機、フレアおよび、赤外線パルスジャマー起動用意。ZOEは再度、AIM‐9Xおよび敵機FCSに対しクラッキングを試みます」
このままじゃ撃ち落されるだけだ。
けれど、俺に出来ることはなにも無い。
ZOEとハルに任せて座席に座っているしかないのが、もどかしかった。
このまま撃ち落されたら、俺と榛名の生存世界への収束はどうなるのだろう。いままでであれば、生存への別の選択肢が与えられる世界線へと収束したはずだ。なら、たったいま放たれるであろうミサイルの発射が遅れた世界線になるのだろうか。
……そもそも、いまの時点で俺と榛名の残機――生存世界への収束可能回数はいくつなんだ?





