19-02 わたしの遺伝子を持ったあなただから
横田空域内にある航空拠点で再会した磯野とライナス。ライナスは新東京駅襲撃ののち、CIA、日本政府、ソ連が、それぞれより緊迫した状況下で磯野達を追っていると伝える。
「北海道? 札幌に戻るんですか?」
「ああ、きみたちをもとの世界に戻すためには、イソノさんとハルナさんがこの世界に最初に訪れた、新野幌駅のプラットホームへたどり着かなければならない。そして、そのまえにもう一つ、やらなければならないことがある」
ライナスはそう言って、鷲鼻にかかった眼鏡をなおした。
彼が平然と口にした、俺たちをもとの世界に戻すという言葉。
それは、この世界の消滅を意味する。
「ライナス、そのことについてなんですが――」
この世界を救う方法について。答えの無いその問題について、もう一度、この男と話をする必要があった。
そこへ姉妹を案内していたハルが、一人ロビーへと戻ってきた。
俺たちを見たハルは、安堵したような表情を浮かべたあと、会話が続いているのを察してか、遠慮気味に俺たちへと向かう歩速を遅めた。
「イソノさん、奥に並んでいる自動販売機には緑茶はあっただろうか? 日本の緑茶にも、砂糖入りのものがあれば飲みやすいのだが」
ライナスは、軽く笑みを浮かべてから「失礼」と言って、その場をあとにした。
その様子をみたハルは、入れ替わるようにそっと駆け寄ってきた。
彼女は、いつもの黒いスーツに白のブラウスだったが、ここにくるまでに着替えたのだろう、新しいものに取り替えられていた。
ハルは目のまえまでくると、俺をじっと見つめて「ご無事でよかったです」と、小さく言った。
「ハルこそ無事でよかった」
そう言葉を口に出しながらも、彼女を置き去りにしたことへの罪悪感が俺の心を覆った。ハルは、察したように、「気にしないでください。あのときは一刻も早くあの場からお二人が離れることが大事でしたから」と先まわりをして答え、俺に微笑んだ。
どこまでも献身的な彼女に、俺はどう応えればいいのだろう。
彼女が生きつづけることの出来るこの世界を救うこと、それが答えなのだろうか。
彼女は、俺の顔をそっと見て、またもやすべてを読み取ったかのように、けれど、そのうえで俺に気を遣わせないように言葉を選ぶ。
「……あの、ですね、磯野さんには、榛名さんがいらっしゃるんですから、彼女を大切にしてあげてくださいね。わたしは、お二人がもとの世界に帰れるようお護りするのが、役目ですから」
彼女はそう言いながらも、俺の右肩にそっと指で触れた。
そこで俺は気づく。
俺と榛名とのさきほどの会話は、ZOEをとおしてハルにも聴こえていたのだろう。ヒューマノイドとしての彼女では割り切れない、女性としての存在が、その仕草や俺への眼差しに重ねられてしまう。
彼女の縫った上着の赤い糸の感触が、指の流れにそってなぞられていく。そのとき浮かべた彼女の表情は、儚げだった。
なあハル、俺たちは、きみのいるこの世界を救いたい。
そう、言いたい。けれど、その一言が、いまはただ、気休めにもならない空虚なものに感じられて、俺は言い淀んでしまう。
伝えたい言葉が言い出せない、その空白の時間を、「あなたを……護ることが、わたしの幸せですから。だから、気にしないでくださいね」と、ハルが、代わりに小声で埋めて、笑った。
彼女にそう言わせてしまったことに、俺は思わず目を伏せてしまう。
二人の時間が、彼女の言葉で終わってしまうまえに、なんでもいいか言葉を、
「でも、ハル、」
そこまで口にしたとき、ハルはロビーの奥へ振り返った。
彼女の見た先には、こちらへ戻ってくる榛名と千葉がいた。
榛名は、人の手を借りずに、千葉の車椅子を押していた。
目の前まできた千葉は、俺たちを見上げながら、
「磯野さん、ハル、姉を連れ出してくれてありがとうございました」
「千葉さんは、お姉さんとちゃんと話せましたか?」
千葉は「ええ」と返事をして、姉へと振り返る。
「ハルさん、ありがとう。八月七日のあの夜は、あなたの姿に驚いてしまって、逃げてしまったけれど、」
彼女の言葉に、ハルはおだやかに首を振った。
「新東京駅で、わたしと、磯野くんを守ってくれて、とても、とても感謝してます」
「いえ、こちらこそお二人が無事でいてくださってよかったです」
ハルは、車椅子の手押しハンドルに添えていた榛名の手に触れて、
「これからも、榛名さんと磯野さんがもとの世界に戻るまで、しっかりとお護りします」
榛名はその言葉に、俺が抱いたのとおなじ気持ちが湧きあがったのだろう、彼女から目を落とした。
「ハルさん、ひとつ約束してほしいことがあるの」
榛名は、重ねていたハルの手を取って、握る。
「わたしの遺伝子を持ったあなただから――」
そこで言葉を止めて、彼女は一つうなずいてから、
「……わかるの。どんなことがあっても、自分を犠牲にしちゃいけないから。かならず、みんなで」
榛名は顔を上げてハルの瞳を見て、
「みんなで、乗り越えよう、ね」
ハルは、榛名の言葉に戸惑って、握られた手を見つめた。
目を落としたままの彼女は、返すべき言葉が見つかったのだろう、嬉しさと切なさが入り混じったような目を榛名の顔へと戻して、
「安心してください。無茶は、しませんから」
そう、微笑んだ。
ロングヘアとショートの瓜二つの容姿。一卵性双生児の姉妹のような二人が、手を握りながらお互いに笑顔をかけ、見つめ合った。
八月一七日二一時一三分。
ここへきたときには見かけなかった一機のビジネスジェットが、滑走路へと移動してきた。胴体や翼のライトが点滅し、滑走路に連続しておかれた誘導用のライトと混ざる。その光景は、星ぼしが地表にまでちりばめられたかのようだった。
俺は滑走路から夜空を見上げる。
いまいる場所の光量のすくなさからか、天の川に輝く無数の光を、さまざまに彩らせていた。
視界に、違和感があった。
さきほど榛名と見上げていたときは気づかなかった、流れ星のような光のラインが、いたるところにあった。うっすらと見える程度だったが、その数は、夜空に浮かぶ星ぼしが流星群にでもなったかのように、地上に向かって堕ちていた。
「どうしました? 磯野さん」
「なあハル、あのたくさんの流れ星、あれはなんだろうな」
「…………えっと、その」
ハルは、俺が指さした空を見上げた。が、
「……流れ星、ですか?」
「え?」
ハルを見ると、星空を見回しながら一生懸命探しているようだったが、彼女には見えていないらしい。
彼女は、俺に困り顔を向けてきた。
その顔が、ちばちゃんのそれとかさなって見えて、なんだか可愛らしかった。
「なんで笑ってるんですか」
「いや、やっぱり……なんでもない」
からかわれたと思ったのか、めずらしくふくれっ面になったハルに、俺は苦笑いを返して、星空へと目を戻した。が、とめどなく流れていたはずの星ぼしは、なぜかどこにも見あたらなかった。
いつのまにか不満顔から気遣わしげな表情になっていたハルは、「移動は一時間程度ですが、そのあいだすこし休んでくださいね」と言ってくれた。……のだが、その言い回しには「あなた疲れてるのよ」的なニュアンスが含まれていた。
たしかに流れ星が見えた気がしたのだが、気のせいだったのだろうか。





