19-01 日本政府は、さきほど緊急事態宣言を布告した
磯野は、榛名と共に今いる三つ目の世界を救うことを決意をする。飛行場へ降り立つセスナ機にはライナスとハル、霧島千葉の姿が。姉妹は再会を果たす。
榛名は自分自身の境遇を恨み、別の人生を望んでしまった、と言っていた。彼女が涙したのは、目の前にいる車椅子の妹を重ねてしまったからだろう。そんな彼女を、この世界の彼女の妹はやさしく包んだ。
お互いの生きてきた世界はちがう。
だから、厳密には目の前にいる二人は本当の姉妹ではない。それでも彼女たちにとって、目の前にいる存在は、かけがえのない姉妹であり、家族だった。
霧島榛名とその妹、千葉との再会。
わずかかもしれない、二人の大切な時間。
その大切な時間をしずかに過ごせるよう、ハルは二人を管制塔内にある一室へ案内した。
ロビーの入口で姉妹を見送ったところで、鷲鼻の男が声をかけてきた。
「イソノさん、無事でよかった」
「ライナス、サポートありがとうございました。警察やCIAの状況は?」
「一時的にではあるが、ZOEの持つ情報を警視庁へ開示しなければならなくなった。非公式作戦だったとはいえ、CIA――合衆国があの場にいた日本の警官の狙撃を指示したんだ。あれをやってしまったことで、合衆国は、一定の譲歩というかたちで日本政府及び警察に情報提供を行った」
「さっきまでの連絡がとれない時間がそれだったんですね」
「ああ。そのあいだ、ZOEはきみたち二人の生体認証の偽装とその更新を繰り返すことで、日本警察の目をくらませていた」
俺たちの所在をZOEが隠蔽していたのなら、さっきの自動販売機での生体認証はやはり間違ってはいなかった。けれど、日本警察の目をくらましたってことは、日本政府はZOEの偽の情報提供を受けながら、いまだ俺たちのことを追っている、ということだろう。日本政府だってZOEの力は知っているはずだ。それなら――
「日本政府は、ZOEの情報を鵜呑みにしていない?」
「当然、我々や合衆国政府を疑っているだろう。だが一方で、ゴーディアン・ノットによる妨害の可能性もまた否定は出来ない。一時間前にも、千葉県内にあるゴーディアン・ノットのハッキング・キャンプを発見し、日本警察の特殊急襲部隊SATが制圧作戦を行った」
「制圧作戦、ですか?」
「日本国内における表向きのゴーディアン・ノットの拠点の発覚と制圧は、今回が初となる。新東京駅襲撃の件もあったんだ。日本政府は、さきほど緊急事態宣言を布告した。これにより、ゴーディアン・ノットに対する治安維持のため自衛隊も動き出した。自衛隊は日本警察と連携し、ゴーディアン・ノットの拠点を洗い出し、制圧するだろう。が、我々にとっても日本国内での行動がさらにやりづらくなってしまった」
口にする深刻な内容とは裏腹に、何食わぬ顔でライナスは言った。
緊急事態宣言って……日本国内で内戦でも起こっているようなものじゃないか。
「ZOEの言っていたとおり、ジャミングはそのハッキング・キャンプから行われたんですか?」
「そういうことになる。もしジャミングを成功させるためにZOEへサイバー攻撃を仕掛けようとしたならば、すでに西側のネットワークに根を張っているZOEが即座に対処したはずだ」
「根を張っている?」
「そうだ。以前にも言ったとおり、ZOEは、起動した瞬間からネットの海へと放たれ、西側の地上から地球の周回軌道上にある軍事衛星に至るまで、あらゆるネットワークサーバーに入り込み、情報を吸収し、進化を続けている。つまり、物量ではこちらが圧倒していたはずなんだ」
それって、ZOEはコンピューターウィルスと同じってことなんじゃないのか? そもそも進化をつづけているってなんだよ。スカイネットかよ。SF映画によくある人類反逆フラグそのものじゃないか。
「ソ連は、ZOEを出し抜くだけのASI――人工超知能をすでに完成させているのだろう。軍事衛星から千葉県内のハッキング・キャンプを経由することで、新東京駅でのあのタイミングに瞬間的にサイバー攻撃を仕掛けたとみている。日本国内におけるハッキング・キャンプは、ZOEへのサイバー攻撃のためのものだろう。だとすれば、国内のどの場所でも対応できるよう、日本全国に相当な数が存在しているはずだ」
「けど、日本政府の緊急事態宣言で、その拠点も明らかになるんじゃ――」
「ハッキング・キャンプの洗い出しと制圧が表向きになっただけで、いままでも拠点の捜査はつづけられてきたんだ。それでも、見つかった数は多くはない。つまり東側は、日本国内の拠点確保においてもZOEの目を潜り抜けているこということだ。これは、ZOEの監視網の死角を相手のAIが突いているということになる。そこまで優秀なAIならば、いまこの瞬間も、我々の行動や位置をつかんでいる可能性が高い」
「じゃあ、ここも襲撃されるってことですか?」
「可能性は無いわけではない。が、ここ数時間は安心していいだろう。いま我々がいるこの航空拠点は、近隣に複数ある隠蔽された飛行場のなかから、ZOEが一時間前に無作為に選択したものだ。すでに居場所が発覚していたとしても、相手もすぐには仕掛けてはこられないだろう。が、CIA、もしくは通信傍受を主とするNSA内部にスパイがいる可能性を考えると、そんなにうかうかもしていられない」
「スパイですか?」
「ZOEを凌駕するASIが存在すると想定したとしても、ここまで情報が筒抜けなのは異常だ。スパイがいることを前提に考える必要があるだろう。本来であれば、スパイがいたとしてもZOEによる監視網があるため、妨害が成功される可能性は極めて低い。しかし、ソ連製ASIと連携しているならば話は別だ。スパイを通して、CIA、NSA内部にソ連製ASIが侵入を果たしたとすれば、直接ZOEと接触せずとも、米国組織内の人員による諜報活動――ヒューミントをあらゆる角度から分析し、人間が気づくことのないZOEの痕跡を見つけ出して、それを利用するだろう」
ライナスはそこまで言うと、それよりも、と一間置いて、
「公式記録に残らないとはいえ、あの作戦の実行をも辞さないCIAという組織について肝に銘じていてほしい」
俺に致命傷を負わせ、警官たちまで巻き込んだ新東京駅での狙撃。あの地獄のような状況に至らしめたCIA側の容赦の無さを思い出した。日米関係に亀裂が入ろうとも日本側の確保を阻止するという、目的のためならば、躊躇なく無関係な人をも死体の山に加える組織が、俺と榛名を確保しようとしている。
ライナスが以前言っていたことを、あらためて実感する。
――外側も内側も敵しかいないということを。
「このさきも彼らは手を緩めることは無いだろう。だからこそ、いまの我々には時間が無い。移動手段の準備が整い次第、北海道へ向かう」





