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二つの世界の螺旋カノン  作者: 七ツ海星空
18.ニセモノ
147/196

18-07 ――ぜったいに、忘れられない思い出に、しようって

 世界五分前仮説。それが現実となった八月七日の境界。榛名と磯野、二人のいるべき世界は天の川のように隔てられ、

「ちがう」

「俺は、」

「わたしの目をみて、磯野くん」


 榛名は俺の両肩をつかみ、必死な眼差しで見つめてくる。


「いい? 磯野くんの世界は、磯野くんにとっての現実の世界なの。けれど、わたしのもともといた世界とは別の世界。だから、いまの磯野くんの記憶は、わたしの記憶とはちがう。けど、それだけだから――」


 あまりにも唐突とうとつすぎて、俺の脳は、その言葉を拒否してしまう。


 自分の認識していたすべてのことが根底から覆されてしまうことに、受けれる以前に、眩暈めまいが俺を襲い、その場にへたり込んでしまった。


「磯野くん!」


 八月七日以前を知るのは榛名だけだ。

 本当は七月一四日以前と言ったほうがいいのかもしれない。けど、それはどうでもいい。本当の現実の世界を知っているのは彼女だけで、彼女が戻るべき世界は、その現実の世界だ。


 俺が生きてきた、俺が生きていくなかで見知った歴史を持つ世界は、八月七日一〇時二一分以降の世界は改変かいへんされた世界。


 俺は、その世界で生きてきた。


 その世界は二つの世界が交差し変質化していく、歪んだ異常な世界なんだ。


 世界が正常化されるとするなら、それは、七月一四日以前の世界。


 ――一万五千人もの死者を出したその現実世界というのは、本当に幸せな世界なのか?


 いや、そうじゃない。

 俺がいちばん怖れているのは、現実世界に戻ったとき、俺は、どうなってしまうだ?


 ――俺は、俺で無くなってしまうんじゃないか?


「磯野くん」


 榛名が俺を手をとる。


「磯野くんは、磯野くんのままだから。いま目の前にいる磯野くんも、七月一五日に、困っていたわたしに声をかけてくれた磯野くんも、全然変わっていないから。磯野くんは覚えていないだけで、わたしにとっての磯野くんは、あの日からずっと同じだから」


 彼女の伝えてくる必死な声が、どこか、遠くで聞こえているようだった。


 ――俺は、どこに帰ろうとしているんだ?

 ――俺がたどり着いてしまったさきで、なにを失ってしまうんだ?


 五感がすべての機能を失ったかのように、はるか遠くで出来事が起こっているかのように、そう感じてしまっていた左耳もとで、女性の声が告げた。


「お待たせしました」


 ZOEだった。


 同時に、背後でバタバタという回転音が大きくなっていった。

 俺と榛名がその音源へと目を向けると、俺たちを照らすライトが見えた。


 ZOEがなにか話しているらしい。耳もとにあるはずの彼女の声が、すでに凄まじい轟音ごうおんになったヘリコプターの風圧ふうあつによってかき消された。


 ヘリは駐車場の上空に滞空たいくうしていたが、すでに用意されていたかのように空いていた駐車スペースへと着陸した。


 イヤフォンから逃げる指示が出ないということは、ZOEが手配したものだろう。ヘリから降りてきたガタイの良いグレーのスーツ姿の男が一人降りてきた。


 俺は、榛名に「大丈夫」と言って立ち上がり、彼女の手を取って、映画で観たことのある丸みのある形状けいじょうの小型ヘリへと向かった。

 回転音がその男の声もまたかき消していたが、それがかえって、いまの俺にはありがたかった。


 男の身振り手振りでヘリまでうながされた。




 俺たちを乗せたヘリは、沈みゆく夕陽を横目に、こん色の空へと吸い込まれていった。眼下には、暮れていくにもかかわらず、煌々《こうこう》と発する人口一千万を超える大都市の広大な光の絨毯じゅうたんが敷き詰められていた。その光景は、あまりにも現実味が無く、俺は高所であることも忘れて眺めつづけた。


 一時間ほど飛行すると、その光の帯もまばらな星ぼしへと変移し、山やまのやみへと落ち着いた。ヘリは、その山のなかにある小さな飛行場へと着陸した。


 すでに日が暮れた駐機場ちゅうきじょうには、数機の小型セスナが並んでいた。

 ヘリから降りた俺たちは、ZOEの誘導により管制塔へと案内される。


 俺と榛名はとなりあって座った。

 さきほど告げられた事実を、俺はいまだ飲みこむことが出来ない。


 ――榛名の現実と俺の現実はちがう。


 それは、俺と彼女の帰る場所が別だということ。

 最終的には、榛名のいた七月一四日以前の世界に、俺も帰るのかもしれない。けれど、その世界での俺は、いまある俺と同じ存在なのだろうか。


 まえに進むしかない……ということはわかる。

 もとの世界へ戻るだけでいい、ともう一人の俺は告げる。けれど、そのさきにある現実は、俺が望む世界なのだろうか。


 もしかしたら、なにも怖れることなどないのかもしれない。八月七日に俺の身に起こったように、これまで記憶してきたことと、七月一四日以前の現実の記憶が混ざり合って、そのうち、その「現実世界」に馴染んでいくのかもしれない。


 いま頭を巡らしていることなんて、死後の世界について考えているようなものだ。死後の世界なんて、誰にもわかるわけがない。わかるはずの無いことを、俺は恐れている。だれでも恐れ、悩みもするだろう。けど生きることをおろそかにしてしまうくらいに、死に囚われてしまうのもまた、愚かななことだと人は言うだろう。


 だけど、その愚かな行為から、思考から、俺は抜け出すことが出来ない。


 なら、どうすれば、俺は――


 ――突然、俺の顎に手が添えられ、くちびるに、やわらかいものが、触れた。


 それは、数秒のあいだ、つづき、甘やかな感触が、俺のすべてを解きほぐしていった。天国にでも連れ去られたように、ただ身をゆだねて、それが終わるまでの時間を味わった。


 二人のあいだに、そっと、距離がよみがえる。

 榛名は、目をそらして「あのね」とつぶやく。


「約束はね、八月七日の夜を迎えられたらね、天の川の、星空の下でね、キス……しようって」


 そこまで言った榛名は、もう一度、俺を見つめて、抱きしめて、キスをした。


 それは、さっきよりも長くて、長くて、とても、短かった。


 くちびるが離れて、おたがいの額はくっついたままで、彼女の両腕は、俺の首に回されたままで。


「未来がどうなるか、わからない。けど、だけどね、いま、わたしたちが再会できて、八月七日のさきまでたどり着けて、だから、


 ――ぜったいに、忘れられない思い出に、しようって」

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