18-04 ……だって、磯野くん、すごくつらそうにしていたから
NSA監視下にあるZOEの状況から、生体認証をあえて行うで二人のID偽装状態を確認した磯野。彼は榛名に今何が起こっているかを伝える。
そこまで言った榛名は、納得したようにうなずいた。
「あのとき、ハルさんは、わたしが死ぬのを止めたよね。それまでは、死んでも生き返るんだから、おじいちゃんを助けるためなら命を捨ててしまおうとしたけれど、」
「ああ、それが出来る回数には上限があるらしい」
「やっぱり……そう、なんだ」
榛名は俺から目をそらし、暮れていく空を見た。
「ハルさんは、おじいちゃんの命に別状は無いって言っていた。けど、本当かどうかわたしにはわからなかった。もしも助からないなら、もう一度、わたしは命を落としたいって、べつの可能性を選びたいって、いまでも思ってる」
ああ、わかるよ。
その気持ちは、痛いほど、よく。
俺だって、榛名と同じ立場ならそう思うだろうし、いままでだってそうしてきた。
だけど、同意は出来ない。
「けどね、ハルさんも磯野くんも、死のうとしていたわたしを止めてくれて、感謝してる」
榛名はうつむき、
「磯野くんが死んじゃうとき、ハルさんの手で……。あのときはじめて、わたしも、死ぬことがどういうことか、なんとなく理解が出来て、」
俺に振り返って見つめた。
「あのとき見た、たくさんのわたしは、この世界に来てしまったわたしの並行世界の数、なんだよね?」
榛名も見たんだな。
榛名の額を撃ち抜かれた直後に起こった、彼女の生存世界への収束。
収束するまでのあいだに現れた無数の「俺」。あの無数のドッペルゲンガーは、重なりあう並行世界の可能性。彼女もその瞬間を目の当たりにしたのだろう。
「ああ、そういうことだと思う。俺も、榛名が撃たれたときに同じものを見た。あれは、この世界に訪れた、俺たちの別の選択肢だったんじゃないかと。けれど、この世界では、現実世界のように無数に重ねられた並行世界――可能性が、また分岐することで増えることは無いらしい」
そう、俺たちの収束可能な回数は、限られている。
「この世界にいたるまでに、大学ノートをとおして並行世界が増えた。けど、その世界の数はあくまでも有限、つまり、限られた数しかない。その生存している世界が死による収束によって減っていって、俺たちの死んでしまった世界が、生きている世界を上回ってしまったら、俺たちはその瞬間、死んでしまった存在に収束してしまうことになる」
榛名は、すこしの戸惑いのあと、静かにうなずいた。
「……そっか。だから二人はわたしが死のうとするのを。だとしたら、わたしと磯野くんは、このさき誰かが犠牲になったとしても、その人のために命を落としちゃいけないって……ことか」
榛名は、俺にそう言いながら、しだいに、ひとりごとのようにつぶやいた。
その言葉は、俺にも突き刺さる。
もしこのさき、ハルが、ライナスが命を落とすようなことがあったら、俺は、彼らを救うことが出来ないということになってしまう。そのとき彼らを見捨ててしまって、俺は耐えられるのだろうか。
「じゃあ、わたしたちが生きているあいだに、わたしたちをもとの世界へもどすことで、この世界を救おうとしているってこと?」
俺はどう答えればよいのか迷う。
ライナスは、この世界を救うことは出来ない、そう言っていた。だから共倒れになるまえに、俺たちの世界だけでも救わなければならないとも。
「榛名、この世界は――」
「――どうやっても、救えない?」
「なんで、わかったんだ?」
「……だって、磯野くん、すごくつらそうにしていたから」
そうか。俺は、つらいのか。
ライナスからの提案を受けたとき、もとの世界に戻れれば、榛名を連れて帰ることが出来れば、それですべては解決する、そう考えていた。けど、俺はこの世界を失うことを――
「磯野くん、わたしたちが、もとの世界に帰るだけでいいのかな」
俺がいままで目を背けてきた言葉。
それを、彼女は問いかける。
なにか方法があるのかもしれない。
もしあるならもがきたい。
けれど、ライナスもZOEもその答えを持ち合わせていなかった。
それなのに、ただの大学生の俺が、この世界を救うための方法を思いつくことなんて、不可能だ。
どうやって思いつけって言うんだ。どうやってもこの世界が失われてしまうのであれば、それは仕方がないじゃないか。……そう、考えていたんだ。
ハルの顔が浮かんだ。
彼女のいるこの世界。この世界ごと彼女を失ってしまうそのことを、俺はどこかで見ないようにしていたんじゃないか?
だけど、ここ何日かをハルと過ごしてきて、生死をともにしたことで、俺のこころのどこかで、彼女のことも放っておけなくなってしまったんだ。
それでも、彼女を失ってしまうことを直視してしまうと、どうしようもない気持ちに染められてしまう。榛名よりもハルを優先してしまいそうになる。それが怖くて、俺は目をそらしてしまったんだ。
だから、
「この世界を救う方法はないんだ」
俺は、そう口にする。
「俺たちが出来ることは、俺たちが現実世界に戻り、救うことで、人類を存続させるってことだけだ。もし、もとの世界に戻るまでのあいだに、この世界も救える方法が見つかったなら、そのときは、俺たちも彼らに協力する」
そうだ。これが俺たちの出来ること。
榛名を救うためにしてきたことと同じことを、これからもまたやっていくだけだと、自分に言い聞かせる。言い聞かせてしまっていることを気づき、それが俺のなかのハルへの想いを押し殺してしまっていることを感じながら。
「それで、いいか?」
顔色をうかがうように榛名を見ると、すこしさびしそうに微笑んでから、
「うん」
と、ひと言だけ、うなずいた。
腹の底に、重いものが沈んでいくのを感じた。
俺はその、どうにもならないものを無視する。
無視、するしかなかった。
――この世界を救う。
その言葉が、あまりにも現実味がないものに感じられた。
霧島榛名を救い出し、ここまでたどり着くまででさえこの有様なのに、現実世界に戻るまえに、いまだ見当もつかない「この世界の救う方法」を探し出すなんて、そんな途方もないこと出来るはずがない。
ライナスも言っていたんだ。失敗は許されない、と。これからまた気を抜くことのできない状況のなかで、わき目を振る余裕なんて、俺たちにはありはしないんだ。そう己に言い聞かせ、こころの迷いを俺は振りほどく。
――これからのことを考えろ。
ZOEから連絡が来るまでのあいだ、このあとの時間の有効な使い方について整理しなくてはならない。
八月七日午前一〇時二一分から三一日までの、榛名がいなくなってしまった世界と起こった出来事については、また語ればよいだろう。まずは八月七日までに起こった榛名の物語を聞く。そして、その物語のなかから、この一連の超常現象が引き起こされた原因を見つけ出さなくてはならない。
俺のとなりで、沈もうとする夕空を、静かに眺めている榛名がいた。
彼女の白い肌がオレンジに照らされている。
すっと伸びた鼻梁によって、まるで彫刻のように美しい横顔がそこにあった。
その横顔が、さっきまで俺のことを語っていて、そのことが、なぜだかいまさら現実離れしているように思えた。
「わたし、たぶんね、八月七日の、あの雨の日からずっと、灰色の世界に囚われたままだったんだと思う」





