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二つの世界の螺旋カノン  作者: 七ツ海星空
18.ニセモノ
141/196

18-01 ……覚えてなんかいないのに。俺と、きみが、なにをしてきたかなんて、俺にはわからないのに

 ――彼は、声をあげて、泣く。

「ごめん。起こしちゃったな」

「ううん、気にしないで」

「……無事で、良かった」

磯野いそのくんも」


 彼女の手を触れている一瞬いっしゅん一瞬がとても長く感じられてしまう。

 胸が高鳴たかなきあがる、甘苦あまぐるしさとせつなさ。この感覚を、もうすこしだけ味わっていたかった。俺と彼女のあいだにある「いま」を、こころにきざみたかった。だから、この瞬間しゅんかんこわしてしまいたくなくて、言葉をつむごうとするのを躊躇ためらわれてしまった。


 けど、やっとここまでたどり着けたのだから、彼女とふたたびめぐりえたのだから、そのひと言でいいから言葉にしたい気持ちも湧く。それでも、あらためてそれを口にしようとすると、うわずった気持ちがこころをおおくしてしまい、かたち作ろうとしていた言葉がことごとく霧散むさんしてしまう。それでもなお、ひと言をしぼりだそうと声にしたとき――


「「あの」」


 俺たちは目を合わせられないまま、またうつむいてしまう。


 ――本当は、話したいことが、たくさんあるはずなのに。

 ――なにから話せばいいのか、わからない。


 いままで、走りつづけて、ひたすら走りつづけて、やっと彼女にたどり着けた。彼女までの道のりを全速力で駆け抜けるために、途中で転ばないように、俺は俺のぜん神経しんけいついやしてきた。それが、ここまでたどり着くための道を作り、守ってきたんだ。


 失敗はゆるされない。

 失敗したなら死をもって挽回ばんかいしなくちゃならない。


 その緊張きんちょうが、意識が、ここまでたどり着くために必要だった。だから、いまの俺は、そんなふうに、がんじがらめになってしまっているんだと思う。


 だからこそ、わからない。

 彼女のとの、このさきのことが、わからない。


 彼女が、霧島きりしま榛名はるながとなりにいてくれる時間。求めていたはずのこの時間に、いっしょに過ごしたはずの記憶の無いこの人と、


 ――なにを話せばいいのだろう。


 いま、この瞬間、俺たちは生きている。


 それはとても嬉しいことで、幸せなことで、それだけで、本当にそれだけでよかったはずなんだ。そうなんだから、彼女とわす言葉なんてそんな些細ささいなことで、悩む必要なんてないはずなんだ。彼女と再会さいかいするためにこそ、俺は、すべてのエネルギーを向けてきたはずなんだ。


 だから、もうなにを話したっていい。

 なんだっていい。

 彼女に――


 ふと、俺の左手がほんの少しだけ強くにぎられた。

 かすかに、彼女の吐息といきが聴こえてから、


むかえにきてくれて、ありがとう」


 その言葉は、とてもやさしくて。

 とてもとてもやさしくて。


 いままで抱えてきた、背負ってきた、頑なだった、俺の覚悟かくごが、

 八月一二日のあの夜から雨のなかで悔やみ、背負ってきた重みが、


 ――かされていく。


 俺はうつむいて、それにあらがうように、両手に力を入れようとする。


 まだ崩れちゃいけない。

 そう自分を保とうとして、けれど、どうしてもダメで。

 そんな自分の弱さに、いまさら嫌気いやけがさして。自分自身がたもてなくなるのを、保たなくても良い瞬間が訪れてしまったことを、おのれの頭よりもはやく、こころがわかってしまって。


 それが、全身へとわたっていって、しまった。

 だから、

 

 ほおに涙が伝っていくのに気づいてしまう。


 ……なに、泣いてんだよ、俺。

 ……止まれよ、みっともない。こんな顔、榛名に


 ――みせられるかよ。


 それでも、涙は止まらない、止まらない……止まらない。

 どうしても、俺の身体は、泣くことをやめようとしなかった。


 出来なかった。


 みっともなくて、

 あまりにもみっともなくて、

 そんな姿を見せたくなくて、

 うつむきつづけながら、俺は、


「……覚えてなんかいないのに。俺と、きみが、なにをしてきたかなんて、俺にはわからないのに。それが、くやしくて。……悔しくて。けど、けれど、俺は、俺には、大事……だったんだよ」


 嗚咽おえつで言葉が詰まってしまう。

 それすらもどかしくて。悔しくて。

 言ったからって、うったえたからってどうにもならないし、なにを言いたいのかさえ、求めてるのかさえ、俺にはわからないっていうのに、


 どうしても、止まらなくて。


 いままで見たみんなの顔が、頭のなかをめぐっていく。


 どうしようもなかった俺を奮い立たせてくれた柳井やないさんの顔。円山公園の夜の、あのベンチで、見送ってくれた千尋ちひろの顔。俺に起こる出来事を論理ろんりづけてくれた三馬みまさんの顔。霧島家に行く途中で、大丈夫だとはげましてくれた青葉あおば綾乃あやのの顔。事故のことを打ち明けたときのちばちゃんの顔。


 かならず戻ってこいと見送ってくれた、れいの顔。


 だけど、


「みんなのため……なんて、とうなもんじゃないんだよ。ただ、おまえに……もう一度、会いたかっただけなんだ。……ちばちゃんのことも、サークルの連中も、この世界のやつらも……みんな、みんな、巻き込んで、それでも……おまえに……」


 理性りせいかないまま、わけのわからないまま、俺は、俺の胸のなかにあったものを吐き出しつづける。そして、出てきてしまったその言葉に、俺自身が驚いてしまう。ろくでもないことを吐きながらも、俺はそれを否定ひてい出来ない。


「……なにもかもが突然で、こころの準備なんて本当は出来てなくて、ただの大学生の俺が、なんの覚悟も無いのに、こんなところまできてしまって。そんな俺がやれることは、がむしゃらになるしかなくて、けれど、命までかけてるっていうのに、落としているっていうのに、」


 ――いままでやってきたことを免罪符めんざいふにして、俺がのぞむ世界を、彼女がとなりにいればそれでいいと、


 そう、言い切ってしまっている最低さいていな俺が――


「磯野くん」


 霧島榛名は、うつむいていた俺の顔をそっと触れた。


 おもわず顔を上げてしまったことで、俺たちは、ふたたび見つめ合ってしまう。


 すぐ近くにある彼女の顔は、微笑ほほえんでいた。


 そのとき、はじめて気づく。

 この子の笑顔を、俺は、いま、はじめてみたのか。


 ――この子の笑顔をみるために、俺は、ここにきたのか。


 涙にれる、彼女の笑顔が、そこにあって、


「ありがとう、とても、嬉しい」


 やわらかく、やさしく、彼女は俺をつつんだ。

 俺の頭はまっしろになって、

 それでも、涙と、鼻水と、声が、止まらなくて、

 止まらないまま、声を上げて、泣いた。


 榛名に、抱かれつづける。

 彼女の呼吸の、心臓の、鼓動こどうを感じながら。


 そのわずかな揺らぎに、身をゆだねた。


 このままでもいいのかもしれない。


 いつまでも、というわけにはいかないだろう。けど、いまこの瞬間を、大切な記憶に残しておくためにも、やっと得られたこの時間を、ゆるすかぎり、しずかに過ごすのもいいのかもしれない。




 どれだけの時間が過ぎたのか、わからない。


 やっと気持ちが落ち着いて、落ち着いてしまうと、彼女に包まれているその状況が恥ずかしくなって、心地よさと、けれど、彼女をみたくなって顔を上げてしまう自分がいた。


 そうすると、もう一度、俺たちは見つめ合ってしまう。そして、おたがいに顔をそむけてしまって、最初の状態に戻った。けど、最初よりも、ずっと、気持ちは落ち着いていた。


「えっとね……ちょっと言いづらいこと、なんどけど」


 榛名がうつむいたままつぶやいた。


「ん?」

「ちょっと、ね、血なまぐさい……かな」

「え……? あ、たしかに」


 おたがいに顔を見合わせて苦笑にがわらいした。


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