17-06 撃ちたいなら撃て。ただし、撃つなら正確に、ここを狙え
CIAのアセット――非公式部隊が動き出し、警官もろとも狙撃を始める。胸を撃たれ身動きを封じられた磯野は、ハルにより無事生存世界への収束を果たす。
榛名の手を引き、階段へと走り込んでいくおのれに気づく。
瞬間、鉛のような重みが俺の体を覆っていく。
こめかみに痛みを感じた。
俺の視界からディスプレイ画面が失われていることに気づく。
――この世界の収束の結果か。
並行する記憶に、狙撃によって眼鏡が跳ね飛ばされるイメージが刻み込まれていた。収束した世界でのおのれの振る舞いが鮮明になり、つぎにとるべき行動が、急き立てるように脳に流れ込んでくる。
左手に榛名のあたたかい手の感触を確かめながら、俺たちは階段を駆け上がった。
もしいま振り返れば、俺が経験したのと同じように、外から見た生存世界への収束を経験した榛名の、動揺している顔がみえるのだろう。
けれど、いまはダメだ。
全力で走れ。
全力で、のぼり切れ……!
「ZOE、階段を上がったら、通路を横切ってチューブリニアのプラットホームまで上がればいいのか?」
「連絡通路を左に。一番端の階段を上がってください」
「左?」
眼鏡のディスプレイには、左の階段はすべて在来線のプラットホームと表示されていたはずだ。チューブリニアに乗るんじゃないのか?
階段を上がり、そこでやっと榛名へと振り返った。
彼女は、すこしでもはやく上ろうと脚を動かしていた。彼女が転ばぬよう気をつけながら引き上げる。榛名の顔には焦燥が見えた。
酷い顔だ。
大丈夫か、と、言葉をかけようと口をひらきかけて、顔を上げた彼女と目が合う。榛名は、わたしは大丈夫だから、と言うようにうなずいて見せた。
彼女の気丈さに励まされながら思う。オカ研世界の、あいつは、無事なのだろうか。
階下で銃撃が響く。
「……ハル! ハルは無事なのか!?」
俺は榛名の手を引き連絡通路の端へと向かいながら、ZOEに問う。
「HAL03は無事です。あと三〇秒は持ち堪えるはずです」
「持ち堪えるって……持ち堪えられなくなったらハルはどうなるんだよ!」
「ウォルター・ナッシュ作戦副部長の命令により、HAL03は無力化されます。しかし、一時的拘束にとどまるでしょう」
「一時的拘束?」
「実行部隊の動きを我われは把握していない、ということになっています。その前提で、HAL03は、彼らをゴーディアン・ノットとみなし抵抗を続けている状態です。HAL03は、今後の作戦において戦力になると、彼は見ております」
信じていいんだな?
そう言おうとして、その答えを知ったところで俺たちはいまは逃げるしかないことを悟り、口をつぐんだ。
ガラス張りのその通路は、狙撃されるには絶好のポイントなのだろう。けれど、もうあと二〇秒を切るいま、そんなことを気にしている余裕は無かった。ただ、ゴーディアン・ノット、警視庁、そして、CIAそのどれかが、この短い時間のなかで人員を配置し切れていないことを祈るしかなかった。
俺は、彼女の手を引く。
俺は、慎重に進んでいく。
俺は、何度か振り返る。
彼女のことを、たしかめながら。
その速度は、長い、長い、何秒かの時間となって、窓から射し込む日差しに晒された。
なにもない、のどかな日常ならば、それは、恋人同士が、互いに不慣れな距離のまま、それでも手を繋いで歩いていく、そんな光景になったのだろう。八月七日の、俺のなかに無い記憶には、彼女との、そんな時間も、あったのかもしれない。
連絡通路の端までたどり着く。
プラットホームへ至る階段に足を掛けようとしたとき、背後から「動くな!」と叫ぶ声が聞こえた。振り返ると、一〇メートルほど離れたところに、警備員らしき若い男が俺たちに銃口を向けていた。
一瞬、実行部隊かと思ったが、屈強とはほど遠い体格と面構えから、そういう人種とはあきらかにちがう人間であることに俺は気づいた。
俺は、男の目を見て、言う。
「撃ちたいなら撃て。ただし、撃つなら正確に、ここを狙え」
俺は、おのれの額を指差した。
「撃て!」
警備員の男は、目をそらせずに、けれども拳銃を震わせながら身動きが取れずにいた。
俺は、榛名にうなずいた後、男を無視して階段を駆け上がった。
去り際に、男の思い詰めた顔がみえた。
俺が八月七日の夜、ハルから拳銃を受け取るのを躊躇ったときに浮かべたものと同じなのだろう、と、ふと思った。
プラットホームへと上がると、階下へと下りられずにいる乗客たちの人混みにあふれていた。
「プラットホームから左側の線路へ降り、五〇メートル先まで進んでください」
線路を降りる?
俺たちは、過密した人のよどんだ波に身を隠しながら、プラットホームから線路のさきを見た。そこにあるのは、高架と、その上を走る線路しか見当たらなかった。
「五〇メートルさきって……線路以外になにも無いんだが」
「つぎのタイミングまであと二分です。急いでください」
ZOEの指示に嫌な予感を覚えながらも、榛名に指差して向かうさきを伝える。
「あの電話の人……だよね」
「ああ。あの電話の人、だ」
榛名は、わかった、とうなずいた。
重い身体を動かし、プラットホームから線路へと俺は飛び降りた。
プラットホームの端に腰を下ろし、線路へ降りようとする榛名を受け止めてやる。線路へと降りたことで人びとの注目を浴びながらも、榛名の足どりだけに気を配りながら、ZOEの言う五〇メートルさきを目指した。
線路の上を歩く俺たちは、プラットホームの上にいる人びとから見れば、とても奇妙な光景であったにちがいない。けれど、俺が思い浮かべた景色は、連絡通路でのときと同じように、あの海岸で手を離して以来、何度も何度も悔やみ、こうしておけばと願いつづけた、二人の姿だった。
――彼女の手を、離さない。
もとの世界に連れ戻すまで、絶対に。
ZOEの指定した、高架上までたどり着く。
やはり、線路と、高架、そして、転落防止用の柵しかそこには無かった。
「あと三〇秒以内に柵を越えてください」
「……やっぱりそういうことか」
「はい」
ひとりごとを言う俺を見た榛名は、左耳のイヤフォンに目を移し、納得したらしい。
「ここから?」
「ああ、飛び降りなきゃいけないらしい」
疲労にやつれた顔の榛名が、それでも苦笑いをしながら、
「けれど、磯野くん……高所恐怖症、だよね」
こっちの榛名も知っていたのか。
この子と、どんな会話を交わしたのかはわからない。
それでも、そのことを悔しがる時間は無かった。
俺もまた苦笑いで返し、うなずいてから、二人で柵を越えた。
榛名が柵を越えようとするのを手伝う。
背後の、すぐ下を走る国道を行き交う車の音に、肝が冷えた。
プラットホームで悲鳴が起こった。
俺たちが振り返ると、拳銃を持った男たちが、俺たちを見とめて拳銃を構えた。
「あと、五秒、四、三……」
俺は、榛名と顔を見合わせうなずく。
榛名もまた、うなずき返す。
つぎの瞬間、俺たちは、手を繋いだまま、一歩まえへ踏み出し、
――高架から、飛び降りた。





