17-04 これは、生存している世界の数、この世界で重なり合う、すべての、可能性なのか
作戦全チームの沈黙。襲撃に翻弄されるCIA。ZOEの防壁を破り仕掛けられた通信障害の末、霧島榛名は射殺されてしまう。ところが――
ドッペルゲンガーなんてもんじゃなかった。
霧島榛名へ向けて足を踏み込もうとする俺が、駅の至るところに存在していた。それはまるで鏡のように、どの俺も互いの存在を認識して、驚き、戸惑い、狼狽えた顔へと歪んでいく。
なんだ、なんなんだ、これは。
理解するにはあまりにも突然で、あまりにも常軌を逸しすぎている。
目を合わせたさきの「俺」、「俺」、「俺」。
いままで目の当たりにしたのとはまた異なる、超常現象という圧倒に、俺の意識は飲み込まれてしまう。
いや、そうか、これは、
ここにいる無数の「俺」は、
この世界にいる「俺」なんだ。
これは、生存している世界の数、
――この世界で重なり合う、すべての、可能性なのか。
生存世界への収束の選択肢として、現時点で存在する、あり得る限りの可能性がいま、俺の目の前に、いや、この空間に現れたというのか。
そう確信した瞬間、無数にいたはずの俺は消え、そのなかの一つに引き戻された。
俺の視界の先に、額を撃ち抜かれていない霧島榛名がいた。
俺たちは、目が合った。
彼女の顔は、収束前よりも消耗しているように見えた。
――霧島榛名の生存世界への収束。
――これが、外側から見た生存世界への…………収束。
頭でその言葉をなぞったとき、俺に目を向ける榛名の顔が、老人の背中に隠れた。そして――
彼の背中を、一発の銃弾が突き抜けていく。
倒れ込んでいく老人と、それを止めようと彼の腕を取り、いっしょに引きずられていく、榛名の絶望に満ちた横顔がふたたび現れた。
俺は振り返り、手の中にあった銃を狙撃してきたであろう先へと向けた。南口上部の広告の電子看板の隙間から見える、一つの銃口を見とめた。拳銃のフロントサイトをリアサイトに合わせ、黒い人影にひたすらに引き金を引いた。反動で右腕が何度も跳ねる。
五発は撃ち込んだはずだが、看板に隠れた人影に当たったかどうかはわからない。
横を見るとハルもまた俺と同じように狙撃手に銃口を向けていた。
銃声が重なって聴こえたのはハルもまた発砲していたのだと、いまさらながら気づいた。
「磯野さん!」
ハルの声に我にかえり、彼女の視線のさきへ顔を向けると、さきほどのキャップ帽の男が、目前に迫っていた。
脳内で叫ばれる、しまったという言葉を発し終えるまえに、キャップ帽の男はあまりにも見事な身のこなしで――
視界が、天井をなぞる。
左腕が引っ張られ、俺は仰向けに倒されていく。
――ハル?
俺の首があった空間に、男のナイフが貫いていくのが視界に入った。
「……っ!」
体勢を崩し、制御できないその時間がひたすらに長く感じられる中、男の返す刃が俺の胸へと突き立てようと、右腕を振り下ろしてくる。
銃弾が男を捉えた。
乾いた破裂音が二発響く。
右肩に受けたその衝撃でキャップ帽の男はうしろに仰け反り、さらに四発の銃弾が男に浴びせられた。
床に手をついた俺が上体を起こしてながら顔をあげると、ハルが、倒れ込む男の前で踏み込みながら、とどめの二発を放った。
いままで、ハルは敵が誰であろうと急所を外し、命を奪おうとはしなかった。しかし、いま目の前の彼女は、キャップ帽の男の息の根を確実に止めていた。いや、俺が見ていなかっただけで、これまでも、彼女は、人の命を奪ってきたのかもしれない。あの駐車場で、麻酔銃を撃たれた俺が気を失ったあと、あのときだって彼女は――
なに考えてるんだ俺は。
何度も殺されているのに、甘いこと抜かしてるんじゃねえよ! 現実を見ろよ。殺すとか殺されるとか、こんな事態ならあって当然じゃないか。そのために俺は、拳銃を握っているんだろう?
「磯野さん! 榛名さんを!」
なにぼーっとしてるんだ俺は!
俺は振り返った。
大勢の人びとが屈みこむなかを縫い、霧島榛名に向かって駆け出す。
視界のさきには、老人を抱えようとしながらも、それも出来ずにへたり込む榛名の姿があった。彼女は、おそらくおじいさんを失ったショックと、収束の影響であろう、いまにも倒れそうな蒼白の顔のまま、途方に暮れていた。
彼女は、なにかに気づく。
仰向けに倒れた、おじいさんの懐へと手を伸ばす。
榛名はそれを、右手につかんだ。
拳銃だった。
ライナスの情報にあった、所持している可能性のあるもの。
リボルバー式の拳銃が、いま霧島榛名の右手に握られ、持ち上げられた。
「榛名! ダメだ!」
ああ、あのときと同じだ。
研究所の駐車場でハルが撃たれたとき、俺は警備員のホルスターから拳銃を奪い取り、自殺を成し遂げた。
――霧島榛名は自殺による生存世界への収束で、おじいさんを救おうとしている。
ダメなんだ榛名。生存世界への収束には限りがある。この三つ目の世界で、死に絶えた世界が、生存している世界を上回ってしまったら、
「ダメだ! 榛名、よせ!」
彼女は、俺の声に振り向くことはない。
ゆっくりと、銃口を、こめかみに当てる。
彼女には俺の声が聞こえていたはずだ。だが、その言葉が、榛名に届かないことは俺がいちばんよく知っている。
――大切な人を救える可能性がすこしでもあるのなら、わたしは、全力でもがいてやる。
その意志が、彼女に、おじいさんを救うための行動を後押しさせている。彼女の死による収束によって、いま起こった結果とはちがう選択肢を、世界から引き出そうとして。
だとしても、彼女にとっての意志が死を望もうとも、俺が求める世界とはちがう。俺にとって、いまもがくべき相手は霧島榛名ただ一人。だから、
「銃を捨てろ!」
一歩でも彼女の手の届く距離まで。彼女が引き金を引くまえに、なんでもいいから引き延ばすための言葉を、なにか、
「たのむ。やめてくれ」
もう顔を前に向けていることも出来ず、ひたすら足を前に出し、呼吸が乱れたまま、しわがれた声を発した。
それでも、それが彼女を止める言葉にならないことを悟ったとき、
一発の銃声が、構内に轟いた。





