17-03 まずい! HAL03、イソノさん、CIAの二チームが動いていない!
新東京駅に到着したハルと磯野。ライナスはCIAがこちらを出し抜き霧島榛名を確保する意志があると告げた。榛名を追う二人は、反政府組織ゴーディアン・ノット、そのうしろにいるKGBがいまだ仕掛けてこないことを訝しむ。
俺は思わずハルをみてしまう。
足留めだと?
よく映画で見る目標、もしくはその片割れを致命傷に至らない負傷を負わせることで、仲間が見捨てられない状況を作るってやつか。
囮となった負傷者を死なせないよう狙撃を繰り返していたぶり、真の目標をおびき出し、仕留める。
榛名と老人の二人がその状況に陥るのを思い浮かべてしまい、俺は気分が悪くなった。
榛名だったら、命の恩人であるあの老人を見捨てることは出来ないだろう。それは、この俺がよくわかっている。けれど、だとしたらその手口は余計にタチが悪い。
「どちらにしろ、作戦チームが展開していないこの屋外が絶好のチャンスのはず。急展開でこの駅前まで人員の揃っていない我々の現状は、ゴーディアン・ノットはともかく、KGBならば見透かしているでしょう」
ハルは、腰のホルスターに手を置いた。
「けれど、このままでは二人は駅構内へ入ってしまう。もし駅構内で仕掛けようとすれば、ゴーディアン・ノット――KGBは、すでに配置してあるCIAチームと衝突してしまいます。彼らがそれを望んでいるならば、話は別ですが――」
ハルの言葉に不吉な予感が湧く。
それがすぐさま現実と化すように、ライナスからの、ゾッとするようなひと言が耳に響いた。
「まずい! HAL03、イソノさん、CIAの二チームが動いていない!」
ライナスが言うのと同時に、ハルは銃を抜いて走り出した。
彼の言葉と、その背後で混乱と怒号が響くその様子がなにを示しているのか、一瞬、理解出来なかった。
……いや、理解したくなかった。CIAという世界最強の国家が所有する諜報機関が、こんなにもあっさりと出し抜かれるということを。
「クソっ!」
全力で後を追う。
「チームA、Bがともに沈黙した。画面上に示されている駅構内中央、東西両方の職員用通路の二ヶ所だ。ディスプレイにZOEからすでにデータが送られているはずだ」
ディスプレイには、北東側から榛名へと向かうチームCだけが動いていた。東西の職員用通路内にあるチームAとBのポイントは、駅構内に出る直前で動きを止めていた。
いや、余計なことは考えるな。まだチームCがいる。
モニターに目をやると、駅構内の俯瞰図に実行部隊らしき表示は、いまだ見つけられなかった。それでも、
「実行部隊は?」
「まだ動きは無い」
よし。まずは霧島榛名と接触しなければ。
新東京駅構内へと入った。
空調のひんやりとした空気が肌に触れる。
行き交う人びとがあふれる空間を見渡して、俺は気づいた。
――そうか、この場所は、
八月七日に銃撃戦のあった、あの駅だった。
左右それぞれにショッピングモールがあった。十日経ったこの場所は、何事もなかったかのように大勢の人が行き来している。構内は、七日当時感じていたよりも、はるかに広い空間だった。
外から見たときと同様、エントランスから改札前までの空間は吹き抜けられており、その開放感と巨大な広告ディスプレイがならぶさまは、文字通り未来空間を思わせた。南側のガラス張りから透過される光は、偏光されているのか、思ったよりまぶしさは無く、程よい照明として機能していた。
「前方、一五メートル先に、キリシマ・ハルナさんとマツダ・エイジさんが歩いている。彼らの行き先はさらに一〇メートル先にある改札口だ。ゴーディアン・ノットは、それぞれCIAチームのいた職員用通路から、おそらくすでにこのエントランスへ入り込んでいる。ZOEの目を掻い潜る連中だ。二人とも――」
通信が切り替わり、ZOEの声が左耳に響いた。
「一〇時、三メートル、一、です」
次の瞬間、声の示した方向にいた長身の男の脚を、ハルが撃った。
一瞬遅れて、雑踏が悲鳴へと変わった。
「銃だ!」
「銃を持ってるぞ!」
ハルは周囲の声に怯むことなく、すぐさま東側へ振り向き銃を向けた。銃口のさきには、グレー目のカジュアルジャケットの二人の男が、霧島榛名へ向かっていた。ところが、ハルが引き金を引くことなく、ほぼ同時に倒れ込んだ。
まるで同期しているかのように、俺の眼鏡に映るディスプレイ画面のチームCのポイントもまた、止まった。
「え?」
倒れ込む二人の背後に、一人の黒いキャップ帽を被った男が、こちらにナイフを向けていた。
「磯野さん!」
その声に合わせて俺は倒れ込んだ。
俺の左にヒュンという音が走る。
直後、ハルの拳銃の発砲が二発続いた。
顔を上げると、キャップ帽の男は、屈みこもうとする客に紛れて、視界から姿を消えていた。
ハルへ振り返ると、防弾ベストで守られていないワイシャツの左肩から血が滲んでいた。
……ナイフの刃先が飛んだのか?
「ハル!」
「磯野さん、榛名さんを!」
「イソノさん、これは罠だ。ゴーディアン・ノットは、キリシマ・ハルナさん…………ない。き……狙って……」
「ライナス?」
「ジャミングです!」
ハルの言葉に俺は唖然とした。
八月七日のこの場所で起きたのと同じことが、たったいま発生した。
ジャミングを仕掛け、ZOEの防壁を抜け成功させた相手が、ソ連の人工知能だとすれば、そのあとに起こることは――
俺は立ち上がり、霧島榛名へと向く。
そして、彼女と、目が合った。
振り向きざまの彼女は、俺を見て驚き、叫ぶ。
「磯野くん!」
霧島榛名の額に、銃弾が貫いた。
…………は?
吐き気のする光景が、俺の網膜に焼きつけられた。
右斜め上からの直線が彼女の帽子を吹き飛ばし、後頭部を下へと抜けていくさまが、スローモーションとなって俺の脳に記録されていく。
胸の中のものが一瞬にして煮えたぎり、一切を吐き出しそうになる。
つぎの瞬間、すべての音が消え、すべてのものが歪み、まるで時間が巻き戻されるかのように、
――俺がいる位置が、数歩うしろに、スライドしていった。
……いや、それにも増して、異様な光景が目の前に現れる。
俺の視界のいたるところに、
――無数の、「俺」がいた。





