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二つの世界の螺旋カノン  作者: 七ツ海星空
16.メッセージ
132/196

16-08 磯野くん、きみだけでも、もとの世界に戻って、すべてを、もとどおりにしてください

 榛名を匿っていた老夫婦。彼女を守ろうと行く手を阻む老婦人を磯野とハルは説得し、榛名の後を追う。

 左耳のイヤフォンから、ライナスの声が響く。


「あと三〇分もしないうちに、キリシマ・ハルナさんと、ご主人、マツダ・エイジさんが新東京駅に到着するだろう。CIAは霧島榛名さんの確保に三チームがすでに配置済みであり、もし確保が失敗した場合に備えて実行部隊を別に用意してある」

「実行部隊ってなんなんです? なにをするんですか」

「ソ連側に渡らないようにするための、霧島榛名さんの殺害さつがいです。ソ連側が確保しかけたらその都度つど射殺しゃさつして阻止そしするための部隊です」


 運転席のハルが答えた。


「え? なんでそんなこと。なんで止めないんです!」

「申し訳ない、イソノさん。これは、ソ連に榛名さんを渡すわけにはいかないというホワイトハウスの意向いこうだ。しかし、もしCIAの作戦が失敗しても、我々がそれを阻止する」

「我々って……俺たち間に合わないじゃないですか!」

「大丈夫です。ZOEが間に合わせます」


 ハルは、備え付けられたモニターに目を向けた。

 ZOEの自動運転により、車は加速を維持していた。榛名を乗せた乗用車と同じく、首都高速湾岸線から目的地までを進んでいく。車内では恐ろしいくらい静かでおだやかだったが、フロントガラスをみる限り、車線変更を繰り返していくつもの車を追い抜いていった。




「なあ、新東京駅っていうのは、東京駅とはちがうのか?」

「はい。チューブリニア・ラインの建設の際に千葉県にある新浦安しんうらやす駅を改築かいちくし、新東京駅と改名かいめいしました。ここです」


 車載モニターのナビ画面に映る地図の縮尺を広範囲に変えた。

 が、リアルタイムで示される道路状況は芳しくなかった。すぐさきで渋滞が起こっている。


 俺は画面からフロントガラス越しの前方を見て驚いた。

 前方で渋滞しているらしい車が、次々と車線を空けていく。


「おい、どうなってるんだ?」

「ZOEがこの車両を救急車両のIDに書き換えました。周囲の車両は自動運転に切り替わり、車線を空けます」


 なんてことだ。これもZOEの仕業なのだとしたら、この人工知能は、この日本という国の電子機器にどこまで入り込んでいるんだろう。さっきも、監視カメラをリアルタイムに確認しているというようなことを言っていた。これが悪意(あくい)によって動いたならばどうなるのだろうと考えると、そのさきに見える光景に恐怖が襲ってきた。


「なんとも、みんな親切だねえ」


 ただただ驚いた顔で言うバックシートのおばあさんに、俺はどう答えたものか言葉が見つからなかった。


「おばあちゃん、わたしたちが榛名さんを助け出します。ですからいまは、榛名さんがお宅にいらしたときの話をしてくださいませんか?」


 ハルの言葉に、おばあさんはしきりにうなずいて話しはじめた。


 話によると、十日くらいまえに公園にご夫妻が散歩していると、びしょ濡れの格好かっこうの霧島榛名を見つけたらしい。最初、警察に届けるべきか迷ったが、榛名の嫌がる様子を察して、結局、家にかくまったそうだ。しかし、そこから一週間のあいだ、俺と同じように言葉が通じなかった。それでも、老夫婦とのジェスチャーや表情を読んでのやり取りのなかで、榛名は二人を信頼していったそうだ。


 そして、三日前。やっと言葉が通じあうようになった榛名の口から出た言葉が、俺を救うために北海道、札幌に戻る必要がある、ということだった。


「よくはわからなかったけれども、たしか五日前の夜だったかねえ、榛ちゃん、すんごいあわてた様子でわたしらに話しかけてきて。けど、わたしらもなにを話してるのかさっぱりわからなかった。そのあと、やっと言葉しゃべれるようになってから、あんたに会ったって言っとったなあ」


 今日一七日から五日前は八月一二日。

 もし、俺の予測が正しければ、あの日の夜あの砂浜で榛名は俺と遭遇したんだ。あのときも、いまも大学ノートにも書かれていた「俺を巻き込みたくない」というその言葉こそが、彼女の動機なのだろう。


 運転席のハルに目を向けると、俺にうなずいてから口をひらいた。


「磯野さん、さっきおばあちゃんからもらったSDカードを」


 俺は、上着のポケットからSDカードを取り出した。

 ハルは、サイドボードからタブレットを取り出し、俺から受け取ったSDカードを差し込んだ。フォルダを開かれ、ひとつだけあった動画ファイルを再生した。


「榛名……」


 画面には、八月一二日のあのときと同じ、霧島榛名が映っていた。

 キャスケット帽は被っていなかったが、ショートヘアに白のブラウス、そして胸にピンクのリボンをむすんでいた。これまで、ずっと目にしたかったその姿を、画面越しとはいえ目の当たりして、俺は、感極かんきわまってしまった。


「磯野くん、いまどこにいるかわたしにはわからない。もし、きみがここにきたときのためにメッセージを残します。わたしは数日まえの夜、ここの近くの海岸で、きみに会いました。そのとき、わたしは白昼夢はくちゅうむのような体験をして、あれが現実がどうかわからなかったのだけれど――」


 榛名は、思い詰めたようにうつむく。

 そして、強い意志をもった瞳を、もう一度画面へと向けた。


「きみを巻き込みたくない。そのためにわたしはここに来たのだから。きみがここに来てしまわないように、その道を止めに行きます。ごめんね、約束したのに。けれど、八月七日の夜を迎えられなかったんだから。だから、磯野くん、きみだけでも、もとの世界に戻って、すべてを、もとどおりにしてください。もう、誰も巻き込まれることのない、正常な世界に」


 動画の再生が終わった。


 八月七日の夜?


「……わからない。わからないよ。なんだよ、その約束っていうのは!」


 いつのまにか、声に出して画面に訴えてしまう。


 彼女の言う約束、俺は、彼女と、なにを話したのか。

 俺は、彼女とのあいだに、どんなやり取りをしたのか。

 けれど、正常な世界に戻せって言ったって、


「榛名がいない世界なんかじゃ!」


 八月七日一〇時二一分。それ以前の記憶を奪った世界に、事実に、どうにもならない感情が込み上げる。


「磯野さん」


 心配そうにハルが俺の顔をのぞき込む。


「あと、五分で霧島榛名さんに追いつきます。彼女に会えます」


 俺はハルを見た。

 彼女は、目で車載モニターへ俺をうながす。


「……もう?」


 それを見ると、俺たちの車は、目的地新東京駅まで五分の位置にあった。


「だから、安心してください」


 そう言うハルの目は、どうしようもなく、胸が張り裂けそうになるくらいに、やさしかった。

 16.メッセージ END

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