15-08 なぜ人類に反乱を起こしたAIの名前を?
三つ目の世界での磯野の生存確率と収束との関係。そして、なぜ世界を救うという言葉がたびたび出てくるのか、その理由を鷲鼻の男は語る。
「……そんな」
だが、よくよく考えればそうだよな……。
俺がこの世界に未練を持たないのと同じように、彼らも俺たちの世界に執着などするわけがない。
「確実に救えるきみたちの世界を取るか、本当にあるかわからないこの世界を救う方法を見つけ出すか。この選択肢は、あまりにも不釣り合いな天秤のようなものだ。それにイソノさん、そもそもきみは、あの二人を信用するのかね?」
……信用。
あの研究所では、騙されていた記憶しか無い。
それでも、いま聞いたような話をされていたら、俺は素直に話を受け入れていただろうか。
――この世界を救うために、自分たちの世界を犠牲にする。
いや、彼らが俺たちの世界もふくめて解決策を見つけようとしたにしても、俺は、自分たちの世界を危険に晒してまで、この世界の命運に付き合おうとはしなかっただろう。だからこそ彼らは、俺を騙し、あの場所に閉じ込めようとした。
事情はわかった。
けれど、彼らのやり方を俺は受け入れられない。白い部屋でのあのメスの件はまだしも、榛名に対して彼らがやったことを、俺は許せるはずがない。
「私はアンドリュー・ライナス。ライナスと呼んでくれ。きみはもとの世界に戻りたいはずだ。我われはきみたちの世界の消滅を阻止したい。我われは協力出来る。力を貸してくれ」
アンドリュー・ライナス。目の前の男は、俺や榛名、二つの世界で起こったことを把握していた。さらに、これから起こるであろう危機を伝えたうえで、俺たちをもとの世界に戻そうとしてくれている。榛名を連れてもとの世界に戻るという俺の目的にも合う。
けれど、腑に落ちない点がたくさんある。まず、
――この男を信用出来るのか?
朝倉博士や真柄先生は当然信じられない。
だからといって、目の前のライナスと名乗る男の言うことだって、どこまで本当かわからない。
「ライナスさん、あなたは榛名を、二度も見捨てようと、いや、使い捨てようとしましたよね。さっきの話で、俺の死の回数を減らそうとしていたのは理解出来ますし、助けていただいたことにも感謝してます。けどね、世界を救うとかそういうことをしようとする人が、となりにいる人間を使い捨てるように扱ってたんじゃ信用なんて出来ませんよ」
「イソノさん、我われに疑いを持つのも当然だ。だが理解してほしい。目的を達成するには仕方がないことだ。そのうえで、彼女を紹介しておきたい。ここにいる女性ではなく、きみに電話をかけてきた存在についてだ」
彼女……電話の主ってことか?
突然、着信音が鳴った。
ライナスと榛名のうなずきを確認したのち、俺はポケットからスマートフォンを取り出した。通知不可能の文字をふたたび見とめたうえで電話に出ると、霧島榛名と同じ声が俺の耳に届いた。
「私の名前はZOE。国防高等研究計画局――DARPAを中心とした人工知能開発プロジェクトであり、アメリカ合衆国の安全保障を保護するASI――人工超知能システムです」
「……ゾーイ」
電話の主は「ZOEシステムは、あなたと霧島榛名を全力でサポートします」と言って、通話を切った。
「ZOEは、ギリシャ語のゾーエー、つまり生命を指す。二〇一六年、アメリカ合衆国政府により進められていたビッグサイエンス計画でありヒトの脳のネットワーク構造の解明を目的とした「BRAINイニシアティブ」から派生し、半年前にDARPAによって立ち上げられた人工知能開発プロジェクトの産物だ。この世界において、今後一〇年のあいだに起こるであろう技術的特異点――シンギュラリティの到来に備え、政府主導での人工超知能開発と、それに対応可能な進化した人類――ポスト・ヒューマンを生み出すことを当初は目的としていた。その副産物として、国家安全保障規模での世界におけるネットワーク監視システムを、世界各国に先んじて構築することが出来た。世界最強の監視型AIシステム、まさにイーグル・アイだよ。しかし、肉体を持たない人工知能の判断は、将来的に人間と共存する存在足り得ない。そのため、当初の目的通り、キリシマ・ハルナさんの遺伝子を用いたバイオロイド・クローンを開発し、人間的思考を与えるためZOEのサポートとした。これが現在におけるZOEシステムだ。とは言っても、この世界における人類の、八月七日以前の歴史と記憶によるものだがね。システム本体であるZOEは、すでにネットワークの海に放たれ、西側諸国を中心に世界を監視している」
この人たちの背後にいるのは、アメリカ合衆国政府ってことなのか……。にしても、まるでSF映画ような話だ。いや、いま現在、この世界で近未来的なものなど何度も目の当たりにしてきたが。
「アメリカ合衆国……あなた方はアメリカ政府の人間なんですか?」
「正確にはちがう。現在、我われは合衆国政府のために働いてはいない。いま私が動いているのは、ZOEの独自の判断によるものだ。一ヶ月前に、ZOEは政府には極秘に、あるプロジェクトを私に打診してきた」
「極秘のプロジェクト? なぜ、あなたに?」
「私が、生みの親だからだ」
生みの親……あの電話の主の開発者ってことか。
「ZOEが打診してきたプロジェクトとは、さきほどきみに話した、きみとキリシマ・ハルナさんをもとの世界に戻し、二つの世界を救うというものだった。最初は私も戸惑ったよ。いや、八月七日以前のことなのだから、戸惑った記憶がある、と言ったほうが正確なのだろうが。この世界を救える可能性が無いことをZOEに説得され、とうとう彼女の計画に従うことに決めた。これが露見すれば、合衆国政府は我われを消そうとするだろう」
そう言ってライナスは一度、となりにいる彼女を見た。
「しかし、真の意味で人類を救うためには、国家、いや、世界を超えた視点でなければ解決出来ない。今日まで、ZOEは、私とキリシマ・ハルナさんの遺伝子により造り出したポスト・ヒューマンのプロトタイプとなるバイオロイド・クローン――HALを指揮してきた」
「ハル?」
顔を向けたさきの彼女は、ひとつうなずいたあと口をひらいた。
「HAL03。それが私の名前です。この世界の生まれた八月七日以前からZOEをサポートしている記憶があります。HALの名前の由来は――」
「私が名づけた」
それって、もしかして、
「『2001年』?」
「いかにも」
「なぜ人類に反乱を起こしたAIの名前を?」
「だからこそ、人類はさらなる進化へと導かれた、と言いたいところだが……、ただの皮肉だよ」
この世界で映画『2001年宇宙の旅』の名前を聞くことになるとは……。けれど、だからこそこの世界が自分たちの世界がもとになっている、ってことかもしれない。
「私たちバイオロイド・クローンは、ZOEによって五体が生産されました。諜報活動のノウハウと戦闘員としての訓練を受けています。私たちのうちHAL01と02はすでに、バルク空間突入時の事故と、磯野さんの世界で命を落としています」
命を落としている?
俺の世界で?
彼女はそこで言葉を止めると「あなたと会ったとき、霧島榛名と嘘をついていました。ごめんなさい」と言ってうつむいた。
「……大丈夫、気にしないでくれ。俺はもうなにも思っちゃいない」
事情はわかったんだ。いまさらそれを責めるなんてことはしない。八月七日当時に榛名と同じ容姿であらわれて、いまあった説明を俺にしたら、そりゃ混乱どころじゃなかっただろう。彼女の判断は正しかったはずだ。それに、出会ってからずっと、彼女に人間らしいあたたかい感情を見た気がしたんだ。
「……ハル、さっき、命を落としたって言っていたよな。あれは、どういうことなんだ?」
その名をあえて口にしてみたが、なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。どこかで、彼女のことを、榛名と呼んであげたい自分がいることに気づいた。
彼女がそう呼ばれたときの、俺にむけた、あのあどけない笑顔が忘れられない。
彼女は、俺の質問に答えようとして、けれど、そのままうつむいてしまう。
「イソノさん、もうわかっているだろうが、我われは、きみたちの世界で起こった出来事の大抵のことは把握している。事故死したHAL01とHAL02、そしてここにいるHAL03のおかげでね」
ああ、ライナスの言うことはわかる。
俺や二つの世界で起こったことを、把握していたんだ。
「つまり、彼女たちは俺たちの世界にも来ていたってことですか」
「そういうことだ。それに、きみはすでにHAL02を目撃しているはずだ。バルク空間、きみの言葉でいう「色の薄い世界」の、八月七日のプラットホームに到着した鉄道車両にいた彼女、それがHAL02だ」
15.彼女の名前 END





