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二つの世界の螺旋カノン  作者: 七ツ海星空
15.彼女の名前
120/196

15-04 ……頼む、お願いだから俺を――

 彼女は、榛名どころか人間ですらないことを磯野は悟る。それでも命の恩人である彼女と共に研究所からの脱出を決意する。が、二人は兵士達に行く手を阻まれ

 つぎの瞬間、彼女は一気いっきに駆け出した。

 裸足はだしがコンクリートの地面じめんをヒタヒタとたたく。柱から身を晒す彼女に、一瞬の静寂が、世界を支配した。直後、彼女をすり抜けて、無数の銃弾じゅうだんが壁にめり込んでいく。


 そのすさまじい光景に、一瞬、唖然あぜんとしてしまう。


 我に返って俺は駆け出した。

 長い長い一秒が、彼女の背中と、それをかすめる銃弾の航跡こうせき出現しゅつげんさせながら過ぎていく。俺が射線しゃせんに出た一秒もないわずかな時間、銃撃にすきが出来たような気がした。


 これなら、いける。


 遮蔽物、俺たちが隠れていたのと同じ太さの柱の陰へと、一歩、一歩と近づいていく。


 脇目わきめを振れるな。

 一気に、一気に駆け切れ!

 もうすこし、あと、もうすこしで――


 そう、心の中で叫んだとき、


 ――彼女のこめかみに、一つの航跡がつらぬいた。


 ドクンという衝撃しょうげきとともに、俺の中でかたまるものを感じた。

 聴覚ちょうかくに届き切らない己のさけびとともに、バランスをくずし、たおれ込んでいく彼女へと駆け寄った。


 崩れ落ちる彼女の右手をつかみ、引き寄せ、彼女の身体を抱き上げる。


 こうなることも、そのあとのこともわかっているはずなのに。とめどなく流れるなみだ視界しかいを奪われながら、俺はおろかにもその場にひざいてしまう。


「ダメだ。撃つな!」


 左側から、男のかすれた声が響いた。

 思わず俺は、その声へと顔を向ける。ぼやけた視界の中に黒い銃口じゅうこうを見とめ、焦点しょうてんが合う。


「え」


 ひたいに衝撃が走った。


 彼女を抱きかかえたまま、俺の視界はななめにすべり落ちていく。

 目の前にあるものが、ゆるやかに黒へとりつぶされ、消えていった。




「うあああああああああああああああ」


 叫び声とともに、目の前を走る彼女の背中に、俺は全力ぜんりょくで飛び込んでいく。と、俺の体を押しつぶそうとしてくる急激きゅうげき疲労ひろう支配しはいされながらも、俺は射線にを向けながら彼女を抱き込んだ。


 このまま俺が盾になって、すぐそこの柱の陰に――


 右肩に激痛げきつうが走った。


「――っがああああ……あああああ!」


 衝撃が全身ぜんしんを駆け抜け、気を失いそうになる。


「磯野さん!!」


 ……どうやら柱の陰へもぐり込めたらしい。

 彼女の、榛名の声で、無事だとわかり、安心してしまったのか、笑いが込み上げてきた。


 彼女の顔は、俺への心配とおどろきが混ぜこぜになってれていた。彼女は、柱の陰に俺のあしを引き込む。


「……収束、ですね」


 激痛にいまにも意識いしきが飛びそうな中、俺は彼女にうなずいた。

 彼女は、着ている上着の袖を引きき、それで俺の右肩をきつくしばった。


「磯野さん、私は……いえ、次からは、私のことは――」


 言っただろ。絶対に、


「……榛名、俺は……おまえを……救い出す」


 警備員たちの足音がふたたび響き出す。

 彼女は強くまぶたを閉じたあと、静かに、こらえながら言う。


銃創じゅうそうは肩に一つだけ。貫通かんつうしています。走れますか?」


 走れるだろうか。いや、走れなかったとしても、彼女はここから逃げ出せるようにしなければ。そうだ、俺は殺されることはない。なら、足手まといの俺が出来ることは、霧島榛名一人でも無事ぶじ脱出させる、それだけだ。


「……ああ、いける」


 彼女は俺の目を見てうなずき返し、腰を上げた。


 目指す先には数台の車が駐車してあった。

 その中の射線の死角にある黒のSUV。距離はおおよそ一〇メートルだろう。


 死ぬ気で走れ磯野。もう一度、全力で死ね。そうすれば、二人とも逃げられるのぞみが、得られるかもしれないのだから。


「いきます」


 榛名の声に俺はうなずく。一瞬、彼女の瞳に、なにか、未練みれんのようなものを見た気がした。


 ……いや、


 彼女は俺から目標へと顔を戻し、一気に――


 ……このままじゃ、


「榛名! 待て!」


 ……ダメだ! 二回目なんだよ!


 だから今回は最初から榛名を狙ってくるはずなんだ。

 そんな中、榛名を先に走らせてしまったら、


 ――やつらの格好かっこう標的ひょうてきにされちまうだろ!


 すでに走り出した彼女の華奢きゃしゃな背中が、一歩、一歩、俺から離れていく。左から銃撃が起こり、彼女の前後を無数の銃弾がかすめていく。


「……ああ、これじゃあ、……ダメだ」


 クソッ、榛名は俺に思考を、考える時間を与えずに飛び出したのか。この――


「ばかやろう!!」


 俺は銃撃の空間へ一歩踏み出す。

 あまりにも、ゆっくりと。急いでいるはずなのに。脚を前に出しているはずなのに。コンクリートがはじけるのを越えながら、痛みにえながら、それでも一歩、一歩と、前にある空間へと重心じゅうしんを移していく。


 走れているのだろうか。

 俺には解らない。

 周囲しゅういを意識する力もない。

 それでも前に、少しでも前に。


 彼女が、振り返った。


 ダメだ。頭を、頭を下げてくれ榛名。

 俺にかまわず車までたどり着くんだ。俺は、殺されても死なない。だから、早く――


 左ふくらはぎに、衝撃が走った。

 支えられるはずの体が、崩れ落ちてしまう。


 足を止めるな。今度は、やつらは俺を殺すようなミスは犯さないだろう。確実に生け捕りにしてくるはずだ。撃たれたのなら、殺されにいけ。時間があるなら、逃げ延びろ。


 思考だけがからまわりし、視界が暗くなる中、俺は左腕を引きづられていく。


 ――捕まったのか? 


 ダメだ、ダメだダメだダメだ。

 それじゃあ……ダメなんだ。撃ち殺してくれなくちゃ。……頼む、お願いだから俺を――


 意識をしぼりだして頭を上げると、そこにいたのは榛名だった。

 ……よかった、生きている。銃創をかばい、俺の左肩をかつごうと、彼女は、俺の体を持ち上げた。


 敵は? ダメだ、こんなところで俺をかついで平気へいきな――


 左からの衝撃が俺たちを襲った。

 グラリと倒れ込んでいく榛名に引きづられてしまう。


「あ」


 血しぶきが。いつのまにか、顔に。


「……榛名?」


 俺たちはそのまま沈み込んでしまった。

 起き上がれないまま、動かなくなった彼女を感じながら、足音が近づいてくるのを、俺は待つしかなかった。


「目標は生きています!」

「よし」


 頭上ずじょうから男たちの声が響いた。


 榛名は、死んだのか? 

 死んだのか。


 死んだ、なんて……そんなことは、


「そんなこと! 絶対ぜったいにッ!!」


 俺は上体を無理やり起こして、そばにいた警備員の、右腰のホルダーから拳銃けんじゅうを引き抜いた。


「くそおおおおおおおおお」


 グロック19。そうだ。安全あんぜん装置をはずして、俺の、こめかみに――


「よせ! 磯野君!」


 引き金を



 ――引け!



 があんという轟音ごうおんと衝撃が、左のこめかみから脳内のうないへ貫いていく。

 八月七日で経験けいけんしたのと同じ衝撃をふたたび感じた。


 こと切れるまでのわずかな時間、

 己がやり遂げたことの達成感たっせいかんみたたされ、

 消えた。

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