15-02 きみは死ぬことは無いだろうが、彼女は命を落とすだろう
榛名の声の電話の主に従い、人工島の機密区画へと潜入する。磯野はそこで、無数の立ち尽くす人――人造人間を目の当たりにし、
ふと、彼女を抱きしめてやりたい衝動にかられてしまう。
俺のなかに湧いて出た、あまりに警戒心のない彼女への気持ちに、いまはそんな時間などないとおのれに言い聞かせて頭を冷やす。
と、彼女は、俺の肩に顔をうずめて、数度嗚咽した。
もう警戒とかそういう問題じゃないだろう。
もし俺に人の気持ちがあれば――
彼女の震える背中を、俺は抱き入れた。
頭のなかに出てくる数々の言い訳に、自分自身が嫌になってしまう。
ちがうだろう? 人とかどうかそういう問題じゃない。
――俺が、彼女を受け入れたかったんだ。
落ち着いたのか、彼女は口をひらく。
「……ごめんなさい」
「いいんだ。大丈夫」
拘束から解放された彼女は、ケーブルを首から外し、俺に支えられながら立ち上がった。彼女は、滑り落ちかけた上着を、胸をあたりでおさえる。彼女のその女の子らしい仕草に、俺はドキっとして顔をそむけた。
彼女は俺に背を向けた。
上着に袖をとおしたことで、彼女の透きとおるような白い背中がかくれた。彼女はボタンを留めながら言った。
「……磯野さんがここにきたということは、彼女の指示なんですね」
……彼女。そうか、電話の主とこの子は別人なのか。
「ああ。その彼女が何者かはわからないが」
「ごめんなさい。のちほど説明を。ただ、一つだけ。彼女は味方です」
「それはわかっている」
「ここからは、脱出まで私が案内します」
ボタンを留め終わった彼女は、俺に振り返りそう言った。
上着一枚の、ローブ姿の彼女。
盛り上がる胸と、シャツの下から伸びるスラリとした脚に、いつのまにか見蕩れてしまっていたことに気づき、俺は慌ててうつむいた。なぜだろう。さっきの一糸纏わぬ姿よりも、いまのほうが気恥ずかしさを覚えてしまう。
「この人工島からどうやって脱出する?」
平静を保とうとして質問した俺の左手を、榛名はやさしくつかんで、言った。
「この建物については把握しています。ついてきてください」
ドアがあったはずの壁は、俺がその前に立つことで難なく通り抜けることができた。そのまま廊下へと出たが、スマートフォンから着信はなかった。画面を見ると、圏外表示に気づく。
「すでに研究所内の通信をすべて遮断しているのでしょう」
「どうすればいい?」
「ここから一五階へ上がります」
「一五階?」
なにを言っているんだ? この研究所の建物は三階までしかなかったはずだぞ? もしかしたら居住区画が三階しかないだけで、ほかの区画には……いや、そんなことはない。さっき乗ってきたエレベーターだって、三階から地下三階までしかボタンが無かったはずだ。そもそも一五階だなんて、そんな高さ、この孤島の研究所に存在できるはずが――
「磯野さん、ここは島ではありません」
「島……ではない?」
どういうことだ? この研究所に来て以来ずっと、俺は海に囲まれた景色を眺めてきた。人工島なのかどうかはわからない。だが、どう見たってここは島の上にあった。
「説明は省きますが、この研究所は日本列島における山梨県に位置しています」
「山梨?」
山梨県って、富士山のふもとのあの山梨のことを言っているのか?
意味がわからない。そもそも海一つない内陸の県だぞ? いや、この世界の日本列島は、俺の世界とはちがうのかもしれない。けれども、それを差し引いたとしても、真柄先生の言っていた東京都内にいる、という言葉すら嘘になる。ここ数日見ていた窓の外の海は、全部ニセモノだって言うのか?
……いや、俺はそのニセモノを一週間ものあいだ見せられつづけただろう。
白い部屋のあのマジックミラー。あの壁みたいに、間近で見てもバレないくらいのダミー映像を見せられるなら、窓の外の海ぐらい簡単に作れるはずだ。……つまり、この場所は、それほどまでに所在を隠しておきたいってことなのか。
「一五階に、この研究所から地上へ出られる輸送道路があります。それを使って――」
彼女は立ち止まった。
「なんだ?」
彼女の先を見ると、白衣の男がいた。
「……真柄先生」
「磯野君、研究所に留まってくれないか?」
たった一人でそこにいる真柄先生は、敵意が無いことを示すように両手を掲げた。
「真柄先生、助けていただいたことには感謝しています。けれど――」
この人たちは彼女を拘束していたんだ。
あんな拘束器具を使い、あのようなひどい姿にしてまで。そんなヤツらのことを信用できるわけがない。それに、横のガラス窓の向こうに並べられている無数の人造人間。その研究のために彼女を捕えていたのならば、なおさらここから彼女を連れ出さなくてはならない。
「あなた方を信じられません。俺は、霧島榛名を連れてここから出ます」
その言葉に、彼女は、ハッとして俺を見た。
「磯野君、もう一度言う。彼女はちがうんだ」
そんなことはわかってる。けど、だからなんだって言うんだ。彼女は俺の命の恩人であり、俺の大切な人だ。その人が、その名を名乗ったのだから――
「俺は榛名とともに行きます」
俺は彼女の手を強く握った。
すこしの間のあと彼女もまた握り返してきた。
俺は、その気持ちに応えるように、一歩踏み出す。
「さきに進めば、磯野君、きみは死ぬことは無いだろうが、彼女は命を落とすだろう」
真柄先生の念を押すような声が廊下に響いた。
このさきには「人を殺すことを厭わない連中」が待ち構えているってことか。しかも、
――最初から榛名を狙ってくる、そう言っている。
「留まってくれれば、彼女の命は必ず保証する。だから、協力的な関係のままでいてほしい。たのむ、お願いだ」
俺は彼女を見た。彼女は微笑みながらうなずく。
「大丈夫です。安心してください」
どうする?
俺は殺されても死なない。殺された瞬間に、生きている世界へと収束される。だから、真柄先生の言うとおり、このさきにいる連中は彼女を狙うだろう。彼女の動きが止まれば、俺はその場に留まらざるを得ない。それなら、
――命を捨てても、彼女を守りきるんだ。
俺は彼女の手を離して、目の前にいる男に近づこうとした。
しかし、榛名は俺の手をつかみなおして、俺の前に出ようとする。
真柄先生は後ずさりしながら、掲げた両手を強調した。
「片手だろうと、きみを相手に勝てるとは思ってないよ」
「それならなんでわざわざ一人で来たんですか。真柄博士、わたしはあなたを人質にとって、盾に使うかもしれないというのに」
「きみはそんなことはしないだろう、ZOE」
ゾーイ?
ゾーイって、彼女のことなのか? 真柄先生は彼女の背後にいる正体、電話の主のことを知っている?
そもそも引っかかるのは彼女に対する真柄先生のあの話し方だ。
彼女の良心にでも訴えているような物言いは、以前から見知っている関係のように見える。
「磯野さん」
「――ああ」
俺は、彼女の呼びかけに応じて真柄先生の横をすばやく通り過ぎ、エレベーターのボタンを押した。
「……本当に残念だよ、磯野君」
真柄先生は俺に振り返り、そう答えた。





