15-01 助けてもらったことには感謝している
電池切れのはずのスマートフォンに電話の主からの着信があった。プラットホームで命を救ってくれた電話の主。だがその声は霧島榛名のものだった。彼女は磯野が緊迫した状況にあると告げ――
――人、人、人。
廊下を隔てたガラス張りの壁の向こう側に、無数の「人」が立ち尽くしていた。
視界の奥は暗闇であるため、何人いるかはわからない。
が、不気味な静寂の中、俺を見ているであろう人びとの目に生気は感じられなかった。おなじような容姿の成人男性の骨格をしているが、裸のまま立ち尽くすその姿に作り物のような印象を受けた。精巧に作られた人形なのだろうか。
俺はスマートフォンを耳に添えた。
「あれは……なんなんだ?」
「ルートを進んでください」
俺は目のまえの薄気味の悪い光景から目をそらして、カーブ状に延びる廊下を歩き出した。
もう一度電話の主に問う。
「あれは、なんだ?」
わずかな沈黙のあと、電話の主は答えた。
「バイオノイド――人造人間です」
俺は立ち止まってしまう。
人造人間?
たしかにあれは、スイッチを押せば動き出すようなロボットのたぐいではないだろう。ところが、あの無数の「人」は、文字どおりスイッチが入れられていないロボットのように立ち尽くしている。もし、動き出すとしたら、人間に制御され、目覚めるというのか?
「急ぎましょう」
「……ああ」
彼女の声にさえぎられて俺は我に返った。
動揺がおさまらないまま、湧き起こる疑問を電話の主にもぶつけられもせずに、廊下のさきへと進んでいく。
人造人間なんてものが生み出せる科学技術がこの世界にはあるというのか? この研究所は、人造人間を生み出すためのものなのか?
真柄先生から人工知能の研究所だと教えてもらったとき、それが国家機密であると伝えられたとき、この場所がなにを扱っているのか、俺はうすうす勘づいていたんじゃないのか?
それなら、電話の主によってここに連れてこられた理由は……?
榛名を助けるために、この区画にいる、その理由は――
「このドアです」
霧島榛名の声をした何者かが俺に呼びかけた。
ほかのドアと同じように生体認証装置が正面にあった。わずかのあと、認証の電子音を発してドアロックが解除される。
「ここからさきは通信が遮断されます。なかにいる彼女の指示に従ってください。時間がありませんので、なるべく急いで」
「ああ」
電話の主の態度に、少なからずいらだちをおぼえた。
俺の問いに対しては歯切れの悪い返事しか返さなかったにもかかわらず、一方的に急き立ててくる。
とはいえ、いまはただ従わざるを得ない。
彼女……霧島榛名がこの部屋にいると言うんだから。
ドアをあけると、さっきの部屋と同じように、ガラス張りされた壁で仕切られた空間があらわれた。ガラスのさきには、俺がいたのと同じ白い空間があり、その中央に、
――霧島榛名がいた。
白い肌を晒し、上体を起こして固定されたまま。
「榛名!」
叫んだ直後、彼女の様子がおかしいことに気づく。
上半身が露わになった彼女の左腕は、肘の下が無かった。撃たれたはずの胸の傷は無いが、首の後ろから伸びているらしい無数のケーブルに目を奪われてしまう。
「やはり、人造人間……なのか」
その言葉を発したことで、この世界で彼女にはじめて会ったときの、あのなにかが薄いと感じたその印象がなんであったのかが、俺の頭の中で結びついた。
はじめてあったときの彼女は、容姿も、匂いも、胸のやわらかさも、どれもが霧島榛名本人のものだった。
けれど、あのとき感じた薄い、という印象は、人間として血の通った温度のようなものの不確かさ、抱きしめたときに感じた、人形に触れているような壊れそうな感触、そういうものから抱いたものだと気づいた。
その答えに腑に落ちる一方で、何人もの追跡者を返り討ちにする人間離れした身のこなしと目の前の光景が重なり、彼女は人間ではないという認識が俺を覆い尽くした。
俺は、ガラス張りの壁を沿って延びる廊下の中央部に、白い部屋へと通り抜けられる自動ドアを見つけた。生体認証によりひらかれた自動ドアを通って白い部屋へと入った。その瞬間、ガラス張りだったうしろの壁は、周囲と同じ白い壁へと切り替わった。
「マジックミラーか」
「……磯野さん」
ベッドに固定された彼女が、俺に気づいた。
俺は彼女に、問わざるを得ない。
「おまえは、誰だ」
彼女は目をそらした。
「あの電話の主は、おまえなのか?」
彼女は、床を見つめたままおし黙る。
「助けてもらったことには感謝している。けど、俺の前にいるのが人間なのかもわからない。おまえは人間なのか? この世界の霧島榛名は、人間じゃないのか?」
俺の最後の問いに、ほんのわずかだが、彼女の目に、哀しさを帯びたような気がした。
「私は……」
そう言って、彼女は首を振った。
そんな彼女を見て、気を許してしまいそうになる。
惚れた相手の容姿をしているんだ。冷静さなど保っていられるはずがない。
けれど、だからこそ霧島榛名の容姿が、俺を油断させるために意図的に用意されたものとも考えられる。いままでは俺の命を救ってくれた。だとしても、彼女が人造人間で、だれかにコントロールされている存在だった場合、なにかのスイッチで『ターミネーター』みたいにいきなり俺に襲いかかってくることだってあり得るんだ。
そんなことを考えながら答えを待ちつつも、彼女の様子にいたたまれなくなってしまう。
仕方ない。
「なぜ霧島榛名と名乗った?」
「……磯野さん、あなたを混乱させたくなかったからです」
「ならおまえは……やはり」
――霧島榛名ではないのか。
「……いや、それはいい。あのとき、なぜ俺を助けた?」
「あなたは殺されてはいけないからです。それに……」
彼女はふたたび口をつぐんだ。
なぜ言葉を詰まらせたのか、俺は注意深く彼女の表情を追おうとして、晒されている彼女の白い肌に我に返った。
俺は彼女に近づくと、彼女の顔は、切なさと恥じらいの混ざった色へと変わった。俺は上着を脱いで彼女の上半身を覆った。
彼女は、首、肩、腕など関節の各所にリング状の拘束器具で厳重に固定されていた。しかし、器具自体は、なにか特殊な技術が施されているわけではないらしい。
この子は危険じゃない。
根拠? そんなものはない。俺の判断は甘いのだろう。それでも、こんな姿にされてしまっている彼女を助けないなんてことは、俺にはできない。
上から順に留め金をはずしていく。
腕を回しながら、彼女の右手首の拘束をはずそうとしたとき、俺の耳もとで、彼女は、
「ありがとう」
と囁いた。
彼女の声はかすかに震えていた。





